第11話 どぶねずみ
「なあ、聞いたか紅。最近、神社のお供え物が盗まれてるって。」
夕食後、蒼は皿を拭きながら、まるで“今日のニュース速報”でも読み上げるように言った。
しかしその目は、すでに獲物を見つけた獣のようにギラついている。
「え、そうなの?初めて聞いた。」
紅も皿を拭きながら驚いた顔を向けた。
ここは紅と蒼が護持する戸板神社。
神社の物が盗まれるなんて、ありえない。
そんなことをしたら──紅と蒼が黙っていない。
「ふとどき者がいるなら、懲らしめないといけないよな。」
蒼は手を止めずに紅を見る。
その顔はすでに“戦闘モード”に入りかけている。
「そうね。犯人は誰なんだろう。明日、宮司さんに様子を聞きに行ってみようかな。」
「そうだな。まずは宮司さんだ。俺は留守番してるから、よく聞いてきてくれ。犯人をひとつ、とっちめてやろうぜ。」
蒼は完全にやる気満々。
紅は苦笑しながらも、心のどこかで同じように燃えていた。
次の日。
宿のお客様を見送ると、紅はすぐに戸板神社へ向かった。
真言坊から神社までは坂道を五分ほど下れば着く。
秋晴れの空は高く、鳥の声が遠くで響き、金木犀の甘い香りが風に乗って漂ってくる。
参拝客はまだ少なく、境内は静かで気持ちがいい。
「おはようございます、宮司さん。」
紅が社務所の扉を開けると、宮司は机に向かって書きものをしていた。
「これは紅ちゃん、おはようさん。」
宮司は手を止め、にこやかに立ち上がった。
「お仕事中すみません。大した用事じゃないんだけど……」
紅が恐縮すると、宮司は笑って茶碗を二つ用意した。
「ちょうど休もうと思っていたところじゃ。ほれ、熱いから気をつけての。」
紅はお茶を受け取り、椅子に腰かけた。
「実は、神社のお供え物が盗まれているって噂を聞いて……」
「ほう、神社が噂になっておるのか。そりゃ光栄じゃな。」
宮司は嬉しそうにお茶をすすったが、紅の言葉の続きを聞いた瞬間、表情が変わった。
「供え物の話か……確かに、しばらく前から度々盗まれておるんじゃよ。」
宮司は髭をなでながら困った顔をした。
「どれくらい前からですか?」
「二週間くらい前からかの。米や果物が、いつの間にか無くなってしまうんじゃ。」
「夜の間に盗まれるんですか?」
「そうじゃの。夜が多いかの。」
紅はお茶を置き、真剣な顔になった。
「他に何か盗まれたものは?」
宮司は目を閉じて少し考えた。
「今のところは供え物だけじゃ。」
紅は立ち上がった。
「わかりました。私と蒼でしばらく神社周辺を見張ります。」
宮司に礼を言い、紅は社務所を後にした。
帰り道。
寄り合い所の前で人だかりができていた。
「誰がこんなことしたんだろう……」
「ひどいわね、せっかく咲いたのに……」
紅が近寄ると、女将会の数人が花壇を囲んでいた。
「こんにちは。何かあったんですか?」
「あら紅ちゃん、見てよ。花がこんなに荒らされて……」
花壇の花々は踏みつけられ、引き抜かれ、根がむき出しになっている。
「これは……」
紅は思わず声を漏らした。
「今朝見つけたのよ。本当にひどいわ。」
「泊り客の仕業かしら。」
「腹が立つわね。」
紅は宮司の話を伝えた。
「神社のお供え物も盗まれているみたいです。皆さんも気をつけてください。」
女将たちは怒り心頭。
紅も同じ気持ちだった。
紅は足早に真言坊へ戻った。
「ただいま。」
紅が玄関を入ると、蒼はまるで待ち構えていたかのように飛び出してきた。
「どうだった。」
蒼の声は低く、すでに“戦闘前”の空気をまとっている。
「お供え物は二週間くらい前から盗まれてるらしい。お米や果物が無くなるって。それから、寄り合い所の花壇がひどく荒らされてたの。せっかく咲いたのに、踏みつけたり抜かれたりして……」
紅は思い出して眉をひそめた。
「なんだそれ。どこのどいつがやりやがったんだ。」
蒼の怒りは一瞬で沸騰した。
拳を握りしめ、今にも飛び出しそうな勢いだ。
「許せねえ。今晩、犯人捜しだ。」
紅は静かに頷いたが、その目も蒼と同じように燃えていた。
丑三つ時。
村は深い闇に沈み、家々の明かりはすべて消えている。
紅と蒼は久しぶりに鬼の姿となり、真言坊の屋根の上に立っていた。
体は半透明。人に気付かれないよう気配を消している。
「ひっさしぶりだな、なあ紅。」
蒼は嬉しそうに牙を見せた。
久しぶりに暴れられることが、どうやら心底楽しみらしい。
「そうだね。このところ平和だったから。」
「よし、そのお供え泥棒と花壇荒らしの犯人をとっつかまえて──八つ裂きにしてやる。」
蒼の口元がにやりと吊り上がる。
紅は苦笑しつつも、同じように闘気をまとっていた。
二人は屋根から屋根へと軽々と跳び移り、戸板神社の本堂へ向かった。
木々がざわめき、夜風が二人の髪を揺らす。
「どう、蒼。何か感じる?」
紅は耳を澄ませ、闇の気配を探る。
「うーん……悪い気は感じないな。匂いもねえ。」
本堂の屋根の上で、二人はしばらく周囲を凝視した。
気配、音、匂い──どれも異常なし。
「何もないね。」
紅が困った顔を向ける。
「今日は出てきてねえみたいだな。」
蒼も悔しそうに唸った。
やがて東の空が白み始め、二人は仕方なく真言坊へ戻った。
その後も夜のパトロールは続いた。
しかし犯人はまるで二人の動きを読んでいるかのように、盗みをぴたりと止めた。
「どういうことだ……俺たちの動き、わかってんのか。」
庭を掃きながら蒼が忌々しげに言う。
「まさかとは思うけど、その可能性もあるかもね。こんな会話も聞かれてたりして。」
紅が小声で言うと、蒼はハッと紅の顔を見た。
盗み聞き──
人間ではない何かなら、十分あり得る。
二人はパトロールの相談を家の中でこっそりすることにした。
その晩。
紅と蒼は作戦を変えた。
これまでは本堂の屋根から見張っていたが、今度は神社内の高い杉の木の上へ。
風の流れを読み、風上に立たないようにする。
匂いに敏感な相手なら、風向きひとつで気付かれる。
紅が枝の上から境内を見張っていると──
何かが横切った。
紅は無言で枝を伝い、音もなく地面へ降りた。
蒼もすぐに気付き、後を追う。
黒い影が本堂へ滑り込んだ。
紅と蒼は顔を見合わせ、気配を消して本堂へ入った。
真っ暗な本堂。
カサカサ……と音がして、黒い影がお供え物を懐に入れている。
紅と蒼は音もなく近づいたが──
影は二人の存在に気付き、一瞬で外へ逃げた。
外へ出た時には、影はもうどこにもいなかった。
「くそっ……!」
蒼は地面を殴りつけた。
紅も悔しそうに息を吐く。
「あれ、人間じゃないね。」
蒼が頷く。
「音を立てずに入ったのに気付いた。匂いでわかったんだ。」
「匂いに敏感な動物……?」
蒼は首をかしげた。
「いや、もっとこう……忌々しい感じの、妖怪とかそんなのかもな。」
「そうね。動物なら花壇を荒らしたりしないものね。」
犯人はまだ近くに潜んでいる。
二人は捕まえる方法を考え続けた。
しかし、良い方法は見つからないまま。
二人は毎晩パトロールを続けた。
その後二度ほど影を見つけたが、逃げ足が速すぎて取り逃した。
またお供え物が盗まれ、植え直した花壇も再び荒らされていた。
「くっそー!コソ泥一つ捕まえられねえ自分が許せねえ!」
蒼は地団太を踏んだ。
「自分が情けない……」
紅もしょぼくれた顔をしている。
そこへ郁人がやって来た。
「ちょっと大根買い忘れちゃって、直売所で買ってきてくれる。」
二人の沈んだ顔などお構いなしに、
「また策を練ればいいでしょう。大根お願いしますよ。」
と言って調理場へ戻っていった。
蒼は重い腰を上げ、村の直売所へ向かった。
夕方の直売所は、地元の野菜や果物が並び、いつもなら素朴で穏やかな空気が漂っている。
だが──今日は違った。
蒼が店に入った瞬間、鼻をつく強烈な悪臭が襲いかかった。
「うっ……!」
思わず息を止める。
腐った肉と魚を混ぜて煮詰めたような、鼻の奥を焼くような腐乱臭。
店員も眉間にしわを寄せ、客は一人だけ。
その客は──美佐江だった。
蒼は一瞬で悟った。
(この匂いの元、まさか……美佐江さん?)
美佐江は戸板村で宿坊を営む女将の一人。
いつもはふっくらとした顔で、にこやかに挨拶をする気さくな人だ。
しかし今日は、うつむき加減で、まるで別人のように覇気がない。
「美佐江さん、こんにちは。」
蒼は鼻で息をしないようにしながら近づいた。
美佐江は軽く会釈をしただけで、声も出さない。
「美佐江さん、何だか元気がないようだけど……具合でも悪いの?」
蒼はただ事ではないと感じ、顔を覗き込んだ。
いつも艶々していた頬はげっそりとこけ、目の下には大きな隈。
まるで何日も眠っていないような、疲れ切った顔だ。
「何もないのよ……」
そう言って美佐江は慌てて店を出て行った。
その瞬間、店員が全ての窓を開けて換気を始めた。
よほど悪臭に耐えていたのだろう。
蒼は大根を買って外に出ると、肺いっぱいに新鮮な空気を吸い込んだ。
「はぁ……生き返る……」
その日の夜。
お客様の夕食が終わり、紅・蒼・郁人の三人は遅い夕食を囲んでいた。
「今日、大根を買いに行った時、美佐江さんに会ったんだけど……すっごいやつれてて、目の下にでっかい隈できてて、しかも……強烈に臭かったんだよ。」
蒼の言葉に、紅と郁人は箸を止めた。
「臭かった?」
紅が聞く。
「臭いなんてもんじゃない。肉とか魚が腐った匂いだよ。店員もすっごい顔してた。」
蒼は思い出してげんなりした顔をする。
「美佐江さんってそんな人だっけ?」
郁人が首をかしげる。
紅は即座に否定した。
「いやいや、そんな人じゃないよ。いつもにこにこして感じの良い人だよ。」
蒼も頷く。
「しかもげっそりして元気がなかったんだね……何かあったのかな。」
「あっ。」
蒼が何かに気付いたように声を上げた。
「あのお供え物泥棒を見つけた時、本堂の中……少し臭くなかったか?」
「そうだったかも。」
紅も思い出したように言う。
「もしかしたら──泥棒は美佐江さんの家にいるのかも。」
蒼が紅を見る。
紅は静かに頷いた。
夕食後、片付けが終わると、二人は美佐江の家へ向かった。
「こんばんは。真言坊の紅です。」
玄関で声を掛けると、間もなくして美佐江が出てきた。
蒼が言った通り、すさまじい悪臭をまとい、げっそりしている。
「こんばんは……何かありましたか……」
美佐江はうつむき、声も弱々しい。
「今日、蒼が直売所で美佐江さんに会ったら、元気がなかったって聞いて……リンゴジュースを持ってきたの。うちのジュースは薬草も入っていて疲労回復にも効果があるのよ。よかったら飲んでみてください。」
紅は優しくジュースを差し出した。
「ありがとう……」
美佐江は頭を下げたが、その目から涙がこぼれたように見えた。
そのまま家の中へ戻り、戸が閉まった。
紅と蒼は美佐江の家を離れたふりをして、こっそり庭へ回り込み、中の様子を伺った。
ドーン!
ガラガラガシャン!
家の中から、何かを叩き壊す激しい音が響いた。
「飯はまだか!腹が減ったって言ってんだよ!」
続いて、キャーッという悲鳴。
蒼が飛び出そうとするのを、紅が腕を掴んで止めた。
「今日こそは絶対に捕まえるから……慎重に。」
蒼は歯を食いしばり、こぶしを握った。
家の中は再び静かになった。
二人は息を殺し、次の動きを待った。
紅と蒼がそのまま身じろぎ一つせずに見張っていると、
ガラッ──と玄関の戸が勢いよく開いた。
出てきたのは、一人の男だった。
薄くなった頭。
薄汚れた服。
ぶよぶよと醜く太った体。
そして男が外に出た瞬間、あたりに“腐乱臭の塊”が広がった。
紅と蒼は同時に顔をしかめた。
(こいつが匂いの元だ……)
蒼が紅と目を合わせ、無言で頷いた。
蒼がこいつの後をつける。
まだ家の中に他の仲間がいる可能性もある。
男は何食わぬ顔で戸板神社へ向かって歩き出した。
その途中──寄り合い所の前を通った時、
男は歩きながら花壇の花を片手で数本、雑に引き抜いた。
その瞬間。
蒼が背後から音もなく近づき、
男の髪の毛をワシッとつかみ、髪ごと体を持ち上げた。
「いててててーっ!」
ぶら下げられた男は悲鳴を上げる。
蒼は鼻をつまみながら言った。
「それにしてもくせーな……本当は触りたくねえんだけどよ。」
ぶつぶつ文句を言いながら、蒼は怒鳴った。
「てめえがいつもこの花壇の花を抜いてやがったんだな、このやろう!」
そう言って、ぶら下げた男の尻を勢いよく蹴り飛ばした。
「なにすんだ、このやろう!花を抜いて何が悪い!抜かれて嫌なら花なんか植えるな!」
男はふてぶてしく悪態をつく。
「なんだと、このやろう。悪いことしといて何言ってやがる!」
蒼はさらに強く尻を蹴り上げた。
「いてててて!放せ!こんなことしてどうなるかわかってんだろうな!」
男は自分が捕まっているにも関わらず、怯む様子がない。
「おまえ、威勢だけはいいな。もっと痛い目にあいたいんだな。それともおまえはばかなのか。」
蒼は怒りながらも半ば呆れている。
男の髪がブチブチと抜け始め、蒼は慌てて別のつかむ場所を探した。
「お前臭いから、つかみたくねえんだよな……」
そう言いながら男の体を見回すと──
尻のあたりから尻尾が出ていることに気付いた。
「ここでいいや。」
蒼は尻尾をつかみ、男をぶらぶらとぶら下げた。
そして尻のあたりをまた勢いよく蹴り上げた。
「とりあえず、紅のところに戻るか。」
蒼は男をぶら下げたまま、美佐江の家へ向かった。
一方その頃。
紅は美佐江の家の様子を伺っていた。
家の中から再び──
ガシャーン!という大きな音が響いた。
その直後、玄関の戸が開き、美佐江がふらふらと出てきた。
他に家から出てくるものはいない。
紅はそっと美佐江の後をつけ、少し歩いたところで声を掛けた。
「美佐江さん、今晩は。」
声を掛けられ、美佐江は怯えたように振り向いた。
「家の中には誰がいるの。」
紅は小声で、しかし鋭く聞いた。
声は優しいが、紅の目は怒りに満ちている。
美佐江は一瞬戸惑ったが、意を決したように答えた。
「悪い奴が一人……夫と子供が人質に……」
そう言うと、美佐江の目から涙があふれた。
「もう大丈夫だから。」
紅は美佐江の肩に手を置き、すぐに家へ戻った。
相手が一人なら、人質がいようとも何とでもなる。
紅は音を立てないように家の戸を開けた。
充満している悪臭が紅を襲う。
(くさっ……)
心の中でつぶやきながら、紅はそっと家の中へ進んだ。
居間の戸の隙間から中を覗くと──
河童のような頭に、浅黒く貧相な男がテーブルの上にあぐらを組み、
何かをくちゃくちゃと食べている。
壁際には、美佐江の夫と二人の子供が怯えて座っていた。
紅は音もなく部屋に滑り込み、
ひとっ飛びでテーブルに飛び乗ると、
男のみぞおちに一撃を放った。
「グエッ!」
男は声を吐いて前のめりに倒れた。
「何か縛るものを。」
紅が家族に言うと、美佐江の夫が慌ててロープを持ってきた。
紅は男をぐるぐる巻きにし、家の外へ引きずって行った。
男は気絶したままだ。
「もう大丈夫ですよ。」
紅が部屋に戻って告げると、家族はホッとして涙を流した。
「まずは換気しましょうか。」
紅は家中の窓を開け、悪臭を外へ追いやった。
ちょうどそこへ美佐江が戻ってきた。
「美佐江さん、悪者はもうやっつけたから大丈夫ですよ。私の方で警察に引き渡しておきますから。」
「紅ちゃん……ありがとう……ありがとう……」
美佐江は涙を浮かべ、深々と頭を下げた。
「じゃあ、私はこれで。」
紅は男を引きずりながら、美佐江の家を後にした。
門の外に出ると、ちょうど蒼が帰ってきた。
片手に太った男をぶら下げている。
「とりあえず、神社に行こうか。」
紅は赤鬼の姿となり、ぐるぐる巻きの男を片手でぶら下げ、蒼とともに神社の境内へ向かった。
夜の空気がざわりと揺れ、二人の足音は闇に吸い込まれていく。
本堂の前に着くと、紅はぶら下げていた男を地面へ勢いよく叩きつけた。
ドスッ。
「俺もこいつから手を放したい……」
蒼はげんなりした顔で言い、手をぶらぶらと振った。
臭いが手に染みついたような気がしているらしい。
「何か縛るものないかな。」
紅が辺りを見回し、ごみ箱から縄を拾ってきた。
縄で縛られながら、デブの男は吐き捨てるように言った。
「お前ら、こんなことしてただですむと思うなよ。」
「聞いたか、紅。こいつさっきからずっとこうなんだ。ムカつくだろ。」
蒼はそう言うと、男の尻をまた蹴り上げた。
「いててててー!」
その声に、もう一人の男も目を覚ました。
「お前ら、この縄をほどきやがれ!」
「こいつもばかなんだな。」
蒼はそいつの尻も勢いよく蹴り上げた。
「いててててー!」
紅は腕組みしながら二人を見下ろした。
「どうしたもんかなこいつら……ねえ蒼。」
「だいたいお前らは何者なんだ。人間じゃねえよな。妖怪か。」
蒼が言うと、デブの男が薄汚い笑みを浮かべた。
「俺様たちが人間なんて下等な生き物なわけないだろう。ヒヒヒ。」
「じゃあ妖怪か。妖怪って干物にしたら何かの薬になるかな。」
紅が眉をひそめながら言うと、
「えっ、こんな臭いの、薬だってぜってえ口に入れねえぞ。」
蒼はおえっとした顔をした。
「誰が干物になんかなるもんか!放しやがれこのやろう!」
男たちは性懲りもなく悪態をつき続けている。
紅と蒼がどうしたものかと考えていると──
本堂が突然、眩い光に包まれた。
風がざわめき、空気が震え、
光の中から人神となった行慶が静かに舞い降りた。
その姿は神々しく、境内の空気が一瞬で張り詰める。
「話は全てわかっておる。この者たちは私が預かることにしよう。」
「なんだお前は!放しやがれ!」
神の前でも男たちは悪態をつく。
しかし行慶は眉ひとつ動かさず、手に持つ杖を男たちに振り下ろした。
バシュッ。
男たちの体がぐにゃりと歪み、
人の姿からねずみの妖怪へと変わっていく。
きたならしい毛並み。
黄色くギラギラした目。
飛び出た鋭い前歯。
言葉はもう話せず、ギーギーと不気味な鳴き声をあげた。
「この者たちは、人の物を盗み、仲間をそそのかし、悪事を働き続けた。
生き続けるうちに悪気を身にまとい、とうとう妖怪にまでなった。」
行慶の声は静かだが、境内に響き渡る。
「このような者にも果たして改心ができるのかどうか──
ひとつ、この行慶が見届けてみよう。」
行慶が杖をもう一振りすると、
ねずみの妖怪は尻尾から固まり始め、
みるみるうちに石の塊となった。
ギギ……ギギギ……
最後の鳴き声が石の中に閉じ込められた。
「動けず、声も出せず、それが何百年も続く忍耐の行じゃ。
痛みを知れば、人の痛みもわかるようになるのが常。
果たしてこの者にそれが通用するのか──
改心できねば粉々の塵としてしまおう。それで良いか。」
紅と蒼は静かに頷いた。
行慶は石となったねずみ妖怪を従え、本堂へと帰っていった。
光が消え、境内は再び静けさを取り戻した。
次の日、美佐江が真言坊を訪れた。
「紅ちゃんと蒼ちゃんには何とお礼を言っていいか……」
美佐江は深々と頭を下げた。
だいぶ元気になったが、目の下の隈はまだ残っている。
「今回は大変でしたね。犯人は警察に引き渡しておきましたから、安心してください。」
紅が言うと、美佐江は大きく息を吐いた。
「最初は客を装って来たから、こっちも油断してしまって……
うちの宿坊の様子がわかったらすぐに態度を豹変させたんですよ。
子供たちを人質にして家に居座って、際限なく食べ物を出せって強迫されて……
あの時紅ちゃんと蒼ちゃんが来てくれなかったら、まだ家に居座られて大変な目にあってました。
本当にありがとうございました。これ、少しだけど……」
そう言って、美佐江はかごいっぱいの柿を置いていった。
「美佐江さん、まだ隈が残ってたな。」
蒼が言う。
「とんだ災難だったよね。回復にはもう少しかかりそうね。」
紅は美佐江に同情している。
「そういえば、久しぶりに行慶様に会ったな。」
「そうだね。行慶様が後を引き受けてくれて助かったわ。
やっぱりどぶねずみの干物は薬でも飲みたくないわね。」
二人は顔を見合わせ、苦笑いした。




