第二章 主が呼び出す死者の道2
「未子ちゃん……」
いつもは道路端でしか会わない未子が、裏庭まで来ていた。
雪が降りしきる中、だらしなく伸びきったタンクトップを着ている。
タンクトップは白かったのだろうが、垢で汚れているせいで純白の雪の中では灰色に近く見えた。
未子はこのタンクトップと浴衣だったものの二枚くらいしか服を持っていない。それらの衣類は、いつもジメッとしていた。
あと、一度焼け焦げた何かを身にまとっていた気がする。
「私も来たの。だけど、紀枝ちゃんが来るなら私はいらないね……。これ、あげる」
未子はそう言って、右手につかんでいたものを広げて見せた。
また、クッキー……だと思われるものだ。
未子の服のように、どこに属するものなのかハッキリとわからない。
「未子ちゃん、あのね……もうクッキーとかいらないの」
「どうして?」
「……」
紀枝が黙り込むと、未子は身を屈めてこちらの顔を覗き込んできた。
「死ぬの?」
その言葉にハッとして未子を見ると、彼女は少しだけ険しい顔をしている。
「……死なないよ。ただ、このクッキーは未子ちゃんに必要なものだから、わたしはもういいよ」
嘘がすらすらと喉の奥から出てきた。
未子は少しだけ思案してから、紀枝にくるりと背を向ける。
「そう。そういう考えなんだね。紀枝ちゃんは、いつもそう」
「……いつも?」
「紀枝ちゃんは、嘘をついて逃げちゃう」
まるで家族と同じ嘘つきだと言われているようで、紀枝は未子よりも顔を険しくした。
なにか言い返したくなって口を開きかけるが、へたに言葉を発したら死のうとしていることがバレてしまいそうだ。
「私は、紀枝ちゃんにこそクッキーが必要だと思ってたの。でも……紀枝ちゃんに嫌われそうだからあげないことにする。それが一番怖いから。じゃあ、帰るね」
未子は、何も追求しなかった。
そういえば、あまり言葉を交わさなくなっても、彼女は理由を深追いしようとはしなかった。
「うん……、未子ちゃんさようなら」
「またね!」
大きな声で言って、未子は闇の中に走り出す。
雪と闇とで彼女の姿はすぐに視界から消えていく――その寸前、未子がちらりと顔をこちらに向けた。
「たぶん、まだ大丈夫だと思うけど……死なないでね」
血の気の無い顔の中で、真っ黒な目が哀しそうに伏せられた。
そして、彼女は、また前を見て走っていく。
なぜかその時、紀枝は彼女が親切で食べ物を持ってきていたように感じた。
(そんなことあるはずがない。あの子は、わたしと同じなんだから)
そう……未子は紀枝が運んできた食料を食べている時、口元に笑みを乗せていたのだから――。
未子の笑みを思い出して、紀枝はくたりと項垂れた。
「未子ちゃん、ごめんね。わたし、先に一抜けする」
ぽつりと呟くと、酷く冷えた風が紀枝の身体を叩くように吹き抜けてく。
『さあ、遊ぼうよ。雪……でね』
風の中から、あの得体のしれない声がした。
「魔法使いっ」
紀枝はばっと顔を上げて辺りを見渡したが、あるのは裸ん坊の木々と彩が邪魔だといって除けてしまった日本庭園の岩、そして赤いお稲荷様の祠だけだ。
どう見ても、いつもの寂しい裏庭である。
「ねぇ、どこにいるの? 姿を見せて」
紀枝が話しかけると、細波のようなやわらかい笑い声が夜空に響き渡った。
『祠から話しかけているが、最早、裏庭そのものがおれさ。ここにおれが息づいている』
「ここが、あなた?」
意味が分からなくて聞き返すと、彼はまた楽しげに笑い出す。
『おれは、大昔に山で殺されて、此処に運ばれて捨てられたんだ』
なぜか、主は嬉々として過去の話を始める。
『それから何百年か経ったら、お前達一家がやってきて酒蔵やら倉庫やら家やらを建てていった。そして、おれは裏庭に引っ込められたのさ。それからおれは、お前達のことをじぃーとね、じぃーとね、見ていたわけだよ』
紀枝達家族をこころよく思っていない口調だった。
「……ご、ごめんなさい」
『謝らないでいいさ、だってお前、おれに水をくれるから』
そこで紀枝は気がついて、前に拭いて綺麗にした赤い祠に視線をやった。
「あなたは、お稲荷様?」
『違うというべきだな』
「じゃあ、やっぱり魔法使いなの?」
訊ねると、その者は綺麗な声音でカラカラと笑う。
『それよりも、紀枝、遊べよ』




