第9話 祝福を以て呪いとなる
「天使、ですか……」
ルクシアが呟く。
ヴェルグレドは何言ってんだという面持ちで魔王を見た。自分と、天使とのイメージがあまりにもかけ離れすぎている。
「そう、天使だ」
魔王はすごくまじめな顔をしている。
「伝承にあるような天使のことを言っているわけじゃない。神の使い、という意味での天使だ」
「??? 神の使い? 私が?」
「お前、死神の存在は知ってるか?」
「? そんな神がいるのかい?」
死神、もし実際にそんな神がいるなら会ってみたいものだ。だが、ヴェルグレドの知識の限りそのような名前の神はいないはずだ。
ヴェルグレドは、自分の知識と目の前の話がまったく結びつかず、頭の中に巨大なクエスチョンマークがいくつも浮かんでいた。そもそも神についてそこまで詳しくないので、前提の話からついていけてないだけだが。
ヴェルグレドの顔に疑問を見取ったのか、魔王は顎に手を当てながら説明を始めた。
「お前の知っての通り、五大神は、律衡神、大地神、蝋漸神、徳義神、烈悪神の五柱で構成されてる。そして、俺の予想が正しければ、死を司る死神も存在しているはずなんだ」
その言葉に、ルクシアが異議を唱える。
「死、という概念は時間を司る蝋漸神の権能の一部では?」
「あぁ、俺もそう思ってたさ。だけど、アンデッドの自然発生とかは、あきらかに蝋漸神の権能の域を出てる」
そうなのかな。まあ確かにそうかも。いや、だけど……
「——アンデッドって負のエネルギーが溜まってたら勝手に湧くのでは?」
「そう! その負のエネルギーの出どころが謎なんだよ! 魔力は律衡神から、自然は大地神、時間は蝋漸神、じゃあ死は? 負のエネルギーは? そこで俺は死神の存在を密かに探っていたわけだが、お前を見て今日確信した」
うーん? ヴェルグレドにはこの魔王が言っていることがあまりに飛躍しているように思えた。死なんて自然現象じゃないのか? 確かに負のエネルギーは見えるけど、それはいつも通りだし、自然だ。
「そもそも、負のエネルギーってなんだと思う? そんなもの、一般的には知られてない」
「……え?」
負のエネルギー。それは、ヴェルグレドにとって最も身近で、気付けばずっと傍にあったものだ。ヴェルグレドには、その濃さや位相が手に取るように分かった。
それゆえ、ヴェルグレドには負のエネルギーが一般的な概念ではないという観念が存在しなかった。
「その反応から察するに、やっぱ死神の祝福受けてるっぽいか。それもずっと昔から」
魔王が納得したように頷く。そして、ヴェルグレドに手を差し出して言う。
「俺は魔王ニズヘグル。人間、俺の配下になれ」
ヴェルグレドがいきなりそんなこと言われても、と戸惑っていると、部屋の扉がばーんと音を立てて開いた。
「その話、待った! 魔王様、俺も連れて行って下さい!」
見ると、ヴェルグレドが蘇生した魔族の青年がいた。確か、ゴルンといったかな?
「連れて行ってほしい、というと?」
「お、俺を魔王軍に入れてください!」
その言葉に、魔王はうーんと微妙そうな顔をした。
「気持ちはうれしいけど、実を言うと魔王軍なんて存在しないんだ」
「えっ!?」
「軍なんて維持費の無駄だし、基本的には貴族が勝手に自衛してくれるからね」
ヴェルグレドがルクシアの方を見ると、ルクシアは頷いた。どうやら魔族領は人族の領域よりよっぽど平和らしい。
「まあでもアンデッド化した君は放っておくにはもったいない人材だ。適当な貴族のとこになら推薦できるけど?」
「願ってもない話です。ぜひお願いします!」
「うーんそうだな。じゃあこのへんを治めてるドュランド候の軍に推薦しよう」
そう言って魔王がさらさらと紙に何かを書く。
「これを持っていくといい」
「ありがとうございます!!」
「がんばってね~」
魔王が手をひらひらと振る。ゴルンは退出した。
「さて」
魔王が改めてヴェルグレドの方を向く。
「返事をもらえるかな?」
「……え、いやです」
魔王とルクシアが驚愕したようにヴェルグレドを見る。
……え? そんな驚くことなくない? 誰だって魔王の部下なんて嫌に決まってるでしょ。
ルクシアが絞り出したような声でヴェルグレドに言う。
「…私がっ、何のためにっ、ここまで苦労して連れてきたとッ……!」
「………そっか、嫌か。まあ最低限の支援は約束するよ。領民を救ってくれた恩もあるわけだし」
そんなわけでヴェルグレドと魔王は話を続けた。最終的に、三ヵ月ほど旅をできる程度の路銀と、ヴェルグレドを人族の領域へ戻すということで話はまとまった。
日も暮れてきたので、村長の家で一晩止まらせてもらうことになった。
≸
ヴェルグレドは、夜の荒れ野に一人立っていた。
見渡す限り何もない。空にはぽつんと欠けた月が浮かんでるのみで、星もない。
寒い。
ヴェルグレドは身を震わせた。そして、震えている自分の体が存在しないことに気づいた。手も、足も、頭すらない。まるで、体の境界が溶けて周囲と同化しているようだ。
ヴェルグレドは、焦って自分を集めようとするも、それは手のひらから零れ落ちる水滴のように、集めても集めても霧散してしまう。
『包んで』
どこからか声が響く。その声は、優しくて、そしてどこか悲しさを帯びていた。だが、ヴェルグレドがその声に応じることはなかった。まるで聞こえていないかのように、周囲を見回している。
ヴェルグレドは気づいた。この場所が、いつも慣れ親しんでいる負のエネルギーで満ちていることに。あまりに濃すぎて気づかなかった。
ヴェルグレドは空を見上げた。そこには何もなく、ただ、欠けた月がぽつんと一つ、浮かんでいるのみだった。
『包んで』




