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はるかな夜の物語  作者: 前田留依


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第四章 もう一人の声なき慟哭10

 紀枝は何も言葉を返すことが出来ず、じっと未子を見つめた。


(大好き……わたしを?)


 未子は紀枝の唯一(ゆいつ)の友達だ。

 でも、それは表面上のことのはずだ。

 お互いに友達がいなくて、寂しさを(まぎ)らわせる為に身を寄せ合っているだけだった。

 紀枝は未子を見て「自分よりも可哀想(かわいそう)な人がいる。だから、まだ大丈夫」と自分を(はげ)ますことがあった。

 多分、未子も自分と同じことをやっていると紀枝は考えていた。


「……わたしが、未子ちゃんより可哀想だから、守ってあげるって思ってるんだ?」

「思わないよ。……ううん、思ってたよ」

「やっぱりね」

「だけど、もう違うよ。私は紀枝ちゃんに出会ってから変わったの」


 未子の(くぼ)んだ目の中に、小さな輝きが見えた。

 それは、生気の輝きと言うより……もっと神秘的な光のようだった。

 澄んだ夜空に浮かぶ金星のように、(はかな)くも優美な輝きであった。

 その(きら)めきに凍っている心が引き寄せられて、紀枝はごくりと喉を鳴らす。


「前はね、紀枝ちゃんの方が可哀想だから、私は全然平気って思ってた。でも、紀枝ちゃんと話す内に……嬉しいって感情が出てきたの。私とお話をしてくれたのは紀枝ちゃんだけだし、私を友達だって言ってくれたのも紀枝ちゃんだけなの」

「それは……」


『紀枝、話を聞くな!』


「私は紀枝ちゃんといて、すごく楽しかったの」


『紀枝、おれを見ろ!』


「わたしは、未子ちゃんといても……」


 主の言葉から意識をそらして、未子を見つめる。

 まともな話し相手が未子しかいなかったから一緒いたんだよ、と言ってやりたかった。

 だから、わざわざ話してやっただけだ――と、紀枝は口を開こうとする。

 なのに、未子の目の輝きが紀枝から悪い考えを()き取ってしまう。


「紀枝ちゃんは違ってた? 私と遊ぶの全然楽しくなかった?」

「わたしは……」

「心の中に、とても綺麗な宝物が生まれたみたいな気分だったの。綺麗って気持ちも、紀枝ちゃんがいたから分かるようになったの」

 

 未子に見られているのが恥ずかしくなって目を閉じた時、紀枝の凍っていた(まぶた)が熱い涙で濡れてくる。


「わたしは…………」


 未子と同じ思いを持っていた。

 心があまりにも(すさ)んでしまったから、未子と遊んでいて楽しかった思い出すら悪意で塗り固めてしまっている。

 最初は、楽しかった。

 語り合うのが楽しくて、時間が早く過ぎるように感じるほどだった。

 いつも、遅く帰って、彩に怒られるくらい夢中になって話し込んでいた。

 だけど、だんだんと彩の言葉がきつくなって、意地悪が酷くなって、楽しいという思いすら心の中に無くなってしまっていた。


(あぁ、わたしも……ほんとうは……あの時間だけが、楽しかった……)


『紀枝、急げ、此処から出るぞ!』

「……未子ちゃん、わたしのこと、本当に好きなの?」


 主に急かされる中、紀枝はそんなことを聞く。


「大好きだよ」


 未子ははっきりと言ってから、紀枝からそっと目を()らした。


「紀枝ちゃんは、私のことを知ったら私のことを大嫌いになるけど、私にとって紀枝ちゃんと過ごした時間は……とても温かくて大切だったの」


(そういえば、わたしって未子ちゃんのこと何も知らない……)


 隣町のアパートに住んでいて、白い汚れたタンクトップを着ていて、幽霊じゃないけど幽霊のような者。

 時々、変なクッキーのような物をくれるけど、それがとても不味い。

 そんな些細(ささい)な情報しか持っていなかった。

 だけど、それで良かった。

 遊んでくれて、話してくれて、毎日を一緒に過ごしてくれるだけで――紀枝は満足していたのだ。


「紀枝ちゃん、主の左目を捨てようよ」

『おれの目を捨てたら、お前達を呪ってやる』


 未子の声に重なるように、主の声が響いた。


「手に握ったものを地に捨てるだけでいいの。それで、ひとまずは終わりだよ」

『おれの目を捨てたら、永遠にお前達を呪ってやる。お前達が生まれ変わっても、何度でも何度でも黄泉(よみ)の間に引きずってやる』


 主の語気(ごき)が次第に強まってくる。

 このまま未子の言う通りにしたら、確実に呪われるだろう。


「紀枝ちゃん、早く捨てて。もう、私……身体が……あっちに戻っちゃう……」


 氷の刃によって未子の脚はズタズタに引き裂かれていた。

 彼女の白い脚から生きている人間のような血が流れて、地面を赤く染め上げていく。


『おれの左目を飲まないなら呪うぞ、紀枝……おれはお前達を未来永劫呪うぞ。生きている時より苦しい目に()わせてやる』


 主の声が氷の刃を(わず)かに振動させた。


(お前達……を、呪う。わたしも、未子ちゃんも……)


 未子の鮮血が震えながら流れていき、紀枝のサイズが合わないブーツの先端を汚しはじめる。

 紀枝は赤くなっていくブーツを見て、彩を思い出し、それから未子を見て(はかな)げに微笑んだ。


「わたし、主と一緒にいる」

「紀枝ちゃんっ!」

「未子ちゃんは帰って。ここにいたらダメだよ」

「お願い、私と一緒に来て!」

「……」

「紀枝ちゃん、紀枝ちゃんがスコップを振り下ろした時、力が少しゆるんだでしょ。それは生きていると楽しいことがあるって知ったからだよ。ねぇ、タクシーでおじちゃんと話していた時楽しかったでしょ。ああいう楽しいこと、あれより楽しいこと、もっといっぱいあるはずなんだよ!」


 未子が激しく語っていくが、紀枝の心は決まっていた。

 主は……恐ろしい力を持っている。

 彩よりも、恐ろしい力を持っているのだから逆らってはいけないのだ。

 逆らったら、紀枝も未子も殺されてしまう。


 自分を大好きだと言ってくれた……未子が、殺されてしまう。

 ずっとずっと言って欲しかった言葉をくれた、彼女を失うのは絶対に嫌だった。


(最後に、未子ちゃんと話せて良かった……)


 紀枝は一生懸命に笑顔を作って、未子に笑いかける。


「迎えに来てくれたのに、ごめんね。さようなら、ありがとう、大好きだよ未子ちゃん」


 右手に握っていた左目を、空いてる左手で掴んだ。そして、口の中に主の乾いた目玉を放り込む。


「ダメェェェェェ!!」


 未子の悲鳴が、生死の境目(さかいめ)の世界で大きく広がっていく。

 だが、紀枝の意識は吹雪の夜のように白濁(はくだく)していって、哀しい声を捕らえることが出来なくなっていた。

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