II-EP.8 それでも、願う
ナトカは調合室の作業台に立ち、リフが持ち帰った素材を一つずつ確認しながら手を動かしていた。
背後で誰かの気配を感じるも、振り返らず、調合途中の手は止めない。
しばらくしても気配の主は何も言わないまま、そこに立ち尽くしていた。
「黙って立たれてると、気が散るんだがな」
扉の枠に背を預けるようにして、音もなく立っていたゼルは顔を上げる。
「沈黙が美徳とでも思ってるのか」
「いや」
「さっき渡したルーメン、効果あったみたいだな」
「まあな」
ゼルが短く応じるのを聞いて、ナトカは手元から視線を外さぬまま、僅かに笑ったような声を漏らす。
「即席の割には上出来だったろ。神獣様にも、ちゃんと効いたってことだな」
言葉のあとに再び沈黙が落ちる。
「なにか用があるんじゃないのか」
ゼルはしばらく無言で作業中のナトカの様子を黙って眺めていたが、ようやく押し殺した声を口にした。
「手当てに使える道具、あるか」
「怪我をしてるようには見えないが」
ナトカは眉をひとつ上げるだけで、それ以上は何も聞かず、棚の奥から古びた木箱を取り出した。
「ほら、持って行け。必要なもんは一通り入ってる」
ゼルは無言でそれを受け取ると、返事ひとつなく背を向けた。
そのまま作業小屋の外に出ようとする背に、ナトカがふと声を投げかける。
「おい」
ゼルは立ち止まりもせず、歩みをそのまま進めていく。
ナトカは片眉をわずかに上げ、苦笑とも溜息ともつかない音を漏らした。
「礼もなしか」
肩をすくめると、再び無言で作業に戻る。
「まぁ、いいか」
誰のために来たのかなんて、聞かずとも分かる。
礼のひとつもまともに言えない、不器用さも。
ナトカは、口元だけでかすかに笑い、再び作業台に視線を落とした。
*
リフはキッチンの流し台で、たまった洗い物に手をつけていた。
「なにやってるんだ」
声に気づいて、リフは濡れた手を、軽く拭いながら振り返る。
「洗い物とか、掃除。これくらいしかお礼できないから」
ゼルはリフの手元を一瞥して、テーブルの椅子に腰を下ろした。
リフは手を動かしたまま安心したように言う。
「ナトカの作ってくれたルーメン、効いたみたいでよかった」
「悪くはない」
「お礼、言った?」
「まぁな」
軽く笑って、リフは作業を終えるとテーブルの向かいに座る。
「いつか、自然素材のルーメンが、世界中に広がったらいいな」
「なぜだ、非効率な代替品だろう」
「少なくとも、ルーメンの精製過程で、誰かが苦しまずにすむと思うから」
ゼルはしばし黙って、その顔を見つめ、そして、唐突に言った。
「腕、出せ」
「え??」
リフが戸惑う間もなく、ゼルは身を乗り出し、正面からリフの手首をそっと掴んで引き寄せた。
驚いたように瞬きをするリフの指には、小さな傷がいくつも走っていた。
棘の跡、薄い切り傷、森で、ナトカに言われたルーメンの素材を探して歩き回った証。
ゼルは木箱の中から取り出した消毒液を、布に含ませ、リフの指先をそっと拭う。
一瞬だけ、ゼルの意識に、短く突き放すように言われたあの時の声が浮かぶ。
(触られたくない、ごめん……)
拒絶するようなその声が、微かに思考の縁をかすめた。
「ありがとう」
リフのその言葉に、ゼルはわずかに目を伏せ、さっきの記憶を押し流すように視線を落とした。
「小さい指だな」
「そっちがデカいだけだろ」
リフが苦笑まじりに返すのを聞きながら、ゼルは細くて小さな指一本ずつに、簡易のテーピングを丁寧に巻いていく。
「優しいね、ゼル」
リフは黙々と手当てをしてくれているゼルの手元を見つめた。
「別に、そんなことはない」
ゼルは、わずかに目を細めた。
静かな間が落ちたあと、リフがそっと口を開いた。
「咆哮窟のみんな、元気かな」
そんな小さな声がぽつりと落ちる。
「まだ、咆哮窟を出て少ししか経っていないのに、もうずいぶん前みたいに思えるよね」
「もう寂しくなったのか」
静かな声に、少し笑みが混じる。
ゼルは、俯いたその横顔を見つめたまま、そっと言う。
「また、いつか会いに行けばいい」
それが、いつになるかは分からなくても、ゼルは、言葉にして渡した。
もう二度と、会うことは叶わないとは知らずに。
最後の指にテーピングを巻き終えても、ゼルはその小さな指を離さなかった。
「ひとつ、聞いていいか」
そのまま手を掴んだまま、低く尋ねる。
「誰に、追われてる」
力になれるかもしれない、そう続けようとしたゼルの言葉を、リフは遮るように首を振った。
「言えない」
それだけを、即答した。
ゼルの指がふと、離れかけた。
「でも、この先も、一緒にいられたらって思ってる。ダメかな」
ゼルからの返答はない。
代わりに、わざとらしいほどの強さで、ぎゅうっとリフの指を握りしめる。
「……っ」
小さく声を漏らしたリフが視線を上げるより早く、ゼルはすっと立ち上がった。
言葉はなかった。
けれど、その強すぎる手のひらが、何よりはっきりと、ゼルの答えを伝えていた。




