第十五章 革命の灯火
「女王陛下!」
呼ばれた気がして振り向いた。
「久しいな、リシュリュー」
女王である――女王だった自分に呼び掛けたのは、少し疲労の色を顔にのせたリシュリューだった。
「どうしてこのようなところに?」
自分達がいたのは、パリを包囲する革命軍、そのモンタギュー騎士団の陣営から程近い、パリを東から一望できる丘の上だった。ちょうど、ジャンヌと脱獄した時に立ち寄った丘の近くだ。
空には暗雲が立ち込め、これからの喧騒を予期するようだった。
「その質問は、「丘」に対して聞いているのか? それとも、」
「何故、革命の中心へと戻ってこられたのですか、と聞いております」
見守るような笑みが、壮健な顔に浮かぶ。
「さあ? あの椅子の座り心地が良かったからかも知れないし、部屋に置き忘れた羽ペンを取りに来たのかもしれない。だが、強いて言うなら、」
その顔を馬鹿にするように、エゴイストな笑いを作る。
「――あそこに、一発殴りたいほど大切な奴がいるからだ」
ふ、と吐息混じりにリシュリューは笑う。
「それは、ふざけるな、という拳ですかな? よくやった、という拳ですかな?」
「私抜きに楽しいことしてんじゃねぇよ、という拳だ」
お前やペセタ達も標的に入ってるんだぞ、と続けてやる。
「それを聞いて安心しました。あなたはやはり、『我が女王』であられる」
何を今さら、ともう一度笑みを浮かべる。
「他の者はどうした?」
「『元』大臣方達は、占領した地域の保護や、義勇兵の長達と連絡を取っています。ハルクフ殿とルドルフ爺は、他国やギルドに説明を。各領主達は封地に戻りました」
自分も職務を妻に押し付けて出てきた口でして、と頭を掻くリシュリュー。夫人が不貞腐れている顔が目に浮かぶ。
「ただ……」
続いた言葉に目を細める。
「グラスト殿の消息が掴めておりません。密偵の話では、パリ内部にそれらしき人物を見かけたという情報もあります」
奴の経歴をざっと思い出してみる。何十年も前からフランス王立軍に所属し、軍を退役後は軍事教官として数多の兵士達を育ててきた。昨今は教官業も引退し、人事や兵法作成に回っていたが、奴が育てた者達は精鋭として活躍し、
――十字軍に、参加したのだったな。
一体、何人生き残ったのだろうか。そして、奴は何人を失ったのだろうか。
「グラストにも思うことがあるのだろう。放っておけ」
頷いたリシュリューは、再び口を開ける。
「このあとはどうなされますか?」
さてどうしようか。
「バチカン王立軍のところに行って、城内の構造でも話すかな。先陣を切るのは、傭兵団かバチカン陣営だが、相性的に王立軍だろうからな」
わかりました、と了解したリシュリューは、皆に伝えるべく丘を去っていく。
残された自分が見つめるのは、かつて自分がいた王城。その自室だ。
ああ、
「今夜は月が綺麗だ」
空に昇るは満月。月光が亡国の居城を照らす。
バチカンの陣内で行われていた革命軍の作戦会議が終わり、それぞれがそれぞれの居場所へと向かった。
パリ攻略戦、それがまさに始まろうとしていた。
時刻は太陽が完全に沈み、月が濃く見え始めたころ。
パリの南側では傭兵団とバチカン王立軍、東側ではモンタギュー騎士団が突入の用意をし、北と西ではその他の軍が、脱出しようとする敵を討ち取ろうと待ち構える。鍛冶屋で例えれば、金属を打つ金槌が南と東で、それを受け止める金床が北と西だ。
「女王陛下、準備は整いましたか?」
馬上。バチカンから一緒に来た馬の上にいると、横に控えていたアロルドが問いかけてきた。
後ろを振り向けば、作戦会議からそのままバチカン陣営にいたのだろう、ヴァレンシュタインにウィルガンド。ハイルディ。少し後ろにリシュリューやハルクフ。アロルドの後ろについているモンタギューとエンリコ。
私に味方してくれる者達が、馬や箒に乗って、こちらを見ていた。
「お前達の方こそ、大丈夫なのか?」
聞くと、
「傭兵団はいつでも」
「暴れさせてくれんのを待ってるぜ」
「ルーシーがいいならね」
「女王陛下の仰せのままに」
「でも損得勘定はしてくださいよ?」
「市街戦する騎士なんて斬新だよな、クラリス」
「俺に振るな」
「楽しいことだったらいいんじゃない?」
それぞれの返事が返ってくる。
「……で? 私に、攻撃開始の檄を飛ばせと?」
もちろん、と言う風に何人かが頷く。
まいった。そういう柄じゃないし、何よりこの革命の中心は私じゃないはずなんだが。
民衆がやるべき、とか言葉が浮かびかけて、言い訳しても無駄かと溜め息をつく。
「――私にはしたいことがある」
しょうがない、始めよう。
「東の国々や新大陸に行き、様々なことを学び、よりよい政治を、よりよいフランスを作っていきたいと思っている」
学ぶ、と聞いたヴァレンシュタインが、後輩を見るような眼差しをする。
「今からでもこの馬の向きを変え、メッカでサラディンから宗教学を学びに行きたいぐらいだ」
ふ、と誰かが笑う声がした。
「――だが、」
言葉を続ける。
「それには大切なものが足りない」
見つめたのは、遥か遠く、王宮。
「その、大切な何かを取り戻すために私はあそこにいく」
なら、
「お前達は何を求めてあそこを目指す?」
背筋に気持ちのいい緊張が走り、高揚に似た、何とも言えない感情が沸き上がってくる。
「未来か。戦場か。信念か。過去か」
権力か。殺戮か。狂信か。死地か。
「掴めよ、その手で」
右手を高くあげる。
「吠えろよ、その声で」
口を大きく開け、
「革命万歳!」
――革命万歳!
自分の言葉に、皆が続く。
「祖国に幸あれ!」
――女王に幸あれ!
むず痒い思いがこみあげるが、なんとかこらえた。
「全軍、」
もう一度、大きく息を吸い込み、
「進撃!」




