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歴史学科卒の私がショックを受けた日本史 〜勝てば官軍、負ければ極悪人之家也〜  作者: まるちーるだ


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第12話 法律に書いてあるから、守られていたとは限りません


前回、武家諸法度は幕府の怖かったものリストでもある、というお話をしました。


勝手に婚姻するな。


城を勝手に直すな。


大きな船を造るな。


勝手に徒党を組むな。


家を勝手につなぐな。


殉死するな。


礼義を正せ。


賄賂をするな。


公務をちゃんとしろ。


並べてみると、だんだん幕府の声が聞こえてきます。


頼むから勝手に動かないでください。


頼むから戦国の空気を持ち込まないでください。


頼むからちゃんと届け出てください。


頼むから死なないで働いてください。


幕府、胃が痛そう。


さて。


今回はそこから少し進んで、


「法律に書いてあること」


と、


「実際の運用」


は同じではない、という話をしようと思います。


ええ。


また面倒くさい話です。


歴史学科卒、こういう話が好きです。


さて、法律。


現代でもそうですが、法律に何かが書かれていると、ついこう思いがちです。


「そう決まっていたんだ」


「だから、そう守られていたんだ」


「そういう制度だったんだ」


もちろん、間違いではありません。


法律に書かれている以上、それは制度として定められたことです。


守るべき決まりです。


社会を動かすためのルールです。


でも。


法律に書いてあるからといって、現実がその通りに動いていたとは限りません。


ここ、大事です。


とても大事です。


法律に書いてある。


でも、守られないことがある。


法律に書いてある。


でも、抜け道を探す人がいる。


法律に書いてある。


でも、現場では運用で何とかしていることがある。


法律に書いてある。


でも、実際には例外が出ることがある。


法律に書いてある。


でも、そもそも「守られていないから書かれた」場合もある。


ここが、ワンコさんが法制史を学んでいて面白いと思ったところでした。


法律は、現実から離れたきれいな理想だけでできているわけではありません。


むしろ、現実が面倒くさいから法律ができます。


困ったことが起きる。


抜け道を突かれる。


想定外のことをされる。


秩序が乱れる。


現場が困る。


上が困る。


責任者が胃を痛める。


そして、こうなる。


「法度に書け」


歴史学、また人間くさいところに戻ってきました。


たとえば、殉死の禁止です。


殉死。


主君が亡くなった時に、家臣が後を追って自殺することです。


戦国以前の価値観や、武士の忠義という見方からすれば、美談として語られることもあります。


主君の死に殉じた忠臣。


命をかけた忠義。


最後まで主君に仕えた家臣。


物語としては、とても強いです。


けれど、幕府から見るとどうでしょう。


主君が亡くなりました。


家臣が殉死しました。


また一人死にました。


また一人死にました。


有能な家臣も死にました。


次の当主を支えるべき人がいなくなりました。


家中が不安定になりました。


遺族も出ました。


家臣団のバランスも崩れました。


幕府から見ると、


「いや、死なないでください」


となります。


本当に。


死なないでください。


主君への忠義は分かります。


その気持ちは分かります。


でも、死なないでください。


次の当主を支えてください。


家を安定させてください。


領内を治めてください。


幕府に余計な心配をかけないでください。


つまり、殉死は美談であると同時に、制度上はかなり迷惑な行為でもあったのです。


ここで面白いのは、


「殉死禁止」


と書かれたからといって、その瞬間に人々の価値観がすぱっと変わるわけではない、ということです。


法律に書かれました。


はい、今日から殉死はなくなりました。


……とは、なりません。


人間ですから。


価値観があります。


家中の空気があります。


忠義の見せ方があります。


周囲の目があります。


主君の死に対して、どう振る舞うべきかという武士としての感覚があります。


だから、禁止しても起きる。


起きるから、処分される。


処分されるから、さらに厳しく言われる。


そして、やがて法度の中に組み込まれていく。


つまり、法律に書かれていることは、


「もう解決したこと」


ではなく、


「幕府が解決したかったこと」


である場合があります。


ここ、ワンコさん的にかなり大事です。


法律に書いてあるから、守られていた。


ではなく。


守らせたかったから、書いた。


守られないと困るから、書いた。


放置すると危ないから、書いた。


そう考えると、法律の見え方が少し変わります。


殉死禁止の条文は、


「殉死は良くありません」


という道徳の話だけではありません。


幕府からすれば、


「主君が死んだからって、家臣団まで不安定にしないでください」


という、かなり現実的な話でもあったのです。


次に、末期養子です。


出ました。


末期養子。


また出ました。


ワンコさん、このあたりが専門だったので、どうしても語りたくなります。


末期養子とは、当主が重病や危篤になった時に、家を絶やさないために急いで立てる養子のことです。


いわば、駆け込み養子。


当主が危ない。


跡継ぎがいない。


このままだと家が絶える。


急げ。


養子を立てよう。


幕府に願い出よう。


これだけ聞くと、


「家が絶えたら大変だから、認めてあげればいいのでは?」


と思います。


ワンコさんも、最初はそう思いました。


家、大事ですもの。


武家社会では、家の存続はとても大事です。


けれど、幕府から見ると、末期養子はかなり怖い。


当主が死にそうです。


急に養子が出てきました。


その養子、誰ですか。


どこの家の子ですか。


なぜその子なのですか。


もっと近い血筋はいませんか。


その養子を入れることで、どこの家が得をしますか。


その家の領地と家臣団は、結果的にどこの影響下に入りますか。


怖い。


めちゃくちゃ怖い。


末期養子は、ただの家族問題ではありません。


政治です。


領地です。


家臣団です。


勢力図です。


だから、幕府は警戒します。


とても警戒します。


しかし、厳しくしすぎると今度は別の問題が起きます。


跡継ぎがいない。


養子も認められない。


では、家は断絶です。


改易です。


領地は没収です。


家臣団は職を失います。


浪人が増えます。


浪人。


ええ。


浪人です。


これもまた、幕府にとって怖い。


仕事を失った武士たちが増える。


不満がたまる。


治安が悪くなる。


場合によっては、幕府への不満の受け皿になる。


あ、やべえ。


厳しくしすぎても危ない。


ここで幕府は悩みます。


勝手に養子を立てられるのは怖い。


でも、家が潰れすぎるのも怖い。


どうするか。


吟味します。


つまり、


「勝手にはさせません」


「でも事情によっては考えます」


「ただし、ちゃんと幕府が見ます」


という方向へ動いていく。


これが運用です。


法律に、


「駄目です」


と書く。


でも現実には、


「全部駄目にすると別の問題が起きます」


となる。


だから緩める。


でも、


「緩めすぎるとまた抜け道になります」


となる。


だから吟味する。


締める。


困る。


緩める。


また困る。


調整する。


法律は現実と綱引きをしています。


これが面白い。


とても面白い。


そして、ものすごく人間くさい。


法律というと、白黒はっきりしているように見えます。


許可。


禁止。


処罰。


届け出。


でも、実際には、その間にたくさんの判断があります。


この家は認めるのか。


この養子は近いのか遠いのか。


血筋はどうなのか。


由緒はどうなのか。


年齢はどうなのか。


当主の状態はどうなのか。


事前に届け出ていたのか。


本当に末期なのか。


周囲の家との関係はどうなのか。


政治的に危ないのか。


家を潰す方が危ないのか。


判断することが多い。


多すぎる。


幕府の担当者、胃が痛かったと思います。


ワンコさんなら胃薬を飲みます。


そして、ここで大事なのは、


法律は「条文」だけでは動かない、ということです。


条文があります。


でも、その条文を誰が読むのか。


誰が判断するのか。


誰が届け出るのか。


誰が許可するのか。


誰が処分するのか。


どの家なら許されるのか。


どの家なら許されないのか。


その時の政治状況はどうなのか。


将軍は誰なのか。


老中は誰なのか。


その家に過去の功績はあるのか。


問題を起こした家なのか。


全部関わってきます。


法律に書いてあること。


実際にどう扱われるか。


この二つは、似ているようで違います。


ここでワンコさんは、現代の法律も思い出します。


法律に書いてあります。


でも、実際の運用では通知が出ます。


通達が出ます。


ガイドラインが出ます。


判例が積み上がります。


行政の判断があります。


現場の解釈があります。


「法律にはこう書いてあるけれど、実務ではこう扱います」


ということが出てくる。


江戸時代も同じです。


もちろん、現代の法制度と江戸時代の法制度をそのまま同じように扱うことはできません。


時代も制度も違います。


でも、


法律があって、


現実があって、


その間を人間が運用する。


ここは変わりません。


法律は、人間が使うものです。


だから、人間くさい。


ものすごく人間くさい。


武家諸法度を読んでいると、そこが見えてくるのです。


たとえば、賄賂の禁止。


賄賂をしてはいけません。


はい。


当たり前です。


今の感覚でも当たり前です。


でも、ここでワンコさんは思います。


わざわざ書くということは。


ありましたね?


そういうことが。


ええ。


ありましたね?


もちろん、条文に書かれたからといって、


「この時代の人は全員賄賂まみれでした!」


などと言いたいわけではありません。


そんな雑な話ではありません。


けれど、賄賂を禁じる条文が出てくるということは、少なくとも幕府がそれを問題視していたということです。


権勢を借りる。


内縁を頼る。


裏から手を回す。


公務を私物化する。


そうしたことが、制度にとって邪魔になる。


だから禁じる。


ここにも、幕府の警戒心が見えます。


法律は、理想を書くだけではありません。


現実の困りごとを書くことがあります。


「こうあってほしい」


と同時に、


「こういうことをするな」


でもある。


つまり、法律は理想の表明であり、苦情メモでもあるのです。


ワンコさんは、そういう目で法令を見るのが好きです。


性格が悪いのでしょうか。


いえ。


歴史学科卒だからです。


たぶん。


たぶんです。


たとえば、


「公務をちゃんとしなさい」


と書かれていたら、


公務をちゃんとしていない人がいたのかな。


と思います。


「賄賂を禁じます」


と書かれていたら、


賄賂が問題になっていたのかな。


と思います。


「群飲佚遊を禁じます」


と書かれていたら、


飲んで遊びすぎる人がいたのかな。


と思います。


「殉死を禁じます」


と書かれていたら、


殉死が出て困っていたのかな。


と思います。


「末期養子は吟味します」


と書かれていたら、


駆け込み養子で揉めたのかな。


と思います。


法律を見る時、書いてあることだけを見るのではなく、


なぜそれを書かなければならなかったのか。


そこを見ると、急に面白くなります。


条文の向こう側に、人間が見えます。


困った幕府。


抜け道を探す大名。


家を守りたい家臣。


処分を避けたい当主。


なんとか存続したい家。


秩序を守りたい政権。


そして、現実に振り回される法律。


歴史学、やっぱり面倒くさい。


でも、面白い。


ここで、もう一つ大事なことがあります。


法律に書かれていることは、


「現実をそのまま写したもの」


ではありません。


法律は、


「そうしたい」


という意思でもあります。


「そうあってほしい」


という理想でもあります。


「そうでないと困る」


という不安でもあります。


だから、法令史料を読む時には、


「これが書かれているから、当時の社会は完全にこうだった」


と考えるのは危険です。


むしろ、


「こう書かなければならない事情があった」


「これを問題視していた」


「この方向へ社会を持っていきたかった」


と考えた方が見えてくるものがあります。


たとえば、


「礼義を正しなさい」


と書かれている。


では、当時の武士たちは全員礼儀正しかったのでしょうか。


そんなわけはありません。


たぶん。


もちろん、礼儀を重んじる意識はあったでしょう。


でも、わざわざ法度で掲げるということは、幕府が武士たちにそういう姿を求めていたということです。


戦国の武功第一の空気から、平和な時代の秩序ある武士へ。


力で暴れる武士から、礼義をわきまえる武士へ。


幕府は、そういう方向へ武家社会を持っていきたかった。


つまり、法律は現実を映す鏡であると同時に、理想を押し出す看板でもあります。


ここが面白い。


条文に書いてあることは、現実そのものではない。


でも、現実と無関係でもない。


現実があるから書かれる。


理想があるから書かれる。


不安があるから書かれる。


困りごとがあるから書かれる。


そして、書いた後も現実に合わせて運用される。


法律は、紙の上で完結しません。


人間の中で動きます。


だから、法律に書かれていることと、実際の運用は同じではありません。


同じではないからこそ、面白い。


この家は処分された。


この家は許された。


この時は厳しかった。


この時は緩かった。


この条文は追加された。


この条文は消えた。


この言葉は変わった。


この規定は後に緩和された。


その一つ一つに、


なぜ?


があります。


歴史学は、その「なぜ?」を追う学問でもあります。


そして、追い始めると迷宮に入ります。


先輩の言葉を借りるなら、


「研究すればするほど迷宮に入る」


本当にそれです。


法律に書いてあるから、そうだった。


では終わらない。


法律に書いてある。


では、なぜ書いたのか。


誰に向けて書いたのか。


何を怖がっていたのか。


実際にはどう運用されたのか。


その後、なぜ変わったのか。


別の史料ではどう見えるのか。


気づけば迷宮です。


ようこそ、法制史の迷宮へ。


入口には武家諸法度があります。


奥には末期養子と殉死と賄賂と上裁と差図がいます。


帰り道はたぶんありません。


ワンコさんは卒論で、そのあたりをうろうろしておりました。


そして思いました。


法律、面白い。


でも、面倒くさい。


面倒くさい。


でも、面白い。


結局、このエッセイはずっとそれを言っている気がします。


史料は大事。


でも、史料に書いてあることだけがすべてではない。


法律は大事。


でも、法律に書いてあることだけで現実が分かるわけではない。


創作は入口。


でも、史実そのものではない。


呼び名は便利。


でも、ラベルは人間を削ることがある。


歴史学、どこまで行っても面倒くさい。


そして、どこまで行っても人間くさい。


ワンコさんが武家諸法度を読んで面白いと思ったのは、まさにそこでした。


法令という、とても堅そうなものの中に、人間の不安や都合や理想が詰まっている。


幕府の警戒心が見える。


大名家の事情が見える。


家臣団の不安が見える。


社会を安定させようとする必死さが見える。


法律は、きれいな文字で書かれた胃痛メモです。


ワンコさんは、そう思っています。


もちろん、これは学術的な言い方ではありません。


卒論に、


「武家諸法度は幕府の胃痛メモである」


とは書けません。


書いたら指導教員に怒られます。


たぶん。


でも、エッセイなので言います。


武家諸法度は、幕府の胃痛メモです。


法律に書かれていること。


実際の運用。


その間にある人間の事情。


そこを見ると、法制史は急に面白くなります。


次回は、この流れで、もう少しだけ「江戸幕府はなぜ安定したのか」という話に触れてみようと思います。


武力で押さえつけただけでは、二百年以上は持ちません。


法律。


儀礼。


格式。


婚姻。


養子。


参勤。


城。


全部を組み合わせて、幕府は大名たちを徳川の秩序の中に置こうとしました。


江戸幕府、思ったよりかなりシステム屋です。


そして、やっぱり胃が痛そうです。


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