風邪と思い出
何だか喉が痛い。咳が止まらない。頭も重い。
朝ベッドから起きられなかった。きっと色々あって疲れが出てしまったのだろう。
寝ていれば治るだろうと大人しくしていると、旦那様が私の部屋にやって来ておろおろしている。そして侍女や使用人に邪魔とばかりに追い出されてしまった。
それでもめげずにやって来た旦那様は心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「ブランシェ、何か食べたいものはあるかい?」
「今は何も」
「思いついたら言ってくれ。何でも用意するからね」
「ありがとうございます」
「ゆっくり休むのだよ」
ベッドで毛布にくるまりながら、うつらうつらしている。また熱が上がったようだ。
頭がぼんやりする中、昔のことを思い出した。
まだ実家にいた頃、でも母は亡くなり義母と義妹といた頃のことだ。同じように熱を出したことがあった。
あの時は誰も助けてくれなくて、ただ独りで眠るしかなかった。
その時急に侍女に起こされたのだ。まだ妹に取られず、私の侍女としていてくれたあの侍女だ。
急に殿下が見舞いに来たのだ。風邪を引いてることを教えていないのに。
せっかく来てくださったのだから起きなさい、と侍女に起こされ支度される。熱で朦朧とし、ぼんやりする頭のまま支度を終え、ふらつきながらも応接間へ向かう。
そこには殿下だけでなくて、見知らぬ女性もいた。
ああ、あの女性はドルチェさんだ。なぜ忘れていたのだろう。
なんだ、あの時から殿下は彼女と親しくしていたのか。知らぬは私ばかりだったのか。
応接間には妹もいて、席につくと色とりどりのケーキやタルトが並べられた。その中に一つだけ飾り気のないプリンが混じっていた。
「お姉様にはこれで充分よ」
最初から選ばせる気などなかったのだろう。義妹がその地味な見た目のプリンを示すと侍女が私の前にそれを運んだ。それでも密かに美味しそうだと思っていたので嬉しかったのだ。
熱を出したからといって胃腸に優しい料理が出てくることはなくて、何も喉を通らなかったのだ。プリンの冷たさが甘さが喉を優しく通っていく。自分は空腹だったことにその時気がついたのだ。
夢中で食べていた様子がみっともなく面白かったからか、ドルチェさんからもケーキを口に突っ込まれた。殿下は苦笑いしていたな。
熱で辛かったし、見知らぬ女性がいてびっくりしたけれど、険悪な雰囲気になることもなく、なぜか他愛もないお喋りをして。
食べ終えると二人はすぐに帰ってしまったけれど。
でも思いの外それは楽しい時間だったのだ。
ああ、プリン食べたいな。
旦那様にそう告げる。すると彼はきりっとしたやる気に溢れた表情に変わった。
「料理人にとびきり美味しいプリンを作らせる!」
そう宣言し、バタバタと慌ただしく部屋を出ていった。
それから暫くすると美味しそうなプリンが運ばれてきた。
食べさせてあげる、と言う旦那様に丁重に断り、プリンを口に運ぶ。
柔らかく、甘くて、滑らかで、良い香りがする。
味わいながら食べていたがあっという間になくなってしまった。
「とてもとても美味しかったです」
「そうかい?お代わりもあるよ。いくつ食べる?」
嬉しそうにキラキラした瞳で問う旦那様を侍女が回収していった。
滑らかで美味しいプリンを食べ、また思い出したことがある。
滑らかでないプリンを食べた時のことを。
卵の殻と溶けていない砂糖でじゃりじゃりのプリンと呼んでいいのかわからないソレを食べた時のことを。
その日は夕食後、なぜか大量のプリンが運ばれてきた。飢えるよりは、たくさん食べられるのは嬉しい。そもそも母が亡くなってから甘いものを食べる機会はなかったのだ。
でも最初に一つだけ運ばれたプリンと呼んでいいのかわからないソレはボコボコに穴が空き、ぐしゅっと凹み、見た目も不思議な形をしていた。
一口食べると舌に何かが触れた。そっと出してみれば卵の殻だった。さらに、じゃりじゃりと音がし、とても甘い。砂糖そのままの味がする。
それでも甘いものに飢えていた私は殻を避けながら、食べてしまったのだ。
その後、私以外の家族用と思われる見た目も美しいプリンがいくつも運ばれてきた。
何か入っているのでは、と恐る恐る口にしたが普通の美味しいプリンだった。その日はお腹がはち切れそうな程プリンを食べられた。辛いことばかりの日々の中とても嬉しかったことを覚えている。
だってその日は私の誕生日だったから。
誰一人祝ってくれないけれども。
思い返せばあのプリンはまるで初めて料理をした者が作ったような味だった。殻だらけでお世辞にも美味しいとは思えないけれど。
でもあの味が妙に懐かしく思えるのは体調が悪いせいだろうか。
うつらうつらしているうちにまた眠ってしまった。目が覚め、それからまた眠って、眠って、……目が覚めた。
なんだか体が軽い気がする。
ふと何かを感じ横を向けば旦那様の顔が目に入った。ベッドに顔だけもたれさせ、すやすやと眠っている。
「旦那様、風邪がうつってしまいますよ」
小声で呟いてみるが、起きる気配はない。半身を起こし、何か掛けるものをと動くとパチリとその目が開いた。
「おはよう、ブランシェ」
「おはようございます、旦那様」
にっこり微笑んだ旦那様の姿に胸がトクンと鳴った気がした。
「あれ?ブランシェ、顔が赤いけどまた熱が上がった?」
心配そうにおでこに手を当てる旦那様にさらに熱が上がっていく。滋養のあるご飯のおかげですっかり元気なのに、この熱は上がったまま冷めそうにない。
そんな私を毛布でぐるぐる巻きにしようとしたところで侍女がやって来て旦那様を回収していった。




