ダルダシオーンへの道
〈……勇者オータットの変装はあまりにも見事だったため、今でも役者は、芝居の大当たりを狙う時にはオータットに願かけをする。このような形で、オータット信仰は現代に至るまで保存されてきた。
――ロルケ『新・オタジア今昔』〉
ヤシュタットが連れて行かれたのは、吹き抜けを階段で上がった二階にある、工場の事務室らしき部屋だった。外では空が白み出しているが、彼は一睡もさせてもらえなかった。仮眠は予めしていたため、そのこと自体はさほど辛くなかったが、水も出ないし、服のホコリも払えない。
とりわけ辛いのは、目の前に居る保安省の役人が、終始何も切り出さないことだった。自分に尋問することがあってここに連れ込んだんじゃないのか。彼はさっきからずっと、テーブルをいらだたしげに指で叩いたり、小さく咳き込むばかりだった。
「――あの」
「だまってろ」
何時間もこの調子だった。その都度ヤシュタットは気まずく下を見つめ、机の下で指を回していたりしていた。
心配ごとが山積みで、気が滅入りそうだった。……いや、向こうの目的はまさにそれなのではないかとも思う。自分のことを最大限まで焦らし、都合よく勇者オータットに仕立て上げて、騒乱の全責任を押し付けた挙句、処刑台の露にするつもりではあるまいか。
ヤシュタットはあくびを押し殺した。……その時ふいにドアが開き、眼鏡を掛けた――エッセのものと同じフレームだ――生真面目そうなコシュ・カムの女性が中に入って来る。彼女はその肌の色と同じ、濃い緑色のメスドレスを着ていた。
「あ、ご足労ありがとうございます」彼女を見て保安省の役人は立ちあがり、丁重な挨拶をする。ヤシュタットに対する姿勢とは大違いで、よほどの身分がある人だとわかる。
ヤシュタットはきょとんと彼女を見上げていたが、視線があうと、彼女の瞳が、一般のコシュ・カムの持つ猫の目ではなく、ヒト族のようなまんまるいものだと気付いた。
「随分長い時間待たせてしまいましたね。あなたにお会いしたいという方がいます」
「えっ?」そう言ったのは役人だった。「まさか直接お話しになるのですか。正気ですか?」
「ええ、事態は刻一刻と変化しているのです。――それも悪い方向へ。今までの時間ですら、大変惜しい使い方をしてしまいました。これ以上時間を空費するわけにはいきません」
「しかし彼はこの暴動の――」
「彼が何者かは、すでに情報が集約されて、調査済みなのです。あなたが心配することは何一つありません。……その前に彼には一度、清潔な服に着替えていただかないといけませんけどね」微笑んでいるのかどうかはよくわからなかった。そう返された役人も、
「ああ、はあ……左様ですね」と苦笑いを返すが、状況の変化など細かな点を知らされずに蚊帳の外扱いされていたことがわかって、いささか唇に悔しさをにじませた。
ヤシュタットは上手く事情は飲み込めず、少なくともこれ以上粗略な扱いをされる心配だけはなくなった、ということだけは理解できた。そして工場長の邸宅にまで連れて行かれ、そこで彼は旅装を解き、シタ・サーブ以来の熱いシャワーを浴びた。
そこで彼が着せられたのは、民俗資料館に眠っていたようなオタジアの伝統的な衣装だった。丈が合っておらず、裾が地面をこする。樟脳の匂いがきつい。
「すいません、なんでこんな格好を……」
「これを着れば、これから多少、緊張なさらずにお話が出来るのではと思ったのですが……」つまりこの人物の配慮らしいのだが、いささかずれていた。どの国でも儀礼用の服というのは動きづらく、そして真綿で首を絞めるような緊張を帯びているようなものなのだ。それに、頭に巻き直した包帯が滑稽で、不格好だった。
ヤシュタットは女性の後ろを、薄い緑色の絨毯をずりずりすりながら付いて行く。――窓の外からは柔らかい光が入るが、同時に殺気もガラス越しに染み出てくる。警備体制は万全らしかった。
「では参りましょう。何か知りたいことがございましたら伺いますけれど」
「エッセは無事ですか。それが一番の気がかりです」彼は真っ先にそれを尋ねた。
「はい、こちらで〈検査〉を受けさせていましたが、もうそれは終わりました」
「検査? それは医療的なものですか? それとも、その……」
「医療的なものです。どうか安心なさって」
そうは言われても、彼はもう、エッセがどういう生い立ちだったかを知っているのである。はい、そうですかと納得できる答えではなかった。
「どうしてぼくの扱いがこんなに丁寧なんですか」
「それは国防上の問題ですので、私の口からは説明しかねます」
「ビンディーとスタンソ先生は?」
「お二人も無事ですよ。身体の自由を、ある程度制限していますが」
「ビンディーは冤罪なんです。――冤罪というか、その、なんて言うか、誤解なんです!」
「大丈夫です、本当に。あなたは何も心配しなくてもよいのです」温和だが、超然とした態度にひるんでしまう。
「さあ、この部屋ですが、念のためわたくしも同席致します」そう言って案内されたのは〈執務室〉と書かれた部屋だった。
「はあ……」そういって彼女はきめの細かい鱗で覆われた手の甲で戸を叩く。
「お連れしました」
「ああ、入りなさい」
ここの工場長? ……どうやらそれよりもすごい人物らしい。
「失礼します……」ヤシュタットは開けられた重たい扉の隙間から、こそこそと入る。
「ジャスター!」ヤシュタットは面食らった。エッセがそこに居て、座っていた椅子――鉄を木の枝や蔓に模して組んでいる――からぴょんと降りて、とことこと寄ってきたのである。分厚い眼鏡、物々しい足の矯正器具とは不釣り合いな、愛らしいワンピースを着て。
「ななな、――まさかこんなところに」こうもあっさり彼女と引き合わせてもらえるとは思わなかったので、肩の力が溶ける。
「ジャスタ、これおいしいよ」
「えっ、えっ?」彼女の手の平には、琥珀色をした、高そうなキャンディーが握りしめられていた。「あ――うん、ありがとう」
「君がそれを食べるのは後にしてくれ。口をもごもごさせながら聞かれるのでは、たまらない」
その声はスタンソ――よりもずっとかすれた、錆びた金管楽器のようなものだった。その声の方に目を向けると、つんつるてんの軍服をまとった、とんでもない高齢だと思われる老人が、逆光の中、エッセと同じ種類の椅子に腰かけていた。
「ええと、ジャスタ・プネス君、オタジア国のプネス商会の御曹司――。君の席も用意しているから、まあ、お掛けなさい。きみにはなんというか、相談があるんだ」
その人物はなんと、この国の事実上の支配者と言える人物だった。
「は、はい」ヤシュタットはぎくしゃくと着席した。礼服の生地が、彼の身体を締め付けてくるように思えた。嘘を見破る、そういう魔法の布で出来ているのだろうか。
「緊張せずともよい。――政の多くは信頼する者たちにほぼ任せている。ここにいる今の私は、単なる半隠居のじじいです」
「あ、はあ……」ヌガン宰相はそういうが、それで肩の力を抜けるはずもなかった。
彼を案内してくれたコシュ・カムの女性が乳白色のお茶を注いでくれた。
「それはハハ・カカ――金大陸北の新植民地で生産されている笹茶だ。苦みが強いだろう? 寒冷なために発酵が途中で停止するからそんな味になるのだ」
「はあ……」ヤシュタットは恐る恐るすする。……たしかに、黒茶よりも苦いが、喉の奥で甘みに昇華する、なんとも複雑な味だった。
「この笹茶だけではない。――北国は確かに農作業にこそ適さないが、地下資源や嗜好商品には富む素晴らしい大地だ。この地を開拓すれば、わがホードガレイの国際的地位は盤石なものとなる。それは君の故郷のオタジア国にも多大な富をもたらすだろう」
「はあ、わかります」
「かの大地を五支族の手に取り戻す。場合によっては遷都だってする。この開拓事業が、私の最後の生業になるはずだった」
ヌガンも注がれたお茶を、やけ酒のようにクッと飲んだ。そして一口、二口と喉を潤すと、暇そうに足をぶらぶら揺らしているエッセを見つめた。エッセもそれに気付き、首を傾げる。
「私には子が七人いた。正妻の子は三人、側室の子は四人だ。……しかしこれは親族だけの秘密だが、もう一人、娘が居たのだよ」
「そうなのですか?」
「妻が最初に身籠った子なのだが、流産してな。それからは幸いにも子宝に恵まれたが、妻が産んだ子はみな男児で、側室につくらせた児はみな、〈あいのこ〉だった」
ヌガンは顎であのコシュ・カムの女性を示した。
「彼女は表向き、私の秘書の一人ということになっているが、実は私の孫娘だ。四分の一は魔族の血が流れているということになる。私の息子の多くは子を為す前に亡くなったから、私の直系の血を受け継いだのは彼女だけだ」女性は少し袖をめくった。腕にはわずかに、皮膜の痕跡があった。
「まあ、なんだかんだで子宝には恵まれたわけだが、それでも最初の児を抱く前に死なせてしまったというのは堪えられないものがある。今までずっと、生きていればいくつになったかを指折り数えては後悔してばかりだ」ヌガンはかぶりを振った。ヤシュタットは、新聞一面の定番であるこの老人が、自分に何を話したいのか判断しかねた。
「この悔恨こそ、私が大きな過ちを犯してしまう原因だったのだ、わかるかな?」
「いえ、失礼ですが話が見えないのです」ヤシュタットは正直に打ち明ける。
老人はしばらく天井を見つめていたが、寝言のように、こうつぶやいた。
「……ユアナは王位継承者ではない」ヤシュタットは、その名前がこの国の女王陛下の名だとわかるまで少し時間を要した。「あの娘――本来ならダルダションの宮殿にいるべきではないのだ」
ヤシュタットは戸惑うが、宰相はとめどなく話し続ける。
「私があの娘を見出したのは……三十五年前だ。当時のホードガレイは数多ある諸侯国の中の最大のものに過ぎなかった。私は理力と武力でもってこの亜大陸を統一したいという野望を持ち、それが出来ると確信した。……若さだったな」
「失礼ですが、それは実現したんじゃないのですか?」
「いや、君の国でも似たようなものだと思うが、全ての人間が理屈で動くはずがない。むしろそういう人間の方が少数派なのだ。人を動かすには眼に見える高貴な血筋と権威――つまりわかりやすい象徴が必要だった。
私は子供たちを貴族や軍内部の有力者たちと婚約させていき、国内での発言力を増した。……彼らはみな、途中で欲に心を奪われ、綱渡りに失敗してしまったがね。その一方で対外的な優位性を増すために、滅亡したはずの王朝を再興することを目論んだ。専門の機関を組織して散逸してしまった資料を丹念に収集した。この組織がのちの逓信省の基礎となったのだが、調査は容易に進まず、とうとう各地に残る、洗礼を受けて各地を放浪した王子が地元の女性と関係を持ったという伝説まで収集した。もちろんそんな内容の話を私は一切信じていなかったが、多くの人々が『我々こそ王朝の末裔だ』と名乗り出て、真新しい紙でできた家系図を持ち込んだものだ。
私は半ばうんざりしながらも、名乗り出た一人ずつを精査させた。彼らの多くは単なる詐欺師にすぎず、全員をひとまず投獄していった。……その中にとある夫婦がいたが、二人には三歳になる娘があった。私はこの娘に自分の長女の姿を重ねてしまった」
「それがその、今の女王陛下……」
「そういうことだ。情が写った私はあの児を祭り上げ、他の偽王を見せしめとして処刑した。権威を見せつけるには流血が必要だと思ったのだ」
「それで、陛下のご両親はどうなったのですか? ……まさか」
「いや、あの児の両親には手を掛けていないが、あいにく獄死した」しかしそれは、処刑したも同然だろう。「私は職務の傍ら、ユアナに実子と同様に、できることは全て施した。あの児はその卑しい生まれとは裏腹に、豊かな教養を身につけていった。その一方で、年頃になると己の出生と、日々の暮らし、公務との断絶について思い悩むようにもなった。特におぼろげに残る両親の記憶に苦しめられたらしい。
そんな多感な時期に、ホードガレイでは妖しい新興宗教が流行り出し、彼女はその毒牙にかかった。よくある革命の反動だ。その宗教の教えでは、堕落こそが天国へ行く道だと訴え、勇者オータの侵略こそホードガレイ全土を神の世界へ堕落させるものだという――。この教義は私の立てた殖産興業政策と相反する思想だった。しかもその教義は五支族ごとの土着信仰を習合させたもので、種族の垣根を超えて急速に勢力を伸ばして行った! 私は生きた心地がせず、蛇に飲み込まれながら内臓を一つずつ潰されていくような気分だった……」さっきまでカップを持っていた、ヌガンの偽指が震える。
「そしてもう一つ、私を絶望させることがあった。王宮内で働く女官を通して、ユアナはその教義に関心を持ちだした。そしてとうとう、教祖の義弟をお庭番として、私の許可なく雇い入れ、どんどんその教義に傾倒していった。なんと、その男は交霊術だと称してユアナの実母の魂を降ろして見せ、『私は獄死して救われた。あなたも早く、堕落の道を歩め』と吹きこんだのだ。……恐ろしいことだ。
私はすぐさまこの宗教団体を潰す気にはなれなかった。当時、女王の心の拠り所といえるものが、他になかったからだ。代わりに――と言ってはなんだが、国教の整備に努めて国民には統一後の新たな精神的支柱を用意し、その宗主に女王を据え置いた。それに、ユアナの婚姻も進めた――」
「あれ、女王陛下は確か独身では……」
「一度だけ、縁談を進めたのだ、私が……。相手は私が目に掛けていた、とある公爵家の青年だった。彼の父は内戦末期の私の親友で、その青年も品行方正で、父の後を継いで海軍省に勤めていた。――ユアナは要するに平民だ。ただでさえ年齢が離れているのだから、身分にも開きがあっては、二人三脚で夫婦生活をしていくことなど到底かなわないと考えたのだ。政治を担うのは我々だから、二人は国の象徴として、睦まじく暮らしてくれればよいとも思っていた。
……ところが事件が起きた。思い出すにも忌々しいことだが、青年は、死んだのだ。それも、恐らくユアナと二人きりのときに……」
青年は、女王と共に、避暑地にある別荘を散歩していた時に殺された。警護に当たっていた王室警察が目を離した隙に。彼は山道を縫う長い階段から突き落とされて、後頭部を強打して息絶えていた。
「彼は私を手篭めにしようとしたのです。なので私は抵抗し、彼を落としました」のちに女王はそう証言したが、ヌガンはこれを、教団の暗殺であると確信した。彼は国家保安省の特殊部隊を王都から北部三里ところの寒村にある教団の本部に送り込み、事実上焼き討ちした。本部の建物では幹部の他、ホードガレイ中から集められた古文書――そして教祖とその愛人たちの〈堕落〉し切った花園。その他禍々しいものの巣窟だったが、一部の資料を除き、それらを悉く焚いた。
「奴らはこちらが灰になる前に、魔術を用いて自らの身体を焼いていった。彼らはあっさりと己の生をあきらめて、死んでいったのだ。――その将来性のない刹那的な思想が、ますます許せなかった。……しかしひとりだけ、その死から逃れた赤ん坊がいた。教祖のハーレムにあったゆりかごに寝かされ、炎に身体を包まれる前に間一髪、隊員の手に寄って救出されたのだ」
ヌガンはエッセを、三度見つめる――。
「あ、あの、まさかエッセは……」
「ああ、向こうの網にかかる前に、こちらのタモで、すくうことができた」
ヤシュタットはとっさにエッセを抱きしめ、守ろうとする。
「その子の命は保証しよう。この子に罪はないし、小さな命を傷つけたところで無益だ。仮に手を掛けたければ、君がここに来るまでの間、いくらでも機会があったではないか。――ただの偶然とはいえこの児は生きることを選ばれた。その命を奪うことはためらわれた……。しかしユアナと同じ轍を踏むことだけは避けたい。私はこの娘を、世間から完全に隔離することとした。彼女をハイヤの古い石灰鉱道にこしらえた、一室だけの牢獄に閉じ込めた。半年ごと私の元に届けられた報告によれば、記憶が戻らないよう投薬もされたようだが、その他にも様々な折檻もされていたようだ」
この子の記憶力は薬の副作用? そんな薬品が存在すると云うことの方が魔術的だった。そんな話をされると、ヤシュタットはますますエッセを離すわけにはいかなかった。彼女は腕の中で、少しだけもがいてお皿の上のお菓子に手を伸ばそうとしていた。
老人はヤシュタットの懸念を黙殺し、昔話を続けた。
「――それからだ、ユアナ女王が〈狂女〉だと噂されるようになったのは。あらゆる公務では虚言に奇行が目立つようになり、とても表舞台に出せるような状態ではなくなった。異人の君でも、この話は知っているはずだ。広く流布していることだから」
もちろんヤシュタットは知っていた。表敬訪問した外国の外交官の頭を不意に叩いた事件、新法の公布の際には必ず証文を一度は破らないと気が済まないという話、女官を裸にして、手足を縛って重しにくくり、一晩中首から下をダルダション湖に沈めた話……。奇行の種類こそまったく違うが、ヤシュタットは沈黙王の逸話を思い出さざるを得なかった。
「しかしあの子を〈君主〉として担ぎ出したのは私だ。そうやすやすと廃位にするわけにはいかない。だから彼女の公務のほとんどを私たちが肩代わりして、女王は王宮の中庭や離宮でもっぱら庭いじりをさせた。――さすが私が見込んだ娘だ、庭いじりの腕は見事だったよ! しかし私としたことが、ユアナのことを心底、ただの傀儡であり続けていると思い込んでいたのだ。彼女の発狂は心の支えを失ったせいで空っぽになったからだと錯覚した。……本当は〈教団〉を再興するために、十年の月日をかけて、周到に準備していたのだよ。いや、あの娘は今でも空っぽの操り人形なのかもしれん。空っぽの容器に、〈教団〉の歪んだ価値観が並々と注がれ、満ち満ちてしまったというところか。
ユアナは私と比類する組織統率能力を見せた。各組織に自分の真意を巧妙に隠し、一つずつ、目的を達していった。ティーティー!」
彼の孫娘は、本棚から『産業統計』と書かれたパンフレットを取り出し、その中に挟まれていた書類を差し出す。
「長話をしてしまったが、説明するよりも見るが易しだ――」それは王女ユアナの陰謀の全容を簡素にまとめたものだった。
一枚目――国内の無政府主義組織や〈教団〉の残党を動かしてコバトとシャンバンハでのテロを起こし、政府内で国内外からの恐怖を意識させ、極秘に研究中だった〈双子〉の尻尾をつかもうとし、軍部はまんまとそれに乗っかった。陸軍にいる内通者を通して情報を得ると、かねがね撒き餌を播いていた在留オタジア人組織を教唆して、オータ熱に浮かされた若者たち――その中には無論、フシーオもいた――を扇動、〈双子〉の基幹技術を奪取させ、それらをダルダションに持ち込ませる。各地でオータの故事にちなむ騒乱を起こし、警察組織の機能をマヒさせる……。
「ひょっとして〈双子〉はもう、王都にあるんですか?」
「ああ、無論だ。すでに試射も済んでいる――続きを読みたまえ」
二枚目――内容はエッセについてだった。融資を銀行から拒絶されて、資金振りに苦しむハイヤの山師たちを唆し、幽閉されたエッセを脱出させる。自由学校の義侠心を利用して、巡礼者に紛れこませ、ハイヤを脱出させる。その後頃合いを見て彼女を奪取するはずだったが、スタンソが夜陰に紛れて移動した上に、『イ』の警備が鉄壁すぎた。それに、ヌガンが張り巡らせた諜報網もある。エッセはユアナ女王にも、そしてヌガン宰相の手中にすらハマることなく、シタ・サーブまでたどり着いてしまった。
三枚目――その後騒乱は各地で生き残った〈教団〉信者と、似非オータたちが扇動して発生した。彼らは主に、公安組織を疑心暗鬼に陥らせて憂国心を煽ったり、各地域の民族対立の炎を燃え上がらせたりする方法を用いたが、いずれもすぐさま鎮圧された。これは権謀発覚後に組織された臨時の行政組織が上手く機能したことと、首都にエネルギーを供給するシタ・サーブ・タララ両市の平定が迅速に進んだことも大きい。舌を巻く他ない。
「宰相閣下――」
「なにかな?」
「タララは速やかに平定されたとありますが、そこにはぼくの友だちが残っています。彼女は無事ですか?」
「おお、それなのだが」宰相は好々爺といった風に、おどけた声を出す。「我々が君らに手出し出来ない最大の理由は、まさにそこにあるのだよ」
「え?」
「君が言っているのはタララの暫定代表である、タニクとかいうお嬢さんのことだろう。彼女は陸軍が駐留したときには既に都市をほぼ掌握しており、すぐさま燃素鉱石の供給を再開した。この騒乱の一旦を解明する手掛かりすら提供してくれたが、彼女は何より先ず、君らの身の安全を保障するよう求めてきた。さもないと燃素供給は停止せざるを得ない。軍の自由度は、彼女の手の平にあると言ってよい」やっぱり彼女は喧嘩腰だった。
「友達として謝罪させてください。本当に失礼しました」
「いやいや、このタニクは今回の騒乱を鎮圧した英雄といってもよい。勲章ものだ。
恥ずかしいことだが、私は――そして女王は共に、今回の騒乱の中で、トン族のことをまったく計算に入れてなかったのだ。私は彼らのことを、心を持たない烏合の衆だと思っていたし、彼女が心酔する〈教団〉の教えには『トン族は死体の腐敗という段階がない、ということは堕落の境地に達することができない』という章があり、やはりこちらでも烏合の衆扱いをしていたのだ。せいぜい混乱の最中、跡形もなく消されるであろう木端な存在としか思っていなかったわけだ」
「そうですか……」まあ、これがきっかけになり、トン族の立場が安寧なものになれば、友達として、これほど喜ばしいことはない。
「それで、閣下はジャンムリオーンでぼくらを発見して、身柄を保護してくれた。――これからぼくとエッセはどうなるのですか? ほとぼりが冷めるまで、匿っていただけるのですか?」
「いやいや、そんな時間はない。私が君をここに招いた理由は、あくまでも『相談』なのだ」
「どういうことですか?」
「君にはダルダションに行ってもらいたい。――私の特使として、巡礼を終わらせるんだ」