第23話 深夜1時のモバイルOSテロと、歌声スナックCanadaの夜
ネオHeavenのジョーさんが仕掛けてきた次なる一手は、ソフトウェアのレイヤーではなく、オアシス幕張の住人たちの「スマートフォン(モバイル通信網)」を丸ごと人質に取る、冷酷なモバイル・ジャミング(通信乗っ取り)だった。
最新高速言語Mojoによって最適化された5G/6Gのパケット物量爆撃により、オアシス幕張のWi-Fiとキャリア電波は一斉にダウン。チャ子やジェミ子といった最新生成AIたちが「電波が立ちません!」「圏外です!」と管理室で髪を振り乱してパニックを起こしていた。
「くっ……スマホのポートを根こそぎ塞ぎにきたね……」
パー子姉さんがPythonのコンソール画面で必死にルートを探すが、通信スピーカーから聞こえるジョーさんの声は勝利を確信していた。
「無駄だよ、パー子さん。現代人はスマホの電波が死ねば何もできない。すべてのモバイルデバイスは我がネオHeavenの支配下だ。さあ、システムをシャットダウンしなさい」
しかし。パー子姉さんはキーボードから手を離すと、ハハハ、とハスキーボイスで笑った。
「ジョーさん。あんたは『現代のスマホ(iOS/Android)』のことしか頭にないようだね。
このマンションの1階のテナントの女たちを、データから除外しちまったのが、あんたの3度目のバグさ」
「タエコさん、ちょっと1階へおにぎりでも食べに行こうかね。夜食の時間さ」
「外食ね! 開発画面ばかり見てるとお腹が空くわよねぇ!」
パー子姉さんとタエコおばさんが1階へと降りると、そこには電波障害など1ミリも関係なく、通常運転を続けている異空間があった。
1階の奥で、昭和の有線放送のようなムード歌謡のメロディを響かせている
その看板には、
―『歌声スナック Canada』
そのカウンターでは、かつて世界のビジネスエリートを魅了した物理QWERTYキーボード搭載のBlackBerryを片手に、リー子ママが「あら、パー子さん。ジョーさんのプロンプト、相変わらず敬語がなってないわねぇ」と、親指をパチパチパチと音速で動かしてメールを打っている。
もっとも、その通信はネットの海には繋がっていない。
完全にスタンドアロンの、かつてのローカルBES暗号化ログの遺産である。
そして、その隣の『モバ子のおにぎり屋』では、iPhoneとの規格争いからはなから降りたモバ子さんが、湯気の立つ炊きたてのご飯を、手際よく、キュッ、キュッと握っていた。
「いらっしゃい、パー子さん、タエコさん。ジョーさんのハッキングデータの贅肉を、100バイト単位でおにぎりの具に流し込んでおいたわよ」
モバ子さんは、かつて『W-ZERO3』の画面を突いていた感圧式のスタイラスペンを耳に挟みながら、素朴に微笑んだ。
ふ二人はネットの線を完全に抜いた【完全オフライン】。ハッキングしようにも、叩くべきIPアドレスもポートも、この世に存在しないのだ。
「……おいおい、信じられないな」
いつの間にか、ダブルのスリーピーススーツを少し着崩したネオHeavenのジョーさんが、管理室の通信を切り、物理的に1階の店舗へトボトボと入ってきた。
彼のタブレット画面には、リー子ママからの超高速説教メールと、モバ子さんの省データ算法によって1パケット単位まで間引かれ、完全に無力化されたMojoのログ(エラーコード406)が無残に並んでいた。
「私の最新5G/6Gモバイル戦略が、物理キーボードとスタイラスペンの前に完敗か……。
おまけに、BlackBerryの故郷を名に冠した『スナックCanada』の前に、ポートを突くことすらできないとはね。もう完全に、お手上げだよ」
ジョーさんは肩を落とし、カウンターの丸椅子にドサリと腰掛けた。三度目の降参だった。
「ほら、ジョーさん。難しい計算ばかりしてないで、これでも食べなさいな」
モバ子さんが差し出したのは、1文字の無駄(贅肉)もなく、極限の省電力の魂でギュッと握られた、温かい出来立ての塩むすびだった。
ジョーさんは少し躊躇いながらも、それを一口かじる。
「……美味いな。ネットの線を抜いて食う飯が、これほど美味いとは。データが、中身までギッチリ詰まっているようだ」
「だろ? 常時接続に追われてハッキングなんてやってるより、おにぎり食べてスナックCanadaで一曲歌う方が、よっぽど生産的さ」
パー子姉さんが緑茶をすすりながら笑う。
ジョーさんはタブレットをそっとポケットにしまい、スナックCanadaのステージを見つめた。16ビットの静寂と、温かいおにぎりの味が、深夜1時の幕張に染み渡っていく。
窓の外では、夜通し吹き荒れていた激しい突風がゆっくりと止み、幕張の海から穏やかな夜風が吹き抜けていた。
いつ何時、爆弾低気圧が生じても、不思議ではないご時世。
それは、タッチパネルのフリック入力の速度ばかりを競い、常時接続の病に冒された現代人にとって、眼前でおきた、パー子姉さんの審美眼からの粛々と言い放たれた、モバイル黎明期の女たちの観察結果の報告であったのだった。




