31 僕らの因縁
「慎重に降りてよ」
瓦礫を滑り落ちないよう、足場を確認してから次の足を運ぶ。
こうして地上を遙か上に見上げて瓦礫の山を歩いているとダンジョンに初めて潜った日のことが思い出される。
あの日、こうして地下に落ちてムゥと出会ったんだよな。それから大量の岩蟹に襲われてたいへんな目に遭ったんだっけ。
そして今はさらに強力な水晶蟹と戦おうとしている。
怪物氾濫での大量のモンスター、クリムゾンツリーベアーと連戦を重ねた僕らは満身創痍だ。
ハルカは持ち込んだ大盾を砕かれて岩蟹の甲羅を盾代わりに使っているし、苛烈な波のように迫り来るモンスターの攻撃を身体を張って止め続けた彼女の真っ白な柔肌は大小様々な傷によって赤く彩られている。
ムゥも庇護対象ではなく戦いに参加して、大きな傷こそないものの顔を土で真っ黒にしている。召喚したルビィちゃんは力を使い果たし、飛ぶ力もなくムゥの頭の上でだらりと休んでいた。
僕はクリムゾンツリー・ベアーに受けた胸の傷をひとまずポーションで応急処置をする。爪攻撃によって胸当ては壊れたために取り払うしかない。その下のアンダーアーマーも引き裂かれ、ポーションを使っただけでは治り切っていない傷が剥き出しだ。見たくないものは見ないようにして立ち上がる。
「さてと……。行きますか」
「もうできることなら戦いたくないのですわぁ! 落下の衝撃で倒されていてくれないでしょうか」
「そうだったらいいねぇ」
カツカツカツ。
暗闇に慣れた視界にボンヤリと浮かび上がる巨大蟹の影。
いた。
ムゥとハルカの願いも虚しく、モンスターは生きている。
泡を吐き出した口元が忙しなく動いている。洞窟の隅、鋏で岩を掬い、せっせと口に運んでは食べている。どうやらクリスタルクラブは食事中のようだった。進化前食していた汚れた岩石を食べることで少しでも回復に務めているらしい。
ただその姿は見違えていた。
八本あった脚は欠損して五本しかなく、かろうじてその巨体を支えていると言った有り様だ。水晶でできた硬い甲殻はあちこちに亀裂が入っていた。鋭利だった鋏も角が削れて迫力を失っている。
ひとえにモンスターの生命力によって命を繋いでいるような瀕死の状態だ。
「思ったよりダメージを受けてますの。今の私たちでもなんとかやれるかもしれませんわ」
ピタッと食事をする手を止める。赫樹熊を退けて、地上から降りてきた僕らに気がついたみたいだ。
『キシャアアァァァァァ!!』
向き合っていた壁からぎこちないターンでこちらに振り返る。自分にこんな傷を負わせた冒険者との再会に復讐の機会を得たと両鋏を天に掲げて歓喜する。
***
「こっちですっ! こっち!」
「おいおい、でけぇ穴だな。生存者は?」
「おーーい、ここに2人いるぞっ。重傷だけど息はある! コイツら、あんたのパーティーメンバーか?」
「ウィンダー! ヒューイ!」
冒険者たちを率いてきた褐色肌の少女が駆け寄る。
「って、うわぁ! なんだこりゃ、ジャイアントツリー・ベアーじゃ……ないよな? びっくりさせんなよな。死んでるぜ」
「誰がやったんだ?」
「そ、そうだ、助けてくれたあの人たちは?」
下から甲高い音が絶えず響いていた。鉱物をピッケルで殴りつけるような音が。
「下だッ! まだ戦っているぞ」
救援にやって来た冒険者たちが一斉に穴を覗き込み、目を凝らす。
暗闇に時折剣がぶつかり散った火花が輝きを放つ。その度に浮かび上がる大型の蟹モンスターとそれに臆することなく、何度弾き返されても立ち向かうたった三人の冒険者。
自分たちのそばに散らばった連戦に次ぐ連戦の痕跡。血の海に沈んだドロップアイテムがあの冒険者たちの勝利を証明していた。
そして、死してなお圧倒的な存在感を放つ、巨大な鉱石の蟹に勝るとも劣らない禍々しい赫い熊の屍体。
同業者でもある冒険者たちはどれほど長い間戦い続けているのか、思いを巡らせて眼下での戦いを畏怖の眼差しを持って見つめた。
「すごいニャ……」
猫人の少年が思わず呟いたその一言が、この場に集まったすべての冒険者の思いを代弁していた。
***
狭い洞穴に剣戟の音が反響する。
——バキィンッ。
「はあ、5本目ェェ!」
「下がってくださいっ。私が受けますわ!」
クリスタルクラブの脚は半数以上、数を減らしていた。
もはや不気味で俊敏だった横移動もヨロヨロとぎこちない。不死身なのか、と疑いたくなる。戦う前から瀕死に近かったというのに攻撃を重ねても一向に倒れない。
甲羅の上部にある一際大きなひび割れに攻撃を加えたいのだ。あそこなら致命傷になり得ると思う。だけれど、水晶蟹の体高はおよそ2メートルほどもある。ヒューマンの僕がジャンプしたぐらいじゃまったく届かない。
機動力を削りながら、地道に脚を破壊して高さを奪っているというわけだ。
「パパ! まりょくポーションちょーだい」
「あれを飲むと具合が悪くなっちゃうでしょう?」
どういうわけかムゥは魔力回復のポーションを飲むと酔っぱらったような状態になる体質で、体調を崩してしまうのだ。
「ムゥがもーいちど、まほーしょーじょになるしかないのっ。だからまりょくポーション!」
そう意思のこもった瞳に見つめられて根負けした渋々残っていた僕はポーションを渡す。
「無理しちゃ駄目だからね」
「だいじょーぶ!! ムゥはできるっ! まほーしょーじょぱわーーーー!!」
魔力を取り戻したムゥがステッキを振る。しゅぽぽぽぽーーんと発生したシャボン玉が一直線に蟹へと飛んでいく。
爆発性の泡が着弾し、残りの脚を粉砕した。ズウゥゥンと土煙を巻き上げながら、クリスタルクラブが身体を地に着ける。さすがの破壊力だ。
「ほら、できたでしょお?」
頬を朱に染め、少し目を蕩けさせたムゥがこちらにVサインを送っている。幸い、症状は軽そうだ。
脚をすべて失ったクリスタルクラブはその場で残された鋏を振り回すことしかできない。勝負ありだろう。
「もう終わりにしよう」
「くたびれましたわぁ。外はいま何時なんでしょう」
「さいごはムゥもいっしょ」
「「「せーーの!!」」」
鋏の届かない背後に周り、三人で小鬼の小剣参式を亀裂に差し込む。
——バキイイィン!!
大きな水晶蟹の甲羅が果物のように半分に割れる。粉々に砕けて空気中を雪のように漂う水晶の欠片のひとつひとつが光を反射して七色に輝いた。
「わあ! 綺麗ですわ」
「キラキラーー」
「ふぅー。もう脚に力が入らないや。そもそも僕ら、今日はこの階のボスモンスターを倒しに来たんじゃなかったっけ?」
「そうでしたっけ? そんなこともう忘れてましたわぁ。また後日挑戦しましょう。数日は外の世界でゆっくり休みたい気分ですの」
「ムゥもー。パパ、だめだからね。パパがダンジョンいったら、ムゥもいかなくちゃなんだから」
「さすがにこの怪我じゃ無理だよ……」
胸も腕も頭も裂傷だらけだ。骨も何本かイッている。地下迷宮攻略も休んでもバチは当たらないだろう。
「おぉーーい! お前らぁー、今引き上げてやるからなっ」
「お。助けが来たみたい。誰が呼んでくれたんだ」
「あの人たちは助かったんでしょうか……」
「あっ、大丈夫みたいだよ。ほら、あそこ」
3人で肩を貸し合って支え合うようにして立ちながら、こちらに手を振っていた。僕らに助けを求めてきたあのダークエルフの少女だ。涙しながら、満面の笑みを浮かべている。仲間は無事だったみたいだ。
「はぁ。がんばったのねぇ。よかったの」
「そうですわね。それでこそ命を懸けた甲斐があると言うものですわぁ」
ドサッ。
三人いっぺんに地面に仰向けで横になる。
「自力で登る気力も体力もないや。助けが来るまで少し休もうか」




