虎の尾、或いは龍の逆鱗④
精神的ショックにより若干動きに精彩を欠く鬼と狐。
そんな彼らに呆れた視線を送りながら、ロゼレムは隣の僧正坊に問うた。
「時間に干渉する力なのは間違いないとしてだよ。
鎧以外で多用しないのは制限があるからかい? 例えばそう、ゲーム的表現を使うならCTがあるとか」
「さて、どうかのう。理性がないから上手く使えとらんだけのような気もするが……ちゅーか何でゲーム用語使った」
「最近ちょっとハマっててねえ」
「ああそう……」
ロゼレムのマイブームについてはどうでも良いのだ。
今目を向けるべきは現状、威吹を消耗させるという目標を達成し難いということ。
「どうしたもんか」
「……アンタらじゃ時の防壁は突破出来ないのかい?」
「や、出来るぞい。それは出来る」
時の鎧は何も無敵の護りというわけではない。
酒呑、詩乃、僧正坊、誰であっても無理矢理ぶち抜くことは可能だろう。
大妖怪へと至った威吹の鎧ならともかく今の不完全極まる状態ならば強引に時計の針を動かすことはできる。
問題は時計を動かした後だ。
「護りをぶち抜いても直ぐに張り直されるのは目に見えとるじゃろ」
「それは……」
「護りが消えた間隙を縫って痛打を与えることも出来るが……なあ?」
時間に干渉出来るなら巻き戻してなかったことにだって出来るのではないか?
むしろ出来ないと考える方が不自然だろう。
僧正坊の指摘は実に尤もなものだった。
「あと、ダメージもそうじゃが体力的な消耗もの。時間が止まっとるちゅーことは疲労もないんとちゃうかあれ?」
「……多分、そうだろうねえ」
「いかんな。香ばしいクソゲーの臭いがしてきおったぞい」
威吹の手の平から波動が放たれる。
僧正坊はこりゃ不味いとロゼレムの襟首を引っ掴んで回避。
仮に当たっていればどこまで巻き戻されていたことやら。
「時間の加速に逆戻し。リタちゃんの腕をやったのは前者かのう」
「頼りにならん爺だねえ」
「元凶が何をほざくか。つか、こういう時は――おぅい九尾ィ! お前さん何か策はねえのか!?」
正攻法では難しい。ならば搦め手から攻めるしかあるまい。
そうなればこの場で一番頼りになるのは九尾の狐以外には居ない。
「ない……こともないんだけど……」
威吹の攻勢を手足だけでなく九本の尾まで動員して凌ぎつつ、詩乃が答える。
ちなみに近接戦闘をしているのは他に手段がないからである。
術の類を使おうとすると時間を巻き戻され発動を潰されてしまうのだ
「じゃさっさとやれや! 何か俺ら傷の治りが遅くなってんぞ!?」
叫ぶ酒呑。
確かに少しずつではあるが二人の再生能力が鈍くなってきている。
恐らくは威吹が再生能力に時間停止の力で干渉しているせいだろう。
時間が経つにつれ影響力が大きくなっているのは、威吹が着実に理の外へと近付いているから。
まだ数時間程度は猶予があるとは言え、無為に時を重ねればそれだけ力は大きくなってしまうので楽観は出来ない。
「うるさいなあ。手堅い手段じゃなく、むしろ分の悪い賭けになりそうだから迷ってるのに」
詩乃はこの場において一番威吹をよく把握している。
威吹がこうなった原因についてもだ。
でなければ“しの”などという名前を名乗りはしない。
だからこそ良くも悪くも現状を動かす方法にも見当はついている。
「ああもう、ホント迷惑な魔女さんだよ。私はギリギリを見極めて攻めてたのにさあ」
詩乃は小さく悪態を吐いたかと思うと、僧正坊に向けて叫んだ。
「術を使いたい! だけどこの状態じゃさせてくれないから一時的に頼んでも良い!?」
「あいよ!!」
即断即決。
僧正坊は大きく翼を広げ、風の刃を放ちながら威吹に吶喊した。
入れ替わりで戦域を外れた詩乃だが……直ぐには術を使わない。
未だ、威吹が自分を捕捉しているのが分かっているからだ。
「……その熱視線、普段から欲しいなあ」
派手な術など何一つ使っていない。
ずーっと近接戦闘を行っているだけ。
だと言うのに周辺は当の昔に更地となり、大妖怪らの戦いは今も大地を破壊し続けている。
控えめに言って地獄のような光景だ。
そんな中でも色ボケた発言を大真面目にほざけるのだから、つくづくイカレている。
「――――今だ」
すぅ、と詩乃の目が細められその姿が変化する。
彼女が姿を変えたのは威吹。
より正確に表現するなら八、九歳ほどの幼い威吹だ。
だが、これだけではない。これだけでは意味がない。
詩乃は自身のみならず“結界内部の世界”も塗り替えた。
「……」
破壊の痕跡が痛ましい不毛の大地が消え失せ、
代わりに敷き詰められたのは小川のせせらぎが聞こえる長閑な山間の風景。
これで空が青空ならば絶好の行楽になるのだろうが、生憎と空は泥濘のような灰色。
威吹はこれまでの暴れっぷりが嘘であるかのように沈黙し、固まっている。
詩乃は酒呑と僧正坊に手を出すなと念で伝え、ゆっくりと威吹に歩み寄る。
「時間は止まらないよ」
幼い威吹に成り切って、詩乃は言葉を紡ぐ。
「僕らはそれを知ってるはずだ」
威吹の視線が詩乃に注がれる。
「止まらないし、戻らない」
攻撃する素振りすら見せず威吹はじっと詩乃を見つめている。
「時間は未来に向かって流れていくだけ」
平然としているように見えるが、詩乃はかなり神経を尖らせていた。
自らの行いが威吹の芯に深く触れるものだと理解しているから。
先ほど彼女自身も述べたが、これは分の悪い賭けなのだ。
「逃げられない」
未だ威吹に変化はない。
「時間からはどう足掻いても逃げられない」
何を考えているのかも読めない。
それでも志乃は言葉を紡ぎ続ける。
「僕らはそれを知っているはずだ」
威吹を除く者たちは確かに感じた。
ざわりと背中が粟立つような感覚を。
「あ、う……」
ビキリと、罅割れるように無表情が崩れる。
微かに漏れたのは苦悶の声だろうか?
「志乃はもう居ないよ」
威吹の身体が大きく震えた。
「時の流れに押し流されて過去へと消えてしまった」
「が、あ……あ……」
一陣の風を吹き抜けさせ、一瞬だけ威吹の視界を塞ぐ。
その間に詩乃は更に自らを変化させた。
今度は少女だ。空色の髪と空色の瞳を持つ幼い少女。
「――――威吹は何をしているの?」
その一言がトドメとなり、
「あぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
決壊した。
「うぉい!? 九尾! お前さん、何をした!?」
箍が外れたように溢れ出した妖気が嵐のように吹き荒んでいる。
目論み通りに時間の鎧は剥がせたようだが詩乃は一体何をしたのか。
叫ぶ僧正坊に詩乃は視線を泳がせながら答えた。
「いやほら、時間への干渉を止めさせたいわけでしょ?」
例えばそう会話で威吹の思考を誘導し止めさせる――普段ならば可能だろう。
しかし、今の威吹に対話は通じない。
魔女の悪戯で人間としての柔らかい部分を刺激され夢現の状態になっている今の威吹に他者の言葉は決して届かない。
そこで詩乃は一計を案じたのだ。
「だからさあ。威吹自身の意思でそうなるように誘導したの」
と言っても露骨な精神干渉は意味がない。
時間の鎧に弾かれてしまうから。
ゆえに詩乃は視覚や聴覚と言った表面的な感覚のみを狙い撃ちにした演出を打つことにした。
「アニメとか漫画でよくあるでしょ?
もう一人の自分を作り出してそれに言われたくないことを口にさせる演出がさ」
今の状態にも関わりのある威吹にとって特別な場所を再現し、
自らは当時の威吹に成り切ることで心象風景の中での自問自答のように見せ掛けたのだ。
「普通の状態では子供騙しにもならないけど、視野が極端に狭くなってる今なら通じるかなって」
つぅ、と詩乃の頬を汗が伝う。
「確かに通じたみたいだけどよぉ……」
時の鎧は確かに剥がれた。
今ならば攻撃も通じるし消耗させるのは容易いだろう。
が、
「これ、明らかにヤバクね?」
当初の見立てでは大妖怪に至るまで数時間は余裕があった。
しかし、今はもう十分の猶予もなさそうだ。
「覚醒に向けて全速力で突っ走っとるブッキーを十分足らずで消耗させられるとは思えないんじゃが!? じゃが!?」
「だから私言ったじゃん! 分の悪い賭けだって!!」
今から全力で殺しにかかれば殺すことは出来る。
が、消耗させるとなると正攻法では三人がかりでも難しいだろう。
「アホ言ってねえでどうにかしろや! 頭使えよ屑ども!!」
「こ、このアル中……! ああもう、言ってる場合じゃないよね!
私が諸々吸って何とか瀕死にしてみるから、どっちでも良いから威吹の動きを止めて!!」
「よっしゃ! 儂に任せい! 金剛縛鎖ァ!!!」
僧正坊が印を組むと威吹の足元から飛び出した呪の鎖がその肉体を拘束するが、
「嘘ォ!?」
即堕ち二コマ。
四肢を縛っている鎖を残し他はあっさりと弾き飛ばされた。
「駄目じゃねえか糞爺!!」
悪態を吐きながら酒呑が威吹の背後に回りその身体を羽交い絞めにする。
しかし、
「うぉ!? 何つー馬鹿力だ……! おい女狐! さっさとやれ!!」
怪力無双の酒呑童子をして冷や汗を浮かべるほどの膂力。
あまり長く繋ぎ止めておけそうにはないと酒呑は詩乃を促す。
「ちっくしょー! 我が子のファーストキスをこんな形で奪うことになるなんて! 計画台無しだよ!!」
両手で頬を押さえ、詩乃は自らの唇を威吹のそれに重ねた。
威吹の身の安全を考え七割ほどの力で吸精を行っていたが詩乃は直ぐに思い知らされた。
全力でやらなければ間に合わないと。
いや、全力でやっても間に合うかはギリギリだ。
詩乃は吸い殺さんばかりの勢いで妖気や精気を吸収し始めた。
「ん……ッッ!!」
矮小な器には収まり切らない、吸精を始めて十秒と経たず詩乃は理解した。
吸い取ったものを身の内に収めようとするなら本来の姿に戻るしかない。
愛しい人の精を捨てるのは勿体ないが已む無し。
そう判断した詩乃は九本の尾を通し吸い取った妖気・精気を放出し始めた。
天に向けられた九本の尾の先から絶え間なく放たれる光線。
仮にこれが帝都に向けられていたら怪獣映画も真っ青の惨状が広がっていただろう。
「おい女狐! 真面目にやってんのか!? ドンドン抵抗激しくなってんぞ!!」
「いや真面目にやっとるから抵抗激しくなっとるんじゃない!? ちゅーかお前さんも気張らんかい!!」
詩乃はもう、二人の声すら聞こえていなかった。
柄じゃないと理解しながらも一心不乱に貪り続けていた。
未だ底は見えず、その表情にも焦燥が募り始める――いや焦燥だけではない。
詩乃は焦燥だけでなく欲情を滾らせてもいた。
どんな経緯であったとしても、愛する人と口吸いをしているのだ。
興奮するのもしょうがない……のかもしれない。
「! 目に見えて弱り始めた! ええぞ九尾! がんばれ♥ がんばれ♥」
「気持ち悪い声援止めろや! 女狐は嫌いだが状況を考えろ!!」
一分、二分、三分と時間だけが刻まれていく。
そして残り時間が二分を切ったところで……。
「ぷはっ!」
ようやく吸精が終わる。
吸収速度が排出速度を上回ったせいで詩乃も随分とボロボロになっているが、彼女は気にせず叫んだ。
「血を!!」
詩乃は既に舌を噛み切って威吹の体内に血を流し込んだ。
後は二人だけ。
酒呑と僧正坊も即座に自らの血を威吹の口に流し込み、飲み込ませた。
「あとはこれで……!!」
詩乃と僧正坊は今しがた飲ませた血を介して威吹から生まれ出ようとしている力を押し込む。
かなりの抵抗があったものの、それでも無事産道を塞ぐことに成功。
これにより威吹の覚醒は未然に防がれた。
「ふぅ……まだちょいと不安定じゃが数日もすりゃあ落ち着くかのう……」
意識を失い詩乃に抱かれる威吹を見つめ僧正坊が安堵の息を漏らす。
「はぁー……ったく、勘弁して欲しいぜ。気持ち良く飲んでたらいきなりなんだもんよ」
「それを言うなら私だって夕飯の準備中だったんだけど?」
三人が同時に溜め息を吐き俯く。
「「「……」」」
そして少しの沈黙の後、ロゼレムが居る方向に視線をやり……。
「あ、あのアマ……逃げやがった……」
「……こりゃ何とかなるだろうなって思ったからバックレたんだろうね」
「うむ、あ奴はそういうとこある」
全員、ロゼレムに対して思うところはある。
「今回の元凶あのババアだし落とし前をつけさせてえが……」
「そうじゃのう……でも……」
「今日はもう、何か良いかな」
三人は疲れていた。それはもう酷く疲れていた。
さながら運動不足のパパさんママさんが子供に付き合って久しぶりに全力で身体を動かした後のように。
「じゃあ、もう解散ってことで良いよな?」
「うむ、お疲れっしたー」
「はー……帰って威吹と寝よう……」




