ep.03 SNSレースと毒キノコ
四月も終わりに近づき、大型連休が待ち望まれる頃。
「すげ〜、もうすぐ四桁いくじゃん!」
教室の真ん中から甲高い声が上がった。
定位置となりつつある、クラスの一軍たちの溜まり場だ。
休み時間になると、机がひとりでに寄っていくように動いて、島を作る。
椅子を跨いで座る女子のスカートは短く、机の上に腰かけて長い足を組む長身男子は学校指定外のシャツを着ているし、その周りを囲んで笑っている生徒たち数人も、それぞれネクタイをリボンのように緩めていたり、第二ボタンまでシャツを開けていたりと、制服の着方に独自のアレンジをほどこしている。
きっと大型連休明けには、髪の毛の色が変わっている生徒もいるだろう。
時おり跳ねる笑い声は、教室のどこにいても届いた。
黒板の前を通る優等生タイプの生徒たちは、自然と机の島を避けて歩く。
「ほんとだ、すごーい」
一軍たちはスマホの画面を見せあって、口々に数字を出し合う。
SNSのフォロワー数、動画の再生数、投稿のインプレッション数や「いいね」数だ。
「フォローしてね♪」とクラスのメッセージグループに貼られたアカウントを、春希は見たことがあるが、学校での自撮り、ファストフード店でポテトを囲んでいる写真、ダンスのような何か、空を背景に愚痴なのかポエムなのか分からないテキストの羅列――と、春希からすれば、何が面白くてこれをフォローするんだと疑問に思うものであった。
SNSに夢中の彼らの話題は、隣のクラスの誰がフォロワー何人になっただの、知り合いがバズっただの。数字の追跡と比較ばかりだ。
(他人の数字や顔がそんなに気になるか)
春希は視線を窓の外へ逸らした。
授業が始まる前の休み時間で、校庭に生徒の姿はない。
隅で掃除をしている用務員の竹箒が、同じ幅で砂をかいている。
それを眺めることにした。
極力、教室側へ顔を傾けないように意識する。
自分と世界が違う存在は、最初から意識に入れなければ、煩わしいと思うこともない。
「あ、きた、うちのアイドル」
誰かの声の直後、教室の後部扉が引かれた。入ってきたのは、遠野雪。
室内のざわめきが、その瞬間だけ途切れる。
春希も窓から扉側へ顔を向けた。
廊下の光を背負った逆光のシルエットだけでも、遠野のスタイルの良さが分かる。木枠の扉が、写真の額縁のようだ。
「遠野君〜!」
逆向きにした椅子に跨って座っていた女子が、扉のほうへ手を振る。
「え」と、細い体がたじろいだ。
「遠野君、見てみて〜。フォロワー、もうすぐ1,000いきそうなんだ!」
「そ……そうなんだ……すごい、ね……?」
儚さを通り越した、か細い声だ。
スマホの画面を顔の前に突きつけられて困惑している。
さらに、自分の席が彼らが作った島に飲み込まれていて、着席できずにオロオロしている。
(相変わらず、バイトの時と全然違う)
あれから数回、春希はスーパーで遠野を見かけた。
セルフレジのヘルプに立っていた日は、機械の前で固まった高齢者に寄り添い、丁寧に会計を補助していた。
教室にいる時よりも、よく通る声と、笑顔で。
「遠野君、スマホはまだ持たせてもらえなさそ?」
女子が、SNSの画面を映したスマホをひらひらと振る。
遠野をSNSレースに巻き込む野望は、まだ捨てていないらしい。
「うち厳しくて……」
「しゃーないしゃーない」
目を伏せる遠野の背中を、机の上に腰掛けた日焼けの長身男子が、ばしばしと叩いた。細い体が左右によろめく。
「スマホなくても、うちらが撮影とか編集とかできるし、大丈夫だよ」
「遠野君いっしょに撮ろうよー、お願い!」
「え」
「遠野君、LUMiNEUXのシオンとか、NocTUNEのミナトとかに似てて可愛いし、絶対に女子が好きな顔だよ」
おそらく、アイドルグループとメンバーの名前だろう。聞こえてきた名前を、春希は机の下でスマホに打ち込んだ。
(似てる……か?)
いずれもK-popのグループだった。並ぶのはステージ用の濃いメイクの写真ばかりで、判断がつかない。共通しているのは、グループ最年少の童顔で、体もやたら細いところぐらいだ。
「ごめん……僕、そういうのは……」
遠野は両手を弱々しく振るが、女子たちには見えていない。
すでに遠野へカメラを向けて、角度と光の当たり方を探り始めていた。
「えっと、あの……」
遠野が、眩しい光を避けるように片腕で顔を庇う。
「あ、そのちょっとおでこ出す感じも、可愛い!」
どう断っても、全部が「可愛い」に変換されて戻ってくる。
「……」
春希は腹の底に、黒いタールのような苛立ちが溜まっていくのを感じた。
しつこい女子たちに対しても、はっきり断らない遠野に対しても。
立ち上がろうと机に手をついた瞬間――顔を庇う細い腕の隙間から、こちらを見る黒い瞳と、視線が合った。
「――牧野君……っ」
「え」
唐突に名前を呼ばれて、春希は反射的に立ち上がった。
一軍の輪の中から、泣き出す直前の赤ん坊のような双眸が、春希を見ている。
島にいる全員の視線が、値踏みするように春希へ向いた。
教室に、奇妙な沈黙が通り抜ける。
「あー、えーーっと」
春希は泳がせた目を、机の引き出しへ下ろした。
「そうだ、これ、約束してたやつ、持ってきたけど」
中から適当に引っ張り出した文庫本を、遠野へ掲げる。
もちろん、約束なんかしていない。
「ごめん、僕、これで……」
遠野は細い肩幅をさらに縮め、椅子と机の隙間を抜けて春希の席へ駆け寄ってきた。一軍グループたちに背を向けたまま、震えて立ち尽くす。春希の視線より少しだけ低いところで、黒目がちの瞳が落ち着かずに彷徨っていた。
「ありがとう……ごめんね……」
掠れた呟きが、春希の胸元あたりから聞こえた。細い肩の向こうから、一軍グループたちの「邪魔するな」と言いたげた視線が刺さる。
「ほら。『約束』の」
春希は文庫本を遠野に差し出した。
表紙には、傘を広げた赤い茸の写真がひとつと、『毒キノコの世界』と、白抜きの明朝で刷られている。
「――ふふっ」
遠野が、堪えきれずに笑った。
甘い果物のような唇から、白い前歯が覗く。
「そこは笑うとこじゃないから」
つられて、春希も口の端を上げる。
島からの視線が、少しずつ興味を失うように、剥がれていった。
一限目の予鈴が鳴った。
*
昼休みを告げるチャイムが鳴り、春希が席から立ち上がったところで、体重の軽い足音が近づいてきた。
「あの……牧野君」
「ん?」
白い指先が視界の下から入ってきて、顔を上げると、遠野の顔が正面にあった。
「お昼……一緒に食べよ?」
「……」
こちらがひとりで食べることを前提にした誘い方が、少し引っかかる。
が、それより先に春希の口から出たのは、
「あー、おけ」
だった。
遠野の背中越しに、またいくつかの視線が遠野と春希を見ている気配があった。
それらを無視して、春希は廊下の外へ指し示す。
「俺、よく中庭いくけど、そこでいい?」
「うん。いっしょにいく」
「ちょっとロッカー、寄る」
「うん」
春希は教室後方のロッカーへ向かい、弁当の袋と財布を取り出す。
教室の中央の島から、いくつかの目が二人の動線を追っている。
廊下に出ても、誰かしらの視線はつきまとった。
階段の手前で、前を歩いていた女子の二人組が振り返った。
教室から出てきた男子が足を止めた。
売店へ向かう列の横を通り抜けるときにも、学年を問わず、好奇の目が追いかけてきた。
視線は最初、遠野に止まる。
それから隣の春希へ移って不可思議な色を重ねる。
「何であの地味メガネが、遠野と一緒に?」
どれも、そう言いたげな目だ。
(こんな……見られる?)
春希は努めて歩幅を変えずに、「いつものように」を装って廊下を進み続けた。
いつもなら、教室から中庭までの道のりを、毎日ひとりで歩いていた。
壁のどこに何の掲示物が貼ってあるかまで覚えている。
そのあいだに誰かの目とぶつかった記憶はない。
傍らの遠野を見れば、少しだけ低い位置にある俯いた瞳が、足元にこぼれ落ちそうだ。
(俺はちょうどいい盾って感じか)
急に名前を呼んできたのも、昼食に誘ったのも、しつこいSNS勧誘から逃れるため。
そうと分かっていても、学校では身を縮めて下を向くしかできない遠野を、突き放そうという考えが、春希には浮かばなかった。
渡り廊下へ続く扉が見えてくる。片側半分が開かれていた。
「あそこから、回り込んでく」
春希は弁当袋と財布を持った手で、廊下と外の境目を指差した。
「うん」
渡り廊下を半分ほど進んで、
「こっち」
と春希は右手の踏み石へ折れた。
中庭に入ると、急に校舎の音が遠くなった。
四方を校舎に囲まれた中央に楠が一本あって、四月の終わりの葉が、地面に濃い影を落としている。
その周りに四人掛けベンチが二脚。
塗装が剥げて木肌が灰色になっていた。
他に人影はない。
年中薄暗いこの場所を気味悪がって、近づかない生徒が多かった。
小雨のような管楽器の音の中、春希は片側のベンチに弁当袋を置いた。
「ここ?」
そして春希が座るつもりで弁当袋を置いた方のベンチに、遠野がちょこんと浅く腰掛ける。
「……」
春希は中腰のまま動きを止めた。
てっきり、遠野は隣のベンチに座るものと思っていたのに。
「?」
遠野が不思議そうに、首を傾げて春希を見上げた。
「……あぁ……」
弁当袋を置いた手前、隣へ移動するのも気が引けた。
一つ分のスペースを空けて、春希も同じベンチに腰を下ろす。
遠野の膝上には、コンビニ袋が置かれていた。
中身は三角の卵サンドイッチが一袋。それと、いちごミルクの紙パック。
一方の春希の弁当は、二段重ね。
一段目は白米の上に炒り卵とゴマ。二段目は鶏の照り焼きと、ブロッコリーと、ミニトマトと、卵焼きが詰まっている。
「遠野、昼それだけ?」
「僕、お弁当作れなくて」
「……」
春希は口を噤んだ。
毎朝、母親から当然のように持たされる二段弁当の重みが、急に気まずくなる。
部活に入らず、スーパーでバイトをしている事情が、遠野にはある。
あれから楠原高校の校則を確認してみたら、バイトは条件付きかつ申請を通すことで可能とあった。
しばらく、無言が流れた。
校舎の窓から降ってくる管楽器の音が、同じところで同じように外れる。
それを繰り返し聞かされるハメになった。
「キノコの本……」
忍び足のような遠野の声が、斜め下から向けられる。
「本当に借りてもいい?」
「ん? ああ、いいけど――」
苦し紛れに渡した本だ。
「興味あんの、キノコ」
我ながら奇妙な質問だと思った。
案の定、遠野が「ふふっ」と歯を見せる。
野生の小動物が心を開いてくれたような、奇妙な達成感があった。
「色が綺麗だなって思って」
「キレイなものは毒があるって言うよな、あ」
「?」
「――いや、うん、借りてっていいよ」
「ありがと……」
遠野は小さな口で、サンドイッチにかぶりついた。
パンの端が、微笑みの形にちぎられる。
また、少し沈黙が落ちた。
楠の葉が風に擦れて、頭の上で低く鳴る。
上の階の窓から、笑い声の塊が落ちてきた。
遠野の手の中で、コンビニ袋が乾いた音をたてる。
「……あのさ。僕のこと、雪って呼んで」
ゴミをまとめて袋を結びながら、遠野はぽつりと呟いた。
「ん?」
困惑して声を裏返らせた春希の反応に、遠野の方も肩をびくつかせる。
「僕、……遠野雪、だから……」
「でも」
「僕も牧野君のこと……春希って呼ぶから……大丈夫」
「あ、決定事項なんだ」
何が大丈夫なのか。
いつもより、弁当の味が薄く感じた。




