ep.1
『ヘンリー、大人になったら、わたしとけっこんしてくれる?』
覚えたての言葉を使いたくて、わたしは幼なじみで我が国の王子であるヘンリーに、婚約の申し出の真似をする。
城のメイドや、わたしの父は微笑ましくその光景を見ていた。
……これは、幼い頃の記憶だ。
よく晴れた日。
場所は、お城の中にある薔薇庭園だったと思う。
記憶がどんどん鮮明になっていく。
あの時の返事の待ち時間ほど、時がゆっくりに感じたことはなかった。
『もちろんだよ、トニー。』
ヘンリーは、嬉しそうに手をぎゅっと握り返し、アントニアの愛称を呼んだ。
包まれた手に、ヘンリーの体温が伝わってくる。
不安からか、そわそわしていたのが一変して、大はしゃぎでヘンリーに抱きつく。
『やった!これからもずっと一緒だよ!』
***
目の前に広がるのは、自分の部屋の天蓋であった。
「なんて、懐かしい……」
幼い口約束を交わしてから、十二年が経とうとしていた。
当時の父は、わたしたちの婚約を本気にはしていなかったらしい。
しかし、後日お城から正式に書面が送られてきて、腰を抜かしたと、前に聞かされた。
「今日で、学園生活ともお別れか……」
朝日が昇る、少し前だろうか。
そっとベッドから抜け出し、窓を少し開ける。
冷たい空気が部屋に入り込むが、わたしは気にせず窓の外を眺めた。
今日は、わたしたちの卒業式の日である。
式が無事に終われば、わたしは明日、ヘンリーと結婚をする。
昔からの夢が叶う。
喜ばしいことだ。
……なのに、最近のわたしは少し変なのだ。
『もっと相応しい立場があるのではないか?』
『本当に王妃となって、ヘンリーを支えていきたいのか?』
『これは、わたしが望んだものなのだろうか?』
そんな考えがここ最近、胸の中でずっと渦巻き続けている。
頭と心が、別の生き物になったみたいだった。
一人では抱えきれないと思い、王妃や母、そして城のメイドたちにまで胸の不安を吐露した。
けれど、みんな口を揃えて、同じ言葉を返してくるのだ。
『不安になってるだけ、私もそうだった。』
『大丈夫よ。結婚してしまえばそんな不安は、すぐになくなるわ。』
そんな答えがほしかったんじゃない。
しかし、繰り返し言われすぎたせいか、否定するのも億劫になっていた。
身体がぶるりと震えた。
さすがに冷えてきたので、窓を閉める。
「結婚だけが、ヘンリーと一緒にいられる唯一の方法なのかな?」
口からぽろっと言葉が漏れる。
きっと他にも、やり方があるはずだ。
でも、他の方法なんて、わたしは知らない。
扉がノックされた。
胸のもやもやは晴れないまま、メイドたちがわたしの身支度をし始めた。
両親に暗い顔を見せぬよう、気をつけながら朝食をとる。
馬車の中で、今の気分とは真逆の青空を見ながら、わたしは卒業式に向かった。
***
王太子が卒業生だからか、今年の卒業式は城の大広間で行われていた。
卒業式がつつがなく終わり、在校生との最後の交流会。
――わたしは、今まで感じていた違和感の正体を知ることになる。
『少しばかり早いが、ここで我々にファーストダンスを見せておくれ。』
卒業式にいらしていた国王陛下に、ヘンリーとのファーストダンスを頼まれた。
ヘンリーの顔からは、照れも何も見受けられない。
いつもの完璧な王子の顔で、優しく微笑み手を差し出してくるだけだった。
普段なら、なんの躊躇いもなく手を置いていた。
今日はちょっと違っていた。
ヘンリーに手を置く少し手前で、わたしが動きを止めてからである。
はたから見たら、手は重なっているだろう。
ヘンリーは顔を崩さないまま、わたしが止めた位置まで手を上げた。
わたしが普段、しないようなことをした。
違和感であるはずなのに、ヘンリーは何事もないようにダンスをリードしてくれた。
……ヘンリーは、わたしとの結婚をどう思っているのだろう?
記憶の中のヘンリーも確かに優秀で、周りから褒められていた。
だが、ここまで完璧すぎる子供ではなかった気がする。
もっと子どもらしく怒って、泣いて、笑って。
木登りとか戦いごっこが好きで、いっつもおれが木の棒でぼこぼこにしてたっけ。
……?
おれ?
わたしは思わず瞬きをした。
おれ、なんて。
使ったこともない一人称が、どうして出てきたのだろう。
昔はもっとやんちゃだったからだろうか。
いくら考えても、強く意識してしまった違和感を無視できなかった。
目を瞑り、余計な考えを振り払う。
ヘンリーと結婚するために、妃教育を受けて。
明日には、ヘンリーと結婚して。
子供を産んで――
それが、わたしの夢なのだから。
あの時は確か、おままごとをしていた気がする。
そうだ、そうだったはずだ。
昔すぎて記憶も曖昧なだけだろう。
「アントニア、具合でも悪い?」
声がした方へ顔を上げる。
少し眉を下げ、わたしの顔を見ているヘンリーと目が合った。
「少し、疲れたのかもしれない。でも大丈夫。」
心配させまいと、わたしは笑って見せる。
「明日も忙しくなるから、アントニアは先に帰るかい?」
「大丈夫だって、心配しすぎ。」
「でも……」
ヘンリーとの問答で、さっきまでのもやもやが少し楽になった気がした。
やっぱり王妃様や母様の言う通り、結婚前特有の焦りだったのかもしれない。
ダンスを終え、ヘンリーは挨拶回りへと反対方向へ歩き出す。
それを横目で見つつも、声をかけてくる令嬢たちの相手をしていた。
――ついに、その時は来た。
とある貴族の娘が、わたしの一歩手前でカーテシーをした。
「私は、アイアムヒ家息女、ロインと申します!」
名前は聞いたことがあった。
教会に残る逸話になぞらえて、集められている複数人の聖女。
その聖女候補生のうちの一人だ。
「ごきげんよう、ロインさん。お話するのは初めてですね。」
扇子で口元を隠しながら、ほほ笑みかける。
この令嬢を視界に入れた途端、頭の中で警報が鳴り響く。
いや、頭というより胸の奥。
くすぶり続けていた不安が『この令嬢に近づいていはいけない』と警告している。
しかし、それと同時に頭の片隅で『やっと楽になれる。』
そんな考えが頭を巡っていた。
混乱している様をおくびにも出さない。
妃教育の賜物である。
何かひとつ、ふたつ会話をして離れようと考えていると、挨拶回りを終えたヘンリーが近づいてきた。
周りの令嬢たちのざわめきで気づいたらしく、ロインも後ろを振り返った。
ヘンリーを映すロインの瞳は、
――まさに恋する少女、そのものだった。
……ほんの少しだけ、羨ましいと思ってしまった。
かつての『ヘンリーと結婚したい』という気持ちに、嘘偽りはなかったはず。
だが、わたし自身がヘンリーに恋心を持っていたか?と聞かれると、少し違う気がしていたのだ。
ヘンリーは、ロインや他の令嬢たちに柔らかなほほ笑みを振りまきながら、わたしのそばに立つ。
わたしは目線だけヘンリーに向けたあと、もう一度ロインを見た。
……びっくりしてしまった。
恋する乙女の瞳が、わたしを見た途端、親の仇を見るような瞳へと変わっていたから。
ここまで露骨に、感情をむき出しにしてくる令嬢は少なかった。
さぞ、扇子の下のわたしの顔は、マヌケだっただろう。
他の者たちに、ロインの雄弁すぎる表情を見せないために、声をかけようとする。
その前に口を開いたのは、ロイン本人だった。
「ヘンリー様!国王様!そして、会場の皆様にお伝えしたいことがございます!」
張り上げられた声に、歓談していた者たちが皆、こちらに注目する。
皆の視線が集まったのを確認して、ロインは再び口を開いた。
「もしかしたら、国を揺るがす一大事です!」
国を揺るがす一大事。
一体、どんな話なのだろうか?
そもそも、この場で言わなければならないこととはなんだろうか。
王家に書状を送るなり、いろいろ手はありそうなものだけれど……
「ヘンリー王子の婚約者である、アントニア様が犯した罪の告白です!」
……わたしが犯した罪?
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