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バスの座席は前から出席番号順だったのだが、運が良かったのか悪かったのか、ちょうど名越との間で違う列に分かれてしまった。

出発して皆が思い思いに過ごす中、名越はよく振り返り斜め後ろの座席の友人とカードゲームでわいわいとはしゃいでいる。

時折、まどかの方を探り見ているような気がした。

まどかの勘違いかもしれないので、極力そちらを見ないようにしているのに、時々気が緩んで目線をキャッチしてしまう。

舞と希美が横でアイドルの話を始めたので、まどかはジンジャーエールのフタから手を離し、バスに揺られながら頭の中を整理してみる。

名越と目が合い、胸が高鳴るのはこれが初めてではない。

関わらなくなってから時折こういうことがあるのだが、その度に心が波立つのは何故なのか。

やはり屋上で強く言いすぎた事が彼を傷つけ怒らせたのかもしれない。

時間が立つごとに自分の大人げなさを後悔しているので、その罪悪感を突きつけられるから。

それと、距離を置く事で、彼をハニートラップから守るという仕事を疎かにしているのかもしれないから。

フリーだという情報をつかんではいるが、裏で誰にもばれないように罠にひっかかっていたらどうしようかという焦りがわく。

感じる視線に落ち着かないけれど、もしかして名越は自分を見ているのではなく隣の舞を見ているのかもしれない。

そうだとしたらまどかの盛大な自意識過剰である。

まどかは一口飲もうとペットボトルのフタを開けたら、バスが急カーブにさしかかった。

プシューッ!

「あっ!」

「ええっなんで炭酸持ってくるわけ!?」

バスの揺れによりペットボトルの中で膨張した二酸化炭素がはじけ、希美がすかさず指摘した。

舞と希美と共にティッシュをかき集めてバタバタと対応にあたる。

「ごめん、だって炭酸が飲みたい気分でさ~!」

まどかの座席と自身の制服のスカートと太ももに被害が出た。

禁酒が続いているのでジンジャーエールを飲めばアルコールを味わう気分にはなれるだろうと。

まどかは定期的にビールが飲めるのならば、こんな炭酸飲料などをペットボトルで買うなんてことはしない。

「フタをすごくゆっくり開けると空気が少しずつ出て行くからこんな風にはならないよ?」

親切丁寧に説明してくれた舞の顔を見ると、視界の隅の方に、また名越が映った。

なんと名越は明らかにこちらを見ながら声を出さずに笑っている。

まどかは途端に恥ずかしくなり、舞へ感謝しつつも適当な返事をすると、腰深く座り直して窓の外を眺めるふりを始めた。

まどかの脳裏に、今しがたの名越の笑顔がこびりついて消えない。

もやもやとした気持ちを持て余すまどかとは逆に、名越はその後友人たちとカードゲームを続け、周辺の生徒達と大いに盛り上がっていた。


バスはまどかの見慣れた温泉旅館街を通り抜けそのまま軽く山道に入っていく。

木々連なる景色を経て、やっとバスは止まり、降りるとそこはうっそうとした濃い緑に囲まれていた。

今日泊まる旅館は、山あいの小さな森の中にある。

「ほんとだ…。できる事といえば、肝試しくらいだね…。」

まどかは進学クラスの勉学に対する意気込みに呆れてつぶやいたのだが、無数の鳥の鳴き声にかき消された。

「まさに虫の息…虫の声のようだわ。」

バスの中では賑わいを見せていた生徒達もどんよりとしており、先生の指示に従い静かに旅館に入っていく。

あらかじめ決められていた部屋に荷物を置き、必要なものをそろえて大広間へ向い、到着30分後にはもう全員が参考書を開いていた。

お菓子の持ち込みは禁止だというから唯一の楽しみである食事にまどかは期待を込めていたが、満腹になっては集中ができないとのことで、昼食も夕食も腹八分目の控えめな内容であった。

余談だが、まるで脱走犯をとらえるかのように旅館のあちらこちらに先生が配置されている。

文字通りの勉強合宿に、まどかは頭が爆発してしまいそうだった。

就寝・消灯時間は22時で現代の高校生にしてはまだまだ早い時間であったが、みんな疲弊しておりまどかの同室の子たちはすぐに寝息をたてていた。

それでも、お互い布団で寝たふりをしながら夜更かししようとするグループもあるだろうから、先生達は日付の変わる頃まで部屋をチェックしにまわっているようだ。

女子の部屋は3階、男子の部屋は2階となっているので、特に2階の方を重点的にチェックしているのだろう。

先生の気配がなくなって数十分。

まどかはそっと部屋を出て非常灯を頼りに、うろ覚えながらも忍び足で進んで行き、庭を見渡せる渡り廊下に出た。

渡り廊下は吹き抜けで橋のような造りになっているので、夜空がよく見え、これがもし晴れだと星が眺められてなかなか風流だと思う。

これで少しは箱根を楽しめる、そうひと息つき、浴衣に忍ばせていたペットボトルを開けると予想以上にその音が響いてしまった。

「ぷっくくく…」

どこからか聞こえてきた自分以外の声に、臆病にも幽霊が出たかと恐れおののいた。

「下、下だよ西上さん。」

小声ではあるが今度ははっきりとしており、この声はまどかに聞き覚えがあった。

手すりから下を覗いて見ると、名越がこちらを見上げ手を振っていた。

「名越君か、ああ良かった。先生が起きて来たかと思った…。」

まどかは幽霊かもなんて恐れた事が妙に悔しくなったので、何でもない風に明るく答えた。

こんな状況でなければ名越が普通に話しかけてきたら戸惑って返事に困ったかもしれない。

「もう1時だぜ。さすがに寝るだろ。つーかそれさあ、もう炭酸ほとんどないんじゃね?」

「えっ?よく分かるね、けどいいのよ。ビール…ああ、お父さんも炭酸の抜けかけたビール平気だから、私も炭酸の抜けかけたジンジャーエール平気で飲めるの。」

まどかはうっかりビールの感覚を味わえさえできればそれでいい、と言いそうになった。

丸一日の猛勉強に耐え、襲ってくる睡魔に打ち勝ち得たこのひとときに、まどかは脱ぎかけた女子高生の鎧をもう一度つけ直した。

「それにしてもさ温泉すらもゆっくり入れないなんて酷すぎない?この合宿。」

名越の返答はない。

まどかの小声が小さすぎたのだろうか。

もう一度言う程たいした発言ではないので繰り返すのは止めた。

下を見ると名越の姿はなかった。

もう一週間近く避けて避けられていたのだから、始めはこの程度の会話ができただけで十分かな、とまどかはため息をついた。

名越との距離が少し埋められたような気がして、他意なく素直に嬉しく思えた。

「…もう1時だもんね。そうそう!お子様は寝てなさい。」

まどかがペットボトルを飲み干すと、木のきしむ音がしたと同時に強めの風がふいた。

この吹き抜けの渡り廊下の、片方は客室へもう片方は食堂などに続くその両側には引き戸があった。

保温の効果はどれほどのものなのかは疑問だが、この引き戸がないと真夏や真冬は酷である。

「お前もお子様だろ。いちいち大人ぶるなよ。逆にガキっぽいからそういうの。」

名越がそう言いながら引き戸を閉めると風が途端に止んだ。

姿を消したと思っていたこの間に、名越は2階からこちらへ移動してきたのだった。

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