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はるかな夜の物語  作者: 前田留依


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第四章 もう一人の声なき慟哭3

「おじちゃんは、どうして死んじゃうのか聞かないの?」

「ええっと、おじちゃんはね……お嬢ちゃんの家族がご飯が食べられない状況なのかなって思ってて」


 園田は、車に入り込んだ(あり)でも拾うように慎重(しんちょうに)に言葉を選びながら話しかけていく。


「ほら、食べられないとお腹がペコペコになって倒れちゃうだろ? 君も、お母さんもね」

「お母さんは色んなものを食べてるよ。でも、死んじゃう、あのね、殺されるんだよ」

「ころさ……。――お母さんだけ、色んなものを食べてるのかい? 君は、なにか食べてるかな?」

「クッキー。お母さんの手作りクッキーを食べてる。あとは、水。コップに入れられてるの」

「それだけ?」

「時々、果物をもらうよ。今年の夏は大きなスイカをまるごともらったの」

「そうか……それならいいんだけど」

「あと、スーパーのおはぎとかくれるよ。そうだ、夏はナスとキュウリももらったよ。わりばしの足が刺さったやつだよ」

「……」


 おはぎにナスにキュウリだなんて、お盆しか思いつかない。

 それでも園田は(おのれ)を心で叱咤(しった)した。


(俺が怖い怖いと思ってるから、こんな小さな子を幽霊だなんて思ってしまうんだ。キュウリとナスは、お盆の後に子供に与えたんだろうさ)


 そうやって己を(ふる)い立たせながら、園田はタクシーを隣町の方へ運転していく。

 隣のシートの実来(みらい)は、のど飴の缶を両手で持ってカラカタカラと振っている。

 無邪気な少女そのものの姿だった。


「夜の車の中って、こんなに暗いんだね」


 突然、そう言われて園田は返答に困ってしまう。


「夜、車に乗ったのは初めてなのかい?」

「乗ったことならあるけど、いつも眠っている時なの」

「ああ、遊んで疲れると寝ちゃうよね」

「ううん、お母さんの歌声がひどくて聞いてられなかったの。それで目を閉じたら……寝ちゃうの」

「カラオケにでも行ったのかい?」

「ううん、よくわからないところ。そこに警官の人がくるんだよ」


 さっきの母親を殴るという警官のことだろうか?

 もしかして、家族が(なぐ)られて殺されそうなのかもしれない。


「その警官の人、今……アパートにいるの?」


 核心に触れたと思ったが、少女は緩く首を振った。


「アパートはお父さんの持ちものだから……今は、いないかも」

「お父さん、アパートの大家さんなんだ?」

「……うん」

「じゃあ、お父さんとお母さんがアパートで……死んじゃうのかい?」

「ううん……」

「アパートじゃない場所で死んじゃうのかい?」

「そうかも」

「じゃあ、あの……死ぬのはお母さんと、お父さんと、君なの?」

「お母さんは死ぬよ。お父さんも死ぬよ。でも、まだ先だよ。私は……まだどうなるかわかんない」

「みんな、もしかして腹ペコで亡くなっちゃうのかな? それとも、叩かれて?」

「お父さんは呪われて、お母さんは……誘われて」

「え?」

「女は誘われたら、死ぬよ」


 そして、実来は前方にすっと腕を伸ばした。


「アパートは、そこの角を曲がってパチンコ屋の通りに出たらすぐだよ」

「あ、うん」


 吹雪の中、車を走らせて街灯(がいとう)のオレンジ色に染まる通りに出る。

 雪の奥に、パチンコ屋らしき大きな建物が見えた。


「あれだよ。あのアパート……」


 カツ丼屋やファミレスが並ぶ通りのすぐそこを、実来が指で指し示す。

 確かに綺麗な建物があった。

 タクシーをその前の駐車場に滑り込ませると、アパート名が壁面に書かれているのが見えた。


【メゾン・パラディ】


 この水色の建物は、確かに少女が話していたアパートらしい。

 恐ろしい建物ではなく国道沿いの明るい場所にあるアパートだったので、園田の気が少しだけ大きくなる。

 朝早いとはいえ車も走り出してるし、暗闇に沈んでいる建物でもない。それに誰かが大変な状況にあるなら、なんとしてでも助けるべきだ。

 この小さな少女を前にして、怖いなんて震えて逃げ出す要素が一つも無かった。

 まず冷静に車のエンジンを止めてから、園田は実来を見つめた。


「部屋の番号を教えてくれないかな。おじさんが先に見てくるよ。あと、できれば君の名字も知りたいな」

「おじちゃんは、何でも知りたがるんだね」

「だって、知らなきゃ助けられないかもしれないだろ? 君の他にも危ない状況の人がいるみたいだしね」


 園田の話に、実来は少しだけ(うなず)いた。


「うん、助けなきゃ」


 そして自分のお腹に手を当てて、じぃっと彼を見つめてくる。


「あのね。私、昔のことを思い出そうとするとお腹が痛くなるの」

「いや、昔まで思い出さなくていいんだよ。部屋の番号と名字だけだよ」


 すると、実来は目だけギロリと上げて園田を見た。


「でも、本当は……ぜーーーーーーーーーーーーーんぶ、知りたいんでしょ?」


 実来が大きな声で言って、いきなり園田の耳たぶを引っ張る。


「いいよ、教えてあげる……だって、おじちゃんは紀枝ちゃんのお気に入りだから」


 (ひそ)めた声で告げた瞬間、ぴしゃ……と水のような音がした。

 天井からなにか滴り落ちてくる。


(なんだ……?)


 天井を見ようとした時、耳たぶを掴んでいた実来の指がぼとりと外れた。

 驚いて音がした方を見ると、そこに形が崩れた彼のジャケットが落ちている。これを着ているはずの実来の姿はどこにも無かった。

 助手席に移った時のような素早い動きで、車の外に出て行ったのか……。

 ただ、何か分からない液体が、ジャケットの内部をたっぷりと汚しているだけだった。


 ぴしゃ……と、また天井から何かが(したた)り落ちてくる。

 天井に視線を向けると、なにかの染みが広がっていた。

 その染みの歪な輪の中心から一滴二滴と透明な雫が落ちてくるのである。


「……雨漏(あまも)り?」


 訳が分からなくなりながら、落ちてくる雫を一滴手の平で受け止める。

 水のようでいて少しだけぬめりがある透明な水だ。少し生臭い匂いがする。


「雨じゃない……なんだこれ」


 外に出て確認するしかない。

 実来のことも見つけなければいけない。

 それにアパートにいる誰かも助けなければならない。


 園田は、いつものようにロックを解除(かいじょ)して車のドアを開けようとした。

 だが、ドアは手で押しても開かない。

 体重をかけて必死に押しても、びくともしなかった。

 ただ、頭の上から生ぬるい雫が落ちてくるだけだ。


 一滴ぽつりと、二滴ぽつりと、三滴ぽつりと、やがて細い糸の流れになり、滝のようになり、園田の足元を汚していく。

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