ニルケの魂
ぐらりと地面が揺れた。地響きのような音が、鼓膜を刺激する。
だが、地面よりも先に、周りの壁の方に影響が及んでいた。亀裂が入り、細かな砂や石がぱらぱらと落ちる。
「やめてーっ。もう彼にそれ以上ひどいこと、しないでっ」
「なっ……お前……」
泣きながら、シェリルーは叫んでいた。その叫びに呼応するように、壁の亀裂が増える。
さらには、彼女の身体から風とも魔力とも言えない力が吹き出していた。その強さでそばに立っていたリンネが倒れそうになり、慌ててダルウィンが支える程だった。
「ふ……ん、それで脅しているつもりか」
ジルドーはシェリルーの豹変に一瞬たじろいだようだったが、すぐにふてぶてしい表情に戻る。シェリルーの魔法を、ただのこけおどしだと思っているのだ。
「返してやると言っただろう。こんなことをすれば、返すのをやめるぞ。それとも、もう一つ傷を増やす方がいいか?」
ジルドーにすれば、それがシェリルーの力を止める一番のセリフのつもりだった。大切な物をさらに傷付けられるとなれば、おとなしくならざるをえないと。
だが、実際には逆効果だった。
「だめーっ!」
シェリルーから吹き付ける風が、さらに強くなってしまったのだ。この風は彼女の感情に比例して大きくなる。しかも、普通の風ではない。今ではばきばきと岩壁に亀裂の入る音が、人間であるリンネやダルウィンの耳にもはっきりと入って来る。
「彼女の力が暴発してるわ」
メイナがつぶやいた。飛ばされないよう、必死にリンネの髪にしがみついている。
「シェリルーにこんな力があるなんて」
目の前で見ていても、リンネは信じがたかった。
シェリルーの魔法は大抵、失敗している。それは何度も見ているうちに、シェリルーの魔力は強くない、という観念に変化していたのだ。
それなのに、今は身体全体に魔力の波動が伝わってくる。これがいつものシェリルーか、と疑いたくなる程に強い。
「半分は彼女の実力だけど、半分はニルケの魂を傷付けられて逆上したために出た莫迦力よ」
「メイナ、俺には詳しいことはわからないが、その言い方はきつくないか?」
「でも、感情に左右された力であることに変わりないわ」
すぐそばで、ひび割れた岩の断片が落ちてきた。地面に叩き付けられた衝撃で、さらに粉々になる。
「おい、ヤバいぜ。このままここにいたら、そのうち天井が落ちて下敷きにされちまう」
言いながら、カードは天井から落ちた岩をかろうじてよける。
シェリルーの力は壁だけではなく、すでに天井まで影響を及ぼしていた。天井にぶら下がっていたコーモリ達が、けたたましい鳴き声と羽音をたてて逃げる。
「やめろ。いい加減にしないか。ここは俺の城だぞ。それを汚すような奴は」
ジルドーは最後までしゃべることができなかった。彼の真上の天井が崩れ、直撃したのだ。ジルドーは自分に何が起きたか気付く間もなく、下敷きにされた。頭をつぶされ、いくら魔物でも生きることは恐らく無理だろう。
高い天井であれば、岩の落ちる気配に気付く猶予もあっただろうが、ジルドーがいる場所は他より天井が低かった。リンネ達がいる場所より高い位置にいたから、その分天井は近くなる。わずかの差で命取りになったのだ。
力を失ったジルドーの手から、ニルケの魂が転がり落ちる。それは、岩棚からリンネ達の方へと落下した。
これ以上、傷を付けてはいけない。
誰もがそう思い、そちらへ駆け出そうとした。しかし、カードやダルウィンの前や横に岩が崩れ落ち、足留めされてしまう。
「シェリルー、危ないっ」
そんなリンネの声にも関わらず、シェリルーは落ちて来る魂の方へ走る。行く手を阻もうとするかのように崩れる岩壁や天井をすり抜け、それでも間に合わないと判断すると、手を伸ばしながら地面を蹴って滑り込んだ。
軽いからなのか、わずかに浮遊しているのか、白い玉はゆっくりと落下していた。そのおかげで、懸命に伸ばしたシェリルーの手の平に魂が落ちる。
間に合った……。
シェリルーがほっとしたのも束の間、その手の中で魂は跳ね返る。跳ねた白い玉はシェリルーの方へ飛び、そのまま彼女の口の中へ入ってしまう。
ジルドーは指でつまんでいたので、固い物だと思っていた。もし固くはなくても、跳ねるのだから、それなりに弾力性のある物だろうと。
とにかく、手で掴める「実体」のある物と思っていた。
それが、口の中へ飛び込むと、まるで綿菓子のように溶けてしまい、何もなくなってしまう。
何、今の……? 私の口の中で、ニルケの魂が……消えた? 私、ニルケを喰べちゃったの?
たった今起きた現実が理解しきれず、シェリルーは手を伸ばしてうつぶせたままになっていた。そんな彼女を、ダルウィンが強引に起こす。
「シェリルー、早く立て。ここはもう崩れる」
シェリルーは明らかに放心状態だった。ダルウィン達も玉が彼女の口の中へ入ったのは見たが、そこまでしかわからない。ニルケの魂を取り戻したには違いないから、今はここを脱出するのが先だ。
コーモリは、もう仲間も何もなかった。自分達の頂点にいたジルドーが死に、それをこの侵入者のせいだと攻撃してくる者もない。もうあんな魔物も侵入者もどうでもよく、自分の命だけが大切だった。
「こっちよ」
メイナが出口へ先導する。リンネとダルウィンが無理にシェリルーを引っ張り、人間の姿になったカードが後ろから彼女を押して歩かせる。
真横で、真後ろで、目の前で。次々に岩が倒れ、道をふさぐ。あの広間だけではなく、広間へ続く通路部分にまでシェリルーの力は及んでいたようだ。
土砂が降り注ぐ中、先を急ぐ彼らの耳に水の音がわずかに聞こえた。出口が近付いてきている。
「もうすぐよ、みんな。がんばって」
やがて、滝の流れ落ちる水が見えた。だが、出口へ来ても、ここへ入る時にあった木の橋はもうない。
一番後ろにいたカードの背中をかすめ、大きな岩が落ちた。
「橋を頼んでいるヒマはないわ。みんな、飛び込んでっ」
メイナが叫ぶ。ちゅうちょする間もなく、リンネ達は滝壺へと身を投げた。
来る前にもどうだろうとは思っていたが、やはり滝壺は思ったよりも深さがある。足が着かない。
水を蹴り、もがきながらリンネは上へ向かった。幸い、水系のおかしな魔物はいないようだ。
白い泡の中で、金色の髪を広げているシェリルーと、その向こうにいるダルウィン、自分とシェリルーの身体を引き上げようとしてくれているカードが見えた。
やがて、顔に風が当たるのを感じ、リンネは空気を胸一杯に吸い込む。ダルウィン達もほぼ同時に水面から顔を出していた。
「どうやら滝壺の底へ引き込まれるのは免れたようだな」
「あたし、かなづちでなくてよかった」
「みんなー、こっちよー」
メイナの声だ。そちらを向くと、蔓がリンネ達に向かって伸びてきている。木の精霊が命綱を出してくれたのだ。それに掴まり、全員が無事に乾いた地面へ上がることができた。
「ちゃんと全員いるわね。……うん、大丈夫」
数を確認し、メイナも一安心する。まだ洞窟からは岩が崩れる音が途切れ途切れに聞こえているが、滝から離れれば問題ないだろう。
「……シェリルー? 大丈夫?」
地面に手をついて座り込み、俯いて一言も発しないシェリルーにリンネが声をかける。
ぽたぽたと滴がたれる。水に濡れた髪からだと思っていたが、覗き込んだリンネはシェリルーの涙と知った。
「シェリルー、どこか苦しいの?」
リンネの問い掛けに、シェリルーは小さく首を横に振る。
「私……私が……」
かすれた涙声で、とぎれとぎれに話し出す。
「ニルケを殺してしまった」
リンネは驚くよりきょとんとなって、すぐ後ろにいるダルウィンやカードの顔を見た。
「どうしてそうなるの。シェリルーはニルケの魂を助けるために、飛び込んだじゃない」
「でも……彼の魂は私の手の中で跳ねて……私の口に入ったの。そのまま……溶けたの」
「魂って、溶けるの?」
さっきはジルドーの手によって、ニルケの魂である白い玉は傷付けられていた。その時はジルドーの術がかかっていたとしても、その手から離れたら簡単に溶けてしまうものなのだろうか。
聞いたこともない話なので、リンネは確認するようにカードの方を向くが、カードだってそんなことは知らない。肩をすくめるだけ。
「助けたかったのに。彼を助けたかったのに。私……ニルケを……私が彼を殺してしまったの」
リンネは何と声をかけていいのかわからず、ただ泣き崩れるシェリルーを見るしかできないでいる。
だいたい、シェリルーがニルケを殺した、と言っても、実際に魔法や凶器で彼の命を奪った訳ではない。だから、彼女が泣きながらそう告白しても、リンネにはニルケが死んだという実感がわかないのだ。
「メイナ、どうにかなんないのか?」
「どうにかも何も」
カードの言葉に肯定も否定もせず、メイナはシェリルーの方に近付く。
「ねぇ、シェリルー。ニルケのこと、好き?」
突然、メイナはそんなことを尋ねた。
「……好きよ。私、彼が大好きだったわ。でも」
「あ、そんなに結論を先走らないで。戻って来てほしい?」
シェリルーは大きく頷いた。
「私はどうなってもいいわ。彼に戻って欲しい。ニルケに戻って来て欲しいの」
「ニルケもシェリルーも、どうもならないわよ」
え? という顔で、シェリルーはメイナを見た。
「ねぇ、メイナ。それってどういうこと? ニルケがどうもならないって」
言葉が出ないシェリルーの代わりに、リンネが尋ねた。
「だから、そのままよ」
どうもこの妖精は、もったいぶった言い方が好きらしい。
「シェリルーがニルケを好きだって言うんなら、何も問題はないわ。むしろ、よすぎるくらいね」
「ニルケが……助かるの?」
「あなたの心の中でね」
メイナが微笑む。花が咲いたような笑顔。
「心の中で生きるって、やっぱり死んでしまったって意味じゃ……」
「ああ、人間はそんな表現をするんだっけ。ややこしい言い方をしてごめんなさい。私が言ってるのは、そのままの意味で」
涙をためて見詰めるシェリルーの胸元に、メイナはふわりと飛んだ。
「あのね、ニルケの魂は今、あなたのこの辺りにいる。彼に戻ってきて欲しいというシェリルーの想いで、ジルドーに付けられた傷が癒やされてるわ」
「……」
シェリルーが大きく目を見開く。それはリンネ達も同じだった。
「ね、メイナ。それって、シェリルーの想いであのひどい傷が治るってことなの? 魂に付いた傷は、身体に戻った時に身体に移るってジルドーは言ってたじゃない。それも心配しなくていいってこと?」
「そうよ。魂はその人の想いでつくられてるの。こう言い切ってしまうと少し語弊があるけれど、想いを無視することはできないわ。ニルケの魂はシェリルーの想いにくるまれて、元の状態に戻るの」
「私の想いが……ニルケを助けてくれるの?」
シェリルーがそっと自分の胸を両手で押さえた。
この奥で、自分の愛する人が癒やされている。そう思うと、とても温かい気がした。
「それで、ニルケの身体へ魂を戻す時はどうするんだ? シェリルーの中から取り出す、なんてことはできないだろ」
リンネもだが、ダルウィンは人間の魂が身体の外へ出たところなんて見たことがない。今回のことだって、いまだに実感がわかないでいるのだ。
しかも、一つの身体に二つの魂が入るなんて、理解が追い付かない。戻す方法なんて、想像もできなかった。
「やーね、そんな乱暴な手を使わなくてもいいのよ」
メイナのウインクが見事に決まる。
「シェリルーが命を流し込めばいいの」
「流し込むって……どうやるの?」
命というものは、水のような流れる何かでできているのだろうか。でも、その流す命というのはシェリルーの中。どこからどう流すのだろう。
シェリルーの頭の中で、あーでもないこーでもない、と考えが飛び交う。
「かぁんたんよ。シェリルーがニルケにキスするだけでいいの」
「え……ええーっ、キスってちょっと待って」
それを聞いて、シェリルーが慌てる。顔が赤く染まった。
「キスなんて私……無理よ、できない」
「あら。だけど、やらないとニルケは本当に死ぬのよ」
メイナはあっさりと脅してくれる。
「シェリルーがニルケにキスすれば、シェリルーの中にある魂が自分の身体へ戻れるの。私が知る限り、方法はこれだけよ。でも、簡単でしょ」
「だ、だけど……」
シェリルーは発熱したような顔で、口ごもる。
「なぁ、ニルケの魂も戻って方法もわかったんなら、早く帰った方がいいと思うぞ。そろそろヤバいぜ」
「ヤバいって、何がなの?」
リンネがカードの方を振り返る。もうジルドーもいなくなったのに、何がヤバいのか。
「あのさ、死んだ訳でもないのに、魂が抜けたままで放っておくと身体が保たないんだ。つまり、シェリルーがニルケに魂を戻しても、身体が駄目になってるとそのまま昇天しちまうの」
「ええっ? それじゃ、急がなきゃいけないじゃないの。シェリルー、悩んでる暇なんてないわよ」
魂を取り返してもまだ解決したのではないと知ると、リンネはシェリルーを引っ張って立たせ、歩き始めた。
「メイナ、木の精霊に後でまたお礼に来るって言っておいてね」
「え……ええ」
リンネの行動の早さに、少しあっけにとられているメイナ。
「私も決めたらすぐに実行に移しちゃうけど、リンネもなかなかだわ」
「リンネは優柔不断って言葉には無縁だからね」
「リンの辞書にない言葉ってたくさんあるよな」





