夏ノ三月 一週目六ノ日・一週目七ノ日
ローウェンは軽く息を吐いてシャラを見やる。落ち着きを取り戻したシャラは、ローウェンを見つめて小さく頷いた。
「ここまで育ててもらったこと、すごく感謝しています。いろんな人に大切にしてもらったから、わたしは今まで生きてこれました。だけど……そのことと、ここで殺されることは、ちょっと違うと思います」
飾らない本音が人々の胸を射抜く。生まれてすぐに運命を背負わされた恨み言でも、憎しみに満ちた皮肉でもない、まっすぐな意見だった。
「今まで育ててくれたお礼は、一生懸命返します。一生かかっても返せないかもしれないけど……死ぬこと以外で、できることを探します。これからは、人として生き直したいから」
シャラは深く頭を下げた。
沈黙が降りる。シャラの願いを拒む声は、ついぞ上がることはなかった。
ふと、ローウェンは大時計塔に視線を移す。時計の針がゆっくりと動き、零時を刻んだところだった。
「見ろ、天還りの儀を行わないまま姫神の誕生日が過ぎた! だが、神の加護は失われていない!」
ローウェンが高らかに告げると、人々はおもむろに顔を上げる。夜空を彩るように色が揺らめく半透明の壁と、日付が変わったことを示す時計の文字盤を、彼らはどんな思いで見上げているのだろうか。
「神の裁きを恐れるな。ガゼルデアの民として、未来に誇れる選択をしよう。天還りの儀を行い、姫神から搾取などせずとも、ガゼルデアはこれまで通り楽園として在り続けられるのだ。……私は、そう信じている」
拍手が聞こえた。アルムスだった。呆然とする国王と、睨みつける聖座のことなど意にも介さず、目を輝かせた少年は力一杯手を叩いていた。
一人だけでは音もまだ小さい。けれど、徐々に重なり合っていく。この喝采こそがローウェンの、そしてシャラの勝利の証なのだ。
緊張が解けてその場に崩れ落ちそうになったシャラを抱きかかえ、ローウェンは彼女と共に火刑台を下りた。
「ローウェンさん、捕まっちゃったって聞きました。だから、本当に来てくれるなんて思わなくて……」
「私も来る気はなかった。たまたまだ」
シャラはすっかり疲弊してしまったらしく、自らを支えるべくローウェンの首に回した腕にもろくな力が入っていなかった。せめて階段を降りる間だけでも抱えていたほうが安全だろう。ひらひらのドレスの裾をうっかり踏んで、階段から転げ落ちでもしたら大変なことになる。
(まさか親に助けてもらうとはな……。この年になって格好がつかないが)
ローウェンは天を仰いだ。とうに決別した気でいたのに、今さら両親とどんな顔をして会えばいいのだろう。
この愛憎にどう折り合いをつければいいのかわからない。何も知らなかった少年の日のように、純粋に二人に尊敬の眼差しを向けるには、親子の仲はこじれすぎていた。
……まあ、とりあえず謝罪ぐらいはしてもいいかもしれない。先に過ちを認めたのは両親のほうなのだから。
「ふふ。理由はどうあれ、また会えて嬉しいです。助けてくれてありがとう」
シャラは笑った。安心しきった、能天気な笑顔だった。
「わたし達、これからどうなると思います?」
「君の安全は保障されたと言っていいだろうな。ここまでの大立ち回りをしたんだ、君の身に何かあればその時こそ世論が敵に回る」
「じゃあ、ローウェンさんは?」
「……」
「わたし、ローウェンさんからまだ誕生日プレゼントもらってないですよ?」
「今言うことか? 強欲にもほどがあるぞ」
「だって、もらってないんですもん。……だから、どこにもいかないですよね?」
ローウェンは答えられない。守れるかわからない約束は交わすべきではないと身に染みたからだ。
階段を下りきって、シャラを降ろそうとする。シャラは嫌がったが、国王とアルムスがやってきたので渋々降りた。
それでも、彼女がローウェンの腕を支えにするようにしているのは妥協案なのだろう。仕方がないのでしがみつかせておいた。
聖座は怒りが限界を超えたせいで卒倒したらしく、トーリの指示下で神官達が連れ出しているところのようだ。トーリは青い顔でローウェン達を見ていたが、対応に追われて追及どころではないらしい。
「なんということをしでかしたのだ、クレル子爵よ。この罪は、八年前のそれとは比べ物にもならないほどに重いぞ。姫神様に知識を与えて純粋なる心を穢しただけでは飽き足らず、よもや姫神様から神性を剥奪して人の身に堕落させるとは……」
「父う……陛下!」
食って掛かるアルムスを制し、国王は眉間のしわを深める。苦み走った表情で、王はローウェンを一瞥した。
「しかし八年前と同様、そなたの罪はもはや裁けないものとなった。……姫神様を人間に変え、国を乱した責任は、必ず取ってもらう。そなたが語った理想なのだ、そなたの手で現実にしてみせよ」
「……謹んで拝命いたします、国王陛下」
ローウェンは恭しく一礼する。王は鼻を鳴らして去っていった。しかしアルムスは父王の後を追わず、シャラに向けて深々と頭を下げる。
「まずは謝罪を、シャラ。僕達は固定観念に囚われるあまり、真実が見えていなかった。大事なことに気づきもしなかったんだ」
「アルムス様……」
「僕達の罪はあまりに重い。何をどうすれば償いになるのか、いっそわからないぐらいだ。……だが、わからないというのは言い訳にならない。どれだけ時間がかかっても、必ず姫神達に報いよう」
「これからどうしたらいいのか、わたしも一緒に考えます。……わからないことは、恥ずかしいことじゃないですよ。これからお勉強すればいいだけだもん。ね、ローウェンさん」
アルムスはローウェンとシャラを交互に見やり、やれやれと肩をすくめた。
「シャラが選んだのはお前だったというわけか。なるほど、確かに僕が選ばれる道理はなかったね。お前はきっと初めから、シャラの正体が人間だと知っていたんだろう?」
「殿下、何か誤解をされていらっしゃるようですが、私達はそういった関係ではございません」
「そうか、そうか。言いたいことはそれだけかい? クレル子爵、お前のやったことで国は上も下も大騒ぎだ。これからうんと忙しくなる。惚気話には付き合っていられない。お前も意地を張っている暇があると思わないでくれよ。すぐに仕事が舞い込むことになるだろう」
弁明は最後までさせてもらえない。含み笑いを残し、アルムスは父王の後を追った。
「ローウェンさん、今のってどういう意味ですか?」
「あー……。私も君の誕生日を祝えるようになった、ということだ」
シャラの誘拐は、シャラを非道な運命から救うためのものに書き換えられた。
そうなった以上、もはや誰もローウェンを裁けない。下されるはずだった死刑判決は覆ったのだ。脱獄を手助けした両親が責任を問われることもないだろう。
「そうなんですか? やったぁ!」
「祝えるようになったというだけだ。祝ってやるとまでは言っていない」
すかさず釘を刺すが、シャラはまったく聞いていない様子だ。あえて無視している、と言ったほうが正しいだろうか。まったくもって小賢しいことこのうえない。
「じゃあローウェンさん、わたしローウェンさんがほしいです!」
「は?」
思考が一瞬停止する。シャラの発言をゆっくり分析し、その意味に辿り着いて……ローウェンは盛大に舌打ちした。
「シャラ、君は勘違いをしているだけだ。君を最初に庇護したのが私だから、私への感情を恋だと錯覚したに過ぎない」
ローウェンのことを信じて疑わない、シャラの純粋さは腹立たしいと同時に都合がよくもあった。おかげでシャラはよく懐き、ここまでついてきてくれたのだから。
シャラの中でのローウェンの存在と信用は、もはや揺るぎないものになっていることだろう。シャラのことは、最後の“姫神”にするために利用しただけなのに。
そう、そのはずだ。そうでなければいけないのだから。
シャラを見るたび胸を焦がす感情の名は憤怒。それ以上でもそれ以下でもない。
だが、もはや義憤を燃やす必要はなくなった。だから、おとなしく退場するのが筋なのだ。
「君が無事に人間として認められた今、君と愛し合える男は大勢いる。そうである以上、君は私のような男を選ぶべきではないし、君の選択肢を奪うつもりも私にはない」
「ローウェンさんは選んじゃダメなんですか? でもそれって、わたしからローウェンさんっていう選択肢を奪ってるってことですよね?」
「うっ……」
「わたしはローウェンさんがいいんです。さっき王様も言ってましたよね? ローウェンさんは、わたしを人間にした責任を取らなきゃいけないんですよ?」
「あれはそういう意味では、」
否定の言葉は最後まで紡げない。背伸びをしたシャラが、その桜色の唇でもってローウェンの口をふさいだからだ。
「ローウェンさんも、わたしのこと大好きでしょう?」
「……とんだ魔性の女だな、君は」
神聖さを失って地に堕ちた姫神は、人の腕の中に身を預けて幸せそうに微笑んだ。




