Ⅲ-EP.3 ピンクのフラミンゴ【⭐︎挿絵】
「美味い!!」
木杯が卓に叩きつけられ、リフは思わず身を引いた。
向かいに座る派手なピンク色の髪の女は、喉を鳴らして残りを一息に飲み干す。
無理やり連れてこられた酒場で、リフは向かいの席に座らされ、小さく肩をすくめた。
「さっきは、助けてくれてありがとう」
女は返事の代わりに肘をつき、ぐっと顔を近づけてきた。
「ルシアーナだ」
逃げ場のない距離で、彼女の顔立ちがはっきり見えた。
淡い桃色を含んだ肌に、長い睫毛の影が落ちている。
唇は血色が強く、わずかに湿り気を帯びて光を弾いていた。鳥類特有の鮮やかさを帯びたまま、輪郭は人と変わらない体温があった。
優美さを残した獣人、フラミンゴ族。
ただその口が開いた瞬間、印象は一気に崩れる。
「もう一杯!あと肉!骨つきだ!」
空になった杯が乱暴に置かれる。
「おい、人間。お前も食え」
「いや、そういう食べ物は大丈夫。それより、君も大事な誰かを探してるんだよね?」
ルシアーナは骨つき肉を噛みちぎると、残った骨を無造作に机へ放り出した。そのまま口元を拭うでもなく、ちらりと視線を流す。
「そうだ!お前から、そいつの匂いがした。なんでだ?」
ルシアーナはすぐ近くで短く息を吸い、こちらの匂いを確かめてきた。
「もしかして、探してるのは黒くて長い髪?」
「いや、月の光のような、長い銀色だ」
「紫色の瞳?」
「違う。血に濡れた宝石のような、真紅の瞳だ」
「蝙蝠族?」
ルシアーナは鼻で笑った。
「そんな野蛮な種族ではない」
──違うのか。
リフの肩から力が抜けた。
「お前が探してるのは、その黒髪の蝙蝠族か」
リフは、ほんの一瞬だけ唇を噛んでから、うなずく。
「門に着く前に、」
言いかけて、言葉を選ぶように目を伏せる。
「襲われて、俺を逃すために、はぐれた」
「そうか」
「でも、ここで落ち合う約束をしたから」
卓の縁に置いた指先が、無意識にきつくなる。
「だから、会える。絶対に」
その言葉を、自分に言い聞かせるみたいに呟いた。
「君の大事な相手も、見つかるといいね」
リフは椅子を引き、立ち上がった。
同時に、店の奥で椅子が鳴った。
視線の端、酒と肉の匂いの向こうで、体格のいい狒狒族がひとり、ゆっくり腰を上げる。
卓を回り込むような位置取りで、リフの逃げ道を塞ぐ動線。
骨つき肉をくわえたまま、ルシアーナが椅子を引く。
「お前みたいな貧弱なのが一人でうろついてると、またさっきみたいな目に遭うぞ」
「そうだね」
「お互い、探してる奴が見つかるまでだ。一人よりマシだろ」
リフは軽く息を吐き、ルシアーナを見た。
「守ってやる、その代わりだ」
にやりと笑う。
「ここの酒と飯代、払え」
「……え?」
「金、どっかで落とした」
ルシアーナは悪びれもなく笑った。
リフは一瞬だけ言葉に詰まり、それから、わずかに苦笑した。
*
酒場通りの喧騒を抜けると、灯りが落ち着いた一角に出た。軋む宿屋の扉を押し、ルシアーナは遠慮なく中に入る。
「今日はここでいい」
正面の受付台に座る山羊族が、顔を上げる。
「人間とフラミンゴ族か、変な組み合わせだな」
「なんか、文句あんのか」
返された荒い声に、山羊族の耳がぴくりと動いた。
視線を外してから、咳払いをひとつ落とす。
「泊まりか?」
「そうだ。金はこいつが払う!」
ルシアーナが、躊躇なくリフの背中を押した。
よろけた拍子に前へ出て、リフは小さく笑った。
懐から銅貨を取り出し、受付台に置く。
「これで、お願いします」
山羊族は銅貨を確かめ、無言で鍵を一つ外した。
部屋に入った途端、ルシアーナは迷いなくベッドへ飛び乗った。
軋む音が一度、強く鳴る。
「はー、やっと落ち着ける」
ブーツを脱ぎ捨て、床に放る。
片方は壁に当たり、鈍い音を立てて転がった。
リフはそれを拾い、揃えて壁際に置く。
「えっと、ルシアーナで、よかったよね」
背中越しにそう言うと、寝転んだまま身じろぎする気配があった。ピンクの髪が揺れ、片目だけが開く。
「ああ、そうだ。ルシアーナだ」
少し間を置いて、にやりと笑う。
「お前は、そうだ、リフだ。さっき覚えてやった」
「ありがとう」
リフは窓のそばに立ち、外の灯りを見下ろした。
「君が探してるのって、どんな獣人?」
「どんな、って」
ルシアーナは天井を見上げたまま、言葉を探すように黙った。
「どんなやつかって聞かれると、うまく言えねぇ」
ベッドに仰向けになり、両腕を放り出す。
「ただ、私が一番愛してる、それだけだ」
「お前のは?」
リフはすぐには答えなかった。
窓の外へ視線をやり、夜の通りに揺れる灯りを追う。
「すごく優しい、かな」
それだけ言って、口を閉じた。
ルシアーナは横になったかと思うと、すぐに寝息を立て始めた。手も足も投げ出したまま、無防備そのもの。
リフは少しだけ迷ってから、その上にそっと布団をかけた。
自分のベッドに腰を下ろし、窓の方へ視線を向ける。
格子越しに、夜の通りが見えた。人の流れは、まだまだ途切れそうになく、その中に蝙蝠族の面影を探す。
ナトカの作ったルーメンは、ゼルが動き続けるための、最低限しか補っていなかった。
視界の先に、白い外套が三つ。
その中心に、イサリス。
その両脇に、同じ白を纏った二人。
戦える状態じゃないと、身体が先に理解していた。
それなのに……
(それでも。この街のどこかに、ゼルは絶対にいる)
視界の端で、ルシアーナが豪快に寝息を立てていた。
思わず、口元がわずかに緩む。
リフはそのまま、静かに目を閉じた。




