第12話:神への手術計画(オペレーション・プラン)
僕の最終診断は、ミリにとって、世界の終わりを告げる宣告だったに違いない。
彼女が神と崇める世界樹は、内部から癌に蝕まれ、緩やかな死に向かっている。その事実が、彼女の最後の希望さえも打ち砕いたようだった。彼女は、ただ呆然と、力なくその場に座り込んでいる。
「……もう……終わり、なのですね……」
か細い、絶望に染まった声が、静かな聖域に響いた。
「世界樹様が……いなくなったら……この聖域も、私も……」
「なぜ、そう結論付ける?」
俺は、彼女の隣にしゃがみ込み、まるで出来の悪い学生に問いかけるように言った。
「僕は、病巣を発見し、原因を特定した。ならば、次に行うべきことは一つだろう」
「え……?」
「治療だ。もっと具体的に言えば、外科手術による、腫瘍の摘出だ」
「しゅ、じゅつ……?」
ミリが、鸚鵡返しに尋ねる。彼女の語彙にない言葉だったのだろう。
「ああ。問題のある部分を、物理的に切り取って、取り除く。それだけのことだ。患者が、少しばかり大きいというだけだな」
俺の、あまりにもあっけらかんとした物言いに、ミリは言葉を失っていた。神の体内に巣食う癌を、まるで人間のお腹にできたデキモノか何かのように語るこの男は、やはり狂っている。彼女の顔には、そう書いてあった。
「む、無茶です! そんなこと……世界樹様の御身に、刃を入れるなど……!」
「では、このまま指をくわえて、君たちの神が死ぬのを待つか? 僕の診断では、もってあと数年だ。それまでに、君が寿命を迎えるのが先か、この聖域が崩壊するのが先か。賭けてみるか?」
俺の冷たい言葉が、彼女の感傷を打ち砕く。
そうだ。この男の言う通りだ。祈っているだけでは、何も変わらない。父も母も、皆、祈りながら死んでいった。
ミリの瞳に、迷いの色が浮かぶ。それは、神への信仰と、目の前の狂った科学者への、万に一つの可能性との間で揺れ動く、最後の希望の光だった。
「……本当に……世界樹様を、助ける方法があるのですか……?」
「百パーセントとは言わん。前例のない、世界初のオペになるからな。だが、僕の知識と技術を総動員すれば、成功率は八割以上は見込める」
俺は、自信を持って断言した。僕の脳内では、既に、この壮大な手術の計画が、ほぼ完璧に組み上がっていた。
「いいか、よく聞け。オペは、大きく分けて三つのフェーズで実行する」
俺は、地面に木の枝で図を描きながら、ミリにも分かるように、説明を始めた。
「フェーズ1:麻酔。これほど巨大な生体にメスを入れれば、当然、凄まじい苦痛を伴う。患者が暴れれば、オペは失敗だ。そこで、まずは世界樹を、一時的な休眠状態に移行させる必要がある」
「ま、麻酔……?」
「ああ。この聖域に自生する、鎮静作用を持つ植物から有効成分を抽出し、それを散布する特殊な菌を培養する。その菌を世界樹の根元に定着させ、樹液を通して、鎮静成分を全体に行き渡らせる。いわば、全身麻酔だ」
「フェーズ2:腫瘍の摘出。これが、このオペの最難関だ。問題の『魔力結石』は、世界樹の核とも言える場所に存在し、周囲の正常な組織と癒着している。物理的なメスで切り取れば、樹そのものを致命的に傷つけかねない」
「では、どうやって……」
「そこで、以前クリスタル・ボアの装甲を分解した、『急速分解菌アグレッサー』を応用する。あの菌をさらに改良し、『魔力結石の結晶構造だけ』を特異的に分解し、世界樹の生体組織には一切影響を与えないよう、指向性を持たせる。その『菌のメス』で、腫瘍だけを溶かして、無力化する」
「フェーズ3:縫合と再生。腫瘍を摘出すれば、樹の核に、巨大な空洞が残る。これは、人間で言えば、心臓に大穴が開いたようなものだ。この傷を、即座に塞がねばならない」
「……!」
「そこで、僕が新たに開発する、特殊な再生菌を使う。凄まじい速度で増殖し、世界樹の細胞と融合する性質を持つ菌糸だ。それを、傷口に塗り込むことで、穴を塞ぎ、新たな組織として再生させる。いわば、自己再生する、生きた絆創膏だ」
麻酔、摘出、縫合。
僕が語る、あまりに壮大で、あまりに異端な手術計画に、ミリは、ただ圧倒されていた。
それは、彼女の理解を遥かに超えていた。だが、その計画には、不思議な説得力があった。この男は、本気で、これを実行する気なのだと。
俺は説明を終えると、早速、準備に取り掛かった。
まずは、麻酔用の菌の培養だ。ミリに案内させ、聖域内で最も鎮静効果の高い『月の雫草』という植物を大量に採取する。研究室に持ち帰り、その成分を分析、抽出し、胞子にその成分を生成させるよう、遺伝情報を書き換えていく。
次に、菌のメスの改良だ。クリスタル・ボアの結晶片と、世界樹の樹皮片を使い、何度も実験を繰り返す。樹皮には一切影響を与えず、結晶片だけを、綺麗に溶かし尽くす。そんな、完璧な選択性を持つ分解菌が完成するまで、試行錯誤を続けた。
そして、再生菌の培養。これは、マッシュの自己修復能力を持つ菌糸をベースに、世界樹の細胞との親和性を極限まで高める方向で、進化を促した。試しに、自分の腕をナイフで浅く切りつけ、その再生菌を塗り込んでみる。すると、傷口は数秒で完全に塞がり、跡形もなくなった。
「……よし。これで、必要な道具は、すべて揃った」
数日後。俺の研究所には、三種類の、世界樹を救うための「薬」が完成していた。
青白い光を放つ、麻酔用の苔。
黒く蠢く、分解菌の培養液。
そして、黄金色に輝く、再生菌の菌糸体。
俺は、それらを手に、ミリの前に立った。
彼女は、この数日間、僕の狂気的な研究を、ただ黙って見つめていた。その瞳には、恐怖と、不信と、そして、藁にもすがるような、万分の一の希望が、入り混じっていた。
「準備は整った」
俺は、彼女に告げた。
「君たちの神の、運命を決める日が来た。オペは、明日の夜明けと共に、開始する」




