虎の尾、或いは龍の逆鱗②
放課後、何時もの三人組は学校付近の駄菓子屋でたむろしていた。
「…………今日は、本当に……本当に酷い目に遭ったんだから……」
恨めしそうな視線を向ける百望からさっと顔を逸らす。
威吹自身、途中からこれ大丈夫なのか? と思いはしたのだ。
しかし、黒猫先生が構わん、続けろと言うので続けた結果……。
(ふ、ふふ……俺、またクラスから浮いちゃったなあ)
爆睡していた無音以外の尊厳が決壊してしまった。
百望も例外ではない。
だが、心を鬼にした甲斐はあったと思っている。
(次の授業からは皆、死に物狂いになるだろうね)
結局、最初に放った軽い殺気ですら超えられたのは無音だけ。
他の生徒は終業時間まで身じろぎ一つ出来やしなかった。
思い知っただろう、自らの不足を。
思い知っただろう、もしもの可能性を。
(黒猫先生も満足げにしてたし、俺も求められた役割は果たせただろう)
今回、発端にあったのは好奇心だ。
しかし、軽い殺気を浴びせられただけで動けなくなった生徒を見てから威吹の意識は切り替わった。
彼らにとっては小さな悪意ですら致命に成り得るのだと痛感した。
才能や素質云々は関係ない。
それらがなくても努力で十分補える範囲の悪意にすら負けてしまう。
そりゃあクラスでは浮いているし友達もたった三人だけだ。
他のクラスメイトとは殆ど会話もない。
しかし、同級生がくだらない悪意で散ってしまえとは思わない。
ゆえに全力で黒猫先生の指示に従い、
悪逆な妖怪としての性ではなく人間の情を以って皆を精神的に甚振ったのだ。
だがまあ、
「大体、危機感って言うなら私はあるわよ……何時だって逃げを打てる手は用意してあるんだから……」
甚振られた側からすれば関係のない話だ。
愛の鞭などと言っても打たれる側からすれば痛いだけである。
なので威吹も黙って百望の愚痴に耳を傾けていたのだが、いい加減辟易としてきた。
「どれだけ対策を用意してても頭が恐怖で真っ白なら意味ないでしょ」
「う゛」
「先生はさ、雨宮みたいな奴のことも考えて今回の授業を企画したんじゃないかな」
これは余談だが、授業終了後威吹と黒猫先生の間にこんなやり取りがあった。
『生徒として授業を受けさせると害悪にしかならんと思っていたが……』
『当人の前でそれ言います?』
『別にお前は気にせんだろう』
『いやまあそうですけど』
『教える側として使うのならば中々だな。狗藤、これからも時々協力してくれないか?』
『良いですよ』
抜き打ちチェック的な意味で時折威吹を授業に使いたいと請われ、威吹はそれを快く承諾した。
ちなみに次はもっとハードな授業内容にするつもりだそうだ。
今の百望には口が裂けても言えそうにない。
「…………卒業したら現世に戻るのに……」
「卒業まで生きていられたら良いね」
「グハッ!?」
棒アイスをしゃぶる。
ミルクの優しい味が五臓六腑に染み入っていく。
「う、うぅ……こっちがもうちょっと秩序立った世界なら……」
「いやあ、それはどうだろうねえ」
恐らくは今がギリギリのラインなのだと威吹は考えている。
これ以上を望もうとすれば致命的な破綻。
より具体的に言えば力を持つ者らが暴れ出すだろうと見ている。
「程よく不自由で、それなりに無法。丁度良い按配なんだと思うよ」
幻想世界に住まうのは妖怪や悪魔などと言った化け物だけではない。
神仏の類だって多く存在する。
前者が混沌で後者を秩序に位置づけるのであれば、不用意に秤を傾けるべきではない。
下手をすればそれこそ、かつて世界が滅びかけた大戦争の再来だ。
「はぁ……ところで威吹、ちょっと聞きたいんだけど」
「ん?」
「――――アイツ、何かやたら静かなんだけど何かあったの?」
百望は少し離れた場所で渋い顔で座っている無音を指差した。
平時の彼からは想像もつかない、陰気ささえ感じる空気を纏っているのだ。
そりゃあ気にならないわけがない。
「あー……いやほら、俺の殺気にあてられて覚醒してたじゃん?」
「ええ、馬鹿でかい狼みたいになってたわね。でもそれが?」
「膨れ上がった妖気は沈静化したんだけど、後遺症みたいなのが……ねえ?」
殺気にあてられ覚醒した際は、経緯が経緯なので理性は振り切れていた。
だが仮にマシな方法で覚醒していたとしたら、人間形態と遜色ない理性を取り戻していただろう。
化け物としての位階が上がれば獣性は薄れるものだから。
今、無音は正にその状態なのだ。
強引に戻したせいで、一時的に柴犬の状態でも人間の時と変わらぬ理性を得てしまった。
(寝てる時は幸せそうだったんだけど……)
目覚めた途端にご覧の有様だ。
クラスメイトたちも突然のトーンダウンに酷く混乱していた。
「……駄目だ。犬の姿で居るのに全然ハッピーじゃない」
はぁぁぁぁ、と無音の口から辛気臭い溜め息が漏れ出す。
こちらの気まで滅入ってしまいそうだと威吹は顔を顰めるも、口には出さない。
一応、こうなった原因が自分にあるからだ。
「何時もなら服を着てないのも開放感があって気持ち良く感じるのに今は羞恥が……」
僕は何をやっているんだと頭を抱える柴犬……かなりシュールな光景だ。
「威吹の力でどうにかならないの? 騒がしいのも嫌だけど、これはこれで鬱陶しいんだけど」
「んー……いやまあ、出来るかどうかで言えば出来ると思うよ?」
感情を増幅する術ぐらいならば使える。
それでアッパーな感じにしてやれば何時もの無音に戻るかもしれない。
実際無音にも同じようなお願いはされた。
しかしだ、威吹には一つ懸念があった。
「でもさ。俺の影響で無音はああなったわけでしょ?
術を使うってことはまた俺の影響を受けるわけだからさ。不安なんだよね」
「それは……確かに難しいかも」
「でしょ?」
いざ実行してみて、実は見落としていた点が……というのが怖い。
特に直近で紅覇のこともあったから、威吹としても二の足を踏んでしまう。
「…………」
「雨宮?」
軽くコメカミを押さえ渋い顔をする百望。
どうしたのかと声をかけるが返答はない。
しばし、沈黙を貫いていた百望だがやがて意を決したように口を開く。
「はぁ。しょうがないわね。麻宮、私が何とかしてあげるわ」
「ほ、本当かい……?」
「ええ。同じ鬱陶しいなら、いつものアンタの方がマシなんだから」
瓶ジュースを一気に飲み干し、百望は立ち上がった。
「私の家に行くわよ」
「え」
「魔女の家か……興味あるな。俺も一緒に行って良い?」
「当たり前でしょ。私とコイツを二人きりにするとか許さないんだから」
どうやらナチュラルに同行は決まっていたらしい。
が、問題はない。
今言ったように威吹は魔女の家というものに興味があったのでむしろ渡りに船だ。
「足は俺が用意しようか?」
「そうね……お願いするわ」
「OK」
まだ捨てていなかったアイスの棒を二本に圧し折り、それを宙に放り投げる。
すると二つに分かれた棒はそれぞれ大鷲へと変化した。
人間一人が乗っても優に余裕はありそうなサイズの巨大な鷲。
かなりの威圧感に一瞬ビクつく百望であったが、
「……すっごいフカフカだわ」
背中に乗るとその羽毛のさわり心地に一瞬で態度を軟化させた。
「ほら、無音も乗って」
「うん……」
何時もなら大はしゃぎしていただろう無音は大人しく鷲の背中に乗った。
やはり、相当重傷のようだ。
「雨宮の思い通りに動いてくれるから先導頼むよ」
「了解。じゃ、着いて来て」
百望の乗った大鷲が飛び立ったのを確認し、威吹と無音も宙に舞い上がる。
(……誰かが空飛んでても気にもされないって凄いよな)
駄菓子屋の前で談笑している子供も、犬の散歩をしている老人も、
井戸端会議をしている主婦らも誰一人として威吹らに目を向けない。
改めてここが現実世界とは異なる法則が流れているのだと実感させられる光景だ。
「それで?麻宮をどうにかするって言ってたけど具体的には?
やっぱ魔女だから凄い儀式とかするわけ? 血とか臓物とか必要なら俺が調達して来ようか?」
「何でアンタは一々物騒なのよ! もうちょっと蛮族度を下げなさいよ!」
わざわざ家に行くぐらいだ。
大掛かりなことをすると思ったのだが違うらしい。
威吹は軽く頭を下げ、改めて何をするつもりなのかを問う。
「薬よ」
「…………あの、覚醒剤とかそういうのは良くないと思うんだけど……」
「違うわよ!? 普通の――薬とは言えないけどヤバイ感じのやつじゃないから!!」
「あー、精神科とかで処方されるような?」
「大体そんな感じ。原料は神秘由来のものだから効果は段違いだけどね。
仮に現世で一般に普及したら鬱病で苦しむ患者は殆ど居なくなると思うわ」
フフン、と百望は得意げに鼻を鳴らす。
だがその態度も当然だ。
今語ったことが本当ならちょっとした奇跡なのだから。
「ちょっと多めに服用させればあの馬鹿犬もいつものテンションに戻るでしょ」
「ふぅん……ってか何でそんな薬持ってんの?」
「持ってるって言うか作ったのよ。師匠からの課題でね」
「ほー」
「とりあえず、それを飲ませればダウナーな状態から脱して上向きな気分になれると思うわ」
その薬、生粋のネガティブガールである百望も飲んだ方が良いのでは?
と思った威吹だが寸前で言葉を飲み込む。
そんなことを言えば面倒なことになるのは目に見えている。
「ん? 住宅街の方から離れて行ってるんだけど……」
「私の家は現世から来た子らが住んでる場所とは違うから」
憂鬱そうに溜め息を吐く姿を見れば、不本意なのがよく分かる。
魔女の家系云々のややこしい背景があるのだろう。
あまりよそ様の家庭の事情に首を突っ込むのはよろしくない。
威吹もそれ以上は言及せず口を噤む。
「着いたわ」
郊外にある森の奥にひっそりと佇む洋館。
ここが百望の住処らしいが……また何とも、雰囲気がある。
ホラー映画のロケ地とかに使えそうだ。
(こんな場所で一人暮らしとはキツイなあ)
森にも洋館にも結界らしきものが貼られているので多少の安全は確保されているのだろう。
が、こんな寂しい場所で年頃の少女を一人暮らさせるのは虐待に近いような気がしないでもない。
「何してるの? ほら、入って入って」
「あいよ。ほら、無音もおいで」
「……うん」
何の気なしに洋館へと踏み入った威吹だが、
「ん?」
「あ、馬鹿! 相手がどんな実力かも分からないの?!」
突然、視覚と聴覚が遮断された。
一寸先も見通せない暗闇。
外界の音は閉ざされたはずなのに、何故か聞こえる不気味な笑い声。
追い討ちをかけるようにぐらりと足元が揺れたかと思うと踏みしめていたはずの地面が消失する。
だがまあ、
「てい」
何の問題もない。
少し気合を入れると異常は全て弾け飛び健全な感覚が戻ってきた。
目には見えないが何かが息を呑む気配と、逃げ出そうとする気配を幾つか感じる。
威吹は殆ど無意識の内に妖気の鎖でそれらを捕縛した。
するとどうだ? 目の前に可愛らしい小人のような者らが姿を現した。
「雨宮、これは?」
「この洋館に住んでる妖精。仕事は歴代の家主への嫌がらせ」
「ほー……じゃあ駆除した方が良いのか?」
今捕らえた十数匹の妖精だけではない。
同じような気配が洋館の中にはまだまだ感じる。
威吹はとりあえず捕まえておくかと妖気を全域に放ち全ての妖精を捕捉・捕縛する。
「!?」
「!」
「~~~!」
何かを主張しているようだが威吹は無視した。
友人と出会ったばかりの妖精――どちらの優先順位が上かなど考えるまでもない。
「そうね、そうしてくれるとありがたいけど……これの相手も一応修行の内らしいから」
「あ、そうなの?」
「私の次の子も使うから殺戮は勘弁してちょうだい。ああでも、私には以降手を出さないよう言ってくれる?」
百望は地味にセコかった。
だがまあ、そういうことならと威吹は言葉ではなく念で以って洋館内の妖精らを脅し付けた。
百望に迷惑をかけるようなら殺す、むしろ積極的に百望の役に立てと。
妖精らが承諾と服従の意を示したのを確認し、
鎖から解き放ってやると妖精たちは蜘蛛の子を散らしたように逃げ出した。
「じゃ、工房に行くから着いて来て」
「はいはい」
「ようやく……ようやくいつもの僕に戻れるんだね……」
二人は百望の後を追い、彼女の工房へと向かった。
工房の中はおどろおどろしい雰囲気で如何にもな印象を受ける。
「威吹は大丈夫だろうけど麻宮。
一応言っとくけど危ない物もあるから部屋の中の物には下手に触らないでよね。
万が一の時は威吹が力業で何とかしてくれるでしょうけど……分かった?」
「うん。それより……」
「はいはい、薬でしょ? ちょっと待ってなさい」
百望が薬を探しているのを横目に威吹はじっと室内を観察する。
(木乃伊、骸骨、禍々しい液体で満たされた大鍋……正に魔女の工房って感じだなあ)
ここまでイメージ通りなのかと密かにテンションを上げる威吹だったが、ふと異変に気付く。
何かは分からない。だが、何かが起こっている。
不味いかも――そう思った時にはもう手遅れだった。
「ッ……威吹!?」
急激に意識が遠退いていく。




