324.精霊のお仕事
客もまばらになりつつあった夜半過ぎ。居酒屋領主館の厨房では、領主ラルフ・ドーソンによる静かな、しかし熱き挑戦が始まろうとしていた。
目指すは、前世で不動の地位を築いていた大ヒット米菓『柿の種』の再現。
それは、異世界の食材で故郷の味を蘇らせる、たった一人の「プロジェクトX」であった。
ラルフの脳内には、あの壮大なイントロと力強い歌声、淡々としながらも重厚なナレーション、そして逆境に立ち向かう男たちのドラマが、セピア色の情景と共に浮かんでいた。
ロートシュタイン領主、――ラルフ・ドーソン。
異世界の地で至高の米菓の味を求めた、たった一人の孤独な挑戦が始まった。
立ちはだかる未知のレシピの壁。度重なる挫折……。
暗く長い絶望の先に見えた、一筋の希望とは。
次週『地上の柿 〜異世界米菓を再現せよ!〜』
……という壮大な妄想はさておき。
現実のラルフの手元にあるのは、理想とは程遠いアレだった。
「こ、こりゃあ、なんか違うモノができてしまった……」
ラルフの額を、一筋の汗が伝う。
そもそも『柿の種』の正確な製法など知らない彼は、試しに年始に大量に作って乾燥させておいた餅を切り出し、油で揚げてみたのだ。
結果、それは柿の種とは似ても似つかぬ、ふっくらとした“揚げおかき”であった。
まあ、それはそれで抗いがたい魅力を放ってはいるのだが。ラルフはやれやれと肩をすくめ、それに砂糖と醤油を絡めて味付けを施した。
「試作品なんだが、食べるか?」
ラルフがそれを持って向かったのは、赤ら顔で管を巻いている聖女二人のテーブルだ。
「食べるー!」
「やったぁ!!」
二人は子供のように大喜びし、サクサクと小気味よい音を立てて食べ始めた。
実は、夜が更けても粘っている常連客の狙いはここにある。ラルフが厨房で何やら試作実験をしている気配がある夜は、こうして「試食係」という名のおこぼれに与れる可能性が極めて高いのだ。
「ラルフぅ〜! 私にもちょうだいー!」
カウンターでは、赤ワインのボトルを一本空けてフニャフニャになっているパトリツィア・スーノが、ヒラヒラと手を振っていた。
「はいよ」
ラルフが小皿に盛った揚げおかきを置くと、彼女の袖口からチョロチョロと、真っ赤なヤモリのような姿をした炎の精霊、サラマンダーのサラちゃんが這い出してきた。
それを見たラルフは、茶目っ気を出して「ほらよ!」と、おかきをサラちゃんの頭上に落としてやる。
サラちゃんは爬虫類らしい素早い動きでそれをパクりと口に含み、モサモサと咀嚼。その表情は、どこか満足げに微笑んでいるようにも見えた。
「ラルフ! これにカレースパイスで味付けしてみてもいいかしら?」
厨房の中から、いつの間にかエリカが揚げたての試作品を指差していた。
「お前なぁ、まだ寝てなかったのか?」
「今日、お昼寝しちゃったのよねぇ。“おこた”で読書してたら、いつの間にか寝ちゃってて。アレは危険よ!」
最近、領主館に導入された「魔石コタツ」の堕落の危険性について熱弁するエリカ。
「まあ、好きにしろ。多分カレースパイスだけじゃ味が薄いから、醤油で下味をつけた方がいいぞ」
ラルフのアドバイスを聞き、エリカが調理に取り掛かろうとすると、今度は聖教魔導士オルティ・イルが立ち上がった。
「カレー味もできるのか!? なら、私にもくれ!!」
(というか、コイツもいつになったら聖教国に帰るんだ?)
そんな疑問が浮かぶが、この領地ではそんな瑣末なことを気にしていたら身が持たない。
再び厨房に戻ったラルフは、乾燥餅の前に立ち、腕を組んだ。
「油で揚げると、餅が油を吸ってしまうんだな……」
あのカリッとした軽快な食感ではなく、サックリとした、どこか重い質感。おまけに膨らみすぎて、あの小粒な姿からは程遠い。
再現するには、もっと薄く、もっと小さくする必要がある。
ラルフは全神経を包丁の刃先に集中させ、慎重に餅を薄い板状に切り出し、それをさらに細かくカットしていく。その労力は並大抵のものではなかった。
出来上がったのは、柿の種というよりは、小さな短冊状のチップの山。
(また形は違うが……これも実験だ)
形については一旦棚上げすることにした。
「揚げるのがダメなら……焼く、か?」
アイデアを呟くラルフ。
その横で、エリカが不遜な態度で、
「何を作りたいのか知らないけど、これはこれで十分美味しいわよ」
と、カレー味の揚げおかきをポリポリと咀嚼している。
しかし、今のラルフの耳には届かない。
「焼く……。鍋か? 網焼きか? いや、焦げるし、餅同士がくっつきそうだな。なら、オーブンか……。ん?!!」
そこでラルフの脳裏に電光石火の如く閃きが走った。
「おい、パトリツィア! ちょっとサラちゃんを貸してくれないか?」
かつての同級生に声をかけると、彼女は酔いの回った顔でニヘラっと笑った。
「報酬は、おいくらかしらねぇ〜?」
「……今夜は奢りだ。タダでいい。どうだ?」
「やったぁ! 赤ワイン、もう一本追加ぁ!!」
交渉成立、と言ったところたが、
(まだ飲むのかよ……)と呆れ果てながらも、ラルフは厨房にやってきたサラちゃんに向き合う。
「頼むな。これに、ゆっくりゆっくりと、熱波を伝えて欲しいんだ。できるか?」
オーブントレーに並んだ切り餅の短冊を指差すと、炎の精霊は眠たげな目でコクコクと頷いた。やはり上位精霊、こちらの意図を正確に理解している。
サラちゃんが口をパカリと開くと、体内から空気を歪ませるほどの波動が放たれた。
ラルフは固唾を飲んで見守る。
しばらくすると……プツ、プツ……と、餅が踊りだした。
表面の滑らかさを保ったまま、内部に絶妙な空気を溜め込んで膨らんでいく。
「よし! これは、上手くいきそうだ!」
ラルフは確信した。形こそ違えど、これこそが現状の最適解だ。
「ありがとうな!」
と、ラルフは報酬として保冷庫にあったチクワをサラちゃんに咥えさせた。
サラちゃんは前脚で器用にチクワを取ると、フゥー! と口内に残った熱を逃がす。その姿は、一仕事を終えて葉巻を燻らす熟練工のような渋さがあった。
それをただ一人目撃してしまった、カウンター席のエルフ、ミュリエルが驚愕のあまり凄まじい表情をしていたが、今のラルフには関係ない。
ラルフは焼き上がった餅を鍋に入れ、特製の醤油・砂糖・唐辛子のタレを絡めていく。
やはり、質感、香り、ともにあの『柿の種』に極めて近い。
あとは冷まして味と絡めたタレの粘度を落ち着かせるだけだ。ここでラルフは得意の魔法で時短を試みる。
「《絶零極嵐》!」
右手から放たれた極寒の旋風が、厨房内に渦巻き、さらには客席へと吹き荒れた。
「ちょ! ちょっとぉ!! ラルフ様ぁ!? 何してんの!? さ、寒っ!!!」
「ギャァァァ! 冷た、冷たい!!」
客席は一瞬でパニックに陥る。
だが、ラルフの意識は目の前の成果に釘付けだった。
「よし、こんなもんか! ……うん、完成だ!! 食べてみるか、エリ……」
試食を勧めようと、振り返ったラルフの言葉が止まった。
すぐ後ろで魔法をモロに食らってしまったエリカが、全身に真っ白な霜を張り付け、氷像のように直立不動で固まっていたからである。




