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夏ノ三月 一週目六ノ日(後)

 夜の闇を纏うようにして走ってくる青年の存在に、王太子アルムスはすぐに気づいた。


「クレル子爵、お前には恩がある。お前が僕とヴィヴィアンの間にあった溝を埋めてくれた。お前が何をするつもりなのかはわからないが……それでもきっと、悪いようにはしないだろう」


 火刑台に近づく彼を、警備の騎士が止めようとする。しかしアルムスがそれを引かせた。

 目を剥く国王や重臣をよそに、アルムスはローウェンのための道を開けさせる。ローウェンはアルムスを一瞥し、小さく頭を下げるとそのまま火刑台を駆け上がった。


 その背を目で追い、アルムスは微苦笑を浮かべる。

 大罪を犯した息子のせいで姫神に会わせる顔がない、と宰相夫妻が儀式の出席を辞退したことを、国王達はもっといぶかしむべきだったのだ。

 しかし、それほどまでに夫妻が責任を感じるというのも理解はできる。姫神の誘拐など前代未聞の大事件だ。

 だから、誰もその動向を疑わなかった。その結果がローウェンの脱獄だというのなら、もはやこれが神の意志だと受け取るしかないだろう。

 

 

 ローウェンが最後の舞台に定めたのは、天還りの儀が執り行われる火刑台だった。衆目を集められるし、追い詰められた悲壮感も出るので都合がいいからだ。

 そこで思いの丈をぶつけるように、シャラには言い含めてあった。共に過ごした最後の夜でのことだ。


 輿の上では観客との距離が近すぎるし、抵抗する姫神を見て輿が止められようものなら暴徒が現れかねない。

 あるいは輿がそのまま進もうと、移動しながらではシーンを掴めない観客が出てしまう。だったら最初から、大勢の注目が集まる場を舞台としたほうがいい。

 それに、れっきとした誘導の下で火刑台までぞろぞろついていくならまだしも、芝居鑑賞に夢中になるあまり我も我もと輿を追いかけて怪我人でも出たらおおごとだ。


 騎士達の牽制をくぐり抜けて火刑台に上がったローウェンが真っ先にしたことは、シャラの腕を掴むギレッドを渾身の力で蹴り飛ばすことだった。


 曲げた膝をつき出し、かかとを使って蹴りつける。コルネス仕込みの蹴り技は、不意打ちとはいえきちんと騎士にも通用した。

 転倒した時に打ったらしく、ギレッドは鼻血を出してふらついている。とはいえ、獄中で痛めつけられたことを思えば報復としてもぬるいぐらいだろう。


 このままギレッドを火刑台から突き落とすのは簡単だが、この高さでは命の保証ができそうにない。

 それに必要以上の暴力は、むしろローウェン側の印象を悪化させてしまう。先ほどまではシャラが取り押さえられていたので正当な武力行使を主張できるが、これ以上はこちらから手を出さないほうがいい。


「やめろ、ギレッド!」


 下から声が聞こえる。アルムスだ。

 アルムスは配下の騎士に指示を出し、ギレッドを抑えさせる。それどころかトーリすらも火刑台から降りさせた。せっかく邪魔が入らなくなったのだから、この機を逃してはならない。


 シャラは泣きじゃくり、震えながらローウェンにしがみついている。ローウェンは彼女の頬を濡らす穢れのない涙をぬぐい、その華奢な身体を強く抱きしめた。


 本来、ローウェンはここに立つつもりはなかった。シャラにすべてを託し、退場したつもりだった。

 だが、期せずして約束を守れる機会が与えられた。それならば、すべきことはただひとつだ。


(お前も役者の端くれなら腹から声を出せ、ローウェン!)


 世界のすべてに轟くように。この国を、根底からひっくり返すのだから。

 

 ローウェンは己を鼓舞しながら地上を睨みつけ、被っていた外套のフードを取った。

 眼下に集う民衆は、闖入者の正体が姫神をさらった男だと勘づいたらしい。小さな悲鳴がいくつか上がった。


「ガゼルデアは、常に神と共にあった。神の加護によって国は守られ、姫神が遣わされた。ここにおわすシャラ様は、五十三人目の姫神だ」


 ローウェンから視認はできなかったが、火刑台の下にはマレーン座の面々も集まっていた。


 姫神誘拐の速報を聞いた時、その犯人が銀髪紫眼の、中性的な優男だと知った彼らは、自分達のよく知る青年を思い浮かべた。

 クレル子爵ローウェン・レクスターなどという男は聞いたこともない。レクスターというのが郷里を統べる領主の家名だという知識はあるが、それだけだ。


 けれど伝えられる特徴と出回った指名手配書の似顔絵は、あまりにもルー・レカに酷似していた。


 そして今、一人の青年が火刑台の上に突如として現れたことで彼らの疑念は確信へと至る────あれは紛れもなく、自分達のよく知るルーだ。


「この国は十六年間、彼女を守りいつくしんでいた気になっていた。過去の姫神と同様の環境に彼女を閉じ込め、天還りの儀を迎えさせる以外の選択肢を最初から与えなかった。……賢明なる紳士淑女の諸君であれば、そろそろ天還りの儀の真実に気づいているのではないか?」


 困惑を浮かべる人々の心に、ひとつおぞましい想像が浮かぶ。

 ここしばらく、しょっちゅう話題になる数多の悲劇があった。非業の死を遂げる少女達の一生を描く劇は、国中で演じられていた。それはあくまでも想像上の物語で、誰もが娯楽の一環として観ていたはずだった。


「『レカの戯曲集』だ」


 いいやまさか、そんなはずは。目をそらし、乾いた笑いを浮かべる彼らの願望を、その声が砕く。声の主はマレーン座の座長、コルネス・バンドンだった。


 恐怖は伝播し、混乱を招く。コルネスが生んだ波紋は、やがて渦を呼んですべてを巻き込んでいく。


「……いやでも、天還りの儀はそんな残酷なものじゃ……!」


「綺麗事で飾っているだけで、本質は変わらない……?」


「まさか。あれはしょせん創作だろう?」


「姫神様を生贄扱いしないで!」


「あたしは姫神様を見たことがある……あの時、あの方は誘拐されたって言うのに幸せそうに笑っていて……」


「姫神様が人間であるわけがない! 彼女は神の御子であらせられるのだから!」


「だけど、それならあの方はどうしてあのように泣いていらっしゃるんだ?」


「街で姫神様を見たぞ。まるで、普通の子供みたいだった」


「大教会から逃げ出したのが姫神様の意志じゃないなら、あの時見た笑顔の説明がつかない!」


「姫神様は、先ほど“死にたくない”とおっしゃったよな?」


「姫神様は、死の恐怖を感じるのか……? 天に還るのも、姫神様にとっては死ぬことと同じだと?」


「それならば、我々のやっていたことは──ただの人殺しじゃないか」


 誰かが気づいた。自分達の犯してきた罪に。

 姫神シャラの感情に触れ、ようやく彼らは己の過ちを自覚した。

 姫神として祀り上げていたものが、自分達と同じように笑い、同じように泣くただの少女であると、彼らは初めて知ったのだ。



「私はルー・レカという偽名を使い、歴代の姫神の真実を告発するための芝居を国中で上演した。『レカの戯曲集』という名を、諸君らも聞いたことがあるのではないだろうか。あれこそが、歴史の闇に消えた真実だ。……我々は下ってもいない裁きを恐れるあまり、先んじて姫神に犠牲を強いていた」


 宰相エルドンに聞かせた、五十一人の姫神にまつわる物語うそ。ローウェンはそれをもう一度語り、騙る。


 ただし、レアーナの真実については言及しない。真実を知っていてなおシャラの生贄殺人を強行したのだと、国家の中枢への不信感を招くからだ。そうなれば、ガゼルデアは国として機能できなくなってしまう。


 ローウェンの目的は、あくまでも国全土にはびこる価値観を打ち砕くことだ。無用な争いの種を蒔くつもりはない。

 その気があるなら、八年の雌伏の時を過ごすまでもなく外国と通じていた。外国からやってくる商人を仲介にして売国を持ちかけ、もっと別のやり方で内側から国を蝕んでいた。


 こんな歪んだ国であっても、生まれ育った祖国なのだ。

 この地で生きる民のすべてが腐りきっているとも思えない。神秘で曇った目が現実を映せるようになれば、きっとこの国は生まれ変われる。最初からそれを諦め、安易な暴力に訴えるつもりは毛頭なかった。


「十六年後に殺すために育てる命だとはいえ、誰も姫神の身体を傷つけはしなかった。逃げられないよう足の腱を切り、助けを求められないように喉を焼き、瞳を潰して世界を奪うような仕打ちをした者はいない。だが、不都合な感情を不要なものだと切り捨てさせて、本来なら語れたはずの言葉を失わせ、狭い世界に閉じ込めた。誰もが姫神の心を踏みにじっていた」


 少女を守る幻想の檻は開け放たれた。少女を囚える信仰の霧は晴れた。手ごたえを感じ、ローウェンは演説を続ける。


「身体が無事でさえあればそれでいいのか? 尊厳を認めず、学習の機会を与えないどころか健やかに成長する権利も自由に生きる権利も奪っておいて、それで本当に神と神の愛し子に尽くしたと言えるのか?」


 世論の、歴史の、文化の完全なる否定はしない。彼らの主張を汲み、そのうえでローウェンの持論を織り交ぜる。

 そうでなければ、人と違う奇異な瞳は差別に転じかねない。虹の瞳を持つ少女は過剰に敬うべきではないが、だからといって害していい存在だと思わせてはならなかった。


「都合の悪いことを最初からさせず、見せてすらもいないのであれば、しょせんは人の自己満足だ。ガゼルデアは偽りの楽園に過ぎず、自分達は神を欺いているのだと認めているも同然だろう! 本当にそう・・なのであれば、姫神に対して恥じ入ることは何一つなく、隠さなければならないものなどどこにもないのだから。堂々と、普通の人間として接することができたはずだ!」


 気づけば誰もが跪き、許しを請うようにすすり泣いていた。

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