第96話 天命、超えし刻
終わった、とヴェロニカは悲しみを押し殺しながら刎ねたアナリーゼの首級を拾おうとして、
「え?」
声を失う。地面に転がっているアナリーゼの首級は、アナリーゼのものではなかった。顔立ちはよく似ているし遠目で見れば勘違いしてしまうが、よく目を凝らせばまるっきり別人のそれだった。
「まさか、影武者?」
だがいつ入れ替わったのか。開戦直前に兵たちに檄を飛ばしていたのは、間違いなくアナリーゼの声だった。殲滅魔法の"地鮫"だってアナリーゼくらいの魔法の才能がなければ使えないし、その後に命令を出したのもアナリーゼの声だった。
そこまで考えたところでヴェロニカの視界の端に、脇目もふらず逃げる三成と、影武者のアナリーゼの護衛として側にいた女の近衛兵を見つけた。
「本物のアナリーゼはあの近衛兵よ! 直ぐに追って殺しなさい!」
そう、本物のアナリーゼは近衛兵に扮して影武者の隣にいたのだ。そうして腹話術の要領で口パクする影武者に代わって声を出し、魔法を使ったりしていたのだ。
「東軍に次ぐ! 私は宮内卿ヘンリー・バトラーだ! 女王陛下が討ち取られたという報は敵の偽報の計である! 惑わされるな! 女王陛下は健在である!」
腹心のヘンリーが拡声魔法をかけて叫ぶ。アナリーゼが討ち取られたという悲報による動揺が東軍から消えた。
「まさかここまで手のこんだ影武者まで用意するだなんて、そこまでやる普通!?」
ヴェロニカは逃げるアナリーゼと三成を追おうとするが、既に押し寄せる東軍に塞がれ見えなくなってしまっていた。
まんまとヴェロニカに一杯食わせてやったアナリーゼだが、これは決してアナリーゼがヴェロニカより上手だったというわけではない。開戦前、アナリーゼは三成とこのような会話をしていた。
「この世界は乙女ゲームの『ホロスコープ・クロニクル』の世界で、ヴェロニカはその主人公よ。主人公なら主人公補正っていうものが、本当に存在するかもしれない。だから悪役令嬢である私は、どれだけヴェロニカを追い詰めようと主人公であるヴェロニカに一発逆転で敗北してしまうかもしれないわ」
「そんな事を言い出したら、お前は決してヴェロニカには勝てんということになるぞ」
「ええ、そうね。一発逆転の可能性を対策し続けていってもキリがないわ。だからせめて一番考えられる一発逆転への対策だけはしておこうと思うの」
それがこの影武者作戦である。
この対策はピタリと嵌まり、ヴェロニカ自ら最前線に現れるという奇策によるアナリーゼの打倒という一発逆転をまんまと失敗に終わらせてみせた。
「……潮時ね。包囲が完了する前に血路を開いて脱出するわよ!」
失敗を悟ったヴェロニカは軍を反転させると、包囲網から脱出を図った。
完全なる包囲網が完成する直前での脱出を図ったことで全滅は免れたが、それでも西軍は相当の犠牲を被った。戦死者・重傷者合わせれば戦闘可能なのは開戦前の半分である十一万が精々だろう。
「ヴェロニカ様、私とアウグステが殿軍となるのでカウス・アウストラリス要塞まで撤退を。要塞へ立てこもり、その間に共和国と同盟を結べば巻き返しは十分可能です」
参謀のシェパードが最も現実的なアイディアを献策する。
「天命を、超えたのね」
「ヴェロニカ様?」
「全軍に伝えなさい。私は、アナリーゼに投降するわ」
その決断を聞いてシェパードを始めとする家臣達が仰天する。
ただ一人だけバジルだけが静かな表情で、
「いいのか? シェパードの言うように要塞に立てこもって共和国と同盟すりゃ、幾らでも抵抗できるぞ。その必要があるんじゃねえのか?」
「必要は、あるんだけどね。でも何故かしら。必要な事なのに、あの子が泣くところを想像したら、やる気がなくなっちゃったわ」
「そうかい」
ヴェロニカにはアナリーゼの首を刎ねた手の感触が生々しく残っていた。結果的にあれは影武者だったが、戦いを続けて勝利すれば、また同じ感触を味わう事になるのだろう。
二度とは、御免だった。
殺すのも、泣かれるのも。
そしてヴェロニカはバジルだけを伴って、白旗を掲げ堂々と東軍の陣地へとやって来た。アナリーゼは投降しに来たというヴェロニカを、信じられない奇跡を目の当たりにしたように見る。
「この前ぶりね! 降伏しにきたわよ! 煮るなり焼くなり好きにしなさい!」
「ヴェロニカ……」
「私が降伏したことで共和国が支配している中央以外、東西南北の地がアンタのものになったわ。後は北のアークトゥルス要塞、東のデネブ・カイトス要塞、南のテグミン要塞、そして西のラ・スパーバ要塞の四方向から圧力をかければ、共和国も屈さざるをえないでしょう」
「ヴェロ――――」
「背筋を伸ばせ、前を見ろアナリーゼ! 終わっていない!」
安堵によりその場にへたり込んでしまいそうなアナリーゼに、三成が大音量で一喝した。
「あ、ああ……」
どうにかしてその場に踏みとどまったアナリーゼに、ヴェロニカは恭しく跪くとこれまで決して口にしなかった事を、遂に口にした。
「…………"アナリーゼ女王陛下"どうか御沙汰を」
「……………………」
初めて呼ばれた自分の名前が、友情の終わりを告げていた。これからはアナリーゼとヴェロニカは友達ではなく、ただの主君と臣下でしかないのだ。
寂しさはある。だがそれでいい。
これでもう、ヴェロニカと戦わずに済むのだから。
アナリーゼは女王として、臣従してきたウァレフォル公に告げた。
「ウァレフォル公。私の正当な王位継承に異を唱え抵抗したのは大逆なれど、貴女の降伏により天下の趨勢が定まった功は大。よって動乱後に併呑した領地は全て没収するけど、旧来の領地は全て安堵。けれど爵位は侯爵へ落とし、王位継承権も剥奪するものとするわ」
「格別のご配慮、ありがたき幸せにございます、陛下」
こうして天下分け目の合戦と呼ばれたレグルスの戦いは東軍勝利に終わった。
ウァレフォルが担いだ女王であるエミリー・バエルは、ヴィクトリスの実妹であったため、ヴィクトリスの後を継いだという建て前のアガレス朝としても粗略に扱うことはできず、引き続き王族としては扱うこととなった。恐らくは成人後はアガレスに近いどこぞの貴族の家に嫁入りして正式に王族から外れることになるだろう。
テレーゼはレグルスの戦いの後、職を辞するとヴィクトリスとマルグリットの墓守となった。
こうして東西南北は併呑され、バエル王国でアガレスの旗色に染まっていないのはバエル共和国一つとなったのである。




