海へ
ロランは部屋の前で立ち止まり深呼吸をした。
(できるだけ自然に、スマートに誘えば良い)
覚悟を決め、部屋に入る。
ジゼルはソファーで本を読んでいたがロランに気が付き立ち上がろうとした。
ロランはそのままでいいというジェスチャーをし、普段どうりを心がけ、ジゼルに話しかける。
「お前、海を見た事はあるか?」
ロランは穏やかな表情を浮かべジゼルをみる。昼間に見たあの笑顔を向けてもらえるかもしれない、と期待した。
しかしジゼルは返事をしようと口を開いたがロランを見て言葉を飲み込む。
その様子を見たロランの心は縮み上がる。
あの笑顔を向けてもらえないことにショックを受ける。
(突然、そんなことを口にしたから? 何げない会話から始め、海を見たことがあるか? と聞かなければならなかった?)
勢いに任せ、十分に考えなかった自分の浅はかさを後悔する。
案の定、目の前のジゼルは何も答えない。
この沈黙がロランを押しつぶす。
ジゼルはオーブリーに見せた輝くような笑顔をロランには向けない。
――期待をしていた。海に誘えば、あの笑顔を見せてもらえると。
だが現実は違う。
息詰まりそうな沈黙だけが続く。
(大魔法使いを無力するジゼルの存在。震えるほど、怖い)
「海……いいえ……見た事はありません」
(ジゼルが返事をした!)
ロランの瞳は明るく輝く。
答えてくれた現実に喜びが湧き上がったが、目の前のジゼルは悲しげな表情を浮かべロランに微笑んだ。
(メイドやオーブリーに見せない表情。ジゼルは私にだけそんな顔を見せる。だから私はジゼルを笑顔にしたいのだ。私だけに見せる複雑な感情を受け止めたい)
その思いがロランを突き動かした。
「……そうか……」
その言葉と同時にジゼルに歩み寄り目の前に立った。
向き合う二人。
ジゼルは頬を赤くし、驚いたようにロランを見上る。その瞳は驚きに揺れている。
目を丸くし驚くジゼルの表情は少女のように可愛らしい。
ロランは怖がらせないよう笑みを浮かべ、ジゼルを抱き寄せ移動魔法を使った。
有無も言わさぬ行動にジゼルは驚いたようだが、瞼を閉じロランに体を預ける。
そのふわりとした感触に心が踊る。
信頼してくれていることが肌を通し伝わった。
(いつまでもこうしていたい!)
ロランはジゼルを強く抱きしめた。
ザー、ザザー
波の音が聞こえる。
胸の中で安心し切ったように瞼を閉じているジゼルを見て目を細める。
(この表情も私しか知らない)
対象者がはっきりとしない優越感がロランの心の空洞を埋めた。
ジゼルはゆっくりと瞼を開け目の前に広がる夜の海をみつめている。
その瞳に映る海はまるで呼吸しているような一定のリズムを刻み、瞳を揺らす。
次第に恥じらいと驚きが入り混じった表情に変わり、花がほころぶような笑顔に変わる。
(あの時も、あなたは同じ表情をした)
ロランは前世の記憶を思い出す。
喜びと愛しさが溢れでる。
(このまま抱きしめていたい。けれど束の間のこの時間はジゼルの好きなように過ごさせてあげたい)
ロランはゆっくりと腕の力を抜いた。
ジゼルは導かれるように真っ直ぐ波打ち際へと歩き出す。
愛しい人の後ろ姿を見つめ感動に胸が震えた。
(この時間が永遠に続いてほしい)
ロランは万感の思いを込めジゼルを見つめる。
砂の感触に驚きながらも楽しそうに歩いているジゼル。
その姿は月明かりを受け美しい幻のようだ。
だがジゼルは生きている。存在している。
ロランの胸が熱くなる。
柔らかな風に靡く黒髪は月明かりを受けキラキラと輝き、海に溶け込んでいた聖女の祝福がジゼルの周囲に集まり始める。
五百年前、ジセルがカミーユだった頃、その力をこの世界に放った。
だが五回目の契りを目前にしたあの日、悲劇が起きた。
暴漢に襲われたジゼルは死ぬ直前ロランに祝福の力を渡した。その力は今もロランの中にある。
(カミーユを失った絶望の中、死ぬよりも苦しい現実の中、どれほどあなたに会いたかったか!!)
ロランの心はジゼルへの思いではち切れそうになる。
とめどなく溢れる思いに、自然と涙が流れ出る。
再び出会えた喜びと痛みが涙となって流れ出る。
(今度こそ、何があっても守り通す。再び私の前に現れてくれたこの奇跡を無駄にしたくない。ジゼル、あなたが笑ってくれるなら、私はなんだって出来る)




