第四章 もう一人の声なき慟哭7
園田は包みを手で掴んだ。
それは水をたっぷりと吸っていて、指を食い込ませると水滴が滴り落ちる。
周りに黴が繁殖しているのだろう、ぬめぬめとした手触りで、水を吸っているのになぜか生温かかった。
子供の体温の温かさだった。
転がすように床に置くと、下の方はびっしりと黒黴に覆われている。
園田はそれを両手で大胆に開いていった。
一気にやらなければ、恐怖で逃げ出しそうだったのだ。
「……固いのが、入ってる」
布を完全に開く途中で、それが子供用の白いタンクトップなことに気がつく。
多分、シンクの下に敷き詰められたある雑巾も何かの衣服なのだろう。
固い物を感じながら、タンクトップを開くと……そこにあったのは……。
「骨ッ……!!」
黴の中から白い骨が飛び出している。
小さな小さな赤子の骨だ。
「肉と内臓はお母さんが食べちゃったんだよ」
少女の言葉に、園田は骨を落としかけた。
「たべた……って?」
「そう、可哀想って言って私を食べちゃった。お母さん、完全に壊れてるの。おじちゃんのせいだよ?」
「なんてことだ……なんてことだよ……」
身体を支配していた恐怖を、違う感情が塗りつぶしていく。
園田は黒黴だらけの骨を抱いて、唇を震わせた。
唇から細かな振動がいくつも産まれて、顔全体の皺が深くなっていく。
「どうしておじちゃん……泣いてるの?」
「全部、俺のせいだからだよ。俺のせいでこんなに惨いことが起きてしまったからだよ」
そう言うと、実来と名乗った少女は唇をすぼめた。
「俺のせいだ……」
「そうだね」
実来は言ってから、園田の顔をじっと見つめてきた。
「……でも、本当に悪いアレは……別にいるんだ」
「――……なにが?」
「だけど、私がおじさんを許せなかったの。私、お腹の中でおじさんの声を聞いてたから……」
実来の声が小刻みに震えている。園田は恐怖と後悔で堅くなってた身体を動かし、皺寄った手を少女に伸ばした。
ぬめりに包まれた指先が、青白い少女の肌に届く寸前――園田は声を押し出す。
「南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……」
「それ、部屋に入ったときも言ってたね」
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
祈りながら、園田は少女の手を掴んだ。
彼女の手は骨張っていてぬめっとしていて、どこか温かい。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
少女の手が堅くなっていき、大量の水がボタボタと床に落ち始めた。
「……ねぇ。それ、言わないで、……私、まだ行くところがあるのっ」
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
「手、放してっ。私、紀枝ちゃんに会いに行かなきゃっ」
「いいから、いいからもう。俺がちゃんと寺に連れてって供養する。だから、寝なさい」
「ヤッ、放して、放してよ。お寺に行くのは、その骨なの。私じゃない……放して!」
逃げようとする少女を強く強く掴んだ。
その時、頭の片隅で「あれ?」と冷静に考えている自分がいた。
(なんで、幽霊なのに……触れるんだ……)
それに、体温まである……。
「……死んでない?」
驚いた刹那、園田の手の力が弱まった。
少女の腕がぬめりと抜けて、彼女は奥の部屋の窓まで遠ざかる。
「おじちゃんは、紀枝ちゃんの感情を揺さぶったから……これで許してあげる」
「紀枝ちゃんって?」
「今日、病院からタクシーに乗った子だよ」
赤いコートの女の子を思い出して、園田はザッと青ざめていった。
さっき、タクシーという名の胎内にいた時に、妊婦の女が「蔵元」って言っていたことを思い出したのだ。
あの女の子を連れて行ったのは、葉山酒造だ。
では、『紀枝ちゃん』は彼女の腹違いの姉妹ではないのか?
この子は、紀枝ちゃんに会ってどうする気なのだろう?
(まさか――――!)
「の……紀枝ちゃんのところ、行ったらダメだ」
園田は、少女に話しかけた。
「おじさんと、一緒に寺に行こう。供養してもらおう。そしたら、絶対に楽になる」
「……もう、ここから出て行った方がいいよ。私だったものを掴んで、出て行って」
「お嬢ちゃんを残しては行けないよ。おいで……おじさんの知り合いにお坊さんがいるから、一緒にそこでお経を聞こう」
「許してあげる……って、私、言った。早くしないと……」
実来の背後にある窓ガラスに、赤いものがチラチラ見えるようになってきた。
オレンジ色のライトが灯る国道沿いだからかと思っていたが、だんだんとその色が濃くなってきている。
それに、焼けた木の匂いがする……。
「火事?」
「さようなら、おじちゃん。私、早く行かなきゃ……」
パァン!
火が届いたのか、少女の後ろの窓ガラスに大きく皹が入った。
小さな三角形の穴が開いて、そこから北風が口笛を吹きながら飛び込んでくる。
煤の匂いがする嫌な風に、園田は片手で鼻と口を押さえた。
パァンッ!
もう一度、亀裂が入るとガラスが完全に割れて、風が大群になって押し寄せる。
そして、園田の目前で少女の身体が外に向かって倒れていった。
「危ないッ!」
園田は骨を抱いたまま床に散らばった服を蹴るように踏んで、窓に向かって突進する。
短い腕を必死に伸ばして、少女のタンクトップを掴もうとした。
しかし、布地はするりと彼の手の中を滑り落ちていく。
「あああっ」
叫びながら、園田は身体を前のめりにした。
どうにかして少女を助けようとしたのだ。
だが、園田自身の勢いと重みで、彼の身体は窓枠より外に飛び出した。
「ぅあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
眼下に踊り狂う炎の渦がある。
一階から燃え広がっているのだ。
落下する園田の目が、誰かを捕らえた。
灯油缶を持った警察官の制服を着た男だ……。
(あいつが、やったんだ)
直感が閃いたと同時に、園田の身体は窓から吹き出す火の中に入り込む。
「――――っ!」
声なき声で叫んだその時、強すぎるカラスの声が頭の後ろから響いた。
薄く開けた視界に自分を掴まえる片目が潰れたカラスの姿が、あったような……気がした。
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