また靴下が濡れた。とてもとても嫌な気持ち。666。
それは、決まって雨がふりそうな日に。
僕は傘なんか嫌いだから、
持たないようにしている。
ありふれた光景。
特別な事なんか何にも無くて。
普通の古びたアパートの普通の
錆びだらけの鉄の階段を登って、
3つ目の普通の部屋。
そこに僕は、雨のふりそうな日に
行かなきゃいけない。
汗とカビとニコチンと排泄物と嘔吐物。
最低のずっとずっと下の方にある匂い。
狭くて汚れた不快な湿度の部屋の中は
耐え難い匂いに、絶望を混ぜて、
いつも、僕を迎え入れる。
身動きができないように、
椅子にきつく固定された
名前も知らない「誰か。」
そして
「ニコチンの僕。」
それだけ。
ここには、物語なんて無い。
理由も、語るべき過去も、希望も無い。
ただ、あくびしちゃうような普通があるだけ。
吐き気の塊がこびりついた、
鍋にタバコを何本も入れて、
コンロに火をつけた。
鍋の中でタバコは、
くるくると形を溶かしながら嬉しそうに踊る。
見るだけで眉をしかめてしまう。
抽出される茶色。
この部屋に連れてこられて、
雨のふりそうな日に茶色を飲まされる、
「誰か。」は、
みんな、左の鎖骨の少し下あたりに、
彫刻刀で番号が掘られている。
それは、007だったり、123だったりで、
きっと気まぐれの数字。
意味なんか無い。
過去も無い。
希望なんか無い。
ゴボゴボ。
ゲエゲエ。
————
茶色を飲まされた、「誰か。」は、
その肺の中の、空気をありったけの命で吐き出して、人間をやめる。
獣みたいな声で、吠える。
獣の身体の中にあった汗と排泄物と嘔吐物。
ねっとりとしたもので、
僕の靴下は、泣いたみたいにぐずぐずになる。
帰り道。
やっぱり雨がふってきて、
僕は傘なんか持っていなくて、
雨が、靴下を濡らした。
とてもとても、嫌な気持ち。
————。666。
かわいらしい赤ちゃんの匂いのする
シソの入った、石鹸。
ベビアラウで今日を洗い流した。
カルアミルクを温めた。
僕は、
まだ濡れたままの水色の髪を
猫耳のついた大きなフードで雑に拭いて、
パソコンを開いた。
理由も、
語るべきはずの過去も、
希望も無い……
そんな物語を書こう。
そして、
その物語を拒絶しよう。
《第1話。
靴下が濡れた。とても嫌な気持ち。》




