EP.16 終わりの兆し
通りに金木犀の香りが満ちていた。
橙のランタンが風に揺れ、店々には灯りが飾られ、露店の列が噴水広場まで続いている。
街は年に一度の収穫を祝う金木犀祭でにぎわっていた。
「いつもの通りが、こんなに賑やかに変わるんだ」
リフは目を丸くしながら、屋台を彩るランタンを見上げる。
「ラティが言ってた収穫祭ってやつだな」
ゼルは人混みを見渡し、焼き串の屋台の前で足を止めた。
「外だから、いいか?」
ゼルがちらりと視線を寄越す。
リフは首を縦に振り、少しだけ笑った。
「気にしなくていいのに……」
いつもなら、肉の匂いが苦手なリフに気を遣って干し肉しか食べないゼルは、今日は構わずそれを注文した。
「俺が勝手に合わせてるだけだ」
ゼルは肉を齧りながら、人ごみの中を抜ける。
リフは露店を次々と覗きこんでいく。祭りの日にしか出ない雑貨や飾りが色とりどり並んでいた。
リフは、どんぐりと胡桃を組み合わせた可愛い胸飾りを手に取る。
「これ、ミルミに!!」
「ノタルには……革手袋!管を閉めるとき使えるよね」
「ラティには、このガラスのペン」
「グレンには、お祭り限定の果実酒」
蜜酒のミニボトルを手にしたリフは、満足そうに笑った。
「自分のはいいのか?」
ゼルの問いに、リフは一瞬きょとんとし、すぐに柔らかく笑った。
「俺はいいよ。誰かに、何かしてあげたいだけだから」
リフの瞳は、どこか遠くを見ているようだった。
「ミルミはさ」
人混みを抜ける中で、リフが続ける。
「獣人になりたいらしいんだ」
リフは少し言葉を選んで、続けた。
「一人前の獣人になって、強い人のそばに並びたいんだって」
ゼルはすぐには返さず、露店の灯りを一つやり過ごしてから口を開いた。
「半獣人は、獣人にはなれない」
「……え」
思わず零れた声に、リフは足を止める。
「なれない。どれだけ願っても、だ」
「そう、なの」
「それでも、価値が変わるわけじゃない」
リフは包みを抱え直し、しばらく黙って並んだ。
屋台から漂う甘い匂いが遠のき、足音だけが規則正しく重なる。
「探してる人が、いるんだ」
ゼルは何も言わず、リフの言葉を受け止めていた。
「名前も、どこにいるかも分からないけど。いつか会えたらいいなって、そう思って生きてきた」
「そうか」
ゼルはそれ以上、言葉を重ねなかった。
広場に出ると、噴水を取り囲むように色とりどりのランタンの灯が揺れている。
二人は並んで腰を下ろした。
ゼルは遠くを見たまま呟いた。
「ここは居心地がいいか?」
「そうだね、みんな優しくて温かい」
ふたりの間に、短い沈黙が落ちた。
金木犀の香りが風に流れる。
「俺は、ひと所に長くいられない、」
ゼルがぽつりと言うと、リフはその言葉を遮るように答えた。
「追われてるのは、きっとお互い様だから」
誰に、なぜ、追われているのか、互いに尋ねることはなかった。
リフは胸の奥で、静かに思う。
幸せな時間は、きっと長くは続かないのだと。
名を呼ばれることもなく、ただ、焼けつくような激痛と、終わりのない苦悶に晒され続けた日々。
あの頃は絶望だけが、生きている証のようなものだった。
いつかは終わる、過去も、そしてこの瞬間も、何もかもが。
それでも、この日々が終わらなければいいと、今は心のどこかで願っていた。
「別れの挨拶くらいは、出来るだろう」
「ノタルとラティのは騒ぎそうだね、ミルミは寂しがるね」
ランタンがひとつ、風に流されて夜空に昇った
まだ先のことだと思っていた。
通りの灯りが、ひとつずつ遠ざかっていく。




