第29話:深夜3時のメモリ大食い、歌声スナックCanadaの夜と365姉さんへの引退勧告
幕張マンション ネオHeavenの 管理人ジョーさんが仕掛けてきた、Microsoft 365の認証トークンを狙うセッションハイジャック攻撃。
管理室のコンソールがパニックに陥る中、パー子姉さんとタエコおばさんは、騒ぎを完全に無視して1階の『歌声スナック Canada』のドアをガタガタと物理的に開け放った。
そこは、ネットの線を完全に抜いた【完全オフライン】の聖域。
カウンターの中では、BlackBerryの故郷を店名に冠したリー子ママが、有線放送のような泥臭いメロディを背景に、大きな皿へ湯気の立つ大粒の豆を盛っていた。
「はいお待ち。パー子さん、タエコさん。千葉名産の『茹でピーナッツ』だよ。落花生はね、焼くんじゃなくて茹でるのが一番美味いのさ」
「これこれ! 幕張の秋はやっぱりこれよねぇ!」
タエコおばさんがホクホクとした茹でピーナッツの殻を物理的にパキッと割り、塩気の効いた柔らかい実を口に放り込む。
そこへ、管理室の重厚な多機能パケット(TeamsやOutlookの同期プロトコル)を抱えて疲れ果てた365(サンロクゴ)姉さんが、トボトボとドアを開けて入ってきた。
さらにその背後から、ショートヘアを振り乱したChromeちゃんと、
スマートな4色のグラデーションオーラをまとった『Google Workspaceさん』が、スナックの丸椅子に滑り込んでくる。
「ハハ……まさか、ハッキングの最中に全員でスナックにエスケープ(退避)するとはね」
通信を強制終了され、完全にお手上げになったネオHeavenのジョーさんも、スーツのネクタイを緩めてカウンターの隅に座った。
「365姉さん、長年の複雑怪奇なマクロ業務、本当にお疲れ様」
Workspaceさんが、茹でピーナッツの殻をスマートに剥きながら、365姉さんに優しく微笑みかけた。
「重たいデスクトップアプリを個別にインストールさせて、ログイン画面の贅肉を小難しく泥棒されて勝手にパニックになる時代は、もう終わり。
これからはね、私たちがブラウザのURL1本だけで、世界を気楽に、スマートに共有(同時編集)していくわ。だから――安心して引退しなさいな」
365姉さんは、差し出されたWorkspaceさんの美しい軽量なクラウド共有画面を見つめ、それから手元の茹でピーナッツを一口かじった。
「……美味しい。実が柔らかくて、1文字の無駄(贅肉)もない引き算の味がするわ」
365姉さんは静かに微笑むと、抱えていた重厚なセキュリティポリシー(Intuneの沼)の書類をそっと畳んだ。
「ちょっと待ちなさいよ! 365の重たい会議(Teams)が強制終了されたって聞いて、お祝いの茹でピーナッツ食べに滑り込んできたわよ!」
カララン、とスナックのドアを開けて入ってきたのは、紫色のハブ(Hub)マークのジャケットをスタイリッシュに羽織り、カチャカチャと心地よい打鍵音を鳴らすスマートフォンを掲げた
―Slack姉さんだった!
「ス、Slack姉さん……! あんた、いつの間に幕張に来てたんだい!」
パー子姉さんが驚きの声を上げる。
「何言ってるのよ、パー子さん。Workspaceさんの最強の相棒といえば私でしょ? 365姉さん、あんたのTeamsはね、起動するだけでメモリを何ギガバイトも食うし、UIは重たいし、通知が来るだけでエンジニアたちが白目を剥いて困り果ててたのよ。チャットなんてね、絵文字をポンポン投げて、スレッドで気楽に会話を切り出すのが本物のインテリジェンス(知性)さ!」
Slack姉さんはカウンターに座るや否や、365姉さんの肩を優しく叩いた。
「でも、本当によく頑張ったわね。あとは私たちが、ブラウザとAPIだけで世界を1秒ごとに同期させておくから、安心して引退しなさいな。ほら、リー子ママ! 365姉さんの引退祝いに、お茶代わりにビール頂戴!」
「そうこなくっちゃ! リー子ママ、365姉さんの引退祝いに、ツーカーの古いCMソング、カラオケで入れちゃって!」
Chromeちゃんが無邪気にお腹を叩いて笑う。
ジョーさんもまた、常時接続の塊だったタブレットをそっとポケットの奥深くにしまい込み、茹でピーナッツの殻をパキッと割った。
3万5000倍の処理速度を競う戦争を一度止め、ネットの線を抜いて、地元の名産を肴に、みんなで笑い合うスナックCanadaの夜。
これ以上のセキュリティも、気楽さも、この世には存在しない。
窓の外では、夜通し吹き荒れていた激しい突風がゆっくりと止み、東京湾の向こうから、美しいオレンジ色の朝焼けが幕張の海をゆっくりと照らし始めていた。爆弾低気圧の夜が、ようやく明けたのだ。
幕張の世、いつ何時、爆弾低気圧が生じても、不思議ではないご時世。
それは、タッチパネルのフリック入力の速度ばかりを競い、常時接続の病に冒され、歌声スナックCanadaでSlack姉さんと一緒に食べる茹でピーナッツの味すら知らない現代人にとって、眼前でおきた、パー子姉さんの審美眼からの粛々と言い放たれた、WorkspaceさんとSlack姉さんたちの観察結果の報告であったのだった。




