94 ブラックに従属していた男の、反旗を翻す瞬間
「例えば、世界中が団結したら、そこから先に成長はあると思いますか? 人類はそうやって衰退していくんじゃないんですか?」
最初に口を開いたのは平河だった。大学で習ったような、そんな記憶を交えながら、立板に水のように言葉を並べていく。
「じゃあヒラカワさんは停滞が悪だと、平和が脅かされてでも停滞はすべきではないと、そう言いたいのかな」
クォーツの言葉に、言い出した平河は口をつむぐ。
「アンタの言う世界は、アンタの手のひらの上になってしまうんじゃないか? そうなってしまえば、今は平和でもアンタの意思決定一つで世界が滅びかねないんじゃないか。カルトってのはそうやって平和を脅かしてたんだがな」
墨田がそう言いながら胸ポケットに手を入れる。準備していた拳銃を手に握った。それが通じなかったとしても、今目の前に居る凶悪犯罪者を前にして取れる手段を取っておきたかったからだった。
「あはは、僕一人で世界中を管理するわけないじゃないか。もちろんこれまでのまま、世界は各国の首脳たちに任せる。でも、そこには悪意がない。みんなただ、皆の平和を考えて生活を続けていく世界なんだよ」
クォーツの言葉は、墨田の言葉を全て否定する。それは悪ではなく、善であると。しかしその言論は誰が聞いても真っ黒な絵の具で上から塗りつぶすように不気味な言い草だった。
「…………」
「水無月、君はなにか思うところはないのかい? それとも、僕が作る世界に賛同してくれるのかな」
「なあ、聞きたいんだけど」
「何?」
「俺の家は、というかまあ、アパートか。なんでもいいけど、そこは残り少ない警察が守ってくれてたはずなんだよ」
翔が墨田と平河の方を見ると、二人共首を縦に振って頷く。
「その人達は、お前の洗脳なんて受けてないはずなんだけれど、その人達はどうしたんだ。それに、お前は大津さんになった時や、教祖の姿だった時もあるはずだ。その時に洗脳した人は、そこの二人みたいに、コインの裏を表にするみたいに戻ってるはずだろ。この違和感のある世界で、お前はそれをどうしたんだ」
「ん? まあ、そうだね。とりあえず一箇所に集めているけれど……アレだけ記憶を書き換えるってのもまた面倒なんだよね」
「おい、はぐらかすなよ。ここを守っていた警官が居るはずだろ。お前は絶対に通さないって思うはずの警官たちを、お前はどうしたんだって聞いてるんだよ」
クォーツの口角が吊り上がった。口の奥から、鋭い牙が見える。
「まあ、良いじゃないか」
「良くない!」
「何が良くないんだろう。わからないな。みんな幸せじゃないか」
「俺は、確かにここに来るまで不幸せだったよ。社長からも怒鳴られるし、クソブラックな時間で労働させられるし」
「何を言ってるんだい? 君の身の上は関係ないと思うんだけどな」
「でも、この世界に来てから変わったんだ。皆に会って、自分がおかしくなってたことがわかったんだ。ブラックなら変えればよかった。どこかで行動すれば、何かが変わっていたんだって、知れたんだ。お前は、その機会を奪った」
「奪って、何が問題なんだろう。停滞は平和じゃないのかな」
「いや、間違ってないさ。お前の洗脳で、世界は平和になっただろうな」
クォーツは翔のが突然自分に寄り添ってきたことに驚きながらも、また口元に笑みを浮かべる。
「だけど、俺が嫌だ!」
「……はぁ?」
「こんな世界、俺が嫌だ! そして、アーミアが、皆が居るこの世界も同じようにしてほしくない」
「何を……言ってるんだ」
「わがままさ。ブラック企業にこき使われて、人間性を捨てたんだ。その時に捨てたものを、拾い上げてる。平和な世界は確かに良いけど、俺はそれを望まない」
「……はは、ははははははは! だからどうするって言うんだ! 平和を壊す悪役にでもなるっていうのかい?」
腹を抱えてクォーツは笑う。だが、その声は本心から出ているものではない。
あくまでも翔を小馬鹿にするためだけの演技でしかないことは、誰の目にも明白だった。
「じゃあ、大義名分でも付け足すか。こっちの世界で行ったことはどうなんだ。お前はワークスとかいう魔法使いと接触していたはずだろうが」
「ん、あぁ、アイツか。口うるさかったからな。確かにそれは悪かったな。殺しちゃったんだから。だけれど、全部忘れる。反転して、ゆっくりとみんなの記憶を、歴史を僕が修正していけば、あんな老害なんて存在しなくなる。僕が全ての魔法の祖であると思い込んでしまう。だから関係ない。それに、君もそこの刑事さんたちも、この世界のことなんて関係ないだろう? 地球が平和になった。ただそれだけじゃないか」
「アンタ、その言葉はアタシらを侮辱するに値するってわかっていっているのかい?」
クォーツの言葉に、カルラが吠える。チッチョの手が皮膚がこすれるほどに握りつぶされ、ラプタも二人に合わせるように鼻を鳴らした。
「バカだね! そんな魔法、唱えるのに時間がかかるもののはずだよ! しかも世界規模ってなれば更にね!」
上空を飛んでいたムトが叫ぶ。だが、安全圏から叫ぶばかりだ。
それはムト自身がその結界の象徴であるからに他ならなかった。
クォーツを外に逃さない役割をまっとうするがゆえに、ムト自信は前に出られないのだ。
「で、だからどうだって言うんだ。確かに地球では魔力も足りなかったし、とても時間がかかった。師匠の手でこの世界から追放されてから、ずっと魔法のことばかり考えて、やっとつい数日前に完遂できた。だけれど、この世界では別さ」
クォーツが、翔と相対してから見せた中で、一番気色の悪い笑みを浮かべながら言う。
「空気中に魔力がずっと漂ってるこの世界ならね。師匠、二度目の魔法はもう詠唱を始めているよ」
クォーツが音量を上げるようにジェスチャーをすると、魔法で作り出されたスピーカーから何かを唱える音が鳴り響きはじめる。
複数の呪文が同時に詠唱され、福音のように翔たちの頭上に降り注ぐ。
「これが終われば結界なんて関係ない。地球と同じように、この世界もまた作り変わる。僕が、一番の世界に」
その瞬間、クォーツから魔法が放たれた。何種類もを、同時に多量に、そしてそれらは翔たち全員に、平等に降り注ぐ。
「水無月さん!」
平河が翔に覆いかぶさるように飛び込み、それと同時にアーミアとルーブル以外の全員が己の武器をクォーツに掲げる。
守るための戦いが、始まった。
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