君を二度と離さない
ヴァンパイアハンターになることは、幼い頃からの宿命だった。
枢機卿たる父親の命に従って、ただひたすらに獲物を狩る日々。そこに感慨も感情もない。
いつしか立場ばかりが上がっていき、討伐隊を率いるようになった頃。そう、あれはまだ往来のある夕刻のことだった。
担当地区の討伐を終えたラウルは、銀の弾丸を拳銃に込め直す。
今日の目標は凶悪なヴァンパイアで、徒党を組んで町の人々を無差別に襲い甚大な被害を出していた。しかし率いる部下は精鋭中の精鋭なので、向こうが数で勝ろうとも関係ない。
無表情でコートの裾を払っていると、部下の一人が緊張の面持ちで駆け寄ってきた。
「隊長、ハンフリー隊から入電です。A3地点にて応援求むと」
ラウルは銀色の柳眉をしかめた。ハンフリーは枢機卿の息子がとかく気に入らないご様子で、度々突っかかってくる面倒な男だ。そんな彼が意地を捨てて助けを求めてくるとは、余程厳しい状況ということか。
「承知した。すぐに向かう」
「は!」
出動している五人の部下全員を従えて、指定されたポイントまで駆ける。帰宅を急ぐ人々で賑わう商店街を抜け、そろそろ辿り付こうかという頃にそれは現れた。
夕闇に映えるハニーブロンド。丈の短いワンピースから伸びるしなやかな足。
アパートの屋根から飛び降りてきた女は、ラウルたちを視認するなり「げ」と言わんばかりの顔をした。
間髪入れずに反対方向へと走り出したそれが、ヴァンパイアであることは一目瞭然だった。しかし彼女のあまりの美しさに魅せられた歴戦の狩人たちは、一様に動きを止めてしまう。
いや、違う。これは連中の持つ幻惑の術だ。効果は様々だが、大抵の場合は幻覚を見せたり、体を動けなくさせる厄介な代物。
流石というべきか、最初に自我を取り戻したのはラウルだった。細い背中を追いかけて走り始めると、その途中に見知った顔ぶれが転がっているのに気付く。
なるほどあの女はかなりの術の使い手らしい。しかしせっかく行動不能にした敵を殺さずに置いておくとは、一体どういうつもりなのだろうか。
走りながらも女に向かって拳銃を構え、トリガーに指をかける。しかし、ラウルは何故だか撃つ気になれなかった。
ーーなんだ、これは。今まで一撃の下に怪物を屠ってきたこの俺が、何故。
「ねえ、来ないでよ! ダメ元で言ってみるけど、私、あいつらの仲間じゃないの! たまたま居合わせただけなのよ!」
足を止めないまま女が叫ぶ。その声に現実に引き戻されたラウルは、硬い口調で怒鳴り返した。
「そんな話は聞けない! 神の名の下に、貴様らはすべからく滅殺する!」
「あーあー、本当に嫌いよあんたたちって! こんなか弱い女の子に寄ってたかって、恥ずかしくないわけ!?」
ほとんどやけくそのような台詞が前方から投げつけられる。その声の可愛らしさに、一瞬だけ垣間見た美貌が思い起こされたが、ラウルはいやと首を振った。
「術を扱える高位ヴァンパイアはか弱い女の子ではない! 神妙にしろ!」
「うるさいわね! 正論かますんじゃないわよ!」
やり取りがどこか漫才じみてきた時のことだった。女の進行方向に、一つの影が躍り出る。
それはハンフリーだった。あのいけ好かない男は随分と疲弊していたが、獲物を見つけたことでその顔に醜悪な笑みを浮かべた。
「見つけたぞ、女! せめて神に祈るがいい!」
ハンフリーの銃口が女を捉える。
馬鹿が、彼女はこの身体能力だぞ。そんな距離では当たるはずがない。
何故かその事実に安堵しながらも、ラウルはあることに気付いて足を早めた。彼女とハンフリーの間に、子供がふらりと割り込んできたのだ。
駄目だ、間に合わない。
諦めが胸中を覆った瞬間、六発の銃声が街に響いた。
「な……」
自身の喉が意味のない呻きを漏らす。それくらい信じられない光景が、目の前に広がっていた。
女が通りすがりの子供を抱きしめて血まみれになっていたのだ。その姿は、どう見ても彼女が人間を庇ったという現実を示していた。
「この……悪魔……! この子が出てきたこと、気付いていたくせに……!」
女は血を吐いて倒れ伏しながらも、目の前の男を睨み上げた。ハンフリーは驚きを表情に乗せたが、すぐにニタリと笑って見せる。
「お前のような怪物が、罵るために悪魔を持ち出すとは妙なことを。さあ、これで終わ」
ハンフリーの声はそこで途切れた。
女から赤い術式とでも言うべきものが発生し、周囲の全てを飲み込んでいく。
ラウルもその強大な赤をまともに食らう羽目になった。
これは、間違いない。ヴァンパイアが百年分の魔力を貯蔵して発動する術だ。彼らにとって切り札であり、ハンターにとっても対処が難しい究極の技。もしかすると、自身の寿命すら削るほどのーー。
ハンフリーを睨み据える女の視線は苛烈だった。血にまみれた顔の中、灰色の瞳が燃えている。
しかし、子供もその術を受けて倒れてしまった時には、すまなそうにその額を撫でた。
「怪我がなくて良かった。ごめんなさいね」
そうして気絶したハンフリーを冷たく一瞥すると、女は最後にラウルを振り返った。妖艶な笑みを浮かべて、ウインクまでして見せる。
「これで気絶しないなんて、あなたかなり強い人なのね。二度と会わないことを祈ってるわ」
じゃあね、バイバイ。
ひらひらと手を振って、女はよろめきながらも夜の街に消えていく。
頼む、待ってくれ。
そう叫びたかったが声を出すことすら叶わず、ラウルは十秒後に術から強引に抜け出すまで、その場に立ち尽くしていたのだった。
*
ラウルは眠りこけるフルールの頬をそっと撫でた。腕の中で細い寝息を立てる彼女は、とても無防備に見えて愛おしさが募る。
あれからずっとこの女を探していた。
術への耐性を強化して、単独での出張任務を数多く引き受けて、幾百もの夜を彷徨い歩いた。
彼女が覚えていないことも当然なのかもしれない。あれから五年の時が経っているし、部下が言うには、自分は任務中と普段とで全く違う性格に見えるらしいのだ。
ーー君が俺のことを覚えていなくても、声をかけてくれて本当に嬉しかった。二度と会えないんじゃないかと、この頃はいつも考えていたから。
フルールがそんなつもりじゃなかったのは途中から気付いていたけれど、我慢できずに喰らい尽くしてしまった。
まあ、仕方ない。夢に見るほどに会いたかったのだから。彼女をこの腕に抱くことだけが、色のない日々の唯一の望みだったのだから。
「……ごめんね。君に好きになってもらえるように頑張るから、許してくれ」
ラウルは金の一房を手に取って、そっと口付けをした。朝から無理を強いられた彼女は熟睡に覆われているようで、少しの身動ぎすら返ってこない。
柔らかく温かい身体は、胸が締め付けられるような愛おしさを教えてくれる。
本当に会えるなんて、まるで奇跡のようだ。神を語りながら神を信じないラウルでも、この僥倖に感謝の祈りを捧げずにはいられない。
「一目惚れだったんだ。本当だよ」
術と身体能力以外に狩人から逃れるすべを持たない、心優しいヴァンパイア。
これは後から気付いたのだが、彼女を初めて見た時動けなくなったのは術のせいじゃない。情けない話なので、フルールに明かすつもりは無いけれど。
さあ、君が目を覚ましたらどんな話をしよう。
何をして過ごそう。
どこへ連れて行こう。
直射日光でなければ大丈夫なようだけど、やはり夜まで目を覚まさないのだろうか。
知りたいんだ、君のこと。時間がかかっても構わない。
これからはずっと、俺が君を守るのだから。
ラウルは丸い額に口付けを落とす。その途端に眉をしかめる反応の良さに苦笑していると、瞼が重くなってくる。そういえば昨晩からフルールの寝顔を見るのに忙しくて、一睡もしていないのだったか。
諦めて目を閉じると抗い難い眠気に襲われたので、狩人は束の間のまどろみに身を沈めたのだった。
お読み頂きありがとうございました。
色々と障害の多そうな二人ですが、この後は一生添い遂げてくれることでしょう。