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お嬢様にピンチなし  作者: 碧衣 奈美
第四話 思い出話

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白羽の矢

 ラグスは仕事の都合で、ルエックの国の南に位置する街コルドナへ行くことになった。

「とう様、あたしも行きたい」

 よその街へ行くのが好きなリンネは、飽きない限り同じ街でも出掛ける。つまりは旅行が好きなのである。

 コルドナには、それまでにも一度行ったことがあった。ラースに比べてとても田舎だったのを覚えている。特に親切にしてもらったのでもないが、何となく暖かい街だという印象があった。

「駄目よ、リンネ。父様は遊びに行かれるのではないのよ」

 母のリリアが止めた。

「まぁ、いいさ。リリアのそばにいて心配かけるより、私のそばにいる方が安心できる」

 リリアは今、子どもがお腹にいる。余計な気苦労をかけるのはよくないだろう。リンネにそんなつもりはなくっても、結果的にかけてしまえば同じこと。

 家庭教師の件でも、リリアはそれなりに胸を痛めている。

 許可された理由はリンネにとって少々不本意なものではあったが、連れて行ってもらえるには変わりない。

 リンネは父に連れられて、コルドナへ行くことになった。

 あちこちと仕事関係の場所へ行き、ラグスが仕事中の時は世話係の監視の目があって一人でどこかへ遊びに行くことはできなかったが、それなりに楽しむ。

 明日はラースへ帰る、という日。

 ラグスは彼の友人であるセイダル=ドュートの家へ立ち寄った。

 ここも、リンネが以前コルドナへ来た時に訪れている。リンネよりずっと年上の兄弟がいる家だ。彼らの母が、自分の子どもが男の子ばかりというのもあってか、リンネをとてもかわいがってくれる。

 子守りは兄のセルスに頼み、ラグスは何ヶ月ぶりかで会う友と近況の話に盛り上がっていた。

 そのうち、リンネの家庭教師の話へと流れる。

「ははは、女の子は木登りしたり、虫を掴むのはいけない。か。ラグスもえらく頭の堅い教師を選んだものだな」

「まさかそういう考えを持った人間ばかりとは思わなかったからなぁ。セイダル、どこかにいい人材はないか?」

 自分では人選に失敗する。だったら、他の人を頼るしかない。

 商人のセイダルはあちこち歩き回っているので、ラグスに劣らずかなり顔は広いのだ。家庭教師になってくれるような人間の一人や二人は知っているだろう。

「そうだな……。エクサールの名前を出すと、どうしてもお嬢様というイメージが入ってしまう。先入観のない人間を探すべきだろう。しかし、リンネもずいぶんとお前に似たものだな」

「活動的なのはいいんだが、先行きが少し不安なのも確かだ。リリアのようにおとなしい子に……はもうならんだろう。あちこち行きたがったり、好奇心が旺盛なのは俺ゆずりだ。ちょっと旺盛すぎるがな」

 ラグスは妻のリリアのように、物静かな女の子に、と望んでいた。が、リンネはやたらと元気がいい。よすぎる。見事に自分の幼い頃を見ているようだ。男の子か女の子かという違いだけで、リンネは本当にラグスの幼い時とそっくりだった。

 そういう意味では、ラグスにとってちょっと期待外れの面もあったが、その部分を知らない周りからは「かわいいお嬢様」とほめられる。おせじも半分あるだろうが、リンネはかわいい。……とても木登りするとは思えない。

 何にしろ、愛しい娘である。

「家庭教師に関して、何か条件はあるか?」

「いや、リンネがおてんばだとわかっても、すぐに帰らないような人であればいい」

「ずいぶん控え目だな、ラグス」

 友の言葉に、セイダルは笑みを浮かべた。

「さすがに四人も短期間で去られると……な」

 言いながら、ラグスは何やら考え出す。

「どうした?」

「いや……今、ふっと思ったんだが」

 そのふっと浮かんだ考えを、ラグスはセイダルに告げた。

「そりゃ、私は構わんが。本人が承諾するかは知らんぞ」

「わかってる。だから、こっちもそれなりに条件は出すさ」

 本人達の知らないうちに、何事か決まりそうである。

☆☆☆

 父が会議中(?)の間、リンネは庭でセイダルの長男セルスに遊んでもらっていた。

 相手が誰であれ、一緒に遊んでくれる人は大好きだ。それが暇な大人の男性であれば、その人にもよるが、結構豪快に遊んでもらえるので、なおさら。

 セルスはリンネを肩車したり、抱き上げてそのまま何度も回転したりしてくれる。十八の若者だから、力は充分だ。

 キャッキャッと喜んでいると、包みを抱えた弟のニルケが帰って来た。

「おかえり、ニルケ。どこへ行ってたんだ?」

「ただいま帰りました。本屋に頼んでいた魔法書がやっと入荷したんです」

 包みの中身は魔法書だった。彼が魔法使い志望でリンネくらいの歳から魔法書にかじりついていた、という話を、前にドュート家へ来た時に聞いている。

 十五という年齢ながら使い手だ、というのも聞いたが、リンネにはその意味がまだよくわかっていない。

「注文したのはずいぶん前じゃなかったか? 普通の本ならもっと早く入るのにな」

「こんな田舎では、このテの本はね……」

 コルドナの街では、魔法書はとても入手しにくい本だ。注文しても、入荷までに時間がかなりかかる。この頃のコルドナには魔法使いがいないため、店頭に並べても売れないので店側が置いてくれないのだ。それに、普通の本と魔法書では発行元が違うので、一冊だけではすぐに送ってもらえないらしい。

 セイダルの行商中に頼むという手もあるが、特殊な専門書なので気楽に買って来てほしいと言うのも難しかった。

「ねぇねぇ、どんな本?」

 リンネがせがむと、ニルケは包みを解いて本を取り出し、見せてくれた。

「絵本じゃないですから、見ても面白くないですよ」

 確かに面白くなかった。丸っぽい記号、バツのようなマーク、表現のしようがない形。

 そんな文字が複雑に重なっていたりして並んでいる。リンネにわかる文字が一つもない。

 絵も、いつも見るようなかわいいものはどこにもなかった。ずっと見ていると、目がチカチカとなってくる。

「これ、ほんとによめるの?」

 本をニルケに返しながら、リンネは聞いた。魔法がわからない人間の、素朴な質問。

「魔法使いにはね。普通の人が読めるようなら、魔法使いの存在理由が……あ、つまり、誰にも読めると、誰でも魔法使いになれるでしょう?」

 難しい言い方をしかけ、ニルケはリンネにもわかるように言い直した。

「これがよめると、あたしでもまほーつかいになれるの?」

「読めるまでが大変ですけれどね。読むために専用の辞典がありますけれど、その辞典がまた難しいですし」

「……ふつーの絵本でいい」

 魔法使いというものにちょっと期待があったが、相当勉強が必要らしいと聞いてリンネはすぐにあきらめたのだった。

「ニルケ、帰ってたの。お父さんがお呼びよ」

 母のケイニャがニルケに手招きし、ニルケは「失礼」と言って庭を出た。

「ニルケって頭がいいんだね。あんなの、よむんだもん」

「俺だったら、途中で投げ出しそうだ。うん、頭はいいよ、ニルケは。武術関係はからきしだけど、人には得手不得手があるもんだし」

「えて……ふ?」

 難しい言葉を言われ、リンネが聞き返す。

「つまり、上手くできることとできないことがあるって意味。リンネは動くことに関しては上手そうだな」

「うん、あたし、木登りもうまいのよ。先生にしかられたけど」

「おサルさんごっこもいいけど、落ちないように気を付けろよ」

☆☆☆

 リビングへニルケが入ると、そこには父のセイダルと友人のエクサール氏がいた。

「お父さん、お呼びですか」

「ああ、来たか。かけなさい」

 ニルケは父とラグスの間に位置するソファに腰を下ろした。

「おじさん、お久し振りです」

「ああ、元気そうだな。ニルケ、また背が伸びたか?」

「ええ、わずかですが」

「そうか。成長期だなぁ。……押し付けるのは、悪いかな」

 ラグスのつぶやきに、ニルケは不思議そうな顔で見る。

「何をです?」

「ほれ、ラグス。言うだけ言ってみろ。あとは本人次第だ」

 少しためらうラグスに、セイダルがはっぱをかける。ニルケはますます不可解そうな顔になった。

 何かややこしい話でもふられるんでしょうか……。

 心の中で少し警戒するニルケ。

 そんな彼の警戒を知ってか知らずか、ラグスが切り出した。

「ニルケ、うちへ来てリンネの面倒をみてやってくれないか」

「面倒? どういうことですか?」

「リンネの家庭教師が欲しい。で、ニルケ、きみにやってほしいんだ」

「エクサール家なら、もっと立派な方が来てくださるでしょう。魔法以外に専門的な知識がある訳ではありませんし、何もぼくみたいな子どもにおっしゃらなくても」

 それを言われると、耳が痛い。過去四人の家庭教師達は、それぞれがそれなりに立派な人ではあったのだ。

「知らない大人より、わずかでも年の近い者の方がリンネもとっつきやすいだろう。それにニルケなら、全く知らないという訳でもない」

「それはそうでしょうが」

「もちろん、タダでとは言わない」

 ニルケが生活する部屋は、エクサール家の屋敷内で用意する。食事付き。当然、家庭教師料は払う。一日中勉強する訳ではないから、残った時間はもちろん、自由にしていい。

 ラグスは、ニルケに家庭教師になってもらうための条件を並べた。

 簡単に言えば、エクサール家に下宿するようなものだ。下宿先はとても環境のいい場所だし、街はここより都会。リンネに勉強を教える以外、ずっと魔法の勉強ができる。

 ニルケにとって、かなりの好条件だ。

「もしも続けてもらえるようなら、年齢に応じてそれなりに家庭教師料も上げる。それに……ニルケにとって一番魅力なのは、ラースでは魔法書が好きな時に好きなだけ手に入る、ということだろうな」

「本当ですか?」

「ああ。知っての通り、ラースは大きな港街だからな。よその国の魔法書も入って来る。私には読めないから何がどう違うかは知らないが、専門家に言わせればいい物らしいな」

 これはニルケにとって、とても抗い難い文句だ。

 魔法書は、平均して高価な物が多い。それを購入するためのお金をもらい、すぐに魔法書が手に入る。ここコルドナの街ではできなかったことだ。正直なところ、そんな状況を夢に見たことすらない。

「ですが、先ほども言いましたが、ぼくには人に教える程のものはありませんよ」

「何を言ってる。同い年の子に比べれば、ずっとレベルが上だと聞いてるぞ。ニルケのできる範囲でいいんだ。普通に読み書き計算ができるようになればいい」

「……それにしては、条件がよすぎるようですが。気のせいですか?」

 あまりいい条件を並べられると、逆に疑ってみたくもなるというもの。

 拘束時間はわずかで、報酬は高額。

 これだけを聞いたら、かなり怪しくて危ない仕事だ。知らない人間から言われたら、絶対に断るべき話である。

「あー、えっと実はだな」

 ラグスは正直に、これまでの家庭教師のことを話した。ここでニルケに承諾してもらったものの、またすぐに辞められた、というのでは困る。その後でドュート家を訪れた時、お互い気まずくなってしまいかねない。

「やり方は任せる。やってみて、無理だと思ったら遠慮せずに言ってくれていい」

「お話を聞く限り、リンネが悪い、というのでもないですね。そうは見えないのに、とんでもない問題児なのかと」

 セルスと遊んでいたリンネは、とても問題ありの子には思えない。……と、いうのは、まだニルケがリンネのことをよく知らないから思うことである。

 ニルケの目には、明るく元気な子、と映っている。間違いではないが、「元気な」の前に「すっごく」を付け足さなければいけないことを知らないのだ。

 とにかく、ニルケにとってはまさにいい仕事を見付けた、というところだ。断る理由はない。いや、断りたくない。

 コルドナのこの家を出ることにはなるが、この家は長男の兄が継ぐし、次男の自分はいつか出なければならないと思っていたのだ。少々早いが、その時期がもう来てしまった、というだけのこと。

「わかりました。お引き受けします」

 その声を聞いて、ラグスは肩の荷が下りた。とりあえずは問題が一つ解決したのだ。

 こうして、ニルケはリンネの家庭教師をすることに決まったのである。

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