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この世界で、君だけが獣を王にした  作者: そよら
フェーズI 裏路地で、獣は奪う
17/33

EP.17 最終闘宴 

 収穫祭の最終夜──


 咆哮窟には至るところに金木犀の枝が飾られ、甘い花の香りに包まれていた。 


 いつもは冷たく無骨な石壁も、この日ばかりは金色の花で飾られ、むせかえるような香気に包まれている。

 上層の観覧席、黒豹族のヴォルガがゆっくりと立ち上がった。


「今宵は、金木犀祭の終わりを飾る特別闘宴だ。挑むは白蛇族、イサリス。迎えるは、無敗を刻み続ける蝙蝠族、ゼル。勝利者に賭けた観衆にも、今日一日の賭け金すべてと特別賞金を授ける!」


 歓声が沸き上がり、熱気が一気に広がった。

 屋台の酒を手にした獣たちが立ち上がり、観客席が揺れる。


「ゼル!」「ゼル!」その名を呼ぶ声が波のように広がる。


 控え通路の奥では、他の格闘士たちが冷やかし混じりにゼルの背に声をかけていた。


「ゼル、今日も勝てよ!」

「お前に賭けてんだ、大金掴ませてくれよ」

「全員分の酒、奢る準備しとけよ!」


 笑い混じりの声に、ゼルは片手を軽く上げて応えると、静かにリングを取り囲む檻へと歩き出した。


 檻の反対側から現れた白蛇族イサリスは、白い外套の裾を翻し、静かに笑んだ。

 肩で切り揃えた銀髪がサラサラと静かに揺れ、紅い瞳が暗闇で妖しく光る。


 両者、歩を進め、沸き立つ観衆の声援と視線を浴びながら、リングを囲う鉄格子をくぐる。


「お手柔らかに」


 イサリスは穏やかに微笑んだ。


 観客席の端では、リフとミルミが息を詰めて見つめていた。ラティとノタルは、立ち上がって声を張り上げる。

 その後ろで腕組みしたグレンが、無言で見守っていた。


 鐘が鳴る。 


 飾られた金木犀の花びらが、檻の中に舞い落ちた。

 戦いの幕が、上がる。

 鉄の檻の中央で、二人は向かい合った。


 イサリスは、均整の取れた細身の体に黒の密着衣をまとい、静かに微笑んでいる。


 ゼルは上衣を脱ぎ、鍛え上げられた上半身が露わになっていた。

 手首と拳には白いバンテージが巻かれ、節くれだった指が静かに握られていた。


 まず、ゼルが踏み込む。

 拳が振り抜かれる瞬間、イサリスの姿はすっと掻き消えた。


 視界から消えた──

 そう思った刹那、背後で気配が揺らぐ。

 振り向くより早く、白い腕が首元に絡みついた。

 喉元を締め上げるように腕が食い込み、次の瞬間には身体ごと宙を舞う。 


 ゼルの背がリングに叩きつけられ、鉄板が鈍く響いた。


 観客席がざわめきに包まれる。


 イサリスの一撃は流れるように速く、間合いを取る隙すら与えなかった。

 掌の裏で受け止めようとしたゼルの腕が弾かれ、体勢を立て直す前に次の一撃が来る。


「ちっ、速ぇ……!」


 蹴りが脇を掠め、視界が揺れる。反射的に距離を取るが、イサリスはすでに次の位置に立っていた。

 息を整える間もなく、白い影が再び視界の端を掠める。


 攻撃は重くはない。だが、確実に急所を狙い、迷いがない。

 ゼルは初めて、自分が追う側ではなく、追われる側に立っていると悟った。


「本気を出さないと、当たりませんよ」


 イサリスは、耳元で静かに囁いた。

 吐息がかすかに触れる距離。ゼルは歯を食いしばり、拳を振り抜く。だが空を切る。


 すぐさま反転し、もう一撃。

 その拳は、白い影を捉える事は出来ない。

 イサリスの姿は一瞬ごとにぶれては消え、背後、横、正面と現れる。


「その姿のままでは、僕に勝つことはできませんよ」


 イサリスの声は静かで、どこか哀れむようだった。

 言葉と同時に、肘が閃く。

 ゼルの脇腹に鋭い衝撃が突き刺さり、ゼルは膝から崩れ落ちる。


 観客席がざわめきに包まれた。


「は、早ぇ……!」 


 グレンが思わず身を乗り出す。


「見えねぇ、動きが……」


 ミルミは両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。 


「まけない、よね?」


 ラティとノタルが顔を見合わせ、言葉を失う。


「だ、大丈夫……だよな……?」


 リフは声を出せず、ただ手を組んだまま、リングを見つめていた。 


 イサリスは涼しい顔で観客席に視線を向けた。

 観客の熱狂をよそに、身を屈めゼルの耳朶で囁く。


「もしあなたが負けたら、最初にあの人間を殺します」


 ゼルは驚いて顔を上げた。

 見開かれた瞳孔の奥、紫が一瞬、紅を孕んだ。

 ──そして、すべての音が消えた。


 観客のざわめきも、

 鉄格子の軋みも、

 金木犀の花びらが散るその音でさえも。

 まるで世界そのものが息を潜めたかのように。


 そして次の瞬間、


「……ッ──グゥォオオォォォッ!!」


 生き物の声とは思えぬ咆哮が、檻の中を突き破った。空気が弾け、地を這うような振動が咆哮窟全体を揺らす。 

 音ではなく圧として叩きつけられるような叫び声。


 獣の叫びとは明らかに違うそれは、観客席の獣達を本能的に震え上がらせた。


 イサリスの口角がゆっくりと吊り上がり、次の瞬間、理性の皮が剥がれ落ちたように叫んだ。


「見つけた!見つけた、見つけた、見つけたぁぁぁぁああッ!!!」


 ゼルの背に、裂けるような亀裂が走る。

 黒い膜翼の表面が砕け、下から金属の光沢を帯びた巨大な鋼色の鱗翼が姿を現した。


 翼の鱗が光を反射し、バチバチッと派手な音を立てて紫電を散らす。 

 翼の先端には、巨大な鉤爪が現れ、指先にも同様の鉤爪が長く伸びる。瞳が燃えるように紅く染まり、視線ひとつで空気が軋んだ。


 観客が息を呑む。


 この瞬間、檻の中の男はもう蝙蝠族ではなかった。


「間違いない、ようやく辿り着けました」


 イサリスはニタリと笑って一歩前に出た。


「隠し通すには無理があったようですね、ゼルヴァルド=セレス=エルネスタス」


 聞き慣れない名前をイサリスが口にした刹那、視界からゼルの姿が消えた。 


 いや、消えたのではない。

 速い。


 気づいた時には、ゼルがもう目の前にいた。

 その手がイサリスの首を掴み、容赦なく捻り上げる。


「……ぅ……あ、ぁ……ッ……」


 次の瞬間、しなやかな体躯がリングに叩きつけられた。


 ゼルはそのまま倒れた身体を掴んで左右の檻へ叩きつける。

 壁が鳴り、観客の悲鳴が上がる。

 さらに勢いをつけて、天井へ。

 打ち上げられた身体が鉄檻にぶつかり、落下した背中を鋭い爪が裂いた。


「ぐぁぁぁぁぁあッ!!!」


 鮮血が噴き出し、赤い軌跡を描いて肉片が飛び散る。掴み上げた首が、無防備に揺れた。


 そして、翼の鉤爪が突き出され、胸を一撃で貫いた。血飛沫が静かにリングを叩き、観客の呼吸さえ止まる。


「勝敗は決したッ!!!鐘を鳴らせ!!」 


 観客席からグレンの怒号が響いた。

 だが、鐘を打つ係の獣族も、審判も、呆然としたまま立ち尽くしている。

 視線はまだ、血に濡れたリングの中央から動けずにいた。


「チッ……!」


 グレンは舌打ちし、観客席の柵を飛び越える。

 そのまま鉄檻の上を蹴ってリングに飛び上がり、鐘を打ち鳴らした。


 カァァァン──!


 甲高い鐘の音が、静まり返った空間に響き渡った。


「勝者!蝙蝠族ゼル!!」


 グレンの叫びが静まり返った観客席に響き渡った瞬間、ようやく観客席から爆発するような歓声が湧き上がった。


 歓声の渦の中、グレンはリング中央へ駆け寄り、血の海に倒れたイサリスを指さした。


「まだ息はある!急いで運べ!」


 医療班の獣族たちが慌てて担架を持って駆け込む。

 グレンは素早く外套を脱ぎ、無言のゼルに投げ渡した。 


 ゼルはそれを無造作に受け取り、背に広がる翼を覆う。


 グレンは、目の前の男を見た。今のゼルは言葉にできない“何か”だった。


「お前、」

 

 平静を装おうとして、グレンは胸の奥に残る震えを無理やり押し殺すように息を吐いた。


「ったく、心臓が止まるかと思ったぜ」


 グレンはすぐに口の端を上げる。


「で?勝ったんだろ。分け前、忘れんなよ」


「分け前ならヴォルガに言え」


 外套の裾を整えながら、答えた声はいつものゼルだった。

 グレンはそれを受け、安堵するように口端を上げて笑んだ。


 ゼルは視線を観客席の奥へ向けた。

 イサリスを運び出す担架の列が消えていくのを、どこか遠い眼で見送り、そのまま、ゆっくりと視線を巡らせる。


 観客席の奥に、リフの姿が見える。

 その姿を確認すると、ゼルはリングを降りて、真っ直ぐ進んだ。


 湧き上がる歓声の渦の中、ラティとノタルが駆け寄ってきた。


「すごかった」 

「やったな!」


 口々に声を上げる。

 けれどゼルは何も言わず、通りすぎた。


 リフの前まで来ると、ゼルは足を止め、周囲を一瞥してから、低く囁く。


「今すぐ、ここを出る」


「……え?」


 まだ歓声は鳴り止まない。


 だがその音が、これほど遠くに感じたのは初めてだった。

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