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83 灯火に焚べる燐寸

 翔は手を繋いだまま、ベッドから離れられないままでいた。ワンドが読んでいる本が、どれほど難解なものなのか、その位置から判別することもできない。


「でも、中に書いてあることは読み取れるんですよね?」

「ええ。でも、載ってる魔法が高度すぎるんですよ」


 翔の方にワンドが気を利かせてページを向けるが、翻訳のための眼鏡を介してなお、そこには何が書かれているか翔にすらさっぱり理解できないものだった。

 ワンドは翔の頭にハテナマークが浮かんでいることを察すると少し笑みを浮かべながら本を閉じた。


「はぁ、ちょっと私も休憩してきたいんですけど、カケルさんはどうされますか?」


 本から顔を上げたワンドは、眉間をつまみながら言う。


「どうって……」

「それ。離せそうですか?」


 ワンドが翔の手を指差す。しっかりと握られたままの手は、意識を失ってなお力がその体にまだ残っていることを示していた。


「ん〜、無理かもしれないです」

「そうですよねぇ。どうしようかな。あの、初対面の人に本当はこういうことしちゃいけないんですけど……留守を任されてくれませんかね?」

「留守……ですか?」

「ええ、とは言っても短い時間ですし、何かあれば大声を出してもらえれば誰か職員が飛んでくると思います」

「了解……しても良いんですかね?」

「ええ、まあ館長に用事がある人に悪い人はいませんから」


 ワンドはそう言うと、持っていた本を置いて部屋から出ていった。

 翔と、ベッドに伏したルーブルだけが、そこに残っていた。


・・・


 しばらくの時間が経過したが、ワンドが戻って来る気配はなかった。

 とは言いつつも、それは翔にとっての体感時間でのことである。実際のところはほとんど時間は経過しておらず、休憩室でワンドがやっと目を閉じたようなタイミングだった。


「あ……ああ……」


 不意に、翔の耳に声が聞こえてきた。

 誰か別の人物がいるのかと翔はあたりを見渡したが、その部屋には翔とルーブル以外に人は存在しない。


「なぁ、にい……ちゃん」

「……俺に言ってます?」

「それ以外に誰が居るんだよ」


 意識が戻ったことを翔が外に伝えようとすると、ルーブルが手を強く握った。もう朦朧とした状態の人間とは思えないほどの力だった。


「麻痺の魔法……ってやつが切れたのかな」


 翔は職員を呼ぼうと口を開いた。だが、それはルーブルの言葉にかき消される。


「待ってくれ。アンタに言いたい。かあちゃんのフリをしてくれた、アンタに」


 時折咳き込み、ゆっくりと呼吸を交えながらルーブルが切り出す。


「俺は、多分もうすぐ死ぬ。なぁ、その前に話したいんだ。にいちゃんはここの職員でもなんでもねぇんだろ? 余計なことは考えずに、聞いてくれるよな?」

「聞こえてたってわけ?」

「まあ、多少は。もう意識もあんまり強く持ってないけどな。で、どうなんだ?」

「まあ……どうなんだろ。そのことをワンドたちに伝えないほうが良いってことだよね」

「ああ、まあそういうことだ」


 麻痺の魔法がまだ若干効いているおかげか、あるいはすでに生物としての本能が痛覚をシャットアウトしているのか、青年は安らかに語り始めた。


・・・


 ルーブルという男は、田舎の生まれだった。元々灰色の毛色が多かった種族の中で、その灰を構成するモノクロの色素がやや少なく、生まれたときから親兄弟や親戚と比べると鮮やかな青に近い毛色を持っていた。

 ただ、それで親兄弟や親戚が彼を迫害することはなかった。

 そして、ルーブルはそれを確信していた。

 生まれ持って感じていた、嘘を見抜く力がそうさせていた。

 誰しもが生まれ持って持っている猜疑心を全員にかけ、そしてルーブルという男は気がついた。

 家族が全員、自分のことをのけ者だとは思っていないということを。

 だからこそ、安心して生きていくことが出来た。

 それから月日は流れ、ルーブルは十八になった。田舎の村を離れ、アディル王国へと働き手として出てくるのが、事故の日から数えて年齢が二つ上がる期間よりも少し長い期間ほど前のことだった。

 家族は出稼ぎに行くことに反対していた。その毛色が、その能力が、ルーブルの心を蝕むことは確実だったからだ。

 ルーブルはその日、家族と初めて喧嘩をして、そのまま家を飛び出すように出てきてしまった。


「俺は、最初はみんな正直で、優しいと思ってたんだよなぁ」


 天井を見ながらルーブルは呟く。だが、現実はそうではなかった。

 嘘が多いとは言えないが、皆何か嘘の布切れをパッチワークのようにして生きている。純真なルーブルにとって、その事実は耐え難かった。

 嘘を見抜く力を隠して、働き手を探しているところへ出向いては相手の都合の良い自分を作り上げ、地元に仕送りを繰り返す日々を続けるうちに、ルーブルの精神は摩耗しきっていた。

 あんなにも優しかった嘘のない家族が、どれほど貴重だったか、そしてそんな家族の中にいた自分が、どれほど嘘にまみれてしまったか。

 それをまざまざと感じさせられて、ルーブルは毎日口から細く、青白い絶望の霜を吐き出していた。

 女性関係で忘れようとしても、その相手の嘘を知ってしまう。

 賭け事も勝ち続けて怪しまれる。娯楽はすべて楽しませるための嘘であるという事実が邪魔をしてルーブルにとってはつまらないものでしかなかった。

 ある日から、ルーブルは自らの命が薄氷の上に浮いた熱された鉄球のように感じられるようになりはじめていた。

 自分が、自らの意思で指を伸ばせばその先には死しかない状況で、ルーブルは二つ年を重ねた。

 田舎では十六から大人扱いをされていたが、アディルでは二十になってからが大人であるとされていた。

 だから、ルーブルも自らを大人だとなのれるようになった。それがさらに、重力のように自らを薄氷の下に押し込んでいた。周囲が自らを大人と扱うようになってしまってから、汚泥のような粘度のある臭い心が、頻繁に自分に危機として寄りかかって来るようになったこともあったからだった。


「気がついたら、馬車の前に倒れてたんだ」

「………………」


 翔は何も返せなかった。文章にしてみれば短く、それでいて単調な話だ。だが、その呼吸が今にも止まってしまいそうな青年の吐露は、細く流れる小川のような清涼さと、それが数歩先では蒸発しているような儚さを見せていたからだった。


「死ぬことに後悔はないけど、でもかあちゃんに何も言わなかったのは……何ていうか、ちょっと後悔かもしれないな」

「なんで、それを俺に話した?」

「え? だって部外者だったから」


 もう視力もないはずの顔が、翔の方を見た。


「アンタはここの人でもない。ここの人になりたいわけでもなければ、ここに興味があってきたわけでもない。この国の、いや違う。アンタは何だ。神か何かか。俺ももう、よくわかんなくなってきたな。とりあえず何かはわからんが、アンタはここの人じゃないってわかったからな。だから話せた」


 手を握る力が弱まっていくのを、翔はゆっくりと感じている。

 目の前の男に残っていた後悔が、ゆっくりとなくなっていく様子が文字通り手に取るようにわかった。


「俺の手を握ってくれて、ありがとう。かあちゃんと同じくらい心地よくて、アンタの握り返してくれた力だけで、俺は痛みが引いていくような気がする」


 ゆっくりと、だが着実にルーブルの声がかすれていく。


「なあ、いまこれを、どうやってるかは知らないけど音として残してるんだろ?」

「……だとしたら?」

「ははは。それは本当だな」

「お前は、死にたくて死んだのか」


 翔の言葉が、少しだけ揺れる。他人行儀ではない、ただの一人の吐き出し。


「死にたいって思ったことなんてない。ただ、その時にちょうど馬車が通りかかっただけ」

「死にたくないって、今、ここで言ってみた方が良い。自分の心の嘘もどうせ見抜けるんだろ」

「……死にたくない。死にたくない。死にたくない。うん、俺の言葉に嘘はない。これも録音してるんだろう?」


 翔は何も言わない。録画機能を停止させて、録音機能だけを残してポケットにしまったことは、すでにルーブルにばれていた。


「死にたくないなぁ」

「大丈夫だ……って安易に言えるほど俺はここの人たちのことを詳しくないけどさ、でも、助けようとしてくれてるうちはルーブル、お前も生きようとすべきなんじゃないのか?」

「あはは、あんなの全部ウソだよ。皆諦めてた。だから、嘘なんて付く必要のないアンタに頼みたい。ここに来てから嘘をいっぱい見てさ、俺も割と……嘘以上のモノを見れるようになったんだよ。だから、もしそれが俺の知らない、けれど予測してる通りのやつならさ」


 手が、翔から離れた。


「田舎のかあちゃんに、俺の声だけでも届けてくれよ」


 力なくだらりと垂れ下がる手を見て、翔は職員を呼ぶことが出来なかった。

 翔の祖父母はすでに亡くなっていた。だが、その死に際を見れた訳ではない。

 目の前で人が死ぬことを始めて翔は目の当たりにした。異世界で、全く見知らぬ人間が死んだ。

 ゆっくりとベッドから離れ、翔はワンドが持っていた本を手に取った。

 混乱した頭で、何をすればいいかわからないままその本の著者をなぞる。


魔梟(まきょう) ムト」


 頭が理解する前に、翔は外の職員を呼んでいた。

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