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はるかな夜の物語  作者: 前田留依


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第三章 暗闇の底に引きずる者4

「紀枝ちゃん。普通に食事をとっていれば、ここまで()せることってないのよ」

「……それは」

「病院から出て戻ってこなかったら怖いな……って、私は考えちゃうな。きっと、お医者さんもそう思ってるよ」

「――あのお医者さん、冷たそうでした」

「そんなことないよ。そう見えたのは、きっと……あなたを助けたくて必死だったからよ」


 紀枝の耳に触れるのは、ずっと欲しかった温かな言葉ばかりだ。

 だけれど、その温かさが、死に飲み込まれかけている紀枝には感じられなかった。

 目の前の看護師は、邪魔でしかない。


 

「お医者さんがね、紀枝ちゃんのこと……色々と心配しているの。帰る理由は何かあるのかもしれないけど、無理はしなくていいんだよ。紀枝ちゃんが、元気を出せるようにみんながね、お医者さんと私達がね、がんばるから、紀枝ちゃんは安心してここにいて欲しいな」


 その言葉を、もっと早くもらえたら、こんな状態にはなっていなかっただろう。

 紀枝は俯きかけて……止める。

 辛い感情に流されている時では無い。

 今、最優先にすべきことは――ここからの脱出だ。


「……わたし、ここにいていいんですか?」

「そうよ」


 紀枝の言葉に安堵したのか、看護師は頬を(ゆる)めた。


「だったら……わたし、本が読みたいです。ずっと読んでなかったから……なにか本はありますか?」

「病院には色んな本があるわよ。どんな本がいいの?」

「ファンタジーが好きです。難しくてもいいです……その、漢字がわからなくても、読んでいるとなんとなく意味がわかるから」

「あなたぐらいの年齢の子が好きな本がいっぱいあるわ。今、持ってこようか?」

「明日の朝でいいです。選んでおいてください」

「うん、わかったわ」


 紀枝が何かを求めたことで、看護師は完全に安心して説教のような言葉を言わなくなった。 


「看護師さん。これ、指にはめられているの外していいですか? なんか(かゆ)いから」


 紀枝は指を挟んでいる脈を測る機械を看護師に見せる。


「あら、痒いの? 寝汗をかいたのかしら……?」


 そういって看護師は機械を外してから、紀枝に優しい微笑みを見せた。


(天使の微笑みだ)


 そんなフレーズが頭に浮かんだが、今、紀枝が欲しいのは天使の力ではなかった。

 もう、天使や神やらが救いの手を延ばす時期は過ぎ去っていた。

 手を貸してくれるのは、主という名の死神だ。


 紀枝は看護師の言葉に素直そうに頷いて、「眠いから寝ます」と答え、自ら枕に頭を置く。

 看護師は彼女のサラサラした黒髪を撫でてから、「おやすみなさい」と告げて病室を出て行った。


 カラララ、パタン。


 戸が閉まる音を聞いた後、わざとらしい寝返りを打つと、窓から看護師が廊下を立ち去る姿が見える。


(これでいいんだ。――さぁ、帰らないと、死なないと! わたしの居場所は裏庭で、あの場所で死ねるなら――そう、こういう時にこの言葉を使うんだ。『本望(ほんもう)だ』って)


 祖父の本にあった言葉を思い出して、紀枝はゆっくりと身を起こした。

 テレビ台に紙が置かれている。


『くだものは、明日、おいしゃさんがいいと言ったらたべなさい おじいちゃんより』

 

 テレビ台に置かれているバナナと蜜柑(みかん)に目をやり、隣のベッドに祖父が置いていったらしいバッグを見つける。


(お祖父ちゃんの旅行用のバッグだ)


 使い込んだバッグを見て、紀枝はふっと思いつく。


(……入院グッズとか入ってるのかな?)


 素早く起き上がり、紀枝は裸足で温い床を踏んでいった。

 バッグを開けるとタオルと衣服が入っている。

 慌てて彩が買ったのだろう、全て新品の派手なデザインの下着と服だ。

 しかも、義理の母親の役目を果たしていなかった彼女が買った物は、紀枝には全て大きすぎるものだった。


「はんっ」


 彩がするように、紀枝は鼻で(わら)った。


(サイズあってないけど、これでもいいや)


 折れそうな程に痩せた首を回し、ベッドの横にスリッパとムートンのブーツを見つける。

 そのブーツも新品だが、どうみても紀枝のサイズではない。

 しかし、急いで紀枝は全てを身につけていく。

 大きすぎるヒョウ柄のタートルネックをすっぽりと着て、白地にハート柄のスカートをはく。

その上から化繊の赤いコートを羽織(はお)って、紀枝はフッと笑い声を漏らした。


(大きくてもボロボロの服で死ぬよりいいよね)


 笑いながらテレビの前に戻ると、バナナと蜜柑に手を置いて、ぎゅっと握りしめる。


(それに、ちゃんとした食料まであるし)


 にやにやと薄ら笑いを浮かべてから、果物をだぼだぼのコートのポケットにつっこむ。

 果物の下には祖父のメモが忍ばされていた。

 メモには【おこづかいをここの引き出しに入れておいたから、ひつようなものがあったり、マンガが読みたかったらこのお金でかってきなさい】と書かれている。

 テレビ台の引き出しを開けると、ビニール袋に一万円が入っていた。

 去年、親戚からもらったお年玉以来の、紀枝の収入だ。

 

「――…ありがとう、お祖父ちゃん。大切に使うね」


 紀枝は一万円をスカートのポケットにねじ入れ、個室に備え付けられている洗面台に向かった。

 廊下の向こうを確認してから、そっと明かりを灯す。

 薄闇の中で着ていた衣服は、一見すると赤白赤でサンタクロースのようだった。

 ヒョウ柄とハート柄を合わせて着るサンタクロースがいるならばの話だが……。

 彩のセンスに文句を言う気力も湧かず、紀枝は手櫛で丁寧(ていねい)に髪をすかし、身なりをなるべく普通の少女のように整える。


(サンタクロース。そういえば……もうすぐクリスマスだった。……あ、それで……おばさんがクッキーを贈ってくれたんだ……)


 いつから、そんな行事を忘れる子になっていたのだろう。


(わたしにはクリスマスが来ないから、考えないようにしてたんだ)


 ヒョウ柄のタートルネックが目立たないように赤いコートのボタンを上まで留め、コートのウエストについているベルトをリボンにして結び、ブーツのサイズが合っていないのがバレないように爪先にティッシュを詰めた。

 この季節に素足でスカートをはかせる母親などいないのだが、相手は彩だ。

 それなりに揃えてくれたと思い、唇を引き()らせながら満面の笑顔になった。


「ありがとう、彩……これで楽に死ねるね」

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