海に誘う
息詰まる日々の中、ロランはジュベール公爵に書簡を送った。
ジュベール公爵家から除籍する旨を伝える書簡だ。
寂しさは全くない。
ジゼルを受け入れない本家に、
このような形で実の息子を追い詰めた両親に、
一切の未練は無かった。
逆に、見えない鎖が切れたように心が軽くなる。
ロランは執務室の窓から空を眺めた。
庭園にはジゼルとオーブリーの姿が見える。楽しそうに笑うジゼルを見て嬉しく思いながらもその純粋な、心から湧き起こる笑顔を向けてもらえない現実に、胸がチクリと痛んだ。
それも、仕方のないこと。
ロランは唇を結ぶ。
この窓から、見えない壁の向こうにいるジゼルを見つめ、底知れぬ孤独を感じた。
あまりに寂しく苦しい現実に瞼を閉じる。
苦々しい感情が胸を塞ぎ、罪ないオーブリーの存在を疎ましく感じる。――――こんな感情を持つべきではない、そう考えるほどに愚かな自分にうんざりした。
窓の向こうは別世界。
ジゼルの周りには笑顔が溢れ、鳥や蝶、猫やリスが集まっている。木々は生き生きと輝き大自然はその存在を認めている。
優しい風がジゼルの頬を撫で、そのまま、なめらかに黒髪を滑ってゆく。伏せ目がちなその視線の先は穏やかな景色が映っている。この平穏を守りたい。
その為に見なくて良いもの知らなくて良いもの全て自分が背負うとロランは覚悟している。
わかってもらう必要はない。これは全て自ら選んだ道。
たとえ今、その穏やかな時間の中に自分がいなくても、必ずここに戻ってくる。
共にその時間を分かち合う為に。
*
それからロランはクレール伯爵家でベルトランと落ち合い、ことの顛末を話した。
話を聞いたベルトランは公爵家の十三人いる影の半分をロランにつけた。これはベルトラン権限の下設立した集団だった為、公爵は口出すことは出来ない。
そしてベルトランはシャルロットの術中にはまっている息子夫婦を嘆かわしく思いつつも、一人の男として立ち上がったロランを頼もしく思っていた。
「ロラン、大魔法使いは常に孤独、聖女も孤独、だがな、聖女が隣にいてくれる喜びは得難いものだ。その思い貫け。ワシが二人を支える。そしてクレール伯爵、ジゼルを認めている貴族たちが辺境に兵を出してくれるそうだ」
ベルトランの温かい言葉は心の隅々まで響き渡る。
誰にも言えない現実を唯一理解し、支えてくれるベルトラン。
その存在はロランにとってジゼル同様に、生きる希望となる。
そして共に戦おうと言ってくれる貴族達。その思いだけでロランは満たされた。
「お祖父様、皆様に改めてお礼を申し上げたい。全てが終わったらジゼルと共にご挨拶に伺いたいとお伝えください。そして……皆様のありがたい申し出をお受けすることはできません。今私に加担すれば、何かあった時に皆様が責められる。迷惑をおかけしたくありません。だからお気持ちだけいただきます」
「……わかった。ロランの覚悟はわかった。だがな、見守ることだけはさせてくれ」
その言葉にロランは頷いた。
ベルトランはロランの変化を感じている。ロランは全ての覚悟を決めている。
命をかけて戦い、必ず戻ってくると。
目の前に立つロランの青い瞳は晴天のように澄み切っている。
一流の魔法使いを輩出するジュベールの血脈を色濃く継いだ人間特有の美しさ。選ばれた人間が持つ強い覚悟はそのオーラをより一層強くする。
ロランなら出来るだろう。
ベルトランは公爵家を出ていくロランを止めない。
長い歴史の中でジュベール公爵家の方向性が変わった今、それに執着する必要はないと思っている。それに、ロランが、自分自身が選んだ道を歩むことが何より素晴らしい。
そしてそれがジュベールの魂なのだ。
*
それから数日後、ランスロットの報告があった。
マチアスの命によりブルレック兵が集められたと。
兵が辺境まで来るにはまだ時間がかかる。
その前にジゼルを海に連れて行こうとロランは行動を起こした。
ジゼルとの食事が終わりロランは執務室に向かった。
「今宵ジゼルを海に連れて行く」
ロランはヤニックにその旨を伝え、入浴の準備をしておくよう指示した。
(どうやってジゼルを誘おうか)
ロランは考え始める。
今までロランから女性を誘ったことがない現実が今、ロランを悩ませ始める。
ジゼルと結婚する前、女性と出かけた時のことを思い返す。
相手から誘われ、出かける流れが普通だっただけに、誘い方がわからない。
ロランは眉間に皺を寄せ立ち上がり考えを巡らせる。
ジゼルを誘う方法が何一つ浮かばない。
「バカみたいな悩みだな」
ロランは自嘲気味に呟き髪をかき上げる。サラサラと顔周りに落ちてくる髪を耳にかけながら、あることを思い出し口角を上げた。
寝ている時、ジゼルがこの髪に触れる。
最初は偶然かと思っていた。
だが、偶然ではない。
寝たのを確認し、おずおずと手を伸ばすジゼル。
気がついていないと信じて疑わないジゼルに笑みが溢れそうになる。
指先でそっと触れるジゼルの仕草に胸が高鳴る。口角が上がりそうになるのをひたすら堪える幸せな時間。
ジセルはこの髪に触れながら時に笑顔を浮かべ、時に涙を浮かべる。
涙を浮かべる理由はわからない。起きてその理由を聞きたくなるが、そうしてしまえばもう二度と髪に触れてもらえない気がし、何もできないでいる。
普段の生活の中で、心からの笑顔を向けてくれなくとも、触れる指先から伝わるジゼルの感情に、深い喜びを感じている。
ロランはもう一度、ゆっくりと髪をかき上げた。
(......さあ、どうしようか。現実逃避しても仕方がない。そろそろジゼルを海に誘おうか。だが、もしジゼルが行きたくないそぶりを見せたら?)
そう考えると不安に襲われる。
大魔法使いがこんなことで恐れをなすとは馬鹿馬鹿しい。
ジゼルは、そんな冷たい娘ではない。
ロランは不安になる心を追い出すよう首を振る。
どう誘えばスマートなのか、どんな演出が必要なのか、全くわからない。
考えれば考えるほど気が重くなって行く。
ジゼルを誘うことにこれほど悩むとは思いもよらなかった。
(だが、考えても仕方がない、そのまま誘おう)
ロランは執務室を出た。




