312.翼の必要性
年末から続いた祝祭の期間も、今日が最終日。大通りに停滞する、人々のぼんやりとした酔いの残滓は、明日には消え去り、再び日常という名の勤労の日々が始まると、誰もが信じていた。
ロートシュタイン領主、ラルフ・ドーソンもまた、そう思っていた一人だ。
彼は領主館の執務室、豪奢な執務椅子に深く腰掛け、両手の指先で細い目尻を押さえ付けていた。その表情には、呆れと、諦観と、わずかな狂気が入り混じった、複雑な色が浮かんでいる。
(まさか、こんな喜劇が、最後に待ち受けていようとは。あの時の僕は、知る由もなく……)
心の中で、あまりにドラマチックな独白を紡ぎかけたが、空々しいと判断し、口を噤む。
執務室の窓――そこは、この領主館で最も大きく、外からよく見えるように設計されている――の外、館を取り囲む大勢の野次馬や王族関係者たちに向けて、切迫した声が響き渡る。
「謹んで申し述べる! 我らが王位の正統なる後継者、アンドレアス、並びに我が弟ヨハネスの厳命を、ここに布告する! ……即刻、父上たる国王陛下は、王城へご帰還あられたい! これが、我ら両名の要求である! 代わって、我ら二王子の名において、このロートシュタイン領を直ちに"天領"と正式に認定し、ここに我々が駐留の任に就くこととする!!!」
第一王子アンドレアスは、ラルフ特製の拡声魔導音響機器を手に、その謎の要求を、まるで革命家のように力強くまくし立てる。
――要するに、領主館は現在、王位継承権第一位と第二位の王子二人による、絶賛、"立て籠もり"事案の渦中にある。
ラルフは頬杖をつき、わずかに痙攣する細い目を見開いたまま、動かない。もはや、ため息すら枯渇し、体内に残っているのは乾いた空気だけだ。
王子二人の要求はシンプルだった。
要約すると――、
「父上ばっかりロートシュタインに入り浸ってズルい! さっさと王城に帰って、王としての執務をしろ! 代わりに、俺たちがここに残る!」
ということだ。
彼らもまた、この領地特有の自由で大らかな気風と、領主ラルフが生み出す美味――極上の料理と、この世の楽園の如き酒――に、魂を囚われた悲しき囚人と化してしまったのだ。
「"あー、あー。王子様方、ここは完全に包囲されている。無駄な抵抗はヤメて、すぐに出てきて下さい。こんな事をして、どうなると言うのです? 故郷のおっかさんが悲しんでるぞ〜"」
窓の外から、投降を促すファウスティン公爵の、拡声器ごしの歪んだ声が響く。
おそらくは国王陛下の命を受け、やむなく現場指揮を執っているのだろう。その声は、茶番を演じることへの羞恥と、状況への苛立ちが滲んでいる。
その時、同じく執務室の窓を見上げていたクレア王妃が、独りごとのように、しかし鮮明に言い放った。
「あら? 別に悲しんではいませんよ? 単に、呆れているだけですわ」
その声は、残念ながら拡声器の轟音にかき消され、執務室内のラルフ達には届かなかった。
ラルフは思う。これは一体、なんの茶番なのか?! ……それとも、往年の刑事ドラマのパロディなのか?
この状況のバカバカしさは、もはや領主としての尊厳を揺るがすレベルだ。
窓の外の多くの野次馬は、"また面白いことが始まった"とばかりに、目を輝かせている気配すらするのに、当事者の王子達ときたら。
彼らは極めて真剣に、革命なのかクーデターなのか、あるいは壮大な家出劇なのかを画策し、実行してしまったのだ。
仕方なく、ラルフは諦念を込めた声音で尋ねた。
「あのねぇ、お二人さん。王位継承権、序列一位と二位が、こんな事をしてどうするのです? ねぇ、序列一位のアンドレアス様。王位、継ぎたくないんですか?」
尋問のようなその問いに、アンドレアスは迷いなく答える。
「ああ! 継ぎたくないねぇ! 私は、自由に生きたくなったのだ。ラルフ・ドーソン公爵。……貴殿のようにねっ!」
そう言って、彼は陶酔した表情でラルフを指差した。
そして、ヨハネスは、熱狂的な笑みを浮かべる。
「へっ! 俺も。王位なんて、まっぴら御免だぜ。俺は、この街で、冒険者になるんだ! そして、四つあるすべてのダンジョンを制覇してやるのさ!!」
ラルフは、出尽くしたと思っていた小さな、しかし濃密なため息を漏らした。
(まさか、ここまで毒されているとは……)
確かに、このロートシュタインは美食の街として、各国の重鎮達すらなかなか出ていきたがらない、蟻地獄と評される。
だが、もし王族が全員ここに永住してしまったら、どうなるというのだ?
王が居を構える場所だから王城だろ?
王城があるから、王都だろ?
そこから王族がいなくなったら、なんなのだ?
という、あまりに身も蓋もない考えが、ラルフの頭を巡った。
(まさか……遷都?)
そんな、めんんんんんんんんんどくさいことは、絶対にイヤだ!!!!
ラルフは、内心で激しく拒絶の念を燃やす。
その時、
カチャリ、と執務室のドアが、あっけなく開かれた。
「やあ、ラルフ。兄上たちが、なんか、ごめんね」
そう言って入ってきたのは、王位継承権第三位の、ラルフのかつての同級生、ミハエル王子だった。
彼の顔には、この一連の騒動とは無縁のような、穏やかな笑みが浮かんでいる。
「お前もこっちにつけ、ミハエル!!」
「そうだ! 我ら三人で、ここロートシュタインを王国の中心に据えよう!!」
二人の王子は、ミハエルを仲間に引き入れようと熱弁をふるうが、ラルフはミハエルの言葉よりも、その発言内容に深く眉間に皺を寄せた。
(や……。だから、なんで僕の領を勝手に王都にしようとしてんだよ?! そんで、次の国王、誰がやるんだよ?!!)
ツッコミのボルテージは最高潮に達し、もはや声に出して叫びたいほどだった。
すると、ミハエルはラルフに向かって、にこやかに、そして朗らかに、その役目を果たす為の言葉を口にする。
「ラルフ。父上からの言伝だ……。『子供の駄々に付き合っていられない。遠慮は要らん。制圧しろ!』……とのことだよ!!」
(というか……。国王さんよぉ〜。駄々をこねてるのは、どっちなんだ?)
ラルフはそう思わずにはいられなかったが、目の前の言葉は、形式的には"王命"に他ならない。貴族として、領主として、従う義務がある。ラルフは、極めて面倒くさそうに、ゆっくりと執務椅子から立ち上がった。
「ミハエル?! 裏切るのかっ?!」
「ラルフ公、そなたさえ望めば、貴殿を王に……」
なんだか、すんごい厄介そうな声がまだ聞こえていたが、ラルフは一切構わずに、その魔術を行使する。
「《石化呪術》」
魔力を込めた右手を一閃。
その強大な魔力の波動に晒され、二人の王子は、カチコチと、生前のわがままをそのままに閉じ込めたかのような、石の彫像と化してしまった。
「これはまた……。とんでもなく恐ろしい魔法を作ったもんだねぇ……」
ミハエルは冷汗を流しながら、石像と化したアンドレアスの目の前で、手をヒラヒラと振ってみる。完全に無反応だ。
「ふぅ……。まあ、一晩もあれば、石化は解ける。その間に、王城に運んでくれ」
一気に魔力を消費したラルフは、気怠げに椅子に深くもたれ掛かった。彼の表情には、この一件を収束させた疲労と、まだ残る面倒事が透けて見える。
「助かったよ……」
ミハエルは心底安堵したように笑う。
そして、王子二人の石像は、王城の従者達に担がれ、文字通りのお荷物として、王都へと帰っていった。
その夜、ラルフの経営する居酒屋と化した領主館の客席にて。
「あのねぇ……。そろそろ、色々考えた方がいいですよー。確かに、王様がこの地方都市に入り浸っているのは、なんかマズイですってぇ」
珍しく、ラルフがウラデュウス国王を説教するという、奇妙な構図が成されていた。
ラルフの奇行に悩ませられ続けている宰相のニコラウスは、この時ばかりは、心の底からラルフに拍手喝采を送った。
国王は、カウンター席で、イカの刺身と冷酒を嗜みながら、極めてバツの悪そうな顔つきだ。そして、観念したように、
「い、いや……。結局、外交こそが、近頃の王国の主要政務でな。それには、ここが一番うってつけなのだ……」
と、言い訳ではあるが、図星を食ったようなことを言う。確かに、各国の重鎮が集う、この居酒屋領主館は、その外交の最前線であることは否めない。
「とにかく……。なんか考えた方がいいっすよー」
ラルフは、これ以上自分が関わるべき問題ではないと判断し、話を切り上げた。彼はミハエルのオーダーである「甘辛手羽先」の仕込みに集中する。
すると、国王は、非現実的な、妄想とも取れる世迷い言を呟いた。
「うーん。……もっと、王都とロートシュタインの距離が縮まれば、良いのだがなぁ……」
その言葉が、手羽先の仕込みをしていたラルフの耳に届き、彼は手を止めた。
前世の記憶から、物理的な距離は縮められなくとも、時間的距離を縮める一つのアイデアが浮かんだのだ。
それは、――鉄道。
王都とロートシュタインは、ラルフの生み出したコンクリートで整備された街道で繋がってはいるが、輸送力には限界がある。
しかし、ラルフがかつて前世で体験した、満員電車の、悪しき日常風景は、強烈な忌避感となって彼の思考を縛る。
彼は慌てて、その負のイメージを頭から追い出した。
「ワイバーンじゃ、ダメなのかしら……」
白ワインに頬を赤く染めたクレア王妃が、その思い付きを口にした。
ラルフは思わず力加減を見誤り、仕込み中の手羽先をポキリと折ってしまった。
ラルフのペットであるワイバーン、――レッドフォード。
その驚異的な輸送力は誰もが知る所だ。共和国には、古くから竜騎兵という、ワイバーンの背に跨り、敵地の制空権を奪う戦隊戦法が存在する。現在の王国と共和国との健全な関係なら、技術交流は問題ないだろう。
さらに、ロートシュタインの豊富すぎて有り余るほどの第一次産業の恵みを、遠方に輸出できるという、物流変革の可能性を秘めていた。
しかし、ラルフは慎重だった。
物流の変革、そして、新たな社会構造への変革は、必ずしも利便性と人々の幸福に直結しない。
むしろ、その裏では、変革に追従できない人々を失業者としての、新たな不幸を生み出す可能性すらある。
更には、利便性を追求した果てには、即座性、大量消費、労働単価下落、といった労働者の過重労働を強いる遠因にもなりかねない。
だからこそ、正しき為政者として、ラルフは真剣にならざるを得ないのだ。
すると、
「ねぇ、ラルフ。手羽先、まだ?」
カウンター席のミハエルが、まるでせがむようにソワソワと要求した。
(どうも、王族達は。……せっかちらしい)
このような性急な為政者に付き合っていたら、かつて転生前の世界で経験したような、労働者の地獄を、この素晴らしき異世界にまで到来させてしまうかもしれない!
それだけは、絶対にダメだ!!!
ラルフは、その謎の決意を胸に、強く拳を握りしめた。
が、
そもそも、ラルフが物流の未来と社会の変革について深く考えすぎるあまり、手羽先のオーダーを受けてから、すでに三十分も経過していたのである。




