20.裏の顔②
「お、俺は……ただ」
「フリップ。侍従が君を探していたけれど、行かなくて大丈夫?」
その言葉を聞いたフリップ様は、逃げるようにしてその場を後にしてしまう。
明らかにカシスを恐れていた。
見てはいけないものを見てしまった気がする。
「メアリー、今日は待たせてごめんね。早く部屋に戻ろう?」
どこから話を聞いていたのだろう。
声が聞こえていたということは、全て聞いていた?
「カシス……本当、なの?」
部屋に戻り、私の手を引いてソファに向かって歩くカシスに躊躇いながら尋ねた。
聞いてしまったからには、確認しなければならない。
どうか否定して欲しい。そう願っていたけれど。
「うん、本当だよ」
立ち止まり、ゆっくりと振り返ったカシスはそれを認めた。
あまりに柔らかな表情で肯定していたため、聞き間違いかと思った私は、もう一度尋ねる。
「嘘、だよね……? どうして、そんなこと」
「知らない方が良かっただろうに」
嫌な汗が流れる。
先ほどから心臓の音がうるさい。
「君が悪いんだよ? 俺を弄んで、簡単に捨てようとするから」
「そ、そんなこと……!」
この状況ですら動じず、微笑んでいるカシスの感情が全く読めない。
けれど声のトーンはいつもより落ち、冷たさすら感じられた。
私の知るカシスじゃないようで怖い。
「やっぱり君は何も知らなかったんだね」
「……え」
「周りと同じで、俺のことを穏やかで優しい、紳士的な男だって信じていたんだ?」
まるで違うとでも言いたげな様子だったが、長い間一緒にいたからわかる。
カシスは誰よりも優しくて温かい人だって。
「覚えてる? 俺たちが初めて会った日」
それはもちろんだ。忘れるはずがない。
カシスをクローゼットに押し込んだという失態を犯してしまったのだ。
「俺はあの日、君との出会いが本当に衝撃的で……ずっと忘れられないよ。今でも昨日のことのように思い出せる。なぜかスパイの存在を知っていたし、君が会ったことのない叔父上を不審に思い、疑うよう俺に仕向けていたよね?」
「あれは、本当にたまたまで」
「偶然? 盗み聞きする使用人を公爵家を狙うスパイだと決めつけるなんて、普通は考えられないと思うなあ。それも部屋に引き籠もりがちだった子供の君が」
いつからだろう。
いつから、カシスは私のことを怪しんでいた?
「そんな顔しないで? どうして知っているのか驚いたけれど、想定外のことが起きてくれて俺は嬉しかったんだ」
「想定外……?」
「そうだよ。実は君と出会った時、俺は毎日がつまらなくて仕方がなかった。暇つぶしにと思って、叔父上にジェランダ公爵家と手を組んでヴィクシム公爵家を狙うよう仕向けようと思ったけれど……想像以上に上手く進んでしまってね」
「……え」
カシスは淡々と話していたが、私は頭を殴られたような衝撃が走る。
「なに、言って……」
「単純な叔父上を無邪気なフリをして嫉妬心を煽り、言葉で操るのは簡単だったし、ジェランダ公爵家もすぐ叔父上に手を貸した。伯爵家と仲が良い話をすれば、警戒心の強い公爵家ではなく伯爵家にすぐスパイを送り込んだよ」
カシスは先ほどから何を言っているのだろう。
カシスの話を全て真に受けるのだとしたら、それは──
「そんな……叔父の悪事は、全てカシスが仕向けたっていうの……?」
「そうだよ」
「ど、どうしてそんなこと……!」
「言っただろう? 暇つぶしだって。愚かな人の愚かなやり方を見るのは思いのほか楽しいからさ」
目の前にいるのは、私の知っているカシスじゃない。
どんどん私の抱いていたカシスの像が崩れていく。
「ただ、あまりにも上手く行き過ぎていたから、途中で飽きてしまって。最初は俺が当主になろうかって思っていたけれど、面倒くさくなったんだ。その時に思いついたのが、叔父上が母上と父上を手にかけた罪を俺に着せてもらって、死のうかなって」
それは小説の展開と同じもので、私は驚きを隠せない。
「そんな……カシスは、自ら死のうとしていたの……?」
「俺の心配をしてくれるの? 嬉しいなあ。けれど安心して? 死ぬと言っても替え玉を用意して、俺は別人として生きて公爵家の行く末を見守ろうと思っていたんだ」
カシスの笑む姿はいつもと変わらない。
だからこそカシスの異常さが際立っていた。
「叔父上が当主になって没落していく様子も面白いだろうし、もしかしたらフリップが家族を殺されて復讐に燃え、当主の座を取り戻そうとしても面白いだろうし、俺が当主になるより絶対そっちの方が楽しいだろうなって」
カシスの判断基準は『面白い』や『楽しい』というもので、そのためなら家族が死んだり苦しもうと構わない……というのだろうか。
「叔父上は俺が成人になるのを待っていた様子だったから、それまでの我慢かあと思っていた時に……君という存在が現れたんだよ」
カシスは私の頬を包むように手を添える。
愛おしそうな眼差しに、なぜかゾッとした。
「病弱で部屋に篭もりがちだと聞いていたけれど、君は叔父上の悪事を知っているようだった。それなのに、俺のことは疑うどころか善人だと信じきっていたよね」
それは小説を読んで、フリップ様が兄として心から慕うカシスの存在を知っていたからだ。
「本当に君から目が離せなかったよ。スパイについて話していた時の君は大人びて見えたのに、俺と友人関係になった時は幼い少女のように無邪気な笑顔を見せて。こんなに俺を夢中にさせたのは君が最初で最後だよ」
カシスの指が私の頬を撫でる。
優しい手つきだったけれど、怖くて振り払いたくなった。それなのに体が動かない。
「俺の表面上の姿に騙されていた君も愛おしくて、どこか危なっかしい君を俺が守ってあげないとって思ってた。そんな君があまりに弟を構うから、少し腹が立ってフリップには意地悪したけれど」
聞きたい? と尋ねられたが、私は肯定も否定もできなかった。
カシスの口から出る言葉を理解するのに、時間を要していたからだ。
「母上と父上の旅行を提案したのは俺だけれど、口外するなって言われていたのに、それを叔父上に伝えたのはフリップなんだ。ほら、俺の成人の日に叔父上が言っていただろう? 俺とフリップで遊びにおいでって。その時にフリップが嬉しそうに伝えててさ。そのせいで両親が殺されたのを知ったら、罪悪感で苦しむだろうなって」
小説では、公爵夫妻が旅行に行くという情報は伯爵家に潜むスパイから得たものだった。
スパイを見つけ出したこの世界では、きっと起こるはずのないと思っていた公爵夫妻の死。それにカシスは関わっていた……?
それはまるで裏で全てを操る真の悪のようだ。
そういえばヴィクシム公爵夫妻を無事に助けられた日、フリップ様の様子がおかしかった。
もし自分が両親を危険に晒したと気づいたからだとすると、あの時の異変が納得できる。
そこまでフリップ様を追い詰めたのもカシスの仕業だというのか。




