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はるかな夜の物語  作者: 前田留依


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最終章 闇の主と代替わりの秋7

(いいことがいっぱいあったけど、これからも続くわけじゃない。だから、今は今を大切にしよう。そうじゃなきゃ、紀枝お姉ちゃんに顔向けができない)


 そう思いながら、通り魔に切り裂かれた紀枝のバッグに入っていた稲荷大神(いなりおおかみ)のお守りを手にした。


 これが紀枝の形見の品だった。

 実来は、そのお守りを優しく握りしめて旧酒造の隅で酒が入った大きな木樽(きだる)を眺める。


 ――辛苦(しんく)を舐めて絶望していた日々もある。

 今は光の中にいるが、いつかまた夜が来て、心が凍り、何かを失うことがあるだろう。

 だから、今を大切に生きて、その思い出で心を潤しておこう。

 そうしたら、ある程度は耐えられる。

 

(それでもダメな時は、言えばいい……)


 助けて欲しいと、耳を傾けて自分の想いを聞いて欲しいと、誰かに訴えればいいのだと。

 もちろん、聞く耳を持たぬ者もいるだろう。

 そして、突き放す者もいるに決まっている。


(だけど、どこかに抜け道はあるはずだから……)


 苦しい時は自ら助かる術を殺さずに、願えばいい、頼めばいい。手段を探せば良い。

 そして自らの足で立ち上がれるようになったら、自力で階段を一段上がるのだ。

 それを成長と呼ぶのだろう。


 実来は、きき猪口(ちょこ)に入った人気の酒に視線を降ろす。

 そっと酒を口に含ませると、秋の実りを賛美するような豊かな風味が舌に広がった。

 銘酒(めいしゅ)『鈴』がぬくもりをしみじみと懐かしむ味ならば、『みのり』は温もりの真ん中で喜び歌う味だ。

 あの時、姉に助けられた奇跡に感謝しながら新酒を飲み干し、舌と喉を喜ばせる美味さに吐息を()らす。


「……ねぇ、紀枝お姉ちゃん、またなんかで転げ落ちる前にさ。がつんと米と水と(こうじ)と語り合って、新しい酒を考えようか。そうしたらきっとまた違うもの沢山のものが目に入ってきて、世界が広がるかもしれないし」


 実来が天井に向かって言う。

 その声と共に、白く色づいた息が広がった。

 また、冬が来ようとしていた。

 雪が大地を占拠(せんきょ)する純白の季節が来るのだ――。


「寒くなったねぇ……」


 実来が背を丸めて酒蔵を出ると、厳しいが乗り越えられる冬の一陣が、ひとひらの白き結晶を抱いて降りて来た。

 しかし、宙を舞う綿雪は直ぐに溶けてなくなってしまう。

 もう秋であるが、まだ秋なのだ。

 大地は、ほのかに昼の陽気を溜めている。

 ぽつぽつと水玉模様に濡れた地面の上を軽々と進み、実来は真っ赤な(ほこら)に手を合わせた。


「良いお酒が造れますように!」


 短く祈って、母屋(おもや)に向かって駆けていく。


 すると……誰もいなくなった酒蔵の鍵穴(かぎあな)から、(きり)のような何かがじわりと出てきた。

 それは大きな秋田犬を連れた幸薄そうな女性の姿を形成していく。

 彼女は大事そうに両手で白い器を持ちながら、音もなく祠まで進んでいった。

 そして、祠の前に仄かに光る器に入った新酒をそっと置くと、彼女は信心深そうに手を合わせた。


『神様、ありがとうございます。私の希望通りに山人も消え、葉山酒造も盛り返しております……そして、紀枝が……』


 すると、赤い祠がくらりくらりと宙に浮かび上がる。

 その中で稲荷大神と書かれた立派な札が、秋の稲のように金色に輝いていた。

 祠が着地すると、中から日差しのような光が伸びてきて、白い和装姿の女性が現れる。

 それは、あの時、亡くなった紀枝だった。

 紀枝が裏庭に降りると、天で雪を手に入れた大気も降りる。

 神無月(かんなづき)を前にして冷たい風が吹き荒れる。


『お母さん、お疲れ様。これからは私が葉山の守護を引き継ぐからね』

『紀枝、立派になったわね。じゃあ、お母さん……やっと楽になるわね』

『はい。お母さん、私も五十年か六十年経ったら、そっちに行くわ』

『……えぇ。待っているわ。その前に、少しだけ働いてまいりましょう』


 紀枝の母は、(はかな)く笑って静かに静かに姿を変容させ、一匹の白い(きつね)になっていく。

 そして、彼女は天に昇って消えていった。

 そんな母の姿を見送りながら、紀枝はふっと微笑んだ。


『私がここを守るわ。葉山酒造を守っていくわ。ねぇ、実来……これからいっぱい語り合いましょう』


 微笑みを浮かべた紀枝の姿は祠の中に……ずぃっと吸い込まれていくのだった。


 ***********


 数日後、――日本南部で霧のような雨が降りしきる日のことだった。


 ウナギの背に似た、ねばねばと光った油っこいアスファルトの路地(ろじ)の、ぼやりとした街灯の下で、()っぱい酒を吐いていた彩は、足下にランと輝く石のようなものを見つけて拾い上げた。

 よく見ると、磨き抜かれた宝石に見えた。

 それも表面が艶々(つやつや)と磨かれた大粒の宝石だと思った。

 だが、よく見ると球体の中で一つの種のようなものと赤い煙のようなものが漂っているようだった。


 じっと見ていると、耳元に変な声が聞こえてくる。


『これは左目だよ、左目とおれ自身……右目となってる、おれ自身だよ』


 酔っているんだと思って、彩は首を振る。

 それから、溜息をつきながら、とくと石を見つめた。

 

(ああ、どうしよう。こんなに綺麗なものって見たことないし)


 彩は、迷い子のように途方に暮れてから、ほぉほぉと感動するような感心するような声を()らした。

 それから、じっくりと石を観察した。


(服だって、宝石だって、今まで沢山あったのに、こんなに綺麗じゃなかった)


 石を見つめていると、幼子の瞳の光彩(こうさい)のような輝きが、手の平の上で魅力的に訴えかけてくる。

 拾って、持って帰って、と。

 持って帰って、可愛がって、と。


「持って帰る。これを?」


 彩はケケッと酸っぱくなった喉奥で笑う。


「これって、質屋に持っていったら高値で売れるんじゃないか。そうだよ、売れるよ。売ってしまって、金にして、綺麗なものなんてどこかにいっちまえ」


 そんな風に考えて、彩はその石をきりっと握りしめた。

 だが、それから数時間後に、彼女の気持ちは大きく変わっていた。


『綺麗になったな、綺麗になったな』


 石から、そんな(うるわ)しい声が聞こえてくるのだ。


 酔ったせいかと疑っていたが、確かに声が聞こえてくる。

 綺麗なのは石の方のはずなのに、石は彩にそう言ってくれる。


 彩は葉山酒造にいた頃よりは美しくなっていた。

 彼女は刑務所を出た後に、放火で逮捕されていた昔の愛人を頼った。

 葉山家の金を奪って与えていたから養ってくれると思ったのだ。

 だが、それは間違いだった。

 葉山家所有のアパートに火を付けた理由が、彩の妊娠から来た嫉妬(しっと)などではなく、新しい金づる女を見つけたからだった。

 アパートに明かりが灯っていたから、嫉妬深い彩がいると思って殺そうとしたのである。

 男は彩に暴力を振るい、彩は這々(ほうほう)の体で郷里(きょうり)に帰って、水商売を再開したのだった。

 そして、刑務所に入っても痩せなかった身体を絞った。

 飲んでは腹を殴って吐いて、飲んでは指をぐぐっと口に入れて吐きだして……。

 栄養を摂らずにいたら、不健康だが痩せていった。

 腹と腰の肉が消えると、深い彫りの濃い顔立ちが異国人のように見え、化粧をすると派手な美女に変貌(へんぼう)した。


 だが、そうなってから何年も時は過ぎ去り、すっかりと年をとっておばさんになり、今では細道が入り組んだネオンの通りで商いをしてひっそりと生きている。


「あたしが、綺麗?」

『彩、綺麗だなぁ。ほんとに綺麗になったなぁ』


 透明感がある高い少年の声が、丸い石から流れてくる。

 彩は、隙間風が入り込む部屋の隅で赤黒い石を手で包むように抱きしめて微笑んだ。

 すると、石も彼女の手に包まれて安堵(あんど)していくのがわかる。


『あったかい、葉山の女の手の平はあったかいな……』


 剥き出しのままでは、石も寒いのだろうか?


「……アンタも、何かにくるまりたいんだね」


 彩の心に、優しい感情が一滴だけ落ちた。

 わかる、わかるのだ。

 もう、誰も相手にしてくれる者はいない。

 それでも、この石があれば……この石さえあれば……。


(あたしは、独りじゃない)


 この石だって、自分と同じだろう。

 誰かに相手にしてもらいたいのだ。


『彩、いつか、おれと同じ場所に行こう。今すぐにでも良いぞ。今すぐが良いぞ』

「いいよ、いいよ」


 彩は気軽に答えて笑った。

 この街では、年老いた自分を誘ってくれる者などそうそういない。


『あ、待てよ。……その前に、いい夢を見せてやろうか。大きな大きな夢を見せてやろうか? だから彩、おれと契約するか?』

「契約?」

『簡単なことさ、契約してる間は他の女をくれよ』

「いやよ、あたしだけをあげる」


 彩は、べっとりと塗りたくっていた口紅を石の上に判子(はんこ)のようにおした。


『じゃあ……おれを割って、中から左目を取り出せよ。中に入ってる種のようなものだよ』

「こんなに綺麗なもの割れないわ」

『その種を取り出さないと、おれのところには来られないぞ』

「アンタの所って、この部屋じゃないの?」


 尋ねると、彩の体温で温まっていたはずの石がひんやりと冷えていく。


『おれの場所は、果てしないほどの闇の中さ。だけどきっと気に入るぞ。お前を攻撃する者も笑う者も一人もいないぞ。お前の魂の寿命を延ばして、あの空間で完全な無を与えられるぞ』

「……何もないのはイヤだわ」

『何もないから傷ついたりしないんだ。彩は、ずっとずっと傷ついていきたいのか? これから、もっと酷く傷ついてボロボロになりたいのか?』


 すると、彩は唇を()めてから閉ざした。


『ほら、おれを割れよ。おれを割って、種のような左目を取り出すんだ。そしたら、もっともっと綺麗なものを見せてあげるよ。だから割って、あとは台所にある包丁を持ってきて――』


 美しい宝石のような石が、舌なめずりするような音を立てる。


『……肉から魂を引き離そうよ』


 これは、花嫁を望む妖怪山人の物語……。

 花嫁が見つかったと共に、終演する――はずがない。

 繰り返し、繰り返されて赤き死を呼び続ける因果(いんが)の物語……。


 一人嫁を見つけて死ねば、次の女へ。

 次の女が手に入らなくても、その次の女へ……。

 孤独の中で狂い狂って、狂い焦がれて、死した山人は悲劇を生み出し続けるのだった。


   ―――了―――

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