秘密の友人
「本当にママだ。あそこに朝から、ずっと立っているの?」
泣き止んだ二人はリーレンが先導し、こっそり表道が見える部屋に入りこむと、二人で並んで窓の向こうを眺めた。
距離はあるが、確かに母が立って、屋敷を見ていることが分かる。
改めて見ると、母の様子は明らかにおかしい。これでは三人組から、頭がおかしいと言われても反論できないと、娘のシュールでさえ思うほどだった。
「屋敷に出入りする者が、悪魔の書について知っていると思いこまれているのかもしれません。私の病気を治すためには、それしか方法が残されていないと思われているので」
町の人もシューエンに視線を送るが、近寄ろうとしない。遠巻きにして、避けるように歩いている。
「執着がこれほど恐ろしいものだと、初めて知りました。今のシューエンさんは、悪魔の書しか頭になく、周りが見えていません。だから、周りの目も気にされないのでしょう」
そんなに妹を取り戻したいのか。自分や父に当たり散らし、町の噂になり。シュールには、母が分からない。
「ママが、ごめん……。こんなことになっていたなんて……」
「シュールさんは、なにも悪くありません。でも、すでに町で噂になっていたとは……。シュールさんとお父様にも、影響が及びそうですね」
すでに三人組に絡まれたことは、打ち明けていない。確かに自分だけではなく、父まで周りからどんな目で見られるか分かったものではない。父が帰ってきたのは、噂を聞いて心配してのことだろうと分かっていたから、尚更である。
「今、家にお医者さんが来ていて、パパと話しているの。お医者さんが、ママはリーレン様に執着しているかもしれないと言ったのが聞こえて、我慢できなくなったの」
「それで忍びこまれたのですか」
「うん。この屋敷は管理されているけれど、普段は誰も住んでいないから。抜け道があって、時々潜りこんでるの。窓から部屋の中を、こっそり見ていたの」
その抜け道は木々の隙間を這うように移動するため、子どもの幼い体でなければ通れないと、シュールが言う。
本来なら警備に関わることなので、母に報告すべきだろう。しかしそうなると道は塞がれ、こうやって潜りこむ者はいなくなり、誰とも接点がなくなるのは嫌だとリーレンは考えた。塞がれば限られた人としか会えず、色も味もない世界になるのではないだろうかと。
そんな寂しい最期は嫌だ。
「シュールさん、抜け道については母に秘密にしておきます。だから、また会いに来てくれませんか?」
ずっとこの屋敷に閉じこめられ、一人で過ごすのは嫌という思いから、願う。
「それは良いけれど……。でも、あたしで良いの? だってあたし……。ママの娘だよ?」
「関係ありません。シュールさんとシューエンさんは、別人です」
「じゃあ……。シュールって呼んでよ。あたしもリーレンって、呼んで良い?」
「もちろん」
二人は指切りをし、静かに笑う。
リーレンの部屋に戻ると、シュールは辺りを見回し、窓から庭に飛び出る。
「じゃあリーレン、また来るから」
「はい、待っています」
シュールに手を振りながら、まさか最期にこんな楽しみができるなんて、リーレンは嬉しくなる。
大人の通れない、秘密の抜け道。母に秘密を抱えた、新たな出会い。わくわくとする。
動ける内に、自分もその抜け道を通り、町へ出かけてみたいと思った。
どうせ死ぬのなら、最期は自由に生きても良いのではないか。これまで出来なかったこと、やりたかったこと。可能な限り、叶えてみても良いのではないか。家族と離れたことを我慢したのだから、こんな願いくらい望んでも良いのではないか。
家族、友人と離れた地。ただ悲しい最期を迎えると思っていたけれど、まさか友人ができるとは思っていなかった。
リーレンは部屋で未完成の刺繍を取り出し、針を刺しながら鼻歌を奏でる。
シュールはまた裏道を、こそこそと走った。先ほど見た母の姿から、自分と親子だと知られては危険だと分かった。同時に親子と知っている人に見つかりたくなくて、行きより慎重に帰る。
もうすぐ家だと思った時、顔を青くしたライデンがシュールの名を呼んだ。駆け寄って来ると、両方の肩をつかまれる。
「一体、どこへ……! 物音がしたと思ったら木に飛び移って、危ないじゃないか。どこへ行っていたんだ」
どうやら木へ飛び移り、降りた姿を見られたらしい。その後、外に出て自分を捜していたらしく、噂を確かめに行ったと答える。
「パパ、大事な話があるの。シェーン先生は?」
「家で待ってもらっている。とにかく帰ろう」
シュールを捜す間、大声で名前を呼ぶこともできずに近所を歩き回り、姿を見つけた時は安心して腰が抜けそうだった。
シェーンと話していると娘の部屋から、妙な物音がした気がして向かうと、姿が消えていた。窓が開いており、嫌な予感がして窓の外を覗けば、木を伝って降りたシュールが走り出していた。咄嗟に名を呼ぼうとしたが、近所の目を気にしてしまい、呼び止めることができなかった。
「なにもなくて良かったが、どうしてあんな無茶をしたんだ」
家に帰ると、ライデンは早速シュールを問い詰めた。
「だから、噂を確かめたかったの。ママが本当に、屋敷を見張っているのかって」
本当はシェーンの言葉に動揺したのだが、それを口にすることができなかった。
「それで? 大事な話とはなんだ?」
「信じてもらえないかもしれないけれど……。先生、ママを治す手がかりになるかも。ママは悪魔の書を見つけ出して、妹を蘇らせたいの。領主様の娘が病気だって噂、あるでしょう? ママは領主の娘さんを、悪魔の書を使って治すと思いこんでいて、屋敷を見張っているの」
「なにを馬鹿な……。根拠は? 誰からその話を聞いた? どうしてそう思った」
矢継ぎ早に質問されるが、リーレンから聞いたと答えれば外出を制限され、会いに行けなくなると考えたシュールは、嘘を吐く。
「教会で聞いた人がいるって。ママ、領主様一家が教会にいる時、教会へ入ったの。そこで、悪魔の書について話していたって」
誰がとまでは、追及されなかった。
きっと誰かがその現場を目撃し、噂が広まっているに違いないとライデンは思いこむ。シェーンもまた、屋敷を見張るように立っている女性は、領主夫人がいるのに、教会へ行った人物だという噂が届いていたので、疑うことはなかった。
そしてなによりも、二人にとって悪魔の書に関する方が衝撃だった。
「悪魔の書とは……。確かにレックス領の件が噂になっており、伝承は事実だったと言われていますが……。まさか、そんな、死者を……」
愛する者を取り戻したいと思うことは、珍しくない。もう一度会いたいと願うことも。だが、生者を罵倒し、死者へ取りつかれたように囚われているのは、正常とは言えるだろうか。
ライデンは、尾行していた日のことを思い出していた。てっきり、シュールへの誕生日プレゼントを探していたのかと思っていた。絵本を探していると話していたし。しかしそれが間違いであり、やっと真実が見えた。
(本が置いてある店を回っていたのは、悪魔の書を探していたからなのか。なんということを……。そんなことで生き返った子が、幸せになれると本気で考えているのか?)
亡くなった娘を忘れろとは言わない。だが、現実を見てほしい。泣いている娘はどうでも良いのか。憤りを覚える。
シェーンは困惑したままだ。
これまで多くの患者と接してきたが、悪魔の書を求めるあまり、現実を蔑ろにする患者はいない。なにかに依存するといった患者ならいるが、シューエンへ一体どのようにアプローチすれば良いのか分からない。
(悪魔の書を欲しているのなら、どれだけ親しくなろうと、私に言うはずがない)
この町は信仰を持つ者が多く、悪魔に頼ると知られたら、今の非ではない騒ぎとなる。きっと本人もそれを分かっており、家族に黙って行動しているのだろう。
(愛する人が亡くなり、もう一度会いたいと願うこと自体は珍しくない。誰もが抱いたことのある夢。だけど、それを叶えるために悪魔に頼ろうとする人がいるなんて……)
きっと悪魔の書が実在すると証明されたことにより、シェーンは箍が緩んだのかもしれない。レックス領のことがなければ、ただの伝承、おとぎ話として、本気で探そうとしなかっただろう。
(悪魔の書が実在すると分かった今だからこそ、生まれた患者。死を受け入れ、眠らせることを受け入れさせるには、どうすれば? 納得できていないから、蘇らせたいと願っているだろうし)
今までで一番、難しい患者になる予感がする。
きっかけは娘の死。それからレックス領の件で悪魔の書が絡み、糸が絡まっている。
本来、一つ一つ絡まりを取るように、心の整理をつけさせるべきだが、諦めさせるという課題が出てきた。
(ラコル先生に相談をするべきかもしれない。先生は領主のお嬢様を患者として引き受けられたのだから、近しい間柄と誤解される可能性もある。もし先生が病を治しても、今のシューエンさんは信じず、悪魔の書の力を使ったと叫ぶかもしれない)
そうなれば、この町の住民がどう動くのか分からない。
怪しい女の戯言だと無視をされるのか、そんな不埒な真似をしでかす領主一家を許すなと暴動が起きるのか。その時にならなければ、分からない。
シェーンは断りを入れてライデンたちの家を出ると、急いでラコルのもとへ向かった。




