19.裏の顔①
私とカシスは婚約した。
しかしその裏でジョゼット伯爵家が没落の危機に陥り、ヴィクシム公爵家が救ったという話はすでに貴族たちに広まっている。
「結婚かあ……」
「どうしたの急に」
「中々現実味が湧かなくて」
カシスとの婚約を聞きつけたクラスタが家まで祝いに来てくれ、二人でお茶していた。
そう遠くない未来に、友人と結婚するというのは何だか落ち着かない。
「言っておくけれど、カシス様は社交界の間でとても人気が高いのよ。みんなの憧れの的なの。次期公爵としてすでにいくつか仕事を担い、成果をあげていると聞くわ」
「えっ……もしかして、カシスってすごい人だったりする……?」
まだ十八歳の令息が仕事で成果を……?
それって相当すごいのではないだろうか。
「貴女、本当に知らないの? まだお若いのに秀でていて、とても見目麗しく紳士的。彼に微笑まれるだけで腰を抜かすご令嬢もいるぐらいよ」
「カシスに、微笑まれただけで……?」
カシスの人気の高さに驚く。
そういえばデビュタント前のお茶会でも、多くの人がカシスの話をしていた。
あの時は私が誇らしげにしていたが、もしかして私にはもったいないぐらいの人物ではないだろうか。
「どうしよう。もしかして私、とんでもない人と将来結婚するんじゃ」
「間違いなく私たちの年代で一番人気で理想の相手でしょうね」
「そんな……」
「それで? カシス様とはちゃんと話しているの?」
「話す、とは」
「カシス様の気持ちを汲めているのかって言っているの。その様子じゃ……まだわかってなさそうね」
「だってカシスは私の家を助けるために……」
すでにクラスタの耳にも届いているはずだ。
「貴女ねえ……カシス様はただの友人に一生を棒に振るような婚姻を結んでまで助けたと思っているの?」
「強い絆で結ばれてる証拠……?」
クラスタはまるで怒ったように盛大なため息を吐く。
「言っておくけれど、誰もカシス様が貴女の家を助けるためだけに婚約したとは思っていないから」
「えっ、どういうこと……?」
「よくって? 貴女はカシス様ともっと話して心の内を汲み取りなさい。 このままじゃカシス様が可哀想だわ……」
何だかよくわからなかったが、クラスタの鋭い目があまりにも怖くて、ここは大人しく頷くことにした。
◇◇◇
数日後。
私はカシスと会う約束をしており、公爵邸に来ていた。
「申し訳ありません。カシス様はもう間も無く帰ってこられると思います」
「わかりました。ありがとうございます」
カシスはどうやら急遽予定が入ってしまったようで、私と約束していた時間まで押していたようだ。
次期当主としてすでに公爵家の仕事を担っているようだし、大変そうだなと思った。
使用人は申し訳なさそうにしていたが、私は別に構わないのに……気を遣わせてしまってむしろ申し訳ない。
(そういえば、フリップ様は今この屋敷にいるのかな)
先日、フリップ様の婚約者が正式に決まったが、お祝いの言葉をかけていなかった私は使用人に尋ねてみた。
「あの、フリップ様は屋敷にいらっしゃいますか?」
「はい、屋敷にはいらっしゃるのですが……」
「ではカシスを待っている間、会いに行ってきますね。婚約のお祝いをしたかったんです」
そういえば家が没落の危機に瀕してから、カシスと婚約して以降もフリップ様と会っていなかったことを思い出す。
この世界のフリップ様はどのような婚約者とどのような恋をして、どのような未来を歩んでいくのか気になり、私は足早にフリップ様の元へと向かう。
しかし部屋へ着く前に、廊下でフリップ様とバッタリ会った。
本編の姿へと近づくフリップ様は現在十四歳。まだ少年らしさもあったが、大人への階段を確実に上っていた。
「フリップ様、こんにちは」
「……っ、どうしてここに」
「フリップ様に婚約者ができたとお聞きし、直接お祝いの言葉を述べたくて……」
「う、うるさい! 俺に話しかけないでくれ!」
「……え」
いつもなら、ここでフリップ様は笑顔で私の名前を呼んでくれる。
けれどなぜか睨みつけられ、突き放された。
「あの、フリップ様……?」
「もう俺に関わるな……」
「いったい何があったのですか?」
何かに怯える様子に違和感を覚える。
いつもと明らかに様子が違う。
「フリップ様、どうか私に話してくださいませんか?」
「……せいで」
「フリップ様?」
「お前のせいで兄上が変わったんだ!」
カシス?
どうしてここでカシスの名前が出てくるのだろう。
話の意図が読めず、続きを待つ。
「聞いたんだ……兄上が伯爵家を、没落させる気でいるって……嘘だと信じたかったのに、しばらくして伯爵家が事業に失敗して多額の借金を背負った話を耳にして……」
(どういう、こと?)
確か事業に失敗してのは、相手に騙されたからだと言っていた。
そこにカシスが関わっている……?
「そんな、何かの間違いでは……」
「兄上はこんな、悪いことをするような人じゃなかった! メアリー嬢の……お前のせいで……」
「フリップ様、落ち着いてください」
「落ち着けるわけないだろ! 兄上が、裏で手を回して……人を脅して」
心臓が嫌な音を立てる中、フリップの話に耳を傾けていると──
「二人で何を話しているの?」
背後から私のよく知る柔らかな声が聞こえてきた。
いつもは心が落ち着くはずなのに、今日はビクッと肩が跳ね、つい驚いてしまう。
「……カシス」
「離れたところからも声が聞こえていたけれど、何かあった?」
カシスはチラッとフリップ様に視線を向ける。
途端にフリップ様は怯えた様子で一歩後ろに退いた。