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お嬢様にピンチなし  作者: 碧衣 奈美
第三話 消えた魔法使い

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魔性の館

「あったぁ」

 進行方向に、目指す館を見付けた。

 一見、何でもないような一階建ての大きな館だ。まるで木に同化するように建っていて、窓にはツタが這っているが、案外まともな外観ではある。場所がこんな森でなければ、少し質素な貴族の別荘にも思えた。魔性がいるくらいだから、もっとおどろおどろしい建物だと思っていたのだが。

 しかし、森に迷い込んだ人間があそこへ入ると、魔性に頭から食われてしまうのかも知れない。だいたい、こんな森の奥に家が建っていること自体、妙だ。昔は魔物がいなかったので建てられたのだとしても、今は人間が寄り付かない場所だからもっと朽ちていそうなもの。

「それじゃ、静かに突撃と行きましょうか」

「ディボスが留守だと嬉しいんだけどなぁ」

 それはリンネやダルウィンも同意見だ。

 リンネ達は、ある窓のそばへ静かに近付いた。そっと中を覗くが、誰もいない。広すぎず狭すぎずの、床にほこりが積もった部屋が見える。人が出入りした形跡はなさそうだ。

 こうして近くに来ると、やはり建物は古い。廃屋とはいかないまでも、空き家になって長いんだろうな、と思わせる傷みが全体的に見てとれる。近付いた窓の鍵は、錆びているというより腐っていた。

 それをそっと取り外し、そこから中へ入る。玄関から入るような行儀はこの際、忘れた。玄関側に一番近い窓を使った、ということで、それでいいことにしておく。

 カディアンからもらった黒い羽を、リンネとダルウィンはそれぞれ服に差した。相手のことは何一つわかっていないのだ。使わないで済むにこしたことはないが、すぐに使える状態にしておいた方がいいだろう。

 忍び込んだ部屋の扉をそっと開け、ダルウィンが廊下を覗いた。歩いたり飛んでいたりするものは何もない。玄関から伸びる廊下を挟んで部屋の扉が幾つか並んでいた。あのどれかに、ニルケや魔法使い達がいるのだろうか。

「カード、わかるか? 人間のいる部屋」

「無理。結界が部屋の中から張ってあるんじゃないかな。気配がそこで遮断されてしまってる。それもほとんどの部屋」

「じゃ、そのほとんどの部屋に魔法使いがいるってことじゃないの?」

 同じ魔性の仕業なら、ニルケ以外のさらわれた魔法使いもいるはず。

「全部見て回ったら、ディボスに見付かっちまうよ」

 どれだけの数があるのだろう。外からも大きな館とは思っていたが、部屋に区切られてしまえば、それは相当な数になる。のんびり一つずつ確認していたら、魔性に見付かるのは時間の問題。

「でも、どれかの扉の中に、ニルケがいるかも知れないのよ。カードにもわからない以上、一つずつ見るしかないじゃない」

 リンネは判断すると、次の行動が早い。見るしかない、と決めたらすぐに確認作業に移るのである。

「行動隊長、部下の動きも考えてくれ」

 慌ててダルウィンとカードもついて行く。

 リンネは自分達が出て来た部屋の隣りへ行くと、そっと取っ手を握った。鍵はかかっていない。扉は外開きで、リンネはゆっくりと開けて中を見た。隣りの部屋と同じ程の広さで、違うものと言えば、若い男性が二人いるということだ。二人とも、ソファに倒れ込むかのように座っている。疲れ切った顔でぐったりしているのだ。

「間違いなく人間。魔法の気配がわずかにするから、魔法使いだ」

 カードが断定する。近くに魔物はおらず、この二人だけのようだ。

 リンネは中へ入り、その二人に近付いた。ニルケより少し若いであろう男性達。顔は青白く、体力を消耗している様子だ。一人は目が半開きで焦点が定まっておらず、もう一人は完全に目を閉じてしまっている。

「カード、この人達は魔性に魔力を奪われたからこうなったの?」

 カードの仲間の魔獣達が教えてくれた。魔法使いが魔力を奪われれば生気を抜かれてるようなものだから、そのうち死に至る、と。

「そういうことだな。しばらく休んでれば治る程度だろうけど」

 カードの診断によれば、死ぬことはなさそうだということだ。

「よかった。あなた達、がんばるのよ。もうすぐ逃がしてあげるからね」

 聞こえているのかいないのか、はっきりしないが、リンネはそう声をかけてその部屋を出た。

 その隣りの部屋へ行くと、同じような人間がまたいた。さらにその隣りにも。

 思った通り、ほとんどの部屋に魔性の犠牲になった魔法使いが二人、もしくは三人いた。彼らは体力を消耗しているようだが、幸い死に至る程の状態ではない。

 早く次へ行きたいと思う反面、リンネは次を見るのが怖くも思えてきた。

 ニルケが彼らと同じような状態で、ぐったりしている姿を見たくないのだ。でも、もしそうなっているのなら、一刻も早く見付けなければ。

 幸運か、魔性の罠か。部屋を次々に見てゆく間、何の妨害もなかった。魔法使い達を見付けても、リンネ達がすぐに連れ出せないために放っておかれているのかも知れない。

 どっちなのかわからないので、リンネは都合のいい方に考えておくことにした。

 リンネ達は次第に屋敷の奥へと入って行く。今まで遭わなかった分、ディボスに見付かる可能性は次第に高くなっているはず。でも、ここまで来てやめられない。

 リンネは次の部屋を開ける。

 今度は人間ではなかった。鳥のような形の骨が立っている。ダルウィンより背が高い。普通の鳥にしては大きいから、元は魔鳥だろうか。もしくは、たまたま形が似ただけの、骨の魔物かも知れない。

 骨だけと思ったが、皮が骨に膜のようにくっついている。これは魔性模型のコレクションだろうか。所々、膜が破れている。何かの攻撃を受けたのかも知れない。

「まさか、これが魔性の本体じゃないわよね」

 この中では一番詳しいカードに尋ねる。

「多分、ディボスが使ってる魔物じゃないかな。自分の代わりに用事をさせるための」

「横着な奴だな」

「力の強い奴程、こういった魔物を使役するんだ」

 ギギッと頭の骨が動き、リンネ達は会話をやめた。

「ね、もしかして見付かった?」

「らしいな」

 部屋の中央に標本のように立っていた骨が、こちらへ向かって歩き出した。

「どうしよ」

「逃げるしかないだろ」

 部屋を出ると、ダルウィンは急いで扉を閉める。だが、動き出した魔物は扉を蹴破って出て来た。

「捕まったら、魔性の前で土下座させられるぞ」

「土下座だけならいいけど」

 カードが不吉なことを言ってくれる。

「なぁ、カード。こいつに剣は通用するか?」

「どうかな」

「追い掛けられると後がやりにくいから、とりあえずやってみるか」

 ダルウィンは剣を抜いた。こちらへ向かって歩いて来る魔物へ向かって走り出す。

 まずは左ひざ部分を斬った。鳥のような姿なので、飛ぶかも知れない。だが、歩けなくすれば追うのをあきらめることだってある。

 骨は思っていたよりも簡単に斬れた。魔物はガクンとバランスを崩す。次に右のひざ。腕、胴と反撃する間を与えず、ダルウィンは剣を動かす。

 ついに骨と皮ばかりの魔物はバラバラにされてしまった。

「すっごい、ダルウィン。あなたってもしかして剣豪?」

 リンネが目を輝かす。これまでもダルウィンが剣で攻撃するところを見ているが、ここまで鮮やかなのは初めてだ。

「まさか。ちょっとばかり器用なだけ」

「ダル! あいつ、まだ生きてるぜ」

 身体はバラバラになったが、頭部だけはまだ動いていた。ふわりと宙に浮かび、白い息を吐きかけてくる。魔物の吐く息だ、普通の湯気や煙のはずがない。

 ほんのわずか目を離したダルウィンを狙うようにして、魔物は攻撃してきたのだ。

「ダルウィン!」

 リンネが叫んだが、魔物の息は彼の所まで届かなかった。ふいにどこからか風が吹き、その白い息を飛ばしてしまったのだ。

「あ、カディアンの羽」

 ケガをした魔鳥の青年からもらった黒い羽。それがダルウィンを魔物の攻撃から守ってくれたのだ。

「感謝するぜ、カディアン!」

 訳のわからない攻撃は避けられた。次に新しい手で攻められないうち、ダルウィンは剣を振った。浮いている魔物の頭部を真っ二つに斬り、床に落ちた魔物は今度こそ動かなくなる。

「これ、魔性の耳に届いてないはずないよなぁ。奴の執事を斬ったんだから」

「こうなったら、遠慮しないで見て回りましょ。静かにしていてもやかましくしていてもわかるなら、神経使って静かにする必要ないもん」

「リン、何もやかましくしなくても」

「普通にするだけよ。こそこそするの、疲れちゃった」

 発した言葉通り、リンネはそっと部屋を覗くことなく、ノックまでして扉を開け始めた。

「いつもながら、大胆……」

「リンって魔性よりすごいかも」

 リンネを一人にすることもできず、結局全員で家捜しするようにそれぞれの扉を開けたのだった。

☆☆☆

 部屋のどこを探しても、抜け出せるような穴や隠し扉はなかった。外から誰かに開けてもらわない限り、出られないようになっているのかも知れない。

「もう出られないのかしら」

 探し疲れ、シェリルーはソファに座り込んだ。ただでさえ、こんな所に連れて来られたというショックがある。さらには出られないという現実に、つぶされかねない表情だ。

「落ち込めば相手の思う壺ですよ」

「でも……魔法は駄目、出入口になるようなものは何もない。これじゃ、落ち込みたくもなります」

「そこに付け込むつもりですよ、相手は。出してほしければ何々をしろ、と交換条件でも出して」

 粗末ではあっても食事を持って来たのだから、餓死させるつもりはないはず。こちらが出ようとして魔法を使い続け、身体に負担がかかって倒れる前に、元に戻りたければ、と話を持ちかける。

 もしくは今シェリルーに話したように、心理作戦で攻め、何かをさせるつもりでいるのか。

 後は……何が考えられるだろう。少なくとも、すぐに殺すつもりはないようだが……。

「莫迦にされてると思ったら、腹が立ちませんか? 魔法使いを閉じ込めて、相手は優越感にひたっているんですよ。向こうが魔物か魔法使いかはともかく、こういうやり方をされれば、ぼくは意地でもここを出てやろうと思いますね」

 もう相手が何でも構わない。絶対に相手の鼻をあかさないことには気が済まない。

「ニルケって……強いですね」

「ぼくは単に負けず嫌いなだけですよ」

 顔に似合わず、ニルケも熱くなりやすい部分がある。

「そのうちまた食事が運ばれるでしょう。その時にチャンスを見付けて……」

 そう言いながら、ニルケは食事を運んで来た魔物のことを思い出していた。

 あの魔物がこの部屋へ来たのは、二度。

 シェリルーを運んで来た時と、食事を運んで来た時だ。

 その時、魔物はどうやって現れた? 扉は……開けていない。

「そうか。わかりました」

「わかったって……何が?」

「扉を使わなくても出られます」

「え、でも……」

 シェリルーはまだよくわかっていない。ニルケは何を思い付いたのか、彼女には伝わっていなかった。

「扉に向けて魔法を使うから、魔力を奪われる。でも、他の場所なら普通に使えるかも知れない。それなら、移動魔法を使えばここから出られます」

「移動魔法? そんな魔法が使えるの?」

 シェリルーは扉を使わずに出る、ということより、ニルケが移動魔法を使えることの方に驚いている。あの魔法は難易度が高いのだ。

「遠くへは行けないかも知れませんが、まずはこの部屋から出ることが先決です。こちらに来てもらえますか、シェリルー」

「あ、はい」

 言われた通りにシェリルーがニルケのそばへ行くと、ニルケは移動魔法の呪文を唱え出した。静かに魔方陣が二人の周りに浮かび上がる。呪文が効果を現しているのだ。

 使える。これならこの部屋を出られる。

 ニルケがそう確信した時。突然、部屋の空気が変わった。

 あの魔物の時とは比べものにならない程の邪悪な気を感じる。

「そういうことをされては困る」

 地を這うような低い声。シェリルーが連れて来られた時に聞いた声だ。

 その声がした途端、二人の周りの魔方陣が力を失い、消え始める。ニルケは魔力が吸い込まれてゆくのを感じた。背中がゾクリとする。

 部屋の中央に影が浮かび、影は実体へと濃さを増した。

「ようやく主の登場、という訳ですね」

 ニルケはシェリルーを自分の後ろにかばう。

 そこに立っていたのは、しわだらけで長い白髪の小柄な老人だった。

 実際はどれ程の年月を生きてきたのか知らないが、外見だけなら百に手が届きそうな老人。だが、彼から漂う気配の邪悪さが、人間ではないことを告げている。

「困るとはどういう意味です。あなたがここから出てみろと言ったのですよ。それをなぜ止めるんですか」

「移動魔法を使える者が紛れていたとはな。そこまでのレベルの魔法使いは連れて来るなと命令しておいたはずだが」

 ふん、と老人は鼻をならした。

「移動魔法を使われては、今のわしの結界では抜けられてしまうからな。ここから逃げられては困る」

「しかし、それを使わないと出られませんからね。扉は魔力を吸い込むようになっていますから。あなたがやったことでしょう?」

「そうだ」

 老人はあっさりと答えた。

「あなたは何者です。なぜ、こんなことを」

「わしはディボス。お前達が使う言葉で言えば、魔性だ。これはお前達の魔力をもらうために仕組んだこと。こう答えれば、満足かね?」

 老人……魔性のディボスはそう答えた。どこまでが本当のことだろう。いや、本当のことを言ったような気がする。

 だったらなぜ、この魔性は本当のことをしゃべったのだろう。決まっている。ここから帰すつもりがないのだ。

「つまり……扉に魔法をかけようとするとほとんど吸い取られてしまうのは、いやがらせではなく、それが目的だったと?」

「そういうことだ。しかし、移動魔法でここを抜けられるとその力を吸収できんからな。お前は今までの魔法使いの中でもいい力を持っていた方だが、ここを抜けられると困る。と言って、わしもそれほど強い結界を張れんからな。仕方ない。たった今、全ての魔力を抜き取ってやる」

「それは遠慮します」

 日々勉強し鍛錬を重ね、ここまでやってきたのに。それをあっさり魔性にやる程、こちらも従順ではない。

「この部屋はわしの手のうち。その中でお前はどれだけ耐えられる? ここで使う魔法はいつものようには効かんぞ。使う度、半分はわしに流れ込む」

「ハッタリですか。何でもいいです。それが本当でも、あなたに対して恐れを抱くつもりはありません」

「どこまでその強がりが保てるかの」

 ディボスは、のどの奥でかすれた音をたてて笑った。

「今までさらってきた莫迦な魔法使い達は、必死に扉を開けようとして魔法をかけていた。結果、わしにその魔力を注ぎ込んでくれることになったのだ。まだまだ昔の力は戻らんが、お前を苦しめながら殺すことくらいなら簡単にできるぞ」

「やりたければ勝手にやればいいでしょう。説明してもらわなくても結構です。そういうことは、下級の魔物がすることですよ」

 ニルケはわざと、魔物と言った。ディボスは自分のことを魔性と言ったが、魔族の中でも力が強いことを示したかったのだろう。だから、ニルケはあえて魔性とは言わなかった。

 下級と言われ、にやついていたディボスも表情を変える。

「土下座して謝れ。そうすれば、少しは楽に死なせてやる」

「そんなことをするくらいなら、自決します」

 ニルケは即座に断った。

 どんなことをされようとも、こんな魔性に頭を下げるのだけはいやだ。これはニルケの、人間としてのプライド。

「余程、じわじわと死んでゆきたいらしいな」

 ディボスは手をニルケの方に向けた。そこから攻撃魔法の光が飛び出す。ニルケはすぐに防御の呪文を唱えた。だが、魔性の攻撃はニルケの防御の盾を突き抜けて彼を襲う。光はニルケの右肩と脇をかすった。

「言ったはずだ。お前が魔法を使えば、その半分近くがわしに流れる。お前が魔法を使えば使う程、わしは強くなる。逆にお前はどんどん弱ってゆくのだ」

 今の防御は完璧のはずだった。力を奪われていなければ。

 本来の半分しか呪文の効果が現れないから、ディボスの攻撃を許してしまったのだ。

 また攻撃がくる。今度はよけながら、ニルケは呪文を唱えた。突き破られてもダメージを受けないように。やはり、魔性の力はニルケの盾を簡単に突き抜けた。

「ほう、うまく逃げたな。だが、いつまで逃げ切れるか、見せてもらおう」

 ディボスは魔法をあまり使えないニルケに対し、次々に魔法の攻撃を仕掛ける。光の弾を連射し、黒い光の鞭で襲い、かろうじて見える速さで剣をニルケに飛ばす。

 いけないとわかっていても、身体が逃げ切れない分、ニルケは魔法でカバーしようとしてしまう。だが、思う効果はなく、ニルケは次第に傷付いてゆく。

 息が切れ、腕から、額から、脇から血がにじみ、床にしたたり落ちる。魔法を使うことでなくなる体力も、いつもとは比べものにならない。

「楽しいねぇ。お前のさっきまでの強がりはどこへいったのだ? やはり口だけか」

「口だけなら、下級の魔物にも負けませんけれどね」

「……わしを二度も下級扱いしたな」

 ディボスの手に、力の球がふくれてゆく。黒い闇の力。

「お前はわしに攻撃をしてこないようだが、そのままくたばってしまうと、お友達が次の標的にされてしまうぞ」

 ディボスはふくらみつつある力の球を、シェリルーに向けた。

 彼女はさっきから何とかしてニルケを助けたいとは思っていたのだが、ディボスの攻撃の余波がシェリルーの近くまで飛んできて、それから逃げるだけでも精一杯だったのだ。

 もっと力があれば。ニルケを助けることが無理でも、少しなら手伝うこともできるのに。

 そう悔しく感じてはいても、現実は余波から身を守るだけで必死という有様だった。

 そんなシェリルーに、直接ディボスの力が向けられる。

 逃げられるだろうか。いや、逃げてもかすっただけできっと動けなくなってしまう。

 シェリルーは逃げようとした。だが、身体が動かない。頭ではわかっていても、身体が恐怖で強張ってしまった。

「いやあっ」

 ディボスの手から黒い球が離れたのを見た。あれが当たれば……もう考えられない。

 どんっ、と衝撃があった。シェリルーの身体が突き飛ばされて床に伏せる。

「うわああっ」

 ニルケの叫びに、シェリルーははっとして顔を上げた。自分は何ともない。さっきの衝撃は、彼がシェリルーを突き飛ばしたのだ。

 代わりに彼がまともにディボスの力を受け、ガラス扉まで飛ばされてしまった。

 そこはまだ、ディボスの結界もどきの魔法が有効のまま。それに触れれば、力が働く。ニルケはディボスの力に弾き飛ばされて身体を打ち付けただけでなく、結界もどきの力を全身に浴びてしまったのだ。

 服が焦げ、わずかに髪の焦げるいやな臭いがする。ガラス扉に当たった背中部分が焼け、ニルケの身体は床に落ちた。

「ニルケ!」

 シェリルーが駆け寄る。ニルケは仰向けに倒れ、気を失っていた。

「ふん、本当に口だけの奴だ。しかし、身体を張るとはな。ここでもう少し魔法を使えば、わしに流れてきたものを」

 ディボスは結果に満足していないようだ。魔性は少しでもニルケに魔法を使わせ、そこから魔力を吸収して自分の力にしたい。だから、彼が魔法を使ってディボスの攻撃を防御しようとしてくれる方がいいのだ。

「もうやめて!」

 シェリルーがニルケのそばで泣き叫んだ。

「もういいでしょ。彼はもう魔法を使える状態なんかじゃないわ。あなたは彼が移動魔法を使おうとするから、こんなことをしたんでしょ。移動魔法なんてこんな身体じゃ使えないわ。もうやめてっ」

 しわだらけの顔をした魔性は、人間の涙などには情を動かされることはない。

「そう。そいつはもう魔法を使えん。つまり、利用価値がなくなったということだ。ならば生かしておくこともない」

「いや……やめて」

 ニルケの左腕の向きが少しおかしい。さっきディボスの力を受けた時、骨折したのだ。

 シェリルーはこのまま、彼を連れて逃げたかった。でも、彼女にはそんな力はない。ただニルケの上に覆いかぶさるしかできない。自分をかばおうとしてくれた魔法使いを、少しでも魔性から守ろうとするように。

「お前もわしのやり方を知ったからには、もう魔法を使おうとはせんだろう。所詮は力のない魔法使いだからな。ここで殺しても、惜しくはない。そばにいたいなら、一緒に死なせてやろう。わしは優しい魔性だからな」

 自分のは発した言葉がおかしかったのか、ディボスは鼻で笑った。

 もう……駄目なんだわ。

 ディボスの手に、また力の球が浮き上がるのを見て、シェリルーはそう感じた。

 ある程度の大きさになるのをぼんやり見詰め、目を閉じる。

 魔性の力が自分の身体を粉々にするのを待っていた時、コンコンという音がした。

 死に神があの世への扉をノックしてるみたい……。

 シェリルーには、本当に死に神が扉を開けたのが見えるような気がした。

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