小話 伯爵夫妻が生まれるまで
覗いていただきありがとうございます。
評価、ブクマ、感想、誤字報告ありがとうございます。
完結詐欺になりますが、読みたいとありがたい声をいただき、カローナと第一王子の婚姻にまつわるお話を。
第一王子の夢の世界の3話の終わりの時間軸の情けない頃の第一王子お話です。
短編で、大人しいカローナの少し暗めのお話を綴ったので箸休めになればと(笑)
第一王子に強引に口づけをしてから意識すると赤面してしまうカローナはマグナ公爵領の伯父夫婦のもとに逃げ込んだ。伯父夫婦は突然飛び込んだカローナに驚きつつも温かく迎え入れ、事情を聞いて笑った。第一王子とカローナは常に仲睦まじいと有名である。初めて喧嘩し、顔を見ると平静が装えないので冷静になれるまで泊めてと頼む、小柄で年齢よりも幼く見えるカローナの頭を優しく撫で、好きなだけ滞在するように伝えると、ニッコリ笑う顔は身内贔屓抜きでも可愛らしいと伯父夫婦は口元を緩ませた。
本邸を頻繁に訪問する第一王子と物理的に距離を取ったカローナは冷静さを取り戻した。伯母の部屋でお茶をしながら恋愛相談し、呆れるほど第一王子が好きな自分に苦笑しながら昔を思い出す。カローナにとって大事な記憶は昔は家族しか浮かばなかったのにいつの間にか第一王子ばかりになっている。伯母と別れ客室に戻り本邸から持ち込んだ第一王子から贈られた兎の縫いぐるみを抱きしめる。寂しがり屋の兎のようなカローナしか知らない可愛くてたまらない太陽の香りのする王子様。カローナの太陽がこれからも生きるために勝たなければいけない王位争いに思考を戻した。第一王子が王位に興味がないという言葉はその後の衝撃の告白により頭から抜け落ちていたカローナは縫いぐるみをベッドに置いて、父親よりも地方貴族に広い伝手を持つ伯父の力を借りるために部屋を後にする。大事な太陽を奪おうとする蛇のように狡猾な第二王子派に勝つために。
伯父はいつの間にか切り替えたカローナの面会を快く受け入れ、お茶を飲みながら作戦会議を開いた。
「伯父様、地方貴族を集めた夜会を開いてくださいませんか?フィン様のために地方貴族を取り込みます。王宮の有力な文官一族と宰相は第二王子派、武門貴族は取り込んでいますがこのままだと負けてしまいます。生きるために負けるわけにはいきません」
「第二妃は宰相閣下の血縁。宰相閣下に従う者も多い」
「趣味が悪いですわ。どう見てもフィン様のほうが素敵なのに。確かに少しだけ頭が良く、」
「カローナ、殿下の称賛は後にしようか。それに、わかっているだろう?」
「確かにフィン様は視野が狭いですが、家臣の声に耳を傾けられます。頼りなく、劣る面もありますが、そこは私や家臣が補えばいいのです。国は一人で治められません。民を想う心があり、人の弱さも危うさも思いやることができる私のフィン様が相応しいと。本音は王位争いに負けて処刑なんて絶対に許せないだけですが」
お茶を飲みながらあっさりと建前を捨て本音を零す婚約者が好きすぎる姪のために、伯父は動き出す。マグナ公爵家は第一王子が王位を掴むために援助は惜しまない。王家により傷つけられ壊れたカローナを王子が後悔に苦しみながらも必死に救い、守ろうとする姿に恨む気持ちはなく、いつの間にか好感を持った。母親の非道も視野の狭い子供の王子が全て把握するのは現実的に無理である。それでも気付くきっかけをくれ、カローナが屈託ない笑みを見せるようになれたのは第一王子のおかげで、二人で手を取り合い傷つきながらも前を向いて進む姿を全面的に支援するのに反対する者はマグナにはいなかった。
「カローナはおるか!!」
勢いよく扉が開き、髪は乱れ、端正な顔からは汗が流れ、王族に思えないほど全身を汚した第一王子に伯父夫婦とカローナは目を丸くする。第一王子はカローナを見つけて駆け寄り、強く抱きしめる。
「無事で、」
カローナは強く抱かれながら、泣きそうな声をしている第一王子におかしくなり、空気を壊さないために笑いを堪えようと口元をおさえ肩を震わせる。第一王子は胸の中で、震えるカローナの肩に手を置き、真剣な顔で見つめる。
「カローナ、怪我、具合」
カローナは第一王子の真顔にかわり、必死な声に堪えるのを諦めて笑い出す。いくつになっても可愛い第一王子を見て笑いながら、赤面してない自分に気付きさらに笑う。第一王子はカローナに怪我がなく、楽しそうに笑う顔につられて無意識に優しく笑う。カローナは大好きな笑みを見て、ふと喧嘩中だったのを思い出し笑いを堪えて、頬を膨らませ怒っているフリをする。第一王子の顔の汚れと汗をハンカチで優しく拭い、包帯の巻かれた手に気付く。ようやく棘のついた薔薇の花を届けに来た王子が夢でないことに気付いたカローナは情けない第一王子を思い出し、再び笑いを堪える。
「カローナ、なぜ消えた」
「はい?」
「行方不明とイナナに」
カローナは時々第一王子で遊ぶお茶目な妹を思い出し、笑みを漏らしまずい現状に気付く。
「殿下、お仕事は?」
カローナの怒った顔が笑顔に変わり、気が抜けた第一王子は零された言葉に初めてカローナから視線を逸らす。イナナにカローナが行方不明と聞き、飛び出した記憶しかなかった。
カローナは目を逸らす第一王子を見て、報せを聞いて慌てて飛び出した姿を思い浮かべ、目の前のボロボロの汚れた婚約者に怒る気持ちがなくなる。カローナは第一王子に与えられる全てが愛しく、胸の奥に広がるじんわりとした名前を持たない温かさを手放したくなく、後日一緒に叱責を受けることを決めた。背伸びをして第一王子の頬にそっと口づけを落とし、赤面する顔にニコリと笑い手を繋ぐ。
「伯父様、今日は殿下もお泊まりしてもいいでしょうか?明日、共に帰ります」
「もちろん。ゆっくりしていきなさい」
「ありがとうございます。」
カローナは第一王子の手を繋いで、薔薇が咲き誇る庭園に足を進める。カローナの行動に戸惑いながらも静かに付いてくる第一王子と一緒に庭園のお気に入りの木陰に座る。
「怒っておるか?」
眉を下げて、情けない顔ををしている第一王子が可愛くてたまらないカローナは、笑みを堪えて真剣な顔を作る。まだお仕置き中である。
「私の知らない殿下のお話を全て話してくだされば許してあげます。こないだお聞きしたのは全部ではありませんよね?」
「それは・・・」
目を逸らす第一王子にカマをかけたカローナは悲しそうに見つめる。
「将来夫婦になる私達に秘密はなしですわ。もしお話してくださらないなら、私は悲しくて一人で馬に乗って疾走しますわ。心を慰めるために剣も握ろうかしら…。うっかり第二妃殿下の蛇を踏みつけに」
第一王子がカローナにやらないでほしいと頼んだ内容ばかりである。カローナの脅しに第一王子の顔は真っ青だった。
「やめよ。」
「でしたら?」
小首を傾げるカローナにいつも敵わない第一王子。
第一王子はカローナに嫌われるのが怖く話したくない。でも自分の欲望がカローナを傷つけるのをよく知っていたので、握られる手を見て決意する。第一王子にとって一番大事なのはカローナを傷つけないことであり、瞳に自分が映ることではない。
第一王子は自分の罪をゆっくりと語り出す。
カローナは第一王子が手を震わせ、暗い顔と声で話す言葉に耳を傾ける。
第一王子と自分ではないカローナとの思い出に。
話を聞きながら、突っ込みは我慢する。第一王子はカローナを大事にしていたのはよくわかり嫉妬に狂いそうになるのを夢だと自身に言い聞かせ必死で抑える。ただカローナは途中で嫉妬どころではなくなる。第一王子の婚約破棄から伯爵領での生活に胸が苦しくなりポロポロと涙が溢れ出す。初恋のカローナに捨てられ、後悔に苦しみ民のために尽くした第一王子。
第一王子が泣き出したカローナをそっと抱きしめ、頭を優しく撫でるとさらに涙と嗚咽が止まらず、泣き続ける。カローナは第一王子の幸せを知らずに終えた悲しい夢の話に胸が痛くて堪らない。カローナの胸の痛みをいつも取り除き、暖かさを教えてくれる太陽の翳り。夢とはいえ、優しく涙を拭う長く美しい指の持ち主の暗い顔を見て傷の深さにさらに涙を溢す。カローナの生涯で一番泣いた時だった。涙が枯れるまで泣いたカローナは第一王子の暗い顔を見て、頬に手を添えそっと唇を重ねる。目を見張って固まる顔に笑みをこぼし何度も、自分の頬が染まるのは気にせず口づける。おとぎ話のように、魔法にかかったお姫様の眠りを一度の口づけで醒ました王子様のような力はない。それでもカローナはいつかは悲しい夢から醒めてほしいと願い口付ける。カローナからの口づけに赤面し、混乱し暗さの消えた瞳を見て、口づけをやめ自分のことで頭がいっぱいの様子に優越感に浸り微笑む。カローナに見惚れ真っ赤な第一王子を夢のカローナに爪の先さえ譲るつもりはない。
「カローナ・・」
「殿下、お願いがあります。私は殿下なしでは幸せになれません。責任取って殿下が成人したらお嫁にもらってください」
「は?」
赤面したまま驚く第一王子に小首を傾げてカローナは黄金の瞳を見つめる。
一人で夢の世界のカローナを想いバカなことを考える第一王子の隣を早々に手に入れたい。カローナのいない一人の部屋で太陽が闇にのまれるなんて許せない。目を醒まさせられなくても、傷を癒せなくても、温もりを分け、気を逸らすことなら今のカローナにもできる。悲しい夢の中で一人ぼっちだった第一王子を一瞬たりとも一人にしたくない。
「嫌ですか?」
第一王子はカローナを大事にしたいのに、幸せにできる自信がなく傷つけるのが怖い。高鳴る胸の鼓動と火照った体に幸せすぎる言葉に制御できない欲に溺れそうな自分に気づき口をつぐむ。
無言で自分では幸せにできないとバカな考えを持つ第一王子の頬を両手でパチンと打ち、頬に手を添えたまま黄金の瞳をカローナは見つめる。
「殿下、私の幸せは私が決めます。私が幸せになるためには殿下が必要です。殿下は私を幸せにしようなど思わないで結構です。私は勝手に幸せになります。それとも貧相な体の子供の私では物足りません?」
「違う」
カローナは赤面しながら即答した第一王子にニッコリ笑う。不器用でカローナの前だけは無口になるのに、愛しくてたまらないと瞳で語るのに気づいていない鈍くて可愛い王子様に。
「殿下、いえ、フィン様、王家もマグナ公爵家も私が説得し手回しします。どうか私のために共にいてくださいませんか?」
第一王子はカローナを傷つけるのが一番怖い。嬉しくてたまらない言葉に頷く資格があるのか、トネリの言うように幸せになるために手を伸ばしていいのか、思考を鈍らすほど愛しく美しく成長したカローナの目が逸らせない真っ赤な瞳に答えを見つけられず、幸せな今が続いて欲しいと願う自分に気付いても何も口にできなかった。カローナは煮えきらない意地っ張りな第一王子を見て強硬手段を決める。第一王子は行動は誰よりも正直なこともカローナな知っている。その証拠に泣いたカローナを慰めるために抱き寄せた腕は一度も解かれず緩んでいない。愛しい頑固な婚約者の動かし方を熟知するカローナは瞳を潤ませ儚い表情を浮かべる。
「殿下がもらってくださらないなら修道院に行きます。」
第一王子の腰の剣に手を伸ばすカローナに息を飲み手を掴む。
「傷つけたく」
カローナはようやく口を開きバカな思考を巡らせるのを止めた第一王子に強引に口づける。息が苦しくなり唇をはなして熱の籠った太陽の瞳に口元を緩ませ、甘く囁く。
「フィン様、私にフィン様をくださいませ。くださるならもう贈り物はいりません」
第一王子が真っ赤な顔でようやく頷いたのでカローナは極上の笑みを浮かべる。
「フィン様、絶対に幸せにしてさしあげますので、ご安心を。これからはロナとお呼びください」
「カ、カローナ?」
「ロナです。お母様の国では名前を二つ授かります。両親と生涯を共にする方にしか呼ばせません。心を捧げたい、誰よりも大切な人に捧げるのです。私はフィン様よりも大切な方はいませんし、生涯できないと断言します。公はカローナでかまいません。フィン様以外には呼ばせないのでフィン様が呼ばないと私のこの名を呼ぶ方はいません。お願い聞いてくださいますか?」
「ロ、ロナ」
「ありがとうございます。フィン様、名前を呼ばれるだけで幸せな気持ちになれるなど、知りませんでした。フィン様の存在が私の幸せ。私の世界を照らす太陽は貴方だけです。」
第一王子の前で幸せそうに笑うカローナと弟の前で笑う昔のカローナの顔が重なった。
「名を」
「フィリップ様?」
切ない笑いを浮かべる不器用な第一王子にカローナは笑い空いている手を持ち上げ、涙がこぼれ落ちそうな目元をそっと指で撫でる。
「フィン、ロナは夢の中のカローナとは違う。それだけは間違えないで。ロナが愛するのはサンでも第三王子殿下でもなくフィンでありフィリップ様。物語は大好きだけど、大人になったカローナに必要なのは妖精じゃなく、手を握って温もりをくれるフィンだけ。それにどんな物語の王子様や騎士よりも一番素敵なのはフィン」
「ロナ」
第一王子はカローナの止まらない恋慕の言葉にずっと体が熱く、鼓動もどんどん速くなり、嬉しくて自分を制御できなくなるのに気付いて怖くてたまらない。それでも愛しい少女への想いが溢れるのを止められず額に口づけを落とし抱きしめる腕に力をこめる。どうか夢なら醒めないように。罪を持つ自分が願うのは許されないとわかっていても、願わずにはいられなかった。
腕の中のカローナが決意を秘めた瞳で自分を見ていることには気づかず、制御できない体と願いに頭がいっぱいだった。
二人は晩餐の時間になり伯父夫婦が呼びに来るまで抱き合っていた。
この日からカローナは第一王子の健康管理をトネリと真剣に話し合いながら、第一王子好みの健康に良い食べ物を取り寄せ始める。鈍い第一王子はカローナとトネリの暗躍には気づかずに、二人の管理下のもと規則正しい生活が始まる。カローナは第一王子の老衰以外の死因は認めるつもりはないが、集中力が凄くのめり込みやすい性格のため早死にしやすい体質は悔しくても夢の世界でも現実でも認めざるおえなかった。
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王宮に帰ると、第一王子が飛び出したのはトネリとイナナと将来のマグナ公爵により穏便に片付けられていた。心に余裕ができた二人はお茶を飲み、カローナはようやく婚約者が王位に興味がないと思い出す。臣下に下り婚姻するなら、成人してないカローナが第一王子に嫁いでも第二王子派からの不満は少ない。カローナは第一王子とマグナ公爵夫妻と相談しながら臣下に下り、婚姻する手回しを始めた。しばらくして国王に全ての許可をもらい本格的に第一王子とカローナの荒れた伯爵領への赴任と、婚姻準備が始まった。
夢の中の世界に対抗意識を燃やすカローナは婚姻衣装は王家御用達ではなく、マグナ公爵家御用達の職人を呼び寄せるつもりだったが、婚姻の話を聞いて嬉々として立ち上がった二人がいた。
「お姉様、イナナにお任せください。お姉様にお似合いのものを!!」
「カローナ様、殿下の分は私が!!神にも見劣りしないものを、見立てて見せます。将来の義弟としてお手伝いさせてください!!」
カローナはイナナと将来の義弟が目を輝かせて期待に満ちた顔に負けて頷いた。民達に祝福してもらえる盛大なものにさえしてもらえるなら任せるというカローナの声にイナナ達は力をこめて頷く。第一王子とカローナの婚礼準備はイナナ達の手により、準備が整えられているので、カローナは第一王子とともに味方をしてくれた貴族達に不満を持たれないように挨拶回りや伯爵領に引っ越す準備に専念した。やることはたくさんあるので、イナナ達が積極的に協力してくれるのは有り難く、ずっと第一王子の傍で動き回れる現状に感謝していた。
第一王子はカローナの願いは全て叶えたい。婚姻もカローナに押し切られるままに動いていたが不安も迷いも消えない。それでも幸せそうに隣に寄り添うカローナを見ると、顔が緩んでしまう。第一王子はカローナの頬にそっと手を添えると、真っ赤な瞳に見上げられ、幸せなそうに微笑む笑顔の持ち主に教わった祝福の口づけを額に落とす。誰よりも幸せになってほしい少女。カローナが自分の側を去ったのは来年。昔の愚かな自分は仮初の幸せに浸って気づかなかった。カローナはそっと第一王子に抱きつき、背中に回る腕に笑みを浮かべる。
「フィン、ロナは幸せ。イナナには申し訳ないけど、世界一幸せな花嫁は私よ」
「ロナ」
「もちろんフィンも世界一幸せにしてあげるから楽しみにしてて」
いつの間にか幼い愛らしい顔に美しい笑みを浮かべるようになったカローナに第一王子は見惚れる。昔の弟の側でも見たことのない顔をする愛らしさと美しさを兼ね備え誰よりも美しく成長するカローナが欲しくて、夢中になる心はどんなに自制しても止められない。腕の中の温もりが愛しくてたまらない。いつの間にか重なる唇に真っ赤になった自分を見て、楽しそうに笑う顔も好きで堪らなかった。腕の中のカローナのいない世界に目覚めることが怖いのに、一人になると襲ってくる闇もカローナが手を握り、笑みを浮かべて言葉をかけられると何も考えられなくなる。冷たい手の持ち主の第一王子の幸せの塊のためにできるのはどんなことからも守れるように強くなるしか思いつかなかった。
カローナは時々バカなことを考える第一王子に嫉妬と呆れと愛しさを持ちながら、余計なことが考えられないように策を練る。夫を翻弄する策を持つ伯母や伯爵夫人を代表に相談者には不自由はなく心強い味方もたくさんいた。
暗い顔をしている第一王子の腕から抜け出し、カローナ用の棚からボトルを出し、グラスに真っ黒い液体を注ぎ、トネリに一口毒味を頼み二人で視線を合わせ頷き合う。
「フィン、これ、飲んで」
「ロナ、匂いが・・」
第一王子は差し出されたグラスに注がれた毒の様な異臭のする液体に狼狽える。
「体に良いのよ。ほらぐいっと。毒味はすんでるから安心して」
カローナの笑みと頷くトネリに負けた第一王子は恐る恐る黒い液体に口をつけると、好みの苦味にグラスの中身を一気に飲み干す。カローナは第一王子の表情の変化に楽しそうに笑う。
「匂いのわりに、好みでしょ?」
カローナに遊ばれたと気づかない第一王子は口元を緩ませ頷く。
「これを今度のお茶会で配ったら」
「ロナ、毒かと」
「だめ?」
カローナが首を傾げると窘める顔をしていたのに悩み出す第一王子を眺め、しばらくしてニッコリ笑う。
「冗談よ。これはフィンにしか出さない。フィンの味覚は変わってるもの」
また楽しそうに笑い出したカローナにつられて第一王子も笑う。二人でいるといつも楽しそうに笑っている姿をトネリが温かく見守る。悩みが多い思春期を抜け出せない主はカローナに任せるのが一番なのは第一王子の臣下の常識である。主の鈍さと女心への疎さにカローナに同情しているトネリ達は可愛らしい悪戯に進んで協力する。カローナの悪戯で狼狽えていても、最後には第一王子が幸せそうに微笑むので根を詰めすぎる主の息抜きには丁度良かった。どんなに時が経っても王宮で一番幸せな空気が漂うのは第一王子とカローナの回りだった。
カローナはイナナに頼まれ一日だけ予定を空けていた。
「イナナ、1着でいいんだけど」
目の前に並べられた大量のドレスに戸惑う姉にイナナが楽しそうに笑う。
「この中で一番似合う物を。不用なものは商会に降ろして売り出しますのでご心配なく」
カローナはイナナとマグナ公爵夫人に着せ替え人形にされ、なぜか絵師が控えているのも見ないフリをする。楽しそうなイナナと母を見たら文句を言う気さえおきず笑みを浮かべて指示に従う。大事な家族よりも共にいたい存在ができたカローナは、残り少ない家族との幸せな時間にふんわりと微笑みながらもドレスに着替える。カローナの一番好きな笑顔を見たイナナもつられて笑う。守りたかった小さかった妹が大きくなり幸せそうに笑う姿を見て、不器用で臆病な可愛い人を思い浮かべ、せっかくなので見惚れてもらえるようなドレスをとカローナもドレス論争に加わり探し始める。マグナ公爵夫人はたくましく成長した娘達に昔を思い出しこぼれる涙をそっと拭いながら盛り上がるドレス論争に加わっていく。
カローナと違い第一王子の衣装合わせはすぐに終わり、将来の義弟に渡された画集を受け取り、中身に目を奪われ赤面する。
「イナナに内緒ですよ。本番に着る物は描かれていません」
「ロナは何を着ても美しい。」
トネリはカローナのドレス姿の画集を見て、義弟に賞賛の言葉をずっと溢す主が当日はカローナに見惚れて赤面して何も言えないのが想像がついていた。言葉に出なくても、顔に出るからいいかと笑みを浮かべる。本物の弟とはマトモな関係は築けなかったが、将来の義弟と親しそうに話す姿を温かく見守りながら、民の前では頼もしいが、カローナが絡むと頼りなくなる主の傍に仕えるのは楽しいと思い出に浸る。トネリはどんなに誘われても第二王子の手は取らなかった。平凡なトネリは狡猾な第二王子に仕えれば胃を痛める毎日しか想像できず、取り込まれたかつての友人に同情していた。
婚儀の日を迎え白いドレスに第一王子の瞳とそっくりな金糸で刺繍をいれたカローナが姿を見せると第一王子は赤面して固まる。
「フィン、似合うでしょ?」
ニコッと笑うカローナに第一王子は真っ赤な顔で頷く。
「フィンは何を着ても素敵ね。幸せだわ。フィンが私の物になるなんて。嫌がって言っても離してあげないから覚悟して、駄目だわ。聞こえてないけど民の前に出れば戻ってくるね。」
幸せそうに語るカローナは自分に見惚れて動かない第一王子に満足した笑みを浮かべ慣れた手つきで腕を抱き、足を進める。トネリは予想通りの展開に笑い、イナナは心の中でヘタレと罵る。
式典の前にカローナと第一王子は王族として最後の面会に立ち向かう。第一王子はようやく思考する余裕ができたが、頬の赤みは消えていない。輝かしい金髪を持つ美しい第一王子と腕を抱く漆黒の髪を持つ愛らしいカローナが幸せそうに笑う姿にすれ違う者は自分の役割を忘れ足を止め、思わず見惚れる。多くの家臣を職務放棄させ、魅了した二人は謁見に足を踏み入れると国王と二人の王子が待っていた。国王にとって王族で一番癒しのオーラを持つ挨拶を終えた二人を傍に置きたい国王は名残惜しそうに呟く。
「本当におりるのか・・」
「父上、お体にお気をつけてください。私は国のために励みます」
「陛下、長年かけて教えていただきましたことを生かし、国のために仕えます。いつまでもお元気でありますように」
国王の内心に気付かない第一王子は堂々と、気づいたカローナは敢えて無視して淑やかに笑みを浮かべて答えた。
国王は一度だけ怖い姿を見ても、やはり一番の癒しを手放したくなくても、全てに手を回され王命では留められなかった。隠居している両親にも二人を祝福するようにきつく命じられ、国王なのに何一つ思い通りにならない現実に打ちのめされながら祝福する。
「兄上、カローナ、おめでとうございます」
「ありがとうございます。」
「カローナ、一切の悔いはないのか?」
「第二王子殿下、私は初恋を叶い満足しております。私達なりに国のために励みます」
「そなたのが向いておる。」
瞳の笑っていない笑みを浮かべる狡猾な第二王子にカローナは極上の笑みを返す。第一王子は弟の挑発する視線を勘違いして、後悔の欠片もない純粋な笑みを向けて堂々と告げた。
第二王子は屈託ない笑みを向けられ、追い落とし勝ったはずなのに全く勝った気がしなかった。いつの間にか一つも思い通りに動かない第一王子達に憎らしい気持ちを隠して穏やかな笑みを浮かべる。
「兄上、カローナ、おめでとうございます。どうかお幸せに」
「帰国したか。」
「ありがとうございます。」
一瞬切ない顔をした第三王子に気付かず、二人は笑みを浮かべて答えた。
第三王子は複雑な気持ちを隠して祝福する。人形のような笑みしか浮かべなかった初恋の少女が幸せそうに笑っている。いつか救い出したかった少女は兄によって救われた。どうかこの笑顔がもう二度と奪われないように願い、もしも奪われるなら許さないという狂気を隠して笑みを浮かべる。
第一王子とカローナは王族からの祝福が仮初めのものでも気にしない。民や貴族達に祝福され、1週間程盛大に伯爵夫妻のお披露目の役目を果たしてたくさんの思い出のある育った王都を後にする。
二人は王都とは正反対の寂れた伯爵領に足を踏み入れる。カローナは第一王子に馬から降ろしてもらい、一人で楽しそうに軽やかにステップを踏んで跳び回る。
「フィンの新しい人生の始まり。この寂れた領地はきっと花が芽吹き優しい場所に変わるわ。」
「ロナ、危ない」
「フィンが守ってくれるもの。フィンさえいればお外で寝るのも悪くないわ」
初めて足を運ぶ若い伯爵夫妻に諦めや敵意、失望、蔑み様々な負の感情が向けられているのに、ニコリと手を振るカローナに馬をトネリに預けた第一王子は手を繋いで寂れた伯爵邸に足を運ぶ。王宮やマグナ公爵家に、比べられないほど古く簡素な建物でも掃除はきちんとされていた。第一王子は昔は何度もこの邸でカローナの姿を探した。
「カローナ」
「フィン?」
第一王子の声に視線を向けるカローナに嬉しくてたまらず、抱きしめる。カローナは震える夫の背に優しく手を回す。誰よりも優しい太陽にとって悲しい場所を選んだのは間違いだったかもしれない。それでも、忘れるのではなく乗り越えて欲しい。第一王子は弟王子達と違い不器用で逃げ方を知らない。嫌なことも人に投げ出さない。真摯に向き合う姿を知っていたから、第一王子の悲しい夢から気を逸らすのではなく、どんなに時がかかっても傍で見守ろうと。夢のカローナには負けたくない。カローナにとって夢の世界の話でも第一王子の胸に傷として残るなら現実である。カローナは第一王子が傍にいて幸せになれるなら夢でも現実でもどちらでもいい。辛いなら泣き叫んで、縋ってほしいと思っても、王族として育てられプライドの高い第一王子はできない。頑固で意地っ張りで不器用で誰よりも優しく温かい愛しい人の震えが止まるまで、カローナの第一王子にもらった温かい熱が伝わるように抱き締めた。
夜着に着替えたカローナは第一王子の部屋の扉を勢いよく開ける。
夫婦の部屋ではなく別々の部屋を用意するように手配した第一王子を睨みつける。
「ロナ?」
「フィン、夫婦なのに部屋が別なのはおかしい」
「成人してから」
「嫌。フィンがいるから兎を置いてきたの」
「取り寄せる。いや、すぐに取りに」
不機嫌に睨みつけるカローナに第一王子はどうすれば宥められるか悩む。
「せめてあと一年は・・」
「フィン、私にも譲れないものがあるの。さて、ご覧ください」
カローナはにっこり笑って小瓶を見せる。
「これを飲んだら甘美な夢を見れ、コウノトリが幸せを運ぶわ。無理矢理飲まされるのとどちらがいい?嫌なら私が飲んでもいいけど」
「ロナ、落ち着いて」
「落ち着いてるわ。大丈夫。しっかり学んだわ。殿方が抱かれる国もあるそうよ。フィンは私に身を委ねて」
「ロナ、私は」
「私は貴方に与えられるものがどんなものでも愛せるわ。嫌なものは言葉にする。フィンは私の嫌がることはできない。むしろ妻になったのに手を出されないほうが傷つくわ。身体改造の怪しい薬に手を出したらフィンの所為って覚えておいて。一応手に入れてあるんだけど、怪しいからまだ飲んでないのよね・・。もちろんこの媚薬はきちんと効能を調べたものだから安全性は保証済み」
ニッコリ笑うカローナが瓶を開けるので第一王子は取り上げる。カローナがポケットに手を入れて新たな瓶を取り出し口に含むのを第一王子が慌てて取り上げる。
「ロナ・・」
「フィン」
カローナは混乱し焦っている第一王子の足を蹴り、ふらついた体に体重をかけて押し倒す。極秘で第一王子のお爺様に押し倒し方を教わり練習していた。第一王子が床に頭をぶつけても、頑丈なのは知っているのて許容範囲でありお仕置きである。
「ロナ、怪我は」
押し倒されてもカローナを心配する第一王子に笑みを深め、手から瓶を取り上げ、蓋を開けて一気に飲み干し、そっと唇を重ねる。真っ青な顔が赤くなり、カローナは頬を緩ませ第一王子の服に手を伸ばすと大きい手を重ねられ止められる。不満そうに見るカローナに第一王子は赤面しながら、消えそうな声で呟く。
「わかった、せ、せめて、」
「逃げたら許さない」
潤んだ瞳で見つめられた第一王子はカローナを引き寄せて抱きしめる。体を起こし自分にしがみついているカローナを抱き上げベッドに連れて行く。笑みを浮かべるカローナに口づけられ、必死に理性と戦いながら自分の熱を求める愛しい少女が壊れないように優しく触れる。触れるたびに幸せそうに笑うカローナに思考を奪われ、理性が欠落しないように戦いながら。
無事に初夜をおえて、寝息が聞こえカローナはゆっくりと目を開ける。第一王子との行為に胸の高鳴りと熱い体に赤面し笑みをこぼし寝顔を見つめる。カローナは媚薬を飲んでいない。第一王子がカローナに手を出すのはカローナのための状況しか思いつかなかった。カローナのまだ発育途中の体では第一王子を満足させられない。無理矢理な行為の自覚はあっても、カローナに触れようとして手を止め時々怖がる夫には荒療治が必要だった。第一王子が心底嫌がるならやめるつもりだったが、体は正直で浮かべる笑みも本物だった。カローナのハッピーエンドの夢が叶うまで、まだまだ遠い。せめて眠る愛しい人の見る夢が優しいものであるように願いを込めて額に口づけを落として、目を閉じる。
カローナは第一王子の部屋に住みついた。そして発育途中の体でも第一王子を誘惑できると気付いたカローナに翻弄され、気付くと肌を重ねている。
「カローナ、離れたくない」
カローナは第一王子の腕の中で眠ったフリをする。時々聞こえる悲しい声は起きたら口に出さずに胸の中に秘められる。朝になったら愛の言葉を捧げるか悪戯をしようか思考を巡らしながら溢される懇願に耳を傾ける。昼寝の習慣のお陰で、カローナはいつも第一王子の寝息が聞こえてから眠りにつく。
「ロナ」
第一王子の声に耐えられなくなったカローナはゆっくりと目を開ける。
「フィン、愛してる。ロナの太陽はフィンだけ」
太陽の瞳を見つめ微笑みまた目を閉じる。額に落とされる口づけに笑いを堪えて、ようやく聞こえた寝息に目を開けて、優しい夢が見れるようにと額に口づけを返す。
第一王子がカローナに自分から手を出すようになるのは翌年のカローナが15歳になってからだった。夢のように去らないカローナに安堵した第一王子が欲望に少しだけ忠実になる。
カローナはさらに夫の過去の夢に闘志を燃やす。第一王子は愛の言葉は口にしない。でも甘さを含んだロナと呼ぶ声、優しい仕草、繋いでくれる手と見つめられる瞳に愛情を感じるカローナには十分だった。愛情の形はそれぞれであり、ずっと隣で手を繋いでいるだけでも幸せである。カローナは幸せなので、夫が幸せになれるように頑張るだけである。神様に願っても夢を現実で叶えるのは人の力。カローナの太陽は太陽神ではなくフィンである。明るく世界を照らす太陽は平等であり、特別な力は持たない。何を信じるかも本人の自由であり、神様よりも頼りにしている夫を翻弄する先人たちの教えの手紙に視線を落とす。顔を上げると領民に武術を教える逞しく格好良い姿が目に入り笑みを溢す。
近い将来に立場が逆転するなど想像もしていないカローナは口元を弛ませ新たな作戦を練る。時々、カローナに視線を向ける夫に手を振り微笑むと嬉しそうに笑う無自覚の不器用な可愛い夫を愛でる日課がなくなるとは視野の広いと言われる元王妃候補にさえわからなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
本編には入れなかった憶病なフィンと夢の世界に闘志を燃やすカローナのお話でした。
カローナはフィンが本気で嫌がることはしません。媚薬を持って意識を奪ったり、身体的に痛めつけることは絶対にしません。
カローナがフィンを押し倒せたのは油断して混乱してるからで、平常時は運動神経ポンコツなので倒せません。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。




