神の使い
今回はダルウィンが主役。
第五話でダルウィンが「色々あって」とリンネ達に話していた「色々」です。
サカールの国のほぼ中央に、ミカトという街がある。そのミカトを西へ進むと、ターロという村がある。
何の変哲もない普通の村で、普通の村人が住み、普通の生活を営んでいた。
他と少し変わったところがあるとすれば、この村には魔術師がいるという点だ。
魔術師は、名をグーリといった。
肩まで伸びた白い髪。やや白濁した目。額や目元、口の周辺に深く刻まれたしわ。小柄な体型。彼の年齢は誰も知らないが、外見は六十前後の老人に見える。
数年前のある日。グーリは突然ターロ村に現れ、古い空き家に住み着いた。
次の日に村人が見たのは、前日とは打って変わって立派になった家。外装が美しくなっているだけでなく、家そのものの大きさも倍以上になっていたのだ。
グーリは占いをし、そこから神のお告げを村人に伝えてやろうと言い始める。自分は神の使いであり、自分のことを「神使」と呼ぶように、などと言い出した。
神がこの村を選び、自分をここへ遣わしたのだ、と。
そして、不思議なことが起こり始める。
最初は、探し物をしていた村人の所へいきなり現れ、その失せ物がどこかを言い当てる。
次に、具合が悪くなった村人の所へ行き、何やらまじないのような言葉を唱えると、健康になる。
そういった、小さなことだ。
しかし、何度も続けば、本当に何かしらの不思議な力を持つ人なのでは、と村人は思い始める。一回や二回ならまぐれということもあるが、それ以上の回数となれば偶然とは思いにくい。
だが、世の中にはそういうものを信じない人がいるもの。
頭から疑うことはなくても、神がこう告げられたからこのようにしなさい、と言われてもやらない人がいた。そんなこと言われてもなぁ……と否定して。
すると、必ずその人に何かしらの災いが起こるのだ。
いいことも続いたが、そういった怖いことも何度か続き、最近では村人はグーリを恐れ、逆らわなくなった。
そうなると、グーリは自分の力を見せびらかすかのようになり、今では好き勝手なふるまいをするようになってきた。
しかし、占われたことは現実に起きる。どこかうさん臭いと感じながらも村人達はグーリが本当に神の使いであり、彼の言うことに従わなかった時に起きる災いは、確かに神罰だと思うようになっていたのだった。
今は初夏。村人はそれぞれ作物の世話で、忙しく働いていた。
一部の村人達が、忙しい合間をぬって山菜を採りに山へ入った時のこと。
たくさんの山菜が元気に伸びている。今年も豊作だと喜びながら、みんなで山を歩いていた。
そこへ突然、自分達より倍近い背丈の化け物が現れたのだ。
形は人間に近いのだが、真っ赤な髪は逆立ち、大きく裂けた口からは牙がのぞき、太く大きな手には鋭い爪がある。大きな金色の眼で睨まれると、それだけで立ちすくんでしまう。
森の獣などではない。間違いなく魔物だ。
村人達は採った物も全て放り出し、ただひたすらに逃げた。一番足の遅い者が背中を爪で引っ掻かれたが、幸いかすっただけで大事には至らずに済んだ。
化け物の話はすぐ村中に広がる。熊ではないのか、と疑う者は山へ入って同じように襲われかけ、魔物があの山に棲みついたのだと知った。
人々はグーリの所へ赴き、何とかならないかと頼む。
今は山にいるからいい。しかし、このまま放っておいたら、そのうち村まで下りてきて、女房子どもまで襲われて村は全滅、なんてことにまでなりかねない。
「わしは荒ごとはできん。だが、村を救うために何かできることをしよう」
グーリはもったいぶって水晶球を取り出し、占いを始めた。多くの人々が見守る中で、グーリは次の予言を周囲に告げた。
「明日にもこの村を通り掛かる若者がいる。土色の髪をした若者だ。剣を携え、村を救うためにやって来る。その者が、魔物を追い出すであろう」
グーリの予言に、村人は安堵のため息をついた。
自分達のような普通の人間に魔物を退治できるような力はないが、世の中にはそういう魔の生き物を相手にして生活をしている人間もいる。
その若者はきっとそういう人なのだ。
だが、グーリの占いは、そこで終わりではなかった。
「神はマーナを、巫女として差し出すように、とおっしゃっている。神が降臨されるわしの家へ来て、村を救う若者が山で戦っている間、神に祈りを捧げるのだ」
「マーナを……?」
人々の間にどよめきがたつ。やがて、視線は村人に混じってここへ来ていたその少女に向けられる。
マーナと呼ばれた少女は十七の、村でも評判のかわいい娘だった。
黒く長い髪を束ね、両親と畑を耕し、小さな弟の面倒をみる。近所の子どもや老人の世話もする、気立てのいい娘である。家族にしても自慢の娘であり、姉。
そんな少女を神に差し出せ、と言われたのだ。家族やマーナをよく知る村人達は、どう反応していいのかわからなかった。もちろん、マーナ本人も。
「お前達は誤解をしているようだが、マーナを生け贄にせよと言っているのではない。巫女となって、神に祈りを捧げるのだ」
「し、しかし……巫女になれば、一生巫女のままだと……」
マーナの父であるマストゥが、恐る恐る聞き返した。
巫女になってしまえば、その時に祈るだけではなく、一生を神に捧げることになる。つまり、普通の娘のように結婚し、子どもを生んで幸せな家庭を築くことはできない。
「そうだ。マーナは神に祈り、この村を魔物から救うことになろう」
おごそかに頷きながら、グーリは答えた。
「もしマーナが巫女にならなければ、神の怒りに触れ、今よりさらに強大な魔物が現れるであろう」
魔術師の言葉に、辺りは水をうったように静かになった。
☆☆☆
「のどかな村だな」
歩きながら周りを見回し、ダルウィンはつぶやいた。
畑を見れば、いつでも収穫できるまでに育った穀物があり、一方で成長途中の野菜がある。はしゃぐ子どもをそれとなく見守りながら、家畜にエサをやっている母らしき女性達。川の流れはゆったりとして、水もきれいだ。
どこにでもありそうな、平和でのんびりとした雰囲気の村。
ミカトの街からターロ村へと足をのばしたダルウィン。街の人々の多さや賑やかさもいいが、こんなゆっくりと時間が流れていそうな田舎風景もいいな、と思うのだった。
さらに西へ行けば、別の村があるはず。まだ昼になったばかりだし、急いで行けない距離ではないはずだが、急ぐ必要もない。ダルウィンは、宿があればここで一晩すごそうと考えた。
「ねぇ、あの人……」
どこかでそんな声がしたような気がした。自分を差されているのだろうか。それとも、別の誰かか。
人に指を差されるような格好をしている覚えはない。それなら、街でとっくに言われているはず。
ダルウィンは気にせずに歩いた。だが、どうも視線が自分に向けられているような気がしてならない。自意識過剰かとも思ったが、気のせいだけでは済まないようだ。
いつの間にやら人が増え、遠巻きにしてダルウィンを囲んでいる。やろうと思えばいくらでも突破できる程度の人垣ではあるが、特に悪い気配はしていない。
だが、初めて来た場所でこんな状況になったのは初めてだ。村人は誰でもない、間違いなくダルウィンの方を見ている。
のどかと思ったのは間違いだったかな……。
この村に対する感想を変えようかと思っていると、五十過ぎであろう男性が近付いて来た。少し笑みを浮かべているような。それも、単なる愛想笑いではないような気がする。
「失礼。旅の方とお見受けしましたが」
「ええ、気ままな一人旅です。……何か?」
やはり様子が普通じゃない気がする。よそ者を排除しよう、といった雰囲気ではなく、むしろ歓迎されているみたいだ。目の前の男性や村人の表情を見れば、そう思える。
ただ、その歓迎の表情がどこか変だ。喜びの表情ではあるのだが、純粋な歓迎とは言えないような……考えすぎだろうか。
「実は、あなたがこの村へお越しになるのを待っていたのです」
「は?」
今日、ここへ来たのはあくまでも気紛れだ。足の向くままに歩いていたのだし、もし足の向きが西以外を向いていればここへは来なかった。
この村へ来たのは、本当に偶然にすぎない。
「あの……誰が誰を待ってたんですか?」
いきなり言われて「お待たせしました」なんて言葉はさすがに出て来ない。
「ターロ村の者全員が、あなたを待っていたのです」
ますますわからない。
「いきなりこう切り出しても、戸惑われるだけでしょう」
当然だ。自覚してもらえているだけ、助かる。
「わしはターロ村の村長でオーグと申します。ぜひあなたに聞いていただきたい話があるので、一緒に来ていただけますか」
何か怪しい。絶対、楽しい話ではなさそうだ。
ついて行く義理もないのだが、ダルウィンは一緒に行くことにした。このままこの村を去ったら、村長が何を言おうとしてたのか、絶対気になってしまう。そんな精神衛生によくないことはしたくない。
あくまでも、話を聞くだけ、だ。
「……わかりました」
村人が相変わらず遠巻きにして見ている中、ダルウィンはオーグと共に彼の家へと向かった。
☆☆☆
「魔物、ですか」
話を聞いて、ダルウィンはこっそり溜め息をついた。
俺、ここ最近どうも魔物に縁があるなぁ。一度関わると、離れられなくなるのか?
魔物、と聞いてダルウィンの頭に浮かんだのは、会う度に何かしらの事件に関わる少女や魔法使いの顔だった。
ついこの前も彼女達……リンネやニルケやカードと、魔性を相手に格闘をしたばかりだ。
リンネ達に会うと、何かが起こる。で、ダルウィンも放って通り過ぎればいいものを、自分から巻き込まれてゆくのだ。
今聞かされた話の中にも、魔物が出て来た。近くにあるウネという山に、魔物が現れたという。
村人がこの村にいる神の使いにお伺いをたてたところ、今日村へやって来る若者が救ってくれるというお告げをし、その通りにダルウィンがやって来たのだ。
話は最終的に、魔物をダルウィンに退治してほしい、というところに達した。魔物という言葉が出た瞬間から、何となく予想できたことではある。
単なる通り掛かりの旅人に、何が嬉しくて魔物の話なんぞを聞かせるというのだ。さっき見た、どこか妙に感じた村人の表情は、ダルウィンを歓迎していたのは確かだが、それ以上に魔物退治をしてくれる英雄が登場したことで喜んでいたのだ。
「確かに俺のことですか? 実は俺の後に来るはずの人間が本当の退治役、ということも考えられますよ」
頭から信じる必要はない。まだダルウィンのことだと決まってないのだ。少なくとも、名指しされてはいない。
「神使は、土色の髪をした若者が村へやって来る、と」
「しんし?」
「今お話しした、神の使いのことです」
「その人がそう言ったんですか」
「ええ、今日この村へ来ると。ただ、今日のいつ頃かはわからなかった。だから、村の入口でみんな待っていたんです」
「まぁ、確かに俺の髪は土色とも言うでしょうが……」
何気なく自分の髪に触れる。
ダルウィンの髪は、濃い茶色だ。土の色と言えなくもない。もし黒だったとしても、土色と言えなくはないだろう。
この表現は少しあいまいだ。許容範囲が広すぎる。その土地によっても、土の色は微妙に違ってくるのだから。
「それに、あなたは剣を持っていらっしゃる」
「道中安全な場所ばかりとは限りませんから」
あちこち歩けば、盗賊や追剥ぎのような連中に出くわすこともある。事実、何度もそういうことがあった。
その都度、自分の逃げ足の速さのおかげで危機を脱したこともあるし、この持ち歩いている剣で相手の闘争心を消したこともある。旅をする以上、長短の剣は自分の身を守るために必要なものだ。
ダルウィンでなくても。
この表現も、やはり許容範囲が広い。それを当てはめられても困る。
「神使の予言は当たります。恐ろしい程に」
「だけど、それが間違いなく俺のことだと言われた訳じゃない」
自分から巻き込まれるのは自分の意思だが、無理に押し付けられるのはいやだ。
「いや、確かにきみのことだ。わしの占いに間違いはない」
ダルウィンが村長の言うことを受け入れようとしないでいると、今まで聞いたことのない声が割り込んできた。
見ると、戸口に村長よりも老けた男が立っている。大して大きな男でもないのに、妙な威圧感を持っていた。目付きが鋭い。その目がダルウィンを見据えていた。
「ああ、グーリ神使」
これが噂の神の使いで、魔術師って奴か。魔法使いとどう違うか知らないけど、ニルケとは雰囲気が全然違うな。見た目は完全に悪徳魔法使いって感じだぞ。
ダルウィンのグーリに対する印象は、あまりよいものではなかった。
「占いに出た若者が現れたと聞いてな」
村人の誰かが呼びに行ったらしい。それでわざわざ御足労願った、というところだろう。
「ダルウィンというらしいな。わしの占いで、確かにきみの姿が映った。きみにはウネの山にいる魔物を倒す力があるのだ」
なーんか嘘くさい言い方だな。芝居じみてると言うか……。
グーリの言葉を聞いても、ダルウィンは何の感銘も受けなかった。
確かに姿が映ったと言うのなら、どうして村人へ告げる時にもっとはっきりとダルウィンの姿を説明しなかったのだろう。
ちゃんとわからなかったから土色の髪だとか、剣を持っている程度のことしか言えなかったと思われても仕方がない。それなら多少違う人間が来ても、ゴマかせる。偶然という可能性だってあるだろう。
人が来る、というのが本当にわかったとしても、どこまでわかっていたのか……。村長は予言がよく当たると言うが、実際に見た訳ではないダルウィンにとっては、それすらも怪しい。
「勝手に英雄に仕立て上げないでもらいたいな」
グーリの言葉に、ダルウィンは冷たいセリフを返した。
「たまたま通り掛かっただけの旅人に、魔物退治なんかを押し付けないでくれ」
「この村の人間の命は、きみの肩にかかっているのだぞ」
「他人の命を抱えられる程に、俺は強くないんだ。おあいにく」
村長や家の周りにいた村人達が、落胆した顔になる。一方で、グーリの顔は明らかに気分を害した表情だ。
「きみは人の命を何とも思わないのかね」
「俺も自分がかわいい。初対面の人間のために、命を落とそうと思う程に立派じゃないんでね。あんたは神の使いかも知れないが、俺はただの人間だ」
「しかし、運命は変えられん。あの山の魔物はきみが退治すべきなのだ。それがなされない時、きみには自分のやらねばならぬ仕事を放棄した罰が下るぞ」
「へぇ、どんな?」
「明日の朝目覚めた時、その両手は血に染まるであろう。その血は一生落ちることなく、ついて回る」
村人達の表情が、今度は恐怖に変わる。グーリがまた恐ろしい予言をした、と。
必ずその通りになってしまう、というのがこれまでの経験で知っているから、ダルウィンもそうなってしまうと思っているのだ。
「つまり、手が真っ赤になるってか。それなら手袋しておけばわからないさ。罰がそれくらいなら、構わないよ」
グーリに脅されても、ダルウィンの態度は変わらなかった。
村人なら、恐ろしげな予言をされると恐怖に顔を引きつらせ、ある者はグーリにすがり、ある者は泣いてその場に崩れ落ちる。
なのに、この若者は全く意に介してない。つまり、グーリは無視されたも同じだ。
「ならばその罰を受けるがいい。明日になって、わしの所に泣いてすがらんように祈ることだな」
グーリは荒々しく言い放つと、わざとらしく足音をたてながら出て行った。
気の短い奴だな。本当に困ってるなら、もう少しあの手この手で説得しようとするものだろ。あれで神の使いってんだから……。だいたい、神の使いって動物のことじゃなかったかな。キツネとか鹿とか。土地によって言い方や意味が変わるのかも知れないけど。
もし魔物が山を下りて来たら、グーリだって危険になるはず。ターロ村の危機は彼の危機でもあるはずなのに、こんな簡単にあきらめてしまってもいいのだろうか。魔物が現れたら、すぐに逃げる算段でもしているのかも知れない。
ダルウィンは冷静に分析していたが、焦ったのはそばにいるオーグの方だった。
「お願いです。どうか頼まれてください。我々はともかく、神使にあのような言葉を言われたからには、あなたも無事では済まなくなってしまいます」
「手が赤くなるだけなら、大したことじゃないだろ」
「それだけならいいですが、きっとあの言葉の裏にはもっと恐ろしいことが隠れています。例えば……自分の意思に関係なく、その手で人を殺してしまうとか」
「本当の血に染まるって意味?」
オーグは頷いた。
「まだお話しできていませんが、グーリの予言については色々なことがあったのです」
「じゃ、ついでに聞いておこうかな」
世間話でも聞くような姿勢で、ダルウィンは出されていたお茶を一口飲んだ。





