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この世界で、君だけが獣を王にした  作者: そよら
フェーズII 森に棲む銀灰の獣
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II-EP.3 灰銀の尻尾

「どこだ、ここ」


 背中に触れる柔らな毛布の感触があまりに馴染まなくて、ゼルは思わず瞬きをした。


 ゆっくりと意識が浮かび上がる。

 あの狭い、長屋ではない。


 瞼を上げると、紫の瞳に映るのは、見慣れない天井。

 身体を起こすと、胸元にかけられた毛布がずり落ちた。

 隣に誰かが寝ていた気配。 


 今はどこにもいない。


 身体の重みはまだ抜けきらないが、喉の焼けつくような渇きは不思議と少し薄れていた。

 ゼルはベッドを降り、足音を殺すように廊下へ出る。


 廊下の奥。

 扉の隙間から、暖かな灯が零れている。


 ゆっくり近づき、半開きの扉に手をかけた。


 薪の燃える柔らかな音、暖かな空気。

 大きな灰銀の尻尾が、ゆっくりと揺れる。

 その向こうに。


 (リフ……)


 明るい茶褐色の髪が椅子に腰かけ、肩を晒していた。

 細い背中の新しい裂傷に縫い目が走り、糸が締められる途中だった。


 おびただしい数の古い傷痕、

 左肩には、丁寧に貼られた医療用の白いテープ。


 微かに、ほんの僅かに見えた赤と黒の尾羽の紋様。

 それを見た途端、脳裏を何かがかすめた。


 炎のような色。

 血のように滲む赤と、深い黒。

 どこかで、見た。

 確かに、見たことがある紋様。


「ゼル?」


 けれど次の瞬間、

 リフの声でその感覚は掴めないまま沈んでいった。

 振り返ろうとしたリフの細い肩を、狼族と思われる人影が静かに引き戻す。


「動くな。まだ縫い終わってない」


 ナトカの大きな手がリフの肩をそっと支え、器用に針を抜く。

 ゼルはその場で固まった。

 無事な姿を見た安堵と、あの拒絶の記憶がぐしゃりと混ざりあう。


(なんで、こいつの手当ては許すんだ……)


 左肩に貼られた白いシートが、やけに目に刺さった。


 あれほど拒絶したのに。

 あんなふうにひどく手を振り払って、 怯えた目をしたのに。

 どうして今はこの見知らぬ獣族の手を、許している。


 目の前の揺れる大きな尻尾がふいに顔を上げ、振り返った。


「起きたか、蝙蝠」


 灰銀の髪、鋭く切れ上がった琥珀色の双眸。

 そして、落ち着いた低い声。


 ゼルの眉がぴくりと跳ねる。


「誰だ、お前」


 低く、威嚇するように呟く。


「助けてもらっといて、無礼な奴だな」


 ナトカは淡々とした目でゼルを一瞥し、手を止めない。


「治療してやってるだけだ。礼なら後でいい」


 怒りなのか、混乱なのか、自分でも分からない。

 ゼルの視線は、リフに吸い寄せられる。


 わずかに汗ばみ、軽く息を乱した顔。

 縫い終わったばかりの背中。

 痛みに耐えるように、椅子の手すりを握りしめる細い指。


(なんで、そいつはいいんだよ)


 けれど声にはならなかった。

 ゼルはその場に立ち尽くしていた。


「終わった、動いていいぞ」


 短く言い、狼は針と糸を銀のトレイに置く。


 リフは椅子からそっと身を起こし、暖炉の灯りの向こうに立ち尽くすゼルを振り返る。


「ゼル、目が覚めてよかった」


 ゼルは視線を逸らし、ひどく素っ気なく返した。


「ああ、」


 リフが一歩、近づこうとした。

 その動きに反応するように、ゼルは無意識に、同じだけ後ろへ下がる。


「……え?」


 リフの足が止まる。


 部屋の空気が、薪の燃える音だけを残して軋んだ。


 その静寂を断ち切るように、灰銀の尻尾がゆるく揺れ、低い声が落ちる。


「不機嫌だな、蝙蝠。まずは礼くらい述べろ、ここは俺の家だ」


 リフが慌てて深く頭を下げた。 


「えっ、あぁ!!助けてくれて、ありがとうございます」


 ゼルはその横顔を見ながらも、表情を硬いまま動かさない。


「俺はナトカ。ここの主だ」


 ナトカは淡々とした様子で縫合器具を片づけながら、口を開いた。


「で、お前は?」


 鋭い琥珀色の瞳が、静かにゼルへ移る。


「ゼル」


「俺は、この森でルーメンに替わる薬を研究してる。

 森の花や葉、根、自然のものだけでな」 


 ゼルは黙ったまま、何も答えない。

 ナトカはため息混じりに立ち上がった。


「不機嫌なのは腹が減ってるせいか。何か食わせてやる」


 ナトカはリビングは繋がる廊下へ向かって歩き出す。


「こっちだ、」


 リフはゼルを振り返るも視線は交わらず、二人はそのまま、無言で灰銀の尻尾についていった。

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