12 愛・おぼえていますか
紫の空は硝子をわったように崩れ、町に降り注ぎ出していた。
宙に入る亀裂、そんなものは普通の人間であれば見る事のない景色だ。
これは時間と空間というもの、そのものを完全に崩壊させている現象である。
人の手でなせる事のない業は、神の顕現という世界崩壊へのカウントダウンとともに、人世界を粉砕し始めていた。
荒れ狂う風と、氷を含んだ凶悪な雨として。
「……あれがニムルさん……」
アルンが届けたブラックハートによって、道の光が天を突いた時に出来た漆黒の大穴。
それを中心に腹の奥に響く重い轟音が空を割り、真っ暗な闇の中から真っ赤な隕石のような巨大な力が手を伸ばそうとしていた。
寄り添うように隣に飛んだポン様の目は、いつも以上にとがり睨む顔で泉に聞いた。
『どうするアイレシオン、愛を知った神の悲しみを止められるっちょか?』
世界に響く慟哭、地面を揺らし、海を震え上がらせる声、真上から落ちてくるニムルを見つめる。
下界では、響き渡る音に乗った破壊の波が所狭しと走り、ビルの窓硝子、電飾看板のランプ、全てが降りてくる上の姿を畏れに身を割ってひれ伏していく。
「止めるわ……」
ポン様に向ける答えは決まっていた。
これを止めなければならない、だけどそれ以上に心に痛みがあった。
自分の前から消えてしまったアルン、どうしてアルンの想いを掬いあげられなかったのかという心臓に走る亀裂。
「アルンちゃんのためにも、必ず止めてみせる」
『相手は神っちょ、並大抵の事では止められないっちょ。あれが空から地に降りたとき、世界はもたらされるエネルギーの大きさにたえられないっちょ、それでも受け止められるのか?』
「受け止めるわ。だって私は悲しみの愛を知って、想いの深さを見た。滅私の愛を知って、残される辛さを今見ている」
たくさんの愛を知った。
目の前にあった両親の不仲、その向こうにあった祖母の愛。
友達がくれた互いを磨くために必要な弱さと、強さ。
自分にはなにもないと思っていた。この先も何もなくつまらない人生を歩いていくと決めていた。
でも、知ったのだ。
愛を思い出した。愛があったからこそ自分はここに産まれ生きている。
時にそれが自分を弱くして、迷うけど。
それが無ければ生きられない。愛する人を失う辛さを知って、今を生きる人に優しくなれる。
ならばその逆だってある。愛する人が自分のために命を失ってしまったのならば……残された人はどうなるのか。
手の中に残るアルンの欠片……妖精は砂に返り、愛した主を世界に呼んだが。
「アルンちゃん……間違っていたよ。貴女を失って、こんなに泣いている人がいるんだよ」
暗転し闇から吹き出す赤い空に、同じく地響きを起こし足下を寄らす声が聞こえる。
愛する子を失った神の慟哭は、世界を揺さぶり続けていた。
悲しいと、悲しみに苦しんでいると。
「力を貸してね……一緒にいこう!!」
手に残った砂を抱いて、ニムルが落ちる海に向かってアイリュシオンは飛んだ。
海を奮わせる波状の波、その上に苦しみの嗚咽を上げるニムルに向かって、錫杖を掲げ、手を上げた。
「私が……受け止めて、押し返してみせる!!」
『お前がちょっか?』
「そう、愛の使徒アイレシオンとして!!」
自分しか出来ない事。それに気が付いた泉の顔は輝いていた。
だがポン様の視線は暗かった。
諦めというよりも、どこかふさぎ込み、言葉を飲み込んで目だけを見ている。
「ポン様、不安なのはわかるよ。私、今まで全然ダメだったもんね……だけど私はやるよ。逃げないよ」
『そんな心配はしてないっちょ……』
泉の返事にポン様は濁った答えしか返さなかった。
今や紫の夜は終わり、赤と黒の織りなす割れた空、響き渡る地鳴りと海鳴りの中で、地に住まう人々はただ見ている事しかできない状態だった。
誰も枯れもが、割れた空を呆然と見て、世界が終わってしまう事を確信せざる得ない状態だった。
空からくる圧力、神の持つ力とエネルギーに世界は押しつぶされる一歩前にある。
その中をアイレシオンは飛び、ポン様は静かに見つめていた。
響き渡る激震の中で、元バルキュリア達も互いを支え変わっていく世界を見つめていた。
「あれが……闇王ニムル……」
「大きすぎる……月じゃないの?」
驚きと、ほおけた顔しか見せられないほど事態は急転していた。
アルンの届けたブラックハート。最後の一粒は、次元のドアを開いてしまい氷の園から人世界に降りる神の姿は普通の人達の目にも映るようになっていた。
それまで幾層にも分けられていた、世界の壁が脆く壊れ、食器棚を上からぶち壊すように割れて隔たりの次元を砕いて現れた間近の月。
そう誤解してしまうほど、空を覆う大きな真円の姿は眼前をフライパンで隠されたような近すぎる暗闇の炎。
金色に輝いた夜空の宝である月が、真っ赤に染まって怒りの顔を近づける。
あまりにも巨大なため、いまにも触れられそうな錯覚を起こしてした鳩子が手を空に游がせていた。
さらには数多の欠片と、友に氷に埋まっていた意思無き邪悪の創造が空を駆け巡り始めていた。
「あんなの、止められるわけがない……」
光の軌跡を流し、海に落ちてくるニムルを止めるために真下に入ったアイレシオンを目で追っていた頼子は座り込んでいた。
片手で鉄柵を掴み、これ以上落ちる事のない場所にあっても震える自分の足を立たせる事が出来なくなっていた。
ここまで、頑張ってやってきたが緊張の糸は限界を振り切っていた。
相手の形がわかる、自分達とは変わらない容姿だったアルンならば、こんな恐れに身を震わせる事はなかった。
むしろ今まで、相手が人型だったから立ち向かえた事を実感していた。
アルンの影に、王と呼ばれる恐怖がこれ程に巨大な存在だった事を知って、体の芯にあった心の鉄がコンニャクにでもなってしまったかのように座り込んで、とても立ち上がる気力など湧かなかった。
「うわぁぁ!! 泉!! 一人でいくなよ!!!」
「私達を呼んで!!!」
立ち上がれない頼子達をよそに、海に向かって飛んだ泉を有紀と鳩子は追っていた。
「ここ!! ここにいるから!!」
取り戻した鞄を振る鳩子の隣で、有紀も大きな声で呼んだがとても届くとは思えない状態。
綺麗にはめ込まれていた世界のパズルというものが砕け落ちる音で溢れる中で声を届けるのは不可能だった。
端の鉄柵で二人は乗り出し、ともすれば振動で坂を転げ落ちそうになっている所を和美が止め、その姿を乙女は見ていた。
光の粉を白銀の翼から撒いて最後の大勝負に進む孫の背中に、祈っていた手を解いて。
「泉、それではダメなのよ。それだけでは……止められない」
細めた目で、最後の抗いを見せるアイレシオンの背中に諌言を零していた。
「貴女の力では止められないのよ」
右手を少し、前に延ばし落下地点に飛ぶ孫の背中を掴もうとした手をもう一度組み直した。
アイレシオンは両手で掲げた愛の御座の下で耐えていた。
落ちる神の直下で構えた最後の戦いだったが、やはり相手は大きすぎた。
それと共に、氷の園にいた未熟な創造物達が世界に降り注ぎ始めた事で心の中には煮え立つ焦りが起こり、とても一つの事に集中していられない状態だった。
「重い……」
考えるまでも無く、落ちてくる神の重さはタンスを持ち上げるとかそんな程度のものではなかった。
骨に直接ハンマーを打たれるような痛みが走る。
これでもまだ本体がぶつかっている訳ではない。本体が現れる事で押し出される異次元の圧力は恐ろしい程の高温。
顔を溶鉱炉に突き出すし、皮膚を焼かれ、支えて掲げる手の感覚はすでに失われていたが、それは神経を爪切りでつままれるような痛みに等しかった。
何度も首をふり、痛みの放射をしようともがく中で涙が出る。
涙は自分が痛めつけられる事だけに流したのではなかった。
間近で見る苦しみの嗚咽、嘆きの神の声が伝える苦しみを、剥き出しの心が感じ取ってしまっていたから。
「泣かないで……涙を……怒りに変えてしまわないで……」
上げ続けた顔に振る雨。
それは氷の園を溶かしたニムルの怒りだったが、泉には涙のように感じられた。
それ程に響く声は心に刺さり続けていた。
「お願い!! 止まって!! 世界を壊さないで!!」
四枚の羽根を開き、落ちる太陽を支えるアイレシオンだが勢いを微弱にも止める事は出来ていなかった。
刻一刻と、世界を破壊する鳴き声。
呼応する邪悪な有象物達は、アイレシオンを避けて町に降下を続けていた。
火を吐く魚、氷の風を吹かす鳥。
目のない犬はそれぞれ降り立った地にある人、物達を襲い始めていた。
「止めて!! お願い!! ニムルさん、私の声を聞いて!!」
熱さで焼け付き、乾ききった喉を締め上げながらも叫ぶ。
嘆きの魂に向かって声を挙げる
「ニムルさん!! お願いだから……私の言う事を聞いて欲しいの……私だってアルンちゃんを……」
『だまれ』
その声は初めて聞く物だった。
赤く燃える塊として地表を目指すニムルの声はアイレシオンだけに向かったものではなかった。
優しくもざらついた太い声は、鼓膜を叩く深い波紋のように広がる。
『ゆるさぬ、許さぬ……』
今まで石の塊として見えた影から大きな手が現れる。
大地を掴み、引き千切ろうとする手に向かって飛んだ
「愛……」
心に響いた声が言う愛。
愛を、愛した人を失った事をニムルは許さない。
許せない程、心をきつく締め付ける感情を知った、愛を知った無機質の神はもがき苦しんでいた。
涙を振らせるその言葉に、伸ばされる巨大な手を錫杖で押さえながらアイレシオンは答えた。
「私だって……許さないよ。アルンちゃんを失った事を許せないよ。だけど、貴方が手を奮って私の愛する人を失わせるのを放っておけないの!!」
『許さぬ!! 我から子を奪ったお前を許さぬ!!』
やはり返る言葉はアイレシオンではなく、もっと別の存在を叩くように空を巡る。
伸ばしていた手は振りかぶられ、抑えていたアイレシオンに豪打を放った。
風ではなく、雲の間を割り突き抜けた拳は嵐を撒いて支える錫杖共々遙かな海に叩きつけた。
飛び石のように何度も海の上を転がされ、白い羽根を雪のように舞い散らせて倒れる。
落ちた羽根が、転げた先を示す道筋のように続く果てで、全身を削られる痛みからあげた顔がニムルを見る
「話しを聞いてよ、私はアルンちゃんの事だって大切に思っていた!! 友達になれると思っていた!! 私にとっても大切な人だったよ……」
『だまれ、ならば何故消した!! 神の使徒よ!!』
吠える巨像。
その声が発する嵐はたちまち海の上に大きな波を起こした。
沈む事はなく、海の上に転がるアイレシオンに向かってニムルの拳は高く振り上げられていた。
「ニムルさんが大切だったから、アルンちゃんは貴方に全てを捧げてしまった!! だからこんな事になって、でもそれは間違っていて……貴方も悲しくて……」
山の尾根ほどに高く揺れる波間を転がり、縁にしがみついて起き上がった。
絶望を力に、消えてしまった愛する者へ届かせる感情が……悲しみや苦しみだけでいいわけがないという強い意志で
「私も悲しくて……」
『沈め!! 使徒よ!!』
二の手は海に立つアイレシオンを海底に打ち付けるように海を殴った。
大きく海を抉るこぶしの波は、王冠がごとき巨大な波を起こした衝撃を有紀も鳩子も呆然と見ていた。
港に浮かぶ船がバッタ程度にみえる巨大なこぶしに敵うなど考えられない。
目を開き、インパクトの根元、激しく揺れ立つ波間にアイレシオンの姿を探した。
「……泉……泉ぃ……」
「そんな……」
叫ぶ力を削ぐ程に、大きすぎるニムルの力に元バルキュリア達の脳裏にあるのは絶望だけだった。
叩かれた海からはじき飛ばされた波が雨となって注ぐ中、頼子も和美も言葉を無くしていたが
「泉……泉!!!」
声を挙げたのは有紀だった。
海を押し分け、地鳴りを響かせたこぶしの下でアイレシオンは立っていた。
愛の御座を両手で支え、自分を潰そうとするこぶしを懸命に抑えて。
届かない手、守れない心に意地が鬩ぐ。
唇を噛み、痙攣する腕を立たせて。
痛みと豪打の恐怖で心を磨りつぶされてたまるかと、歯を砕く程食いしばった姿で立ち上がった。
相手の大きさ、それが繰り出す巨大な破壊に足が震えていたが、このままいけば世界が無くなってしまう。
「私にだって……愛する人がいるの……」
切れた口の中に、苦い鉄の味が立ちこめていた。
涙がいっぱいに溢れて、腹の染みに溜まったマグマを吐き出した。
「愛しているの!!! みんなを!! お父さんを、お母さんを、有紀を鳩子を友達を、お祖父ちゃんも、お祖母ちゃんも、エルルも、ポン様も……」
杖に寄りかかってなんとか身を起こす。
とても光の使徒とは思えない波にもまれたボロ布のような自分。
でも抑えていられない気持ちだけが一本、強く心を立たせていた。
「アルンちゃんも……みんなを愛しているの!!! ニムルさん貴方も!!!」
遠く、そして世界の間近に落下する黒い影、そこから伸びる巨大な手は声をかき消すように大きく振りかぶられていた。
告ぎにこの一撃を受けて耐えられるのか? 足は奮え、力はほとんどない。
有るのは心だけ、歯を食いしばった顔が見たのは、自分の前に立つポン様だった。
『無理だちょ、何を持って止めるんだ? お前の力はそんなものちょ』
いつものように良くも悪くも景気揚げ揚げのトーンは控えめで、むしろ諦めている口調に泉は答えた
「それでもやるよ……やらないわけにはいかないでしょ」
『やらなくたっていいっちょ、そんなものでは止まらないから』
制止というよりも諦めを蹴飛ばすように吐くペンギンは、それでも顔が笑っていた。
呆れたように、見苦しい形になったアイレシオンを見つめて
『止めるのに必要なのは、そんなものじゃないっちょ』
「そうだった」
念を押すように言う声に泉は笑った。
それは卑下した笑いではなかった。
やっと気が付いたという照れ笑いで、ポン様の声がする方に顔を向けた。
傷だらけでの牧者。
神の使徒なのに、羽根もボロボロ、白と赤で彩られた美しい服もひっかき傷で破れ、両頬も潮に舐められずぶ濡れ。
「私の力はこんなもの」
濡れ鼠の姿で手を開いて苦笑いする泉に、ポン様は嘴を開いて大笑いした。
金冠を被った顔とジト目は、空の中でひっくり返って笑うと短い羽根で泉の顔をさし。
『お前の力などそんなものっちょ。だがお前の愛はどうちょ?』
「忘れていたよ、それが一番大事だって事」
『そうさ!! 愛で無くては世界は救えない!! さあ!!愛を叫べ!!』
思い出した事、それは一人では得られなかったもの。
愛が繋いだたくさんの想い。
アイレシオンは手を開き、声を挙げた
「世界に遍く全バルキュリア!!! 私と共に!! 万雷の愛をここに!!!」
召還の光が、アイレシオンの胸から流星を降らせる。
流れ星のように、世界中に飛んでいく。
今まで輝く事のなかったフラワーハートの芯に火を灯し、世界を救う最大の愛を求めて招集の輝きは赤く燃えていた。
ついにバルキュリアに召還の命がくだされた。
「おおおおおおおお」
鳩子は自分の手の中で今まで以上に輝くフラワーハートに目を回していた。
それは動転の感情ではなく、喜びフル回転の眼差しで。
同じように胸元に抱きしめていたハートの熱さに心を痺れさせていた有紀は飛び上がっていた。
パーフェクトカットが美しくとも、冷たいが硝子のコインでしかなかったフラワーハートに、虹の火が灯る。
掌の中で花びらを開くように七色の光を、赤い闇に覆われた世界を押し返えして輝いていた。
「鳩子ぉぉぉぉ!!!」
「有紀ぃぃぃぃ!!!」
二人は駆け寄ると抱きしめ合った。
待ちに待った時、自分達が抱えていた愛が花へと昇華する。
手に光る七色のコインを互いに見せ合うと
「行くぞ!!!」
「おー!!」
手を繋ぎ、声を合わせてフラワーハートを高く掲げた。
「世に舞う愛よ!! 香る恋よ!! 心を満たせし美に集え!!」
見る間に花が螺旋を描き、二人の姿を変えていく。
光の中から現れる、新しいバルキュリアとして。
二人共も髪にいっぱいの花を飾った帽子と、亜麻布の白いキトンを下に、有紀の緑と、鳩子の青の法衣を纏って違いの錫杖を打ち合わせた。
星の欠片を生み出す杖の音に、笑顔を見せ合った二人。
「私綺麗!!!」
「私の方が綺麗!!」
互いの変身を満面の笑みで自慢すると、次には行く先へと目線を向けていた。
「行こう、泉が、アイレシオン呼んでいる」
見上げた先、招集のための輝きを世界に広げる使徒が居る。
二人は走り、土手を飛び越した。
今なら飛べる、愛のために呼ばれた使徒として。
一度は転げそうになった肩を違いにささえあって空を走っていった。
「なんの迷いもなく行ったわね……」
和美は自分の手の中で光るフラワーハートを見ながら、緊迫する状況の中、今まで見た事のない巨大な的に尻込みして立てずにいた自分達を置いて飛び立った二人に目を細めていた。
目の前にある恐怖はとても大きかった。
大きすぎて、どうやってあんな者と対峙していいのか考えられない中で、期待していた招集はかけられていたが……体よりも心が動かなかった。
それほど自分が恐怖している事に気が付き、その中でも怖じ気づくことなくアイレシオンの元に飛んだ二人を羨ましく思った。
「……怖いものよね……こんな時に……」
自分の手に伝わる心の震えを確かめて、情けなく声を零した。
歳を取ったという言い訳ではないが降り注ぎ町を破壊し始めている異形の魔物の数だって最早数え切れない程。
この状態になってから招集をかけられても身がすくむというのは仕方の無い事かもしれない。
何度も震える手を握り直す。右手の中で輝く招集のハートをまともに見られないと項垂れて。
「私、行くね」
息をつき俯いてしまった和美に声をかけたのは柴原だった。
長めのスカートにエプロンを掛けた可愛い奥様になった柴原は、ウォーターフロントにある自分の家を指差して。
「あそこに愛する家族がいるの、護らなきゃね」
「私も行くわ」
気を立てて自分を奮わせていた柴原の肩を加賀野が押した。
二人ともが家族を持って母になった。
柴原はポケットに入れたままになっていた哺乳瓶を、有紀と鳩子が残していった鞄に寄せるように置くと、笑顔を見せた。
「娘にね、ママは天使なんだって言ってやるんだ!!」
「私だってよ!!」
家に残した父と母、弟と、夫と娘……世界を守る事が愛する者達を守る事に繋がっている。
加賀野と柴原は互いに手を合わせ、フラワーハートを掲げた。
光と花の竜巻は二人を覆い、あの頃のように淡い心を抱きしめて空駈けた姿へと変えていく。
ドロップを付けた飾りの錫杖、クリスタルカットの頭を持つ錫杖。
重ね合わせた杖を鳴らして、二人は空を見上げると軽いステップを踏んで飛んだ。
「招集の命にあずかり光栄の極み。今、参ります!!!」
乙女は飛来する愛の花びらたちのために、花を支える芯となって手を広げた泉の姿を見つめていた。
次々と集まる星達を見て、空を駈け海の向こうからも飛ぶ流星はアイレシオンの元に集まっていく。
「こんなにいたのね……バルキュリア。みんな待っていたのよね、呼ばれる日を」
毒々しく赤と黒に分けられ星を塗りつぶした空に、輝きの粒達が集まる。
一人一人、自分が抱えた愛を持って、世界最大の危機に鳴り響いた招集に準じて。
乙女は組んでいた手を解き、自分の胸に戻っていた輝きのペンダントに微笑んだ。
「……お母さん」
心配そうに見ている娘、瞳にも柔らかい笑みを見せると。
胸の上に輝くフラワーハートを見せた。
「眩しすぎたのよ、あの人は。本当に私の周りに闇を作らないほど、明るくて暖かい人だった。私はその中に居られたことに慣れすぎて、過ちを犯してしまった。でももう大丈夫。私の中にあの人はいるから、私の心の中を暖かく照らして居るから。貴女のお父さんはステキな人すぎた、今も昔も」
目を細め招集を示す七色に光るフラワーハート。
涙を浮かべた瞳を抱きしめた。
母の中に戻って来た父の記憶で、自分が目標とした家庭の姿をもう一度顧みようと心を決めて。
「行くわ、泉が呼んでいる。私は私の愛を持って勤めを果たすわ」
意思も強く微笑む母の顔に、瞳も強く頷いた。
「泉を頼みます」
赤い夜をもって地上に現れた神を支えるために、自らをウテナとして手を広げる娘の姿、それを助けるために飛び立つ母に無事を願って。
乙女は胸に付けた宝石に指を翳した。
「待って下さい!!」
ペンダントに手を当て、空に掲げようとした背に濁りのないトーン、色明るい声が制止の呼びかけた。
パタパタと小さな歩幅は胸に子犬を抱いて走って来た。
その後ろには、中学生というには背の高い角谷美志という兄を連れて
「私もつれて行って下さい」
ピンクのワンピース、髪に花飾りのピンを付けて丸く愛嬌の良い目は乙女のスカートの裾を引いた。
「私も呼ばれました、だから一緒に」
小さな手に引かれて乙女は膝を着いて視線を合わせた。
美香子の胸に輝くフラワーハート。小さくとも同じ、悲しみの愛を抱いた使徒の顔に頷いた。
「お願いします、貴女が一緒なら僕は何も不安がありませんから」
妹の手から渡された子犬のメルを抱いて、兄の美志は深く頭を下げた。
折り目正しい制服姿で。
急転する世界の中で、助けを呼ぶ神の牧者の元に愛を抱えた美香子は真剣な眼差しと、小さな唇をきつく結んで強い意志を示していた。
乙女は美香子の髪に手を、静かに撫でると、目線を合わせる位置まで膝を折った。
小さくとも悲しみを抱え、それを受け入れた魂が本当に強い存在になった事を確認して手を引いた。
「同じ愛を抱えた使徒として。貴女と共に参りましょう」
手を取り合い、愛の言葉と共に二人は花へと姿を変える。
渦巻く中に姿勢も正しく立ち上がるショートコルセットと銀色の羽根、天秤の錫杖を持つバルキュリア・ルーノと共に、幼くも悲しき愛を抱いた使徒が立つ。
小さな金冠を付け、二段フリルと真円のルビーを飾った錫杖を持つ美香子。
自分の足下に添うように駈けたメルに微笑む。
「行ってくるね」
同じく自分の娘に顔を合わせるルーノ。
瞳は少なからずの驚きで硬直していた。
母がこんなに美しい姿を持っていた事と、母だからこそ美しい心を体現できたのかという悔しさで、眉を下げた控えめな笑みを見せた。
「瞳、私に出来る事を私はする。帰って来たら、貴女は泉に出来る事をしてあげて……もちろん私も手伝うから」
十年の蟠り。
母と父の事で自分が夢に描いてきた家族像をかなぐり捨てた。
夫と離れ、泉と二人で暮らしながらも……泉を見てこられなかったという残念と失念を母は見抜いていた。
そしてそこに自分の撒いた悪の種があった事を認めていた。
悲しく下がった瞳の眉を、額に、銀のロンググローブの指先が触れる。
自分と夫の姿に憧れてくれた娘の悲しみに触れた。
「貴女の悲しみの愛も……持って行くわ」
「帰りを待っています」
触れた母の指先に瞳の涙は掬い取られていた。
気丈を見せる娘の前に柔らかな笑み見せた乙女は、美香子を抱えるとまるでアイススケートをするように空を滑り舞い上がっていった。
地上に残された兄に美香子は大きく手を振って。
「どうする……」
次々と変身をして空の花びらに加わっていくバルキュリアを見つめていた和美は、自分の前に座り込んでいる頼子の背中に声をかけた。
飛び立っていくバルキュリア達の姿は、目の前を流れ星のように、しかし空に坂上がる光として落ちてくる神に向かっている。
絶望の黒よりも、怒りの赤を引き連れた神をとりまく異形の創造物達を振り払いながら、集まってく使徒の姿に頼子は立ち上がった。
「行くわよ、早く終わらせて、催事の仕度しなきゃ……」
前のめりに座り込んで、丸くなっていた背筋を正すと海縁の職場、ショッピングモールの屋上に立つ旦那の背中を見た。
空に集まる希望の光を見る彼の姿に拳を固めると振り返った。
「あんたと私が行かなくてどうするのよ。この辺りを代表する暴れバルキュリア……こんな事で怖じ気づいたなんて笑われるわよ!!」
首に架けていたペンダント。肌身離さず持ち続けてきたフラワーハートを手に、自分の前で大口を転げて笑っている和美と声を合わせた。
「今ある生活守って!! 平凡な日々が大切なんだって事を知った私達は無敵だよ!! さあ行こう!!」
かつて前衛を務めた二人のバルキュリアは、光と花を纏って姿を変える。
互いの背を越える大きな錫杖を打ち鳴らし、今や大きく花びらを広げた形へと成りつつある空に向かって飛んだ。
落下する神を迎え入れる万雷の愛を結ぶ空の花に。
数え切れない数の流れ星。
光の化身へと姿を変えたバルキュリア達は地上に落ちる神ニムルを支えるために駆け上がっていた。
星は空から地上に走るが、この輝きの礫達は違った。
知事用から空へ、近づく赤い闇を囲むように一点の主から架けられた招集に従って手を繋ぎ光の花びら作り出していた。
空に向かって開こうとする花の中心で、泉事アイレシオンは愛の御座を前に手を開いていた。
「こんなに……いたんだ……バルキュリア……」
一人で戦って来た時、愛を叫んで手を伸ばしてきた。
今、それだけでは足りない時に、必要な力をもって共に空を支える仲間がいてくれた事に涙がでた。
「泉!!! がんばるぞー!!」
「私達も頑張るぞー!!」
有紀と鳩子の声が聞こえる。
一翼の羽根を担うために共に錫杖を掲げて、地上に迫る圧力を抑えるために。
重い衝撃を響かせる闇の中で、友達が自分と同じく空を支えていてくれる。
右手の側からむこうには、異形の創造物を打ち払うウォーターフロントを守り続けた使徒達がいた。
和美に頼子、加賀野に柴原。
姿が変わっても、それが仲間達と気がつける余裕があった。
無いのは目前にせまりさらなる打撃を世界に与えようとする神への手立て、それでも後一歩の所
「泉!!」
水面を背に支えの額として手を広げるアイレシオンに、本名を呼ぶ声が聞こえた。
光が大きく重なり合って、数多のバルキュリア達がニムルを抑える中で、聞き覚えのある声はもう一度呼んだ。
「アイレシオン、神の嘆きを満たすにはまだ愛が足らないわ」
「はい……」
白銀の髪と天秤の錫杖、小さな使徒を胸に抱いたバルキュリア・ルーノの姿に泉は頷いた。
抱かれている美香子。それが変身した愛らしいバルキュリアとしての姿に少しの笑みを見せて。
長身で白銀の使徒と目を合わせた。
見間違える事などなかった、それが祖母乙女のバルキュリアとしての姿と理解はすぐに追いつく程、鋭くも優しい眼差しとも流麗な眉の顔に。
「おばあちゃん……私は最後の希望の在処も知っている。だから私がそれを生み出せるまでここ保たせて!!!」
一人ではない、一人の愛では足りない。
赤い闇を連れてきた神ニムルは、神故に愛の重さを知らなかった。
アルンに無かった愛が産まれたように、産まれたばかりの愛を失った神の悲しみは大きく、アイレシオンとなった自分の力だけでは足りない。
そして失った愛を探す神に捧げるにしてもまだ足らない。
世界中から、愛を心に抱いて飛んでくるバルキュリア達の力を束ねて届けるには準備がいる。
「任せて頂戴。私が額を支える一矢となりましょう!!」
バルキュリア・ルーノはそういうなり羽根の一角から外れアイレシオンのいた真ん中に、美香子と一緒に入った。
空に開く大輪の花。
下から見上げるバルキュリア達の輪はそう見えた。
幾重にも光は繋が、落ちてくる隕石……いや巨大な恐怖を受け止める柔らかな花のガク片にルーノと美香子が入り、アイレシオンはその上、受け止める側の先端部に立って手を広げていた。
「さあ、ここまできたよ。ニムルさん、貴方に捧げる愛がある!!」
誰よりもニムルとの衝突に近い場所に立った愛の使徒は、錫杖を足下に両手で胸を抱えるように叫んだ。
「貴女の愛を!! 貴女の想いを!! ここに現して!! 愛していると!!」
迫り来る物体であるニムルと、ぶつかるアイレシオンの間に世界は切れた。
一瞬誰もがそう思う程の眩しい輝きは祈る胸と、握られた拳の中からあふれ出した。
地上と天空の間に咲いたバルキュリア達の花から、光は溢れ出てそれは落下する神の体に向かって舞い上がっていく。
「滅私の愛をここに、アルン!!」
重ねたアイレシオンの手の中、アルンの残り香であった砂は再結晶化して、光の根源からそれは二枚の羽根を伴って現れた。
真っ白に生まれ変わったアルンとして。
「アルン……妖精をバルキュリアに変えた」
輝きの花の中に産まれたアルンの姿に驚いたのはバルキュリア達だけではなかった、ポン様の手元、小さな円陣の中に浮かぶエルルの欠片である小人は目を見張っていた。
自分が欠片として一命を取り留めた事も奇蹟だったが、目の前で起こった出来事はもっと、世界をひっくり返す程の奇蹟だった。
白銀と清浄の青を絡めたベニテを抱き、目を閉じて再びこの世界に生まれたバルキュリア・アルン。
「どうして、ですか? どういう事なのですか?」
エルルは小さな火の存在として円陣の壁に張り付いた事の成り行きを見ていた。
自分を護り空にいるポン様に顔を向けて。
『……』
「奇蹟なのですか?」
『そうちょ、奇蹟はなった。愛こそが世界だ』
笑うペンギンにエルルは質問を控えた。
後はこの奇蹟の果てがどういう結末に繋がるかを、それを見続ける事しかないと心を決めて押し黙った。
一方、光の花として集った全バルキュリア達にも驚きは隠せない状態になっていた。
ルーノも美香子も、有紀も鳩子も、和美も頼子も、ウォーターフロントの水脈を守って来たバルキュリア達も、光の輪として世界中からはせ参じたバルキュリア達にも信じられない光景だった。
永年の大敵であった妖精アルンのバルキュリアとなった姿に息を呑み、ただ見守っていた。
「私は……私がバルキュリアに……」
閉じていた目を薄く開いたアルンの目には涙があった。
再生する魂は、自分の身に起こったこれがどういう事かを理解していた。
白の髪に、今までは赤く禍々しく光っていた目は金色の輝きと涙に濡れて自分前に落ちてくるニムルの姿を見ていた。
「アルンちゃん、貴女の捧げた愛は神に通じた。でも滅私の愛は心に苦しみだけを与えている。そんなのはダメなの、お願い貴女の本当の想いを捧げて……」
「アイレシオン……」
自分を再び世に産まれさせた祈りの光。
重ねた手でアイレシオンはアルンに微笑んだ。
激しく世を憎み、ぶつかり合った相手が、痛みの愛を知った友が、自分の背中を愛で押し、笑いかけてくれている事に泣いた。
一人では届けられなかった想いを、目の前に迫る愛しい父に捧げよと。
「ああ、ニムル様……ごめんなさい、私、こんなに愛されていた事に気がつけずに……ごめんなさい」
落下するニムルの悲しみに染まった赤い眼に、アルンは手を開いた。
大きすぎる神の前に、アルンが開く手と同じくバルキュリア立ちが作った花は開き、苦しみと悲しみに地響きを伝わらせた神を受け止めた。
世界を叩き、空を壊したニムルは開いた花の上に柔らかく受け止められ、世界に広がった闇はそこに戻って行く。
「私達の愛で、貴女の背を支える……思い出してアルンちゃん、貴女が最初に思った気持ちを、ニムルさんに出会えたときの想いを」
アルンの背を支えるアイレシオン。
その身を支えるルーノと美香子、そして肥大した悲しみの実であるニムル自体を支えたバルキュリア達。
止められないと思った巨大な塊は、転がった花と光の中に収束していく。
割れた空は塗り替えられ、海を踊らせた振動もまた小さく凪いでいく。
「お父さん、ニムル様、私はここにいます。私はずっと貴方様の近くにおります。自分勝手な事をしてごめんなさい」
『アルン……我が子よ……』
暗闇の手がアルンを掴もうと迫るが、誰も驚きはしなかった。
それは失った我が子を想う父の手、生まれ変わり自分の悲しみを飲み込む愛の花に抱かれニムルは小さく変化をし始めていた。
『神の牧者アイレシオン!! 最後の大仕事っちょ!!』
父と子の再開を達成し、少しの安堵に包まれ始めた場に、ポン様の声が響いた。
一度落ちた空を直すには、出でた神であるニムルを氷の園に戻さなくてはならない。
それが出来るのか? 出来ないのか? ポン様は腹にエルルの円陣を抱いて天空に立っていた。
このまま、再会のままでは居られない世界。
神と人は生きられる領域が違う、いくらわかりあえてもニムルとアルンが同じ世界には居られない、ここから二人を分けることが出来るのか?
最後の試練を前に、目をきつく尖らせたポン様だったが、アイレシオンは笑っていた。
「大丈夫、二人には永遠があるから」
理解をしていた顔、背をそらし大きく開いた手の後ろ、最後の羽根が開く。
ポロになった衣を塗り替え、傷だらけだった愛の御座を輝きの頂へと指し示すと、完全体の証、六枚の羽根をもって命じた。
「さあ、世界を元に!! 愛の花で満たそう!!」
バルキュリア達が囲う大輪の花を、さらに上回る六枚の羽根は中空に開いた花を閉じていく。
いや、受け止めた花に代わってニムルを覆い、落ちてきた最初の空に向かって上り始めた。
大輪の手を繋いだバルキュリア達を残して。
「泉!!!」
崩壊していた空は元の位置に、割れた硝子がスローテンポの逆回しをするように、異形の創造物達もまたニムルに帰還に従って戻って行く。
彼方の光、次元の扉へ向かうアイレシオンに、有紀と鳩子は付いていこうとしたが泉は手を振った。
「すぐに戻るから……待っていて……」と
世界を揺るがした異変は、最初の穴に戻り、町は静かな波の音に抱かれていた。
次元を壊す崩壊の音は消え、ただただ静かに地球は回っていた。
閉じた扉から降り注ぐ、星の欠片達をバルキュリア達と地上の人達は呆然と見つめ、その美しさにやっと静まった心を抱いて違いに顔を合わせていた。
『よくぞ奇蹟を起こした。正直あそこまで行けると思わなんだが……良くやった』
その声は天も地もない綿色の空間で身を浮かべる泉の頭に響いた。
小さく纏めた羽根を寝床に、足場のない世界で寝転がっていた泉は細く目を開いて応えた。
「ポン様……ここは天国?」
『前にも言ったであろう、天国はもっと遠い』
少しずつ目を開き、身を起こす。
霞む眼差しで自分の周りを見渡すと、少し離れた所に浮くポン様の姿が見える。
馴染みのある姿に泉はフッと、軽い息を落とすと。
「遠いんだ、じゃあ……ここはどこ? 地獄でもないよね?」
『地獄もまた遠い、ここは我とお前だけの場所。そういっておこうか』
「そう、じゃあ私はどうしたらいいの?」
得体の知れない空間にあって泉は落ち着いていた。
命の全てを使ってしまったかもしれない、もう有紀や鳩子のいる世界にかえれないかもしれない。
そういう想いが胸の中に浮かんでは消えるが、不安ではなかった。
何かやりきったという落ち着いた気持ちだった。
『戻るが良い、もとの世界に。ここにお前を置いたのは……褒美を取らそうとおもったから、それだけよ』
「褒美? そんなのいらないよ。みんな無事で……幸せだったら、それでいいよ」
『それでは我の格が問われるわ……だがしかし、与えられるものも少ない』
いつになく明確な言葉使いで話すポン様は、綿の空間から自分達の足下の方に羽根を向けて、正常に戻った世界を見せた。
『泉、いや、我が愛する使徒アイレシオンよ。よくぞ愛を信じてくれた。愛は時として暖かく柔らかく優しいが、時として冷たく硬く恐ろしい。そう、不確定で、なのに心にしみいる質……人の心が右左と転がり良い明日を描く事もできれば、晴れる夜に落ちてしまう事もある。それでも我は必要なものだと信じていた』
「私も信じているよ。不必要な愛はない、愛があるから、冷たさがあるから暖かさがわかるように出来ているんだって」
ペタンと割り座で、照れくさそうに泉は頭を掻いた。
不必要だと思ってきた。自分にはいらないものだと公言してきた過去が恥ずかしい。
でもそこまで至ったからこそ、必要である、大切なものである事も知った。
ポン様は嘴を開けて笑いを見せると。
『さて、では別れだ。後はお前の戦よ。良き知らせが届く事期待しておるぞ』
羽根をばたつかせ霞んでいくポン様に泉は手を振った。立ち上がり声を挙げて聞いた。
「ねえ!! 答えてよ。神様はみんな寝ているって言ったでしょ!! なのにどうして起きていたの? ポン様」
消えていく影は、大きな光と重なった。山のように大きな姿は掌にエルルを乗せ、キトンのたなびきと、顔の半分を隠した金冠の下で笑っていた。
赤い艶やかな唇は、組んだ足と美しい指先で泉を指して答えた。
『古今東西、過去も未来も今も、夏も冬も春も秋も、時間も次元もどんな所にあっても愛は休まぬ。我は愛の神フレイヤ。眠らぬ愛を作った我が眠る事など有るわけがない』
わかっていた。
ここまで来る間で、わかっていたが明確な答えを貰う得た事で、泉もまた大きく手を振って別れの挨拶をした。
「愛の女神様……うんう、ポン様。また、いつか」
『また会おう、愛しき使徒よ』
後は静かな波が続いていた。
下へ下へ、空から大地へ、始まりの場所と自分の来た道へと。
泉は手を振り続けた。
今までなかった自分の心に、たくさんの想いと愛を詰め込んでくれた女神に向かってずっとずっと。
「おはよう有紀、鳩子」
晴れ渡った空の下、泉と二人は学校への道を歩いていた。
昨日までの騒がしさが嘘のような日に。
鞄に引っかけたポン様はもう話さない、泉は少し寂しそうな顔を見せたが心は明るかった。
あの日の後、泉は母瞳の手を握って言った。
「私は、お父さんとお母さんが別々の道を歩いていっても……二人の子供だから。私はいつだって二人の間にいるんだよ。それだけを忘れないで」
今まで目を閉ざし続けた両親の問題に、自分の気持ちをぶつけた。
母は泣いていたが、でも顔は明るかった。
娘の肩を支える乙女も、これから家族として一緒に労苦を背負う優しさを見せていた。
「大丈夫よ、私達はきっとわかり合える。お父さんともう一度話しみる。心配しないで」
久しぶりの母の笑顔に、ホッとした。
小学校の途中から、父母は喧嘩が多くなってまともに顔を会わさなくなった。
自分もそれにつられ、両親の怒声から耳を塞いで部屋に引きこもっていたが、家族の誰よりも先に扉を開けた。
まだ絶対にやり直せるんだと確信して。
思いだし笑いで唇を柔らかくしている泉に有紀が後ろから抱きついた。
「ねー、あの子はどうなったのかな?」
「あの子って?」
振り返った泉は、勢いずれた眼鏡を直しながら聞いた。
「あの子、最後に出てきたバルキュリアの」
「アルンちゃんの事?」
「そそ」
聞かれた泉は二人の視線を誘導するように前を向いた。
「今日から同級生だ」
思わぬ声と、突然目の前の制服姿に硬直する二人。
泉達と同じ制服を来た碧眼黒髪のアルンは気恥ずかしそうに立っていた。
「……ニギラが、普通に学生としての生活もして見た方がいいと言うので……」
「うん、よろしくね!!」
控えめだが元気よく挨拶する泉。
あの後、神がくれた褒美がいかに多くの物だったかを知った。
自分の空っぽの心を満たす愛情だけではなく、アルンとニギラに対する恩情を与えてくれていた。
『神は言った。氷の園を出る事は神々の評議会で決まったこと、まだ一万年はでられないが、この端末としての体で世界を見る事を許された』
崩壊した屋敷も元通りに戻った世界で、ニギラという殻に入ったニムルの心をアルンは抱きしめて泣いていた。
『ここで、だれよりも愛を知る神となれと。アルン共に』
穏やかな声のニギラは今日も屋敷の中で映画を見ているに違いない。
アルンの持っている手提げ鞄とは別の大きな袋からDVDが溢れて見えるのが微笑ましい。
さっそくおしゃれ大将の鳩子がアルンちょっかいを出して歩く。
「ねーねー、シャンプー何使っているの?すげーサラサラ」
「コンディショナーの後だな、手入れに何か入れているっしょ!!」
「いや、普通だ、いたって何も……強いて言うのならば保湿を厳にして」
「すっげー努力しているよー!!!」
まるで敵対した事なんか過去の事と割り切った有紀も話しかける。
初めて人間と普通に、でもぎこちなく話すアルンの姿を見ながら泉は自分の癖毛混じりの頭を触ってみた。
「私も……ちょっと手入れしてみようかな」
「しよう!! 今日ショッピングモールに行こう!!」
「ヤッホー、新作のシャンプーとか見て回ろうよ!!」
「私もこれを返すから……一緒に行こう」
けたたましい少女達の声は、カラリと晴れた空に響き学校への道を彩っていた。
泉もまた、毎日を新しい話題で彩る事のすばらしさに小走りにみんなの後を追っていった。
鞄にひっかかったポン様は微かに笑って見えていた。
終わり。
ここまで読んで下さった方々に感謝します。
爆愛絶響アイレシオンは、ある企画物の一つとして書いた作品でした。
企画の本筋は、幼女向き魔法少女というものでした。
所謂低年齢層に向けたアニメシナリオというもので、そのため12話1クール完結という形で作られました。
結局企画には箸にも棒にも引っかからない形で終わり、自分の構成力や想像力の弱さを痛感する形に終わった作品とも言えます。
それでも12話完結で話しの全てを纏めるという作業は非常に楽しく、勉強になりました。
「愛を叫べ」というキャッチフレーズを前面に、可愛い声優さん達に「愛してる」と言って欲しいなんて、少しは邪な部分を入れつつ、「愛」にこだわって書いた作品でした。
今時、恋人にだって面と向かって愛しているは言えない。
そういう人も少なくないだろうという思いから、けっこうに低年齢の主人公に無理をさせた作品でした。
どうしたらもっと面白く、もっと笑って貰えるのだろう。
無駄のない台詞と、そこからつながる世界観。
成人を遙か昔にした自分では、頭が硬すぎて滞ってしまう想像力。
もっと柔らかく、もって甘く、それを考え、そして限られた期間で作品を作り上げる大変さを勉強しました。
正味二ヶ月の仕事でしたが、本当プロの方の仕事ぶりにただ驚き、いかに自分が素人なのかを知った日々でした。
本作品は去年の企画で、すでに流れたものとしてこちらに掲載しております。
やっぱり何事も勉強、そして継続と努力であると反省しつつ。
初めての企画作品となったアイレシオンを読んで下さった皆様に感謝します。
火星明楽




