★15★ 一匹と、白い部屋。
ランタンに灯された青い炎が優しく照らし出す寝室に、すぅすぅと規則的な寝息が聞こえる。初めて魔宝飾具を使用せず魔法を使えたことに大喜びしたマリは、結局あの後も何度も爪に火を点したり、消したりを繰り返した。
そのせいでただでさえ小さい神様達の新居作りで疲れていたのに、扱い慣れていない魔力の出力を絞りきれずに寝落ちしてしまったのだ。
マリをベッドに運ぶために人化したが、このところ色々とあったせいで残りのポイントが心許なかった。仕方なく一番ポイントの使用量が少ない三十分だけ使ったものの、ここである異変に気付いた。変身直後の目眩と倦怠感だ。
最初の頃こそ必要に迫られて一ヶ月に数度は人化をしてきたが、最近ではポイント節約のために人化するのは大体二ヶ月ごと。それも片手で足りる程度だった。まさかとは思うが、人化する頻度が減ったことで、人化に対しての適応力が下がったのだろうか。
これまでも担当の上級精霊が暇を感じた際に、わたし達への面白半分の妨害はあった。けれどこの手の感覚というか、妨害の方向性は初めてのものだ。でも本当の意味で不興を買うような行いはしていないと思う。
もし仮にこの不調が上級精霊が関係したものでなければ、わたしはいずれマリと同じ姿になれなくなる可能性がある?
――嫌だ。
――それだけは、嫌だ。
わたしはマリの守護精霊。わたしは忠太。わたしはハツカネズミ。中級精霊になって、自我もはっきりしている。自認も狂っていない。なのに何故。言いしれない恐怖が小さく非力な身体中を駆け巡る。自分の心音がうるさい。
マリの寝息に耳をすませて気を落ち着けようとしていたら、不意にランタンの青い炎が勢いを増し、パチパチと激しく火花を散らせた――その直後。ランタンの周辺の微かな光源以外なかった薄暗い寝室が、一気に眩いばかりに真っ白な空間へと塗り替えられた。
『おやおやおや……? ふふふ、何やら小生意気な結界があったせいで、マリの夢にお邪魔するつもりが、齧歯類の方に繋いでしまったようですね』
そう嘲笑と共に現れたのは、マリの稼いだお金でVTuberのガワを得た上司だった。性別不明の上位種は、配信の時と変わらぬ笑みを浮かべると、上から覆いかぶさるようにこちらを見下ろしたかと思うと、ひょいとわたしをつまみ上げて『中級精霊になっても、相変わらず見窄らしい』と言った。
会話をしようにも手許にスマホはない。試しにここがどこなのか、何故こんなことが起こっているのか訊ねようと口を開いても、出てくるのは当然ネズミの鳴き声だった。
『ああ、そうでしたそうでした。お前はポイントを使って人化しないと、会話も出来ないのでしたね。普段はマリとは比べものにならない程度のポイントを節約していることですし、特別に今回は無償で人化させてあげましょうか。わたしは優しいので』
鏡を見てみるべきではと抗議する前に、また夕方に味わったあの目眩と倦怠感が身体を襲った。立っているだけなのに視界が捻れて、吐き気が込み上げる。自分の意思であろうがなかろうが、まさか今後も人化をすればこの感覚が襲ってくるのか――と。
『おや……お前。あれだけ望んでいた人化が、苦痛に感じるようになったのですか? これは面白い。マリと違って少しもわたしを楽しませてくれなかったお前も、ようやく楽しませてくれるように成ったのですね』
苦しむわたしを見て、それまでこちらを嘲るだけだった視線が一転し、愉快そうな声音になる上位種。そして成ったという響きに籠もる奇妙な興奮の色にろくでもない気配を感じ、背中に悪寒が走った。
「……ここは、どこですか。あなたは、何の目的で、ここに?」
『ふむ、本来なら格下が格上の許しもなしに口をきくのは感心しませんが、まぁ良いでしょう。わたしは他の上級精霊と違って優しいですからね』
「…………ありがとうございます」
『まず〝ここはどこだ〟という質問。わたしの精神世界みたいなものです。いつもは守護対象者を呼ぶ場ですよ。次に〝何の目的で〟ですが、わたしが与えていない加護の気配を感じたので、マリに訊ねようと思ったのです。しかし勝手なことをされては困りますね。育成はゲームバランスが大事なんですから』
そう言ってわざとらしく困った表情を浮かべる上位種。その瞳にはネズミをいたぶる肉食獣の愉悦が見える。マリの人生をゲームに見立てて弄ぶこの存在にとって、わたしや彼女を守護したいと力を貸してくれた小さな神様達は、中だるみしたゲームに面白い変化をもたらす虫程度なのだろう。
「加護の件は、申し訳ありません。けれどマリは、彼の者達から受けたそれをとても喜んでいました。今から取り上げるのは――……」
『取り上げませんよ? あの程度の結界などあったところで、わたしがマリの意識に介入出来なくなるわけではありませんからね。むしろ取り上げて機嫌でも損なわれては困ります』
「では……無礼を承知で申し上げます。そのお言葉を違えないと、今ここでお約束いただけますか」
嘆願する声がみっともなく震えた。上位種と同じ空間にいることで、自分の存在があやふやになりかけている。このままだと最悪自我の消滅もありうるだろう。でも気まぐれな上位種にマリの得た小さな幸せを邪魔されたくない。
こちらを見つめる上位種の瞳からスッと熱が消えた。その瞬間、耐えられない力に気圧されて膝から崩れてしまう。地面に付いた手の輪郭がぼやけ、大人の手と子供の手を交互に形作る。
――ああ、だめだ、いしきが、こんだく、けされ、て、しまう。
――いやだ、いやだ。
――わたしは、ちゅうた。
――まりの、しゅごせいれい。
『おや、健気ですねぇ。わたしの魔力をぶつけても意識が潰れないとは、矮小なネズミのくせに感心感心。本当に面白く成ってくれたものだ。お前をもう少し育てれば、もっと面白いことになりそうですし、良いでしょう。この加護は残しておいてあげます。お前の自我もね』
――こえがとおくなっていく。
――しろいせかいがくらくなる。
――あおいほのおがぱちぱちもえた。




