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    1


 暗闇の中で、私は目覚めた。

 私は目覚めない。

 それとも目覚めたのか、やはり眠ったつもりでいるだけなのか。


    *


 開け放たれた窓からは、柔らかいそよ風が、潮の香りを乗せて吹き込み。薄いカーテンを揺らしている。

 エウロパは今日も、密やかな暗闇の中で、静かに夜明けを待っている。

 太陽局の白壁の建物は、小さな漁村を見下ろす高台に築かれている。

 太陽局の二階の部屋で、私はゆっくりと起き上がり、スタンドのスイッチを探った。


    *


 私は服を着替えて、廊下に出る。そして、中央の階段を降りていく。

「局長、おはようございます」

 階下に降りると、階段の踊り場で家政婦のローラが、よく肉の付いた体を揺すって花瓶を磨いていた。

「朝食はどういたしましょうか」

「ああ、オレンジ・ジュースと、卵は硬めに茹でて欲しい。今日は出掛けなくてはいけないから、できれば早めに用意してもらいたいんだ」

「かしこまりました」

 ローラはそう言って、ハミングをしながら、濁った水の入ったバケツを持ち上げた。


   *


 私は更に地下室に降りていく。

『関係者以外の立ち入りを禁じる』

と書かれた鉄の扉を開くと、私の体はこの部屋特有の蒸し暑さと、窯の上げる唸りに包まれた。

 窯の前では、職人のササハラが難しい顔をして、温度操作パネルをいじっている。

「順調かね」

 私は問い掛けたが、彼はなんの反応も示さずに作業を続ける。

 つまり、問題はないと言う事なのだろう。 私も黙って彼の作業を見守る。


    *


 ササハラは気難しい職人気質の男で、一日の殆どをこの太陽窯の前で過ごしていた。

 ここは、太陽の届かない蒸し暑く薄暗い地下室なのだか、本人は案外、この場所を気にいっているのかもしれなかった。

 太陽を収容している間は、寿命を少しでも伸ばす為、細かい温度調節をしているし、太陽が出払っている時には、とてもていねいに窯の手入れをしている。

 さながら、太陽が彼の人生そのものであるかのようだ。

 初老にさしかかったこの太陽職人は、後継者を育てるのにあまり熱心ではない。

 必要以外には口さえ利こうとしないこの男に、入門して来た弟子が長く定着する事はなかった。

 この気難しい男に仕えながら、地道に太陽職人の技術を学ぶ若者など、今の時代にあまりいるとは思えない。

 彼の技術は間違いなく一級品だったので、私は安心して信頼していたが、やがて必要となるであろう後継者に関しては、頭の痛い問題だった。


    *


 しばらくして、ササハラは窯から離れて、私に頷いた。用意が出来たらしい。

 「それじゃ、始めようか」

 私が言うと、ササハラは傍らにあるレバーを手前に引き倒した。

 灼熱の窯の背面の扉が開く。

 ベルトコンベアに乗せられた太陽が、丘の下をくり抜いたトンネルにゆっくりと滑り込んでいく。

 トンネルは、漁村の先にある海底発射台に向かって、まっすぐ伸びている。

 辺りに危険を知らせる、けたたましいサイレンが鳴り響いた。

 漁村の人々はそれを、夜明けを知らせる合図として使っているらしい。

 人々は夜明けと共に目覚め、一日の活動を始めるのだ。そして、海の果てに漁に出掛けた男達は、打ち上がる太陽を見て、今夜の漁を切り上げる。

 監視カメラの映像に、灼熱の太陽が、地下通路の内壁を焦がしながら進んでいくのが映る。

 地下道に響く轟音が、太陽の強く激しい熱反応を示している。

 焼け付く鋼鉄の表面から時折上がる大きな火柱は、打ち上げを待ちきれない太陽の力強い武者震いのようだ。


    *


 やがて太陽は、漁村の先の海底にある発射ドームの台座に乗せられた。

 熱く燃えた太陽が、合金製の台座の上で激しく炎を上げている。

 発射台がせり上がり、ドームの屋根がゆっくりと二つに割れていく。

 ドームを巨大な水圧で押していた海水が、ドームが開き始めると、隙間から内部に流れこみ、次々と太陽の高熱に触れていく。

 ササハラが私を振り返る。

 「30秒後に太陽を射出」

 私は言う。ササハラは頷いて、パネルにあるキーボードを操作した。

 画面に現在の太陽の様子と、各種チェック項目が示される。

 異状なしの青い文字が並ぶ。

 ドームは完全に開き、激しい光が海底を白く照ら出している。周囲の海水温が上昇して、海面に向けて激しく泡を吹き上げる。

 画面に海草も生物の姿もない、砂だけの海底が映し出される。

 この太陽の熱と放出される放射線のせいで、発車台の周囲は、全く生物の住まない不毛の荒野となっているのだ。


    *


 10秒前になり、モニターには全てのチェックにおいて異状なしである事が示された。

 発射ボタンを納めたカプセルが、ゆっくりと開いていく。

 ササハラは、安全装置を解除して、発射ボタンに手を掛けた。

「射出」

 私が言うと、ササハラはその赤いボタンを押し込んだ。

 画面に映る太陽が、白い閃光に包まれる。 地震のような震動に襲われたかと思うと、次の瞬間、太陽は重い轟音を響かせてゆっくりと海底を離れていった。

 太陽は海面を目指して、序々に速度を上げていく。

 モニターが海面の映像に変わる。

 海面には大きな泡と白い湯気が上がっている。そして、海面がゆっくりと隆起したかと思うと、次の瞬間、海面を突き破るようにして、鋼鉄の巨大な火球が天空に向けて飛び出して来た。

 高速の太陽は、迷うことなく一直線に、天空を目指して飛行していく。


 エウロパの夜明けだ。


 多量の水柱を伴い、一筋の光が物凄い速度でに空に伸びていく。

 太陽の飛び出した海面からは、大きな蒸気が沸き上がり、天に向かって進むいかずちが、エウロパの風景に光を与えていく。

 濃紺の海。緑の丘。漁村の白い建物。

 太陽が吹き上げた水分が、暖かい雨となって周囲に降り注いでいく。


    *


 空に到達した太陽は、エウロパの全てを白日の元にさらけ出した。

 ほどよい酔いも、騒がしいパーティーも、物憂い夜も、太陽はその全てに終わりを告げる。

 海の果てにいる漁師の一日は終わり、農民と都市生活者がベッドから這い出す。


    *


 太陽はやがて安定軌道にのり、青空の中を誇らしく飛行していった。

 輝かしき太陽。偉大なる太陽。白く輝く光の支配、それがエウロパの夜明けだ。

    2


 太陽局のカフェテリアに行くと、窓際のテーブルに私の為の朝食が用意されていた。

 窓から見える空は、いつものように青く晴れ渡り、波のない海は滑らかに太陽の光を映している。

 私はテーブルに付き、カップに紅茶を注ぎながら、幾つかの書類に目を通し、必要な物にはサインをした。

 機密保持の理由から、通常、こう言う仕事は執務室で行う規定にはなっている。

 しかし、そもそも太陽局に、外部に漏れたら困るような秘密など何もないし、スパイが興味を持ちそうな情報などがあるようにも思えなかった。


    *


 今日は議会で太陽委員会が開かれる為、私は街に出掛ける事なくてはならない。

 私は朝食を済ますと、書類を秘書官に渡し、今月の太陽運行記録の入ったブリーフケースを受け取った。


    *


 建物の外に出ると、太陽の強い陽射しを感じ目を細めた。太陽は今日も順調に機能をしているようだ。

 太陽は照り付けるような強い光を放っているが、湿度も気温もそれ程高くはない。

 エウロパの海はとても冷たい為、海辺では昼間でも気温はあまり上がらないのだ。

 海からはとても爽やかな風が吹き、太陽局の前に植えられた草木を、柔らかく揺らしている。

 私は太陽局の白い建物を離れ、緑の丘を漁村に向けて下りていった。


   *


 漁村に入ると、いつになく空気が重いのを感じた。人々の表情は暗く、周囲は話し声もなく静まり返っている。

 港には男達が何人か集まり、深刻な顔で何かを話し込んでいた。

 棧橋の先では、女が海に向けて何か呟きながら泣いている。どうやらまた、船が海の果てに落ちたらしい。


   *


「ざまあねえや」

 私がその光景を眺めていると、魚屋の軒先に置かれていた魚が、そう言って悪態をついた。

 私は魚を見る。

 ここの魚が人の言葉を喋るようになったのは、数年前の事だったろうか。太陽の放射線の影響とも言われるが、はっきりした事は分からない。

 海洋局と放射線委員会が共同で調べているが、太陽局には未だ何の報告もなかった。

 報告がないと言う事は、きっと悪い結果が出ているのだろう。

「俺が奴等の船を、海の果てにおびき出してやったんだんだぜ」

 ともかく、飛躍的に高い知能を獲得した彼等は、海の果てに集結するようになり、追ってくる漁船をおびき寄せ、海の向こうに突き落とすようになった。

 海の果てには、海の水が滝の様にこぼれ落ちる場所があると言う。そこに消えた船は二度と帰っては来なかった。

「おまえは今、向こうから来たが、太陽局の人間なのか」

 魚は丘の方向に首を向けて言った。

「そうだ」

 それを聞いて、魚は嫌な感じで笑った。

「地面を照らして、更に自然から搾取をするつもりで太陽を作ったのだろうが、皮肉な物だな」

「………」

「太陽は俺達に知性を与えた。そして、おまえらの脅威となっている。海はもう、人間の搾取の届く領域ではなくなっているのだ」

 その時、店の奥から大きな包丁を持って魚屋の主人が出て来た。

「局長じゃないか」

 数年前に船を売り、引退生活に入ったと言うこの初老の元魚漁長とは、よくチェスを打ったりする友人だった。

「また、船が落ちたのか」

「ああ、今年もう三度目だ。海は随分危険になったよ」

 彼が顔をしかめて言うのを見て、魚がさも愉快そうに笑い声を上げた。

「まだ、三度目だ」

 主人は魚を睨み付けた。

「静かにしろ。おまえはこれから俺にさばかれるんだ。まず、おまえのうるさい口の付いたその雁首から、叩き切ってやる」

「なあに、俺が死んでも仲間達が作戦を続けるさ」

「へらず口を叩きやがって」

 主人は魚の尾を握って、まな板の上に叩き付けた。

 魚は私に目を向ける。

「今は俺達に手足がねえが、いつかきっと進化をするんだ。俺達の子孫は陸に上がるようになるだろう。そして、今度は俺達が人間狩りをする時が来るんだ」

 主人は包丁を振り上げ、首を一気に叩き落とした。そして、内臓を洗い流し、横向きに包丁を使って、身と骨を切り離していく。

 切られながらも、魚の体がもがくように左右にくねった。傍らに置かれた魚の首は、笑いながら、いつまでも海の方を眺めていた。

    *


 氷に漬けられ街に運ばれようとしている魚が、魚市場には、山のように積み上げられている。魚達は大声で戦いの歌を歌っていた。 彼等は全く死を恐れない。

 今までの限り無い虐殺の歴史が、彼等の生死感を形成しているのだろうか。

 彼等が信じているように、彼等が次の進化をして陸に侵攻するような事があれば、人間は地上から駆逐されてしまうかもしれない。

   3



 漁村を抜けて海沿いの道を進むと、やがて広大な砂丘地帯が現れた。

 目前には大きな砂山が立ちはだかり、その遥か先に、青い岩山が陽炎の中で空と長い稜線を接しているのが見える。

 砂丘には海からの強風が絶えず吹き続けている。そして、砂丘の上空で渦を巻く風のため、砂は吹上げられ、砂山は激しく移動をするのだ。

 殆どの場合、中心にある小さな泉の村を中心として、巨大な三つの砂山が一年を掛けて砂丘を一回転するらしい。

 時として、砂丘を溢れた砂山が、防砂堤を乗り越えて、泉の村を飲み込む事があった。 そんな時、村人達は夜を徹して砂丘を掘り続ける。

 穴を掘れば、砂は崩れて穴を埋め。砂を運び出せば、それを上回る速度で、次から次へと新たな砂が降り積もっていく。

そんな絶望的作業を幾日も続けなくてはならないと言う。


    *


 砂丘の上には、ほんの僅かな耐乾性植物が生えてはいるが、殆ど不毛の大地と言ってもよかった。

 足もとを、骨格ばかりで身の余りない砂ガニが走り抜けて行く中、私は砂丘地帯の中心に向けて歩き続けた。


    *


 太陽は快調に輝き、照り付けられた砂はどんどん気温を上げていく。

 私は上着を脱ぎ、ネクタイを弛めて、したたる汗をハンカチで拭った。生暖かい潮風が、砂を巻き上げながら吹き付ける。

 私が強い喉の渇きを感じ始めた頃、砂山の先にブロンズの銅像が見えて来た。

 あれが村の入り口を示す銅像だ。

 男は砂丘で遺跡を発掘した考古学者で、村の開祖であるらしい。

 村は砂に沈んだ古代遺跡の上に、築かれたのだ。

 次第に男の像に近付く。男は丸い眼鏡に立派な口髭をたたえ、岩に足をかけながら、何かを拾うように、足もとに手を伸ばしている。 これが何を意味する仕草なのかは、誰も知らなかった。

 男は目を見開き、下を向いている。禿げた額に太陽の光が照り付け、鈍い光を放っている。

 男の像は丘の上に築かれている。

 私が男の像に辿り着いた時、眼下に防砂堤の城壁に囲まれた、村があるのがあるのが見えた。

 城壁の中には所々、緑の木々が乾燥した地面にへばりつくようにして、生えている場所がある。村の中心に位置する教会の前の広場には、透明な水の湧き出す泉もあった。


    *


 開かれた門をくぐると、石段に座っていた老婆が突き刺すような目付きで私を見る。

 通りには子供達がいるが、誰も一言も喋らない。

 周囲には、石を積み上げて作った低い建物が並び、村の中心に、鐘楼を持った教会の建物が見える。

 私はその教会を目指して歩いた。

 子供たちは石畳の上に座り、じっとしている。

 牛小屋の奥で牛の世話をしている男が、一瞬、私に鋭い視線を投げた。

 静けさの中、砂を含んだ風が吹き抜ける。 鎖で繋がれた犬が私を見て、低い姿勢で唸り声を上げた。


    *


 私は教会の前にある広場の泉に近寄り、備え付けのコップを手に取って、横にある蛇口から水を注いだ。

 私はその水を飲む。水はとてもなめらかに、私の乾いた喉を潤し、体の隅々に染み込んでいく。

 私はコップにもう一杯水を注ぎ、それを持って、広場のベンチの砂を手で払って腰掛けた。

 乾燥した空気のためか、木陰にあるベンチは幾分涼しく感じられる。

 私は空を見上げて、葉の間から零れる太陽の光を眺めた。

 広場にも人影はない。おそらく多くの人々が息を潜め、家の奥から私の姿を見ているのだろう。


    *


 広場の奥に、半分砂に埋もれた鉄道の駅がある。

 裏寂れたレンガ造りの駅舎には、人影は全くない。開かれた改札口の上で、時刻表の書かれた鉄板が軋みを上げながら、吹き付ける砂風に揺れている。

 鉄道が時刻表通りに運行される事など殆どない。

 砂嵐がひどく、線路が砂に覆われる時などには、列車はこの駅まで来ずに砂漠の手前の駅で引き返す事もある。

 私はベンチに座ったまま、過ぎ去る時に身をまかせ、ただ列車を待ち続けた。


    *


 やがて、砂山の先に、陽炎に揺れる列車の影が見えて来た。

 私はコップを元の場所に戻し、ジャケットとブリーフケースを抱える。

 改札の前にある自動販売機にコインを入れて、横にある鉄のレバーを回す。

 チリンと言う音がして、厚紙に日付の記された切符が捻り出された。

 私は荷物を持ち、錆びた手摺を持ちながら、砂に埋もれた階段を登り、ホームへと向かう。 風が砂塵を舞い上げる。

 時刻表の鉄板が砂を受けて、カタカタ鳴っている。


    *


 三両編成の列車が、轟音立をててホームに滑り込み、ブレーキの鋭い軋みを立てる。

 重たい音を残して車両が停止すると、厚い鉄の扉が開き、中から黒い制服を着た車掌が現れた。

「どうぞ、御乗車下さい」

 私が彼に切符を手渡すと、彼は腰にぶら下げた鋏を持ち、切符を差し込んだ。

 金属のぶつかる重い音がして、切れ込みを入れた切符を、再び私に手渡す。

 私が列車に乗り込むと、彼は再び周囲を見回し、厚い鉄の扉を閉じた。

 私は真ん中ぐらいの座席に座り、ブリーフケースを足の下に置いた。

 この線路は、首都鉄道公社により廃止も検討されるローカル線だ。

 沿線には山岳地帯や過去の都市の廃墟が続く。

 しかし、エウロパ辺境に住む住人にとって、変わる物のない重要な交通路だ。

 太陽局の私としては、中央の責任者が自ら定期的に視察に来てくれる方が望ましいのだが…。

 窓のブラインドを半分下ろすと、列車のモーターが唸りを上げて、ゆっくりと景色が動き始めた。

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