<44>掌の不安と幸せ
「じゃあ、ユウの講義まで寝てよう。今日は大学まで送ってあげるから」
優しい笑顔で、カイトはそっと瞳を閉じた。長い睫に縁取られた瞳にどきりとする。ユウは暫くその寝顔を眺めていた。
こんな状況じゃ、寝るに寝付けそうになくて。瞬きするのですら勿体無い気がする。どんなに欲しくても、勇気すらなくて諦めた存在が、今目の前にいて。依存だけだったらどれだけ楽だっただろう。カイトの匂い、温もり、かつて独り占めしたくて躍起になっていたことをふと思い出す。
だけど、拒絶されることに恐怖して、それを諦めたのはユウ本人の意志だから。今更後悔したってどんなにか手遅れで。今ここにある時間は特別なんだと、自分自身に言い聞かせる。あの時の気持ちを呼び戻し、足掻いたって駄目なものは駄目だ。余計に傷つけてしまう人だっているのだから。
だから今、この時間を大切にしなければ。
「ユウ。眠れない?」
「え、あー……うん」
まさか、勿体なくて眠れないなんて言えやしないし。
「カーテン閉めようか。眩しいよね?」
遮光カーテンなんて引かれたらカイトが見えなくなってしまう。なんて思ってもそれは口には出せず。ユウは内心だけで小さくがっかりだ。
しかもカーテンを閉めに起き上がったカイトは、繋いでいた手を、あっさりと離して。
妙に切ない気持ちが、零した水のように広がっていく。カイトの傍にいると、気分が上がったり下がったりで、こんな忙しいことはない。
カーテンを引く音と共に、差し込む夏の眩しい陽光が、少しずつ細くなっていき、最後にはその筋はなくなった。いくら遮光とはいえ、全てを遮ることは出来なくて、部屋は真っ暗にはならない。ならないけど、十分にカイトを観察するには不十分な暗さ。
仕方ないか。小さく息を漏らしたところで、ベッドの空いてるスペースが軋んだ。ふわりと漂ってくるカイトの香り。
そっとユウは目蓋を閉じた。
どうせ、カイトが見れないならこの香りに包まれて寝よう。だって、今朝の寝覚めはとても良かったから。
きっとまたカイトの匂いに包まれれば幸せな夢が見られるかもしれない。
現実では叶わない願いも、夢の中でなら――
そのくらい許されてもいいと思うから。ユウはそっとカイトのシャツの裾を無意識に握り締めた。その上から衣擦れと共に重なる柔らかさに、心の底から湧き上る安心感。伝わる体温に、絡まる指先に、頭の中が次第に霞み掛かる。隣の存在に、眠れそうにないと思ったのに、隣の存在の安心感でたゆたうようなまどろみが訪れる。
このまま一生時が止まってしまえばいいのに。
そんな叶わぬ願いを抱きながら、ユウは暫しのまどろみに包まれた。
「おやすみ」
優しく髪が梳かれる感触。
温かく絡まる指先。
懐かしくて心地よい匂い。
深くて愛しい声。
その全てを抱きしめて、ユウは意識を手離した。




