EP.FINAL 終焉の果てに立つ影
ノタルは工具袋を腰に下げ、曲がったパイプの接合部を叩く。
「ここも歪んでるな、そろそろ新品の部品をヴォルガ様に頼むか」
接合部の修復を終え、手の油を拭う。
腰の革の手袋に、ふと目が留まった。
水の流れる低い音が規則正しく続き、いつもと変わらない作業のはずだった。
その音に、かすかな別の音が混じった。
擦れるような足音。
引きずるような、間の抜けた気配。
「……ノ、タル……」
振り返った先で、ミルミが床に手をつき、這いつくばっていた。息は荒く、胸元を押さえる指の隙間から、赤く焼けた痕が覗いている。
「ミルミ?!」
呼びながら駆け寄り、倒れかけた身体を抱き止める。細い肩に腕を回した瞬間、伝わってくる熱に息を呑む。
「ミルミ、何があった」
「……獣人に……なれない、って……」
掠れた声が、冷却管の音に吸い込まれる。
「半獣人は……」
そこで言葉が止まり、ミルミは自分の腕を見下ろした。焼け爛れた腕、毛の抜け落ちた皮膚、熱の名残で震える指先。
「……いつか獣人に、なれるって……」
ノタルは何も言えず、ただ息を呑んだ。
「みんな……おうえんして…リフも」
小さく、笑おうとして失敗する。
「……うそ、なの……?」
湿った地下の空間に、その声だけが取り残される。
ミルミは熱に追われるように呼吸を乱した。
「あつ……あつい……」
涙が床に落ち、混じる。
「……なれるって……獣人に、なれるって……」
ノタルは腕に力を込めてミルミを抱き締めた。
言葉は喉まで上がってきたが、どれも今は口にできなかった。
配管の奥で、蒸気が吐き出される音が続いていた。
その音に重なるように、熱を孕んだ気配が滲む。
「これは、なかなか古い資料ですね」
振り向くと、赤と金の長い髪を緩やかに垂らした男が、いつの間にかそこに居た。
ノタルがさっきまで読んでいた分厚い古書を掲げている。
「…っ!!」
真紅の外套には、本にあったのと同じ、赤と金の尾羽を模した意匠。
「鳳凰族?!」
アーヴェントは、ゆっくりとページをめくる。
「この本には興味深い記述がありますね。ライラ=スレイヴ──終身奴隷。罪深き人、獣の主のための資源。そして関わりしものは、例外なく抹消対象」
アーヴェントは古書を閉じ、指先でその表紙を軽く撫でた。
「驚かせてしまいましたが、この場所にも、アレの気配が残っていたものですから。つい足を運んでしまいました」
「アレって、リフのことか?」
「そうです。アレは私の所有物です」
ノタルの喉が詰まった。怒りか恐怖か、自分でもわからない。
「リフを、どうするつもりだ」
「迎えに来ただけです。残念ながら会うことは叶いませんでしたが」
「俺たちも処分しに……」
「悟りが早いですね、でも残念ながら違います」
アーヴェントの声は静かで、柔らかかった。
「あなたは抹消対象ではありません。罪と罰を伝える証人です。その役目を最後まで背負ってもらいます」
ミルミはノタルの腕の中で身を強張らせた。
「……じゃあ……」
ミルミは焼け爛れた腕を見つめ、縋るような視線を向ける。
「リフの……せい、なの……?」
「違う」
抱き締める力が、逃がさないと言うように強まる。
「リフのせいじゃない」
「……でも……終身奴隷、なんでしょ……」
ミルミの唇が震え、言葉と一緒に赤い瞳から雫が零れ落ちた。
「だって……もう……」
ミルミの声が、喉の奥で掠れた。
「獣人には……なれない……」
震える腕を見下ろし、焼け爛れた皮膚を指でなぞる。
「……こんな……いたくて、きたなくなったから……」
ノタルの胸の奥に、あの漆黒の翼の背が浮かぶ。
理屈も常識も、最初から踏み越えている存在。
(神獣だ。ゼルは竜だ。だから、きっと──)
ノタルはミルミを抱いたまま、低く息を吐いた。
「なれないって、決まったわけじゃない!」
ミルミの身体が、激しく痙攣する。
「ミルミ!!」
名を呼び、腕に力を込める。
「誰も、嘘なんかついてない、リフも、俺もだ」
視線を上げ、まっすぐに続ける。
「終わりなんかじゃ、絶対ない」
ミルミの身体から、ふっと力が抜けた。
抱き締めていた腕の中で、重さだけが残る。
「ミルミ?」
返事はない。
呼吸は浅く、熱だけが、まだ伝わってくる。
ノタルは歯を食いしばり、胸に抱き寄せた。
「なれる……」
震えた声が、地下に落ちる。
「なれるよ、ミルミ!」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
答えが返らないことも、分かっていた。
「なれるんだ……」
声が掠れ、祈りは地下に沈んだ。
「最後にひとつ、」
アーヴェントは楽しげに口端を上げた。
「あれのそばにいるのは、いったい何者です?」
ノタルは短く息を呑み、目を伏せた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「リフを、全力で守る者」
アーヴェントは目を細め、わずかに微笑む。
「全力で、守る。それもまた面白い」
金色の焔がほんの一瞬だけ灯り、すぐに消えた。アーヴェントの姿も、焔とともに掻き消える。
しん、と空気が戻る。
次の瞬間、鈍い音を立てて古書が床に落ちた。
紙の角が焼け焦げ、ゆっくりと灰が舞う。
焦げ跡の残る一冊の本が地面に取り残されていた。
ノタルは梯子を上がり、地上へ出た。
廊下には誰の姿もなく、転がるものがたったひとつ。どんぐりと胡桃でできた、炭化した小さな胸飾り。
「ミルミ……」
ノタルは、膝をつき、それをそっと拾い上げる。
リフからもらった革の手袋を握りしめ、拳が震えた。
「うああああああぁぁっ──!!」
獣は、声を押し殺すこともできずに、泣いた。
*
静まり返った咆哮窟の入口には、太い鎖がかけられていた。風に煽られた金木犀の花が、閉鎖された入口へぱらぱらと落ちていく。
その花を、無慈悲に踏みつけながら歩いてくる美しい影があった。
派手なピンク色の長髪が、さらさらと風を切って揺れる。
艶めいた曲線、しなやかな体つき。
遠目にも目を奪うほどの、美貌。
彼女は太い鎖に指を掛け、あっさりとそれを引きちぎった。
胸元まで落ちる鮮やかなピンクの髪を揺らしながら、静まり返った廊下を進んでいく。
パキッ。
足元で、乾いた小さな音がした。
視線を落とすと、ピンク色のブーツの踵に押し潰された細工物があった。
どんぐりと胡桃を組み合わせた、黒く焼け焦げた胸飾り。
「壊れた」
つま先で転がしたそれを、ひょいと道の端へ蹴りやり、彼女は足を止めず、長い髪を揺らしながら暗い階段を下りていく。
薄闇の先、檻に囲われた円形のリングは、無人のまま静まり返っていた。
かすかに残った熱、戦いと喧騒の名残、そして、探していた気配。
「もう居ないのか」
彼女はもう一度だけ、リングの中央を見た。
そこに立つはずだった影を思うように、目を細める。
「ゼル……」
そのまま彼女は振り返らず、ブーツの踵を鳴らして、身を翻した。
第1章、完結しました
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2人の物語はまだまだ続いていきます。
この先も読んでいただけるととても嬉しいです。
改めまして、読んでいただきありがとうございました。




